第7話 70センチの勇気
翌日の朝。近くの川で血のついた服や顔を洗っていた時のことだった。
後ろから足音がして、誰かと振り返ると、アンナが何かをサンドしたサンドイッチを持ってきたじゃありませんか!
「え?何急に?」
動揺を隠せず、すぐに素の声が出てしまった。
「...その...昨日のお礼と言いますか...朝早くに起きて何も食べてないだろうし」
モゴモゴした言い方をしながらサンドイッチを横に置き、アンナは自分の分の服を山から取って洗い始めた。
ここはご厚意に遠慮せず頂くとしよう。ちょうどお腹が減っていたんだ。
「ところでこれ、何がサンドしてあるの?」
「昨日の狼の肉だけど?」
「......」
なんだろう、それを聞くまではツンデレらしいデレの成分をサンドイッチに入れてくれたのかと思ってたけど、途端に狼への怨嗟が入ってるように見えてきた。
しかしそれでも自分の心は日本人なのか、一度手につけたものは食べる精神が働き、恐る恐る口に運んだ。
肉なら美味い。頭の中で必死に唱え、パンと肉を噛みちぎる。
......うん、ただの肉のサンドイッチだ。美味くとも不味くともない、普通のサンドイッチ。飲み込んでも本当に何もない。
「ごちそうさま。おいしかったよ」
「え?ああ、そう...」
そうして一瞬にして場が静かになった。もしも前の世界で自分に彼女とかいたら、もう少し会話できたのだろうか。
「あの!」
70センチくらいの距離にいるアンナが急に大声を出した。
「その...あの時は...ありがと」
と思いきやまたモゴモゴした。だけども、発した言葉から察するに、これはデレのモードだ。あまりこの貴重な場面を台無しにはしたくない。
「ああ、いいよ全然」
というわけで乗っかることにした。
「それで...ごめんなさい」
「ん?何が?」
「その...きちんと説明してなかったなって...その...あなたの前いた世界だったら、ツンデレっていい意味なのかもしれないけど...ここだと...その...あの...」
アンナは目を泳がせ、口をごもらせ、あと一歩の言葉を出すことにかなり勇気を出そうと頑張っている。そしてその口から出た言葉は...
「し...尻軽女...って意味で...!」
「...あー、えーと、そのぉ...」
つまり自分は出会って間もない初対面の女性にあだ名としてヤリマンと言っていたわけだ。ましてや昨日はヤリマン先生と言ったわけだから、そりゃあ不機嫌にもなるわ。
「だから、説明してなくて、それに昨日の件も、私がお札貼り忘れたことから生まれたことだし...本当にごめん!」
「いや、こっちこそ!知らなかったとはいえ君のことを...その...嫌な呼び方で呼んで...」
「......」
そうしてまたもや場が静かになり、流石にマズイと思い、自分から話題を切り出すことにした。
「そ、そういえばさ!」
70センチぐらいの距離にいる人に勇気を出す気持ちがわかった気がする。
「その、目的地まであとどれくらいかかるの?」
アンナは一瞬キョトンとしていたが、あっちも空気を変えたがっていたのか、すぐに意図を察して返答した。
「あ、も、もうすぐだから!あと、2日ぐらいだから!」
「よ、よ〜し!そうと決まれば早く洗って早く出発しよう!」
「お、お〜!」
そうして2人で洗い始めた。だんだんと、なんだか面白くなってしまって、恥ずかしくなって、こっちを見てないだろうかとアンナを見ると、アンナも笑いを堪える顔でこっちを見た。
そうなると、2人で吹き出して、笑いながら服を洗った。心の距離が、70センチより短くなったように感じた。
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