第14話:うるわしきひと03
「うわあ」
で、期末考査も近付く今日この頃。用事有りきでマリンと帰路についていると、昇降口で別の問題が発生した。マリンの靴箱に付箋がベタベタと貼られていた。書かれているのはSNSのIDだ。いわゆるアカウント表示というか。勇気の要る行為だけど、マリンの可愛さにとってはさほど障害にならないらしい。
「えと。どうしましょう?」
「無視で良いんじゃない?」
「マイダーリンは大丈夫?」
「今更マリンの思慕を疑うのも……ね~」
「えへー。好き」
スニーカーに履き替えて、マリンは僕の腕に抱きついた。
ミシィとアゴを噛み砕く音がする。
まぁ衆人環視の歯を食いしばる音と言うことで。実際にマリンに惚れる要素は数限りない。僕にとっては幼い頃に結婚の約束をした運命の女性だけど、例えそうじゃなくても彼女の魅力は女子でもかなり上位だろう。で、転校初日から僕にくっついていると仮に僕が僕じゃなかったら僕に殺意を覚えるかも知れない。
夕日を反射する金色の髪も綺麗だし、僕を移すエメラルドの瞳も可憐だ。色々と理性を無くしそうになる僕がここで喀血していないのは有り体に言って体裁を取り繕っているからに過ぎず、在る意味道徳に救われた形だ。
で、二人でイチャイチャしながら帰っていると、
「スミス嬢!」
校門で一人の男子生徒が彼女に声をかけた。
「えと。はい」
キョトンとするマリンは、状況を理解しているのかいないのか。
「誠の恋をするものは、みな一目で恋をする!」
「シェイクスピアですね」
「好きです! 付き合ってください!」
「謹んでごめんなさい」
まぁそうなるよね。
「何故にだっちゃ!」
失恋の痛み故か。言語崩壊している男子生徒。
「両牙くんが好きなので」
「そんな奴~! そんな奴~!」
うわーんと男泣きをする男子生徒はともあれ、確かに僕はそんな奴だ。
「いないときに相手を慕い、その人が自分のそばにいることを欲してやまぬ場合にのみ恋愛しているのである……」
「ソクラテスだね!」
アリストテレスだボケ。
「えと……とかく人の恋の厄介さは知ってるんだけど……」
「僕で良いの?」
「勿論ですよマイダーリン両牙くん!」
なわけで学内に於ける僕の立ち位置は気になるんだけど、そうでなくてもマリンの愛らしさに思慕を覚えるのも必然で。
「じゃ行こっか」
そんなわけで二人帰路につく。墨州の動向は気になったけど、マリンを蔑ろにするのは違うだろう。ニコニコ笑顔を見せているマリンを見ていると、こっちまで気分が高揚する。
「流石に日が暮れるのが早くなったね」
「北半球の使命ですよ」
「ていうか此処がそうなの?」
「拙が引っ越したマンションです」
「……………………」
チーンと御鈴が鳴った。
その南を見やって、自分の家があるのを確認する。僕の家の隣にマンションがあるのは知っていたけど……というか知らなかったら視覚を疑うんだけど……そのマンションにマリンが転居していると?
一応僕の家が南側なので日照権は問題にならないんだけど、これは偶然か?
「もちろんマイダーリンを追いかけてきたんだよ」
さいですか。
実質新築にも近いマンションだから賃貸でもかなりになるだろうに、恋を有利にするためだけに此処を選んだというのなら感服するより他に無い。エントランスをカードキーで通過して、五階の部屋にあがらせてもらう。およそ来たばかりなのだろう。たしかに荷解きはされていなかった。
「お茶淹れよっか」
「仕事しなくて良いの?」
「まぁ元々口実だしね」
ほう。思ったより策士らしい。
綺麗なダイニングで茶を振る舞われる。もちろん即席のものだけど。
「美味しい?」
「愛が染み入るね」
「えと。あのさ。両牙くん」
はいはい。
「結婚の約束だけど。本当に良いの?」
「むしろソレしか憶えてないくらいなんだけど」
「でも両牙くん……墨州さんのこと好きだよね?」
「アレ? 言ったっけ?」
「えと。わかるよ。それくらい」
どこかポヤポヤした印象を抱いていたけど、見るべきは見るらしい。いやまぁアレで察するなっていう方が無理筋か。
「そのぅ。スミスと墨州を間違えて……」
「そかそか」
「怒った?」
「まぁ怒ってもいい場面だよね」
「申し訳ない」
いやマジ自分でも何してんだって印象はあるけどね。
よりにもよって結婚の約束をしたトキメキハッピーを他の人間と間違えるかってテーゼがあるのなら確実に否だろう。普通なら。
「ただ分かるよ。両牙くんが墨州さんを好きになったのは、あの頃の約束があったからだ……ってことは」
「いやかなり最低だとは思うんだけど」
「うん。でもね。あの頃の幻影を追うのなら、たしかに墨州さんは当てはまる。だから今でも両牙くんは墨州さんに惚れているし、拙のことも憧れている」
「怒ってないの?」
「なんだろうね。コレを怒りと呼ぶには、幸せな感情が止まらないの。本当に……心が逸るって言う意味で、これをネガティブな感情だとは思えない」
「裏切ったんだよ?」
「ううん。むしろ私との約束を想ったからこそ今こうやって問題になっているんでしょ。わかるよ。マリン・スミスと墨州真理は酷く共時性が強いから」
「なんでこんなことに……」
色々と最低だ。
「シンクロニシティって知ってる?」
「まぁ言葉と汎用例くらいは……」
「今ある現状を突き詰めれば其処に行き当たると思うんだ」
「そんな偶発性で恋愛語っていいの?」
「山桜霞の間よりほのかにも見てし人こそ恋しかりけれ」
「古今和歌集だね」
「昔から恋愛の規格なんて変わってないよ。拙はあの頃に両牙くんに惚れて、離れても想って、こうして再開して理解の及ばない感情に支配されているの」
だからって理解を示されてもソレは寂しいんだけど。
「じゃあ両牙くんは拙を想いつつ墨州さんを諦められる?」
「それは……」
かなり無理に等しい。
「ていうか普通に考えて拙を好きなことと墨州さんを好きなことは近似しているよ。多分どっちを選んでも両牙くんは嘘をつくことになる」
「けどさあ」
それでもどうにかしなければ……は傲慢だろうか?
「ううん。きっとそんな両牙くんが拙の好きになった両牙くんだから」
「わりかし破綻した事言うねマリン」
「ほら。名前で呼んでくれる」
いやだってスミスと墨州じゃややこしいし。
「恋はあるよ。此処にあるよ」
だから心は健やかだとマリンは語る。
もちろんソレを唯々諾々と鵜呑みにするつもりはないけど、でも彼女の寛容さには感銘の一つも覚えるモノで。ぶっちゃけ凄いと思う。仮に僕と同じ顔の男子生徒が現われて、ソイツが墨州の運命の相手だと言われた僕なら割腹する。墨州の場合は僕にうんざりしていたようだから何とも言えないんだけど。
「両牙くんは拙のこと好き?」
「愛してる」
あの時の鮮烈な気持ちは今もこの胸に。
「えへへ。えと。嬉しいな」
「じゃあ荷解きしましょうか」
「もうちょっと浸らせてよぅ」
いや。このままでは惚れ込んでしまう。
「何か不都合?」
ないけどさ。
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