047 決着

 勝敗は決した、そう思った。だが次の瞬間、ベリトを握りつぶした炎の左腕が四散した。


「まさか【アモン】まで使ってくるとはね。さすがの僕でも焦ったよ」

 ベリトには傷一つ付いていなかった。


「これが僕の切り札、絶対魔障壁。あらゆる魔術攻撃から身を守る最強の盾さ」

 彼を囲むように現れた銀幕。それがアディンの全力の一撃を凌ぎ切った。


 これが魔王に仕える最強の闇魔導士。

 アディンは次の策を必死に考え、ベリトのもとへ歩を進める。


(まだ……倒れるわけにはいかない……)

 先ほど起動させた六芒星の魔術方陣の中に入ったときだ。


「うば、がっ……っ!?」

 酷い頭痛と脱力感にアディンは耐えきれなくなり、膝を折り、血を吐いた。


「魔力切れだ。君の負けだよ、少年」 

 ベリトは遠方のいまなお成長を続ける氷の大樹を見てそう呟いた。


「ど、うしてだ、ベリト」

 弱々しく言葉を紡ぐアディンをベリトは冷たい目で見降ろす。


「君は本気で人間と魔族が共存できる世界が来ると思っているのかい?」


「……」


「半獣だからと人間から虐げられてきたフェンリ、愛する者を目の前で惨殺されたエリゴス、信用していた人間に裏切られたグレモリー、そして故郷の森を焼かれ、一族を滅ぼされたリィラ」

 ベリトの口から出た眷属達の過去。


「人間と魔族が共存出来る世界などあり得ない。この世界にあるのは憎しみの連鎖だけだ。それを今日、精霊王と魔王の力を融合させて、絶対的な抑止力にし終わらせる」


 ベリトには勝てない。彼の計画をここから崩すなんてできない。


 身体が冷たくなっていく。眠くもなってきた。横になれば深い眠りにつくことが出来る。


 それはずっと望んできたことではないのか。もう誰も自分の所為で傷つく事が無い世界の完成だ。


 だけど。いやだ、とアディンは思った、何もかもを失うのは。


 あの城で過ごした一年間が無駄になるは嫌だ。エスカもグレモリーもフェンリもリィラもエリゴスもロノウェも、ベリトだって、あの愛おしい日々の欠片だった。


 張りぼてのように上辺だけを取り繕った、偽りだらけの人生の中で本物だった一年間。


 目を瞑れば思い出せるあの日々が愛おしくてたまらない。


(だから俺は取り戻す——)


 アディンの足元にある六芒星が再び輝きを放った。


 その日、この地にいた生者は見た。人間も魔族も関係ない。

 凍てつく世界の中で、霊光が溢れ出てくるのを見た。それはまるで灯火のように世界を照らし出す。


 この地で消えた命の灯火が交易都市市街地の方へと集まっている。


 ベリトが驚愕に目を開く。アディンを中心にして目視できるほどの強い霊光が集まっていたのだ。


「これほどまでの霊光をどうやって……まさかっ!?」


 ベリトが予想した通りだった。彼が使い魔であるベアルを使って作り上げた五つの大規模降霊術に必要な起点。完成まであと一つと差し迫ったこの状況で、彼よりも先にアディンが六つ目の起点を作り、魔術方陣を完成させたのだ。


 原則として、魔術方陣の主導権は最後にそれを完成させた者にある。たとえ九割完成させた者がいたとしても、最後の一割を完成させた者が主導権を握ることになるのだ。その可能性を危惧してベリトはアディンに敢えて魔術方陣による魔術の起動を教えていなかった。


 だが、ベリトには心当たりがある。それはアディンがグレモリーから錬成術の手ほどきを受けていたことだ。物と物とを魔術方陣を用いて融合させ一つの新しい物を作り上げる錬成術を学ぶ上で、アディンはそれの組み立て方を理解したはず。


 その証拠にアディンは先ほど六つの短剣を使って、六芒星の魔術方陣を完成させ【アモン】を発動させた。


 まるで神話の1ページのようにアディンが神格化されていく。


 アディンの背中には右翼が顕現し、右眼には炎が灯る。凍てつき始めていた心臓は炎を灯し、血液を激しく循環させる。枯れ果てた魔力が体中に流れてくるのを彼は感じた。


 奇跡の工程は三つ。


 一つ、アディンがこの世界に召喚された日に、魔王であり魔法使いでもあるエスカの力の一部を継承していたこと。


 二つ、交易都市ヴェルディアが霊脈の富んだ場所であり、自然界の精霊に愛された場所であること。


 三つ、大規模降霊術の主導権をアディンが握り、術の対象をエスカからアディンへと変えたこと。


「至ったというのか人間の君が……奇跡の担い手、魔術師の最高峰、魔法使いの領域に!?」


 決して意図したわけではない。エスカを救いたいという願いが実を結んだだけのことだ。


 ベリトはアディンに魔術を放つが、アディンの炎の右翼が全てを焼き払う。

 アディンが拳を握る。それに対してベリトは絶対魔障壁を展開するが——、


 バリンという音とともに障壁が破壊された。魔法と魔術では格が違い過ぎた。


「これは俺が決めた道だぁあああ‼︎」


 ベリトが次の魔術を発動させようとして、それを途中で止め、僅かにフッと笑った。


 アディンはベリトの左頬へと拳を叩き込む。バンッ、ガンッ、ダンッ! と派手な音を立ててベリトは吹き飛んだ。


◆◇◆◇◆


 アディンは倒れたベリトの下へと歩く。


 ベリトは破壊された建物の壁に倒れ込むようにして座っていた。アディンの魔法によって攻撃を受けた彼は炎に包まれ始めていた。それは彼が倒れ込んだ建物に広がっていく。


「……昔、魔王に対して謀反を企てた愚かな魔族の男がいた」

 アディンはベリトを見下ろす。それに対してベリトは一点を見つめ語り出した。


「魔族の世界で裏切りは付き物だ。男は魔王を殺して旗を揚げようとした。だがすぐに失敗した。男は魔王の側近によって呆気なく捉えられた」

 炎に少しずつ焼かれていきながらもベリトは言葉を紡ぐ。


「魔王を殺そうとした男は死を覚悟した。それが当然の報いだ。だが、いざ男を魔王の側近が殺そうとした時、魔王はこう言ったんだ」

 ベリトは座ったままの姿勢でアディンの顔を見上げた。


「『殺さないで』って。泣きながら。自分を殺そうとした相手を助けようとしたんだ」


「……」


「あのお方は魔王と呼ぶにはあまりにも優しすぎる。誰かの願いを叶えようとして、自分を犠牲にすることも厭わないだろう。そうして何度も傷ついて、最後はたった一人になって、世界に絶望して死ぬ」


 口から血を吐きながらも、ベリトは続ける。


「それに僕は何度も見てきた。悪逆非道の魔王が打ち倒され、世界は一時的に平和になり、また新たな魔王が生まれ、世界を混沌に陥れる。そしてその魔王がまた勇者に倒される、その繰り返し。私は、その束の間の安寧を手に入れるだけの世界の生贄に陛下がなってほしくなかった。僕は陛下に変わって欲しかった。時には他者を切り捨てる冷酷さを持って欲しかった」


「それがあの氷の精霊王とエスカを一つにした目的か」


「ああ……あのお方が目指した理想はいつか、あのお方自身を苦しめる。この無慈悲な世界が魔王であるあのお方を赦さないからだ。そうして数多くの憎しみを陛下は背負い、やがて潰れてしまう。だから、陛下には心身ともに絶対的な力が必要だった」


「エスカはこんなことを望んではいなかった! あの子は人間と魔族との共存の道を本気で考えていたんだぞ!」


「綺麗事じゃ世界は変わらない! 魔王と精霊王の力を一つにし、その力を抑止力にして世界を統一することが僕の目的だった! これもあのお方のためだッ!」

 そのベリトの言葉に嘘偽りはない。真剣な眼差しがそれを物語っている。


「俺はエスカをあの氷の中から救い出す」


「無理だ。あのお方は既に魔族の魂をかけた契約を破棄している……それにいま精霊王との繋がりを断ち切ればあのお方は確実に死ぬ……。いやそれがいいのかもしれない……少年、この残酷な世界からエスカドール様を解き放ってくれ」


「断る。死とは決して美しいものじゃない、そうだろベリト」

 ははっ、とベリトは自嘲気味に笑った。かつて少年に送った言葉が思わぬ形で返ってきた。


「エスカを救う手段が一つだけ存在する。それは俺だけにしかできない」


「姫を救う騎士気取りか……ならこれを使え……」

 ベリトは指先から青い炎を灯す。それは空中を浮遊し、アディンの中に消えていった。


「僕の残り少ない魔力だ。あの御方を救うと豪語したんだ、失敗したら君を呪い殺す。だからエスカドール様を救ってやってくれ」


「その願い、引き受けた」

 バンッと燃え盛る木材が倒れ二人の間を隔てる。


「ベリトッ!」


 返事に代わるように木材が炎の勢いを強めた。


 その光景を見届け、アディンは踵を返す。尊敬する魔術の師の思いを無駄にしないために。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る