第8話

    二十二


「お昼だよ~~~!?」

 いきなり部屋に入ってきた夢は、ベッドのふちに腰掛け、タマエを撫でていた。人見知りをするタマエが、黙って撫でさせているのを夢心地に捉えながら、祷は意識を覚ましていった。タマエがいるだけで、慌てる様子はみせないで、

「ゴメン、遅刻しちゃまずいと想って、ちゃんと寝てなかったから、転た寝しちゃったよ」

「馴れない環境だから、寝れるときに寝ておいた方が良いよ。お昼とったら、タマエを散歩させ、山に入ろうよ」

「山菜でも採るつもり? なの」

「湧き水の美味しい場所を、前回きた時に見つけたんだ。是非とも、タマエに利き水をしてもらいたいんだよね」

「タマエがあまり、水を飲まないことを、話していたっけ?」

「ネコの飼い方の本で勉強したんだよ」

「そういえば、図書館で会わなくなったよね」

一徳あのひとは、本を買うというと、お小遣いをくれるからね」

「随分と、セレブな生活を送っているようだね」

おかあさんには、箍を緩めるのは構わないけど、外さないようにしなさいって、耳にタコができるくらい云われているよ」

「いっぺんに変わったもんね。山の散策をするだろうと心得て、スニーカーにして正解だった」

「タマエを遊ばずために、スニーカーにしたんだろうな? って、想ってたよ」

「用意してるときに、連泊を閃いたんだ」

「だと、想った。一徳あのひとが、別荘の空気を入れ替えてもらえないか? って、云うくらいだから、何かある? って、先読みできるもんね」

「独りじゃ心細いから、あたしをだしに使ったんでしょ? 天然のかなちゃんが謝るなんて、考えられなかったもん」

「山梨県の郷土品を調べているときに、境界線に気付いたんだ」

「やっぱり! あたしを持っているから、忘れているの? と、頭をよぎったけどね」

 祷はしらばっくれて、をかけてみた。

「双子の絆は、そう簡単に途切れないよ」

「あの焼き討ち以来、思念が届かなくなってるけどね」

「祷ちゃんもなの?」

「用済み? になっちゃったのかなぁ」

「それでも今は、歴とした大人だから、行動して引き寄せるしかない、って想ったんだ」

「時効は撤廃されたけど、想いが色褪せないうちに、って考えたんだね」

 タマエがその時、「にゃぁ~!」と鳴いた。

 祷はすぐに気付いたが、夢は天然を炸裂させ、

「ごめんね、タマエ。お腹空いたよね」と、立ち上がった。

「お昼を食べたら、山に入ろうよ。大自然で羽を延ばせるチャンスなんて、そうあるもんじゃないからね」

 祷は云って、ベッドから起き上がる。部屋の外に聴き耳をたてながら、夢に向かって右手ききての人差し指をたて、口に当てていた。


 食堂と云うよりも、オープンキッチンで、流し台の前に並ぶ料理ビュッフェは、豪華であった。

「いくらおもてなしでも、ふたりで食べる量じゃないよ」

「米さんたちも食べるからね」

「今日は、庭木の剪定で、職人さんたちも食べますからね」

 そう云われると、見慣れない作業員たちが数人、テーブルについていた。

「ごめんなさい。わたしたちを気にしないで、採って構いませんよ」

 夢が、気を遣って、職人たちを手招きした。

「今しがた呼びに行ったんですよ」

「ごめんなさい。あたしが、転た寝しちゃったんです。独り暮らしなもので、勝手ルーズ過ぎました」

「皆でワイワイ食べると美味しいからね」

「ワイワイじゃないと、美味しくないですか?」

「米さんの料理は絶品よ。五感って、舌と眼意外にもあるから、って意味で云ったのよ」

「言い訳は宜しいですから、採らないと無くなりますよ、お嬢様」

 夢が罰が悪そうに、料理を吟味し始めていた。

 祷は、タマエが食べそうな料理しなじなを、リュックを背負ったままチョイスしていた。そうは云っても、タマエはなめるだけで、食べたことはないのであった。



    二十三


 腹ごしらえも済み、

「山に入る前に、タマエのトイレを用意しないとね」と、夢が思い出したように云った。

「山に行けば、済ます処があるから、大丈夫だと思う。それにトイレシートを持っているから、板の間にベニヤの切れはじでもあればくからね」

「なら、裏手の納屋にいっぱいあったから、帰りに目ぼしいものを探そうよ」

「それでしたら、夕食の食器を取りに行きますから、おれんとうついでに持ってきておきますよ」

「なら、お願いするね」

 夢は交渉成立、とばかりに浮き足立ち、祷をかしていた。

 祷はポケットからリードを出し、タマエをリュックから出した。自宅部屋マイルームで試していたので、要領は得ていた。

 トコトコと後ろを振り返りながら食堂を出て、螺旋階段を降りて玄関で立ち止まり、上にある配電盤を見上げていた。確認したようにも見えるタマエに、ふたりが追いつき、外に出た。

 小さなのり面を越えて、山肌に添って中に入って行った。その時、「待ってくりょう!」と、云った松本が後を追ってきた。

「どうしたんですか?」

 祷が立ち止まり、追いつくのを待って尋ねる。

「最近、仙人様が現れて、嘘を教えて、遭難者が多発しているもんだで、案内係として、ついていくずら」

 松本は方言を混ぜながら云った。祷は、『そういうことだから、言葉を発しなかったのね』と、理解した。夢は、内密うちわ話しができないと想っているようで、直ぐに前を向き歩き始めていた。

 登山道のない獣道を、タマエは造作なく登るが、祷の丈では小枝が視界を妨げて歩きにくい。

 夢はそれでも、視界を確保しながら進んでいた。前回見つけた湧き水だけに、ある程度の方向を目測で測りながら登っていた。

 夢が立ち止まり、タマエが追いついた。

 祷は息を切らしながら、「どうしたの?」と、切れ切れに訊いた。

 夢は右手ききての人差し指を口に当て、「しっ!」とだけ云う。

 祷は生唾を飲み込み、静寂の中の音に聴き耳をたてた。

 マイナスイオンが発する音は、風の頼りと云うが、都会の喧騒に馴れ親しんだ感性には、その音すらも静けさにしか聴こえなかった。

 タマエがリードを引き、傾斜に沿うように、獣道を登り始めた。

「タマエは、本能で湧き水の流れる音を、聴きとったようね」

 夢は云って、祷の左手を取り、引くように促した。獣道の先は、山の段々で視界が利かない。

 十メートルばかり登った先は、平坦になっていて、所々に、山の岩肌が露出している。斜面の斜め上にみえる岩肌は、他の岩肌とあからさまに違う色合いが伺える。その流れを眼で追い、平坦部の一ヶ所に眼星をつけて歩み始めた。

 そこは、泉と云うべき、水溜まりであった。岩肌を流れで削った泉は、露天風呂の景観だが、さほど大きくない。それでも手で水を掬えるだけの容積があり、天然の洗面台のようでもあった。

 夢は水をひと掬いして、タマエの前に差し出した。タマエは操作もなく、それをひと舐めした。そして、宙を見上げ、口に含んだ水を、体内に流し込んでいるように動いた。それから、祷に向き直り、『やれ!』と云わんばかりの眼光を向けている。

 祷は素直に、それに従い、同じように飲んだ。喉を通る質感は、水道水では味わうことができず、その温度さに、わだかまりさえ流した気分に陥っていた。


『水は、気温に関係なく帰化するが、山に体積装備つみかさねられたものは、悪質物質を取り除き、人の根元に辿り着く。悪質物質は取り除かれても、その生業を終えず、菌となりにぎわいに取り込まれる』


「仙人の囁き?」

 夢は刹那に発していた。

 祷は、タマエをみて、

『木霊に扮したの?』と、思念を送っていた。

「山の神が、おまんとうを受け入れた? 仙人様もこれで、嘘を焚き付けることはしないずら」

 松本は云って、両手を擦り併せていた。

「この場所は、神聖な場所のようね」

わたしが見つけた場所は違うけど、行ってもしょうがないね」

「本当は、目印をつけるべきなんだろうけど、山神の祟りに逢うといけないから、よしておきましょうね」

 祷は云って、太陽を確認した。山の危険性は、急激に変わる天候と、日の暮れの判断を誤ることで遭難するからだった。タマエが、鼻をひくつかせながら、下山を促していた。



    二十四


 下山した、祷と、夢は玄関先で、遅れている、松本を探した。タマエの足を洗う場所を聴くためであった。


 その時、

「う、わぁ~~~!」という、松本の叫び声が聴こえ、ふたりが声のする方向へ注意を計った。

「祷ちゃん、納屋の方よ」

 夢が説明を終えるか否かに、納屋に向かって走り始めている。祷は、タマエを抱えて、後を追った。

 納屋の扉は、左右に引く開き扉であった。

『現場は、荒らしてはダメです』

 タマエの思念は、祷だけでなく、夢にも届いていた。松本は動転していて、空想に取り込まれて終っている様だ。

 祷は直ぐに、現場の記憶に取り掛かり、夢はスマホを取り出して、警察に通報を入れる。


 米は納屋に入ったところに、うつぶせに倒れていた。松本はその死体の顔付近(左側)に座りこんでいる。米の顔が、松本の方を向いていた。米の左側は、おびたたしい量の血が溜まり、身体中の血が抜け出ているようにみえた。

「潔さん、米さんに触れたらダメだからね」

 夢は緊急通報を終えて、現場の保持を告げた。その眼に映る納屋の中は、前回きた時とは違い、整理されていた。三名は、警察が到着するまでの十分足らずのあいだ、思い思いに記憶を刻んでいるようだった。


 警察の到着で、三名は別荘へ連れていかれ、別々に調書をとられていた。事件現場を離れたことで、刻まれた時間が理性を取り戻させていて、それぞれが、無実を訴えていた。そんな、祷の眼に飛び込んできた顔は、父母の焼き討ちがあった年の始めに見覚えがあったものだった。

「大塚さん、お早い到着ね」

 夢は、嫌味で云っていたが、

「税務関係で、山梨県にいましたから」と云う、大塚の顔は、迷惑千万を物語っていた。

 大塚は、祷のそばにきて、「とんだ災難に、遭遇してしまいましたね」と云ってから、

「事件現場で寝食するわけにもいかないので、ホテルをとりましたので、そちらにお移り頂くことになります」と、夢にも聴こえるように、声を張って云った。

 祷は、

「タマエがいます。ホテルに迷惑が掛かるかもしれません」と、確認するように囁いた。

「部屋内で放し飼いするのは構いませんが、共用部では、そちらのカバンに入れて下さい。うちの傘下のホテルですから」

 大塚も小声で、返答していた。

 タマエが小声で、「う~~ん!?」と囁くように鳴くと、祷がそちらに気を向けた。

『大丈夫よ』

『夢さんと一緒の部屋を希望して下さい』と、送ってきた。

 疎通を感じとったのか、

「夢お嬢様もご一緒の部屋ですから、心配要りませんよ」と、大塚が小声で、タマエに説明した。

 眼で会話ができるのか? 祷は、そんな不思議な表情をしていた。


「繊細なですので、調書は、婦人警察官にお願いできませんかね」

 大塚は、これみよがしに云った。

 現場に婦人警察官がいることを、確認していたからである。祷から調書を取っていた刑事は、半ば不貞腐れたようにしてテーブルに手をつき、祷の前から消えていった。

 大塚はそれで、タマエの頭を撫でながら、「お久し振りですね」と語り掛けていた。


「大塚さん、何とかしてよ」

 夢が呼んでいた。

「どうかしましたか? お嬢様」

 大塚は、祷と、タマエに一礼して、夢の援護へ向かっていった。

 祷は、弁護士ってなんでもしなくちゃいけないんだね? と、タマエに語りかけた。タマエの購入を、大塚がしたものと想っている。それはそれで間違いではないし、味方でいてくれるなら、弁護士以上に役に立つ者はいない。足りない経験は、タマエが補ってくれるからだった。



  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る