第2話 出会い:後編

 席から立ち上がり、背中に注がれる視線を無視して料金だけを支払って外へと出る。

 夏が終わり、秋が始まる夕方は少しだけ肌寒さを感じさせ、ゆっくりとこれから寒くなっていく世界のことを味合わせてくれる。


 空を見上げて思考を少しだけ巡らせていく。

 他人と自分、大切なのはどちらか。


 この国で関わった人間の事を一人ずつ思い出し、これから起きるであろう大変な事と天秤にかけ、ありとあらゆるものを面倒と思い入れの天秤にかけてその比重を目算する。

 息を閉じ、吐き出してついにアデルは結論を出した。


「さて、逃げるか」


 あっけなく、アデルはこの国を見捨てる決断をした。

 いま逃げれば彼女のせいにはならないだろう。

 逃げられたことがバレれば罪に問われるだろうが、逃がそうとしていた罪に比べればまだマシだとそう割り切ってもらう他ない。


「きな臭いと思って財産逃がしといたのは正解だったな。この国結構好きだったんだけど」


 誰が聞いているでもないのに関わらず言葉を投げ捨てたアデルは、王都の外へ出る道を歩く。

 いつもより遅く、ゆっくりと踏み締めるようにして景色を眺めながら歩いて、むこう五十年くらいは訪れないだろう土地を感慨深い目で眺める。


 気がつけば門へと辿り着いてしまっており、兵士と目線が交差する。


「通行証を」


「はいどうぞ、大変だね門兵さんは。こんな夜遅くまでさ」


「仕事ですから。それに貴方ほどではありませんよ、覇王アデル様」


「やめてよ、だっさい二つ名もついたもんだよね。まぁお互いに自分の仕事を頑張ろう」


 覇王と呼ばれる事ももうないのだと思うとなんだか寂しいものだ。

 見送ってくれている兵士に対して手を振りかえし、人のいない通りの中で歩きながら次の行き先を考える。


「次は共和国……いや、評議国かな。あそこ飯うまいし」


 ここ数年で稼いだ金額を思い返し、何年くらいならば贅沢に遊べるだろうなということを考える。

 もはや現実逃避に近いそれだが、人生なんてそんなものの連続だ。


 下を向いて歩き、いずれ自分が自然に前を向いて歩けるように願いながらそうしてずっと歩いていると、気配を感じてふと足を止める。

 王都から出て時間にして20分ほどだろうか、夜に抜けた事と一通りが少ない道を選んで来たこともあって周りに一般市民の姿は見受けられない。


 気配の数は30、既に周りを囲まれており逃がさないという強い意志を感じる。

 前を見てみればかいつのまにか道の真ん中に立つ男が一人、小脇に何か袋のようなものを抱えながら男は言葉を発する。


「……そこで止まってもらおうか。覇王殿」


「お前ら誰? あとなんで俺のこと知ってんの?」


 どくんと心臓が脈打つ。

 相手の殺意に対して呼応するように、全身から戦闘に対する意欲が溢れ出していく。


 この感情を口にするのならば八つ当たりだ。

 戦争などというものにこちらがわざわざ気を使って国を出なければいけないことにイライラしている時、ちょうどよく目の前に敵が現れたからそれを排除する。


 これ以上に楽しいことはない。


「第六騎士団と言えば分かるだろう?」


「わかんねぇよ、第一から第五までしか騎士団ねぇはずだろ。ただでさえ騎士団長が5人とか意味わかんねぇ制度引いてるくせに後から出してくんな、混乱するわ」


「なら分かりやすくお前に教えてやろう。我々は表に立ってはいけない部隊であり、お前のような国家の敵を殺す部隊でもある。王国につくならば生かそう。だが敵につくのであれば殺さぬわけにはいかぬな」


「一度でも殺しに来た相手に対して、その後無警戒で楽しく暮らせるような脳内お花畑の馬鹿にでも俺が見えてるの? イカれてんね」


 手を広げて相手に対して自分は無防備である事をアピールする。

 近接戦闘ならばいざ知らず、遠距離攻撃の利点は相手が容易に反撃できないということだ。


 自分から隙を見せたアデルにに対して矢や石、毒の小瓶のようなものが四方八方から打ち出されるが、一瞬アデルの体がぶれたかと思うと全ての飛翔物は撃ち落とされ声も出せぬままに周囲を取り囲んでいた男の一人が地面に横たわる。


 放たれた物体を打ち返したのだがどうやら良いところに当たったようで、呻いていた男は少しすると息をしなくなる。


「──ふむ、やはり単純な戦闘では無理か」


「え? 本気で勝てると思ってたの? やばすぎでしょ流石に笑えてくるってそれは」


「ならこれで笑えなくなるか?」


 嘲り下に見たアデルに対し、男は小脇に包んでいた袋をほどき一人の人間を見せつける。

 それは先程まで俺と共に酒を飲んでいた彼女だ。

 痛めつけられたのか衣服は汚れ端正な顔には傷がつけられており、腹の底から何かが這い上がってくるような感覚をアデルは味わっていた。


「……すまないアデル」

「あちゃあ捕まっちゃったか」


 こうなる事を予想していなかった訳じゃないが、予想していた中では一番いい結末だということは口にするまでもない。

 もしこれでここに連れて来られず首だけ持って来られでもしたら、それこそ最悪のケースだ。

 思っていたより相手を賢いだろうとそう考えていた自分に気がつき、敵を過小評価することの愚かさを自覚する。


「お前が素直にこちらの要望を呑めばこの女は死なずに済む」


「俺に脅迫する為の材料に騎士団長使っちゃっていいの? その人居なくなったら困るのあんたらだと思うんだけど」


「これを首につけろ」


 アデルの言葉を無視して、男が何かを投げつける。

 何度か地面をバウンドして飛んできたそれは見てみれば首輪のようなものであり、おそらくはなんらかの隷属効果をこちらに強制させものだろうことは一目瞭然だ。


「なにこれ」


「ダメだ付けるな! それは隷属の首輪、一度首につければ死ぬまで従属を強制される!!」


「なるほどねぇ。まさか本当に首輪つけて飼い慣らそうとしてくるとは思ってもなかったな」


 隷属の首輪などというものは聞いたことすらなかったが、現に目の前にあるのだから実際そんな効果を持っているのだろう。

 便利なものを作る奴もいたものだ。

 昔はこんなものなかったが、最近できたものなのだろう。

 指でくるくると首輪を回して遊びながらアデルは冷静に目の前の男を見据える。


「どうする? 女の屍を踏み越えて他国へと移るか、我々の指示を聞いてこの女の命を救うか選ばせて──」


 何かを語っている男に対し、アデルは無造作に顔に向かって全力で投げつける。

 身体中の力を効率よく使い放たれた首輪はまるで砲丸の球のような速度で飛び出していき、人の頭を豆腐のように簡単に粉砕してしまった。

 血飛沫が飛び散りあたり一体に人の中身が散乱すると、世界はまるで時が止まったかのように静かになる。


「──は?」


「き、貴様! 一体何を考えている!? 人質が目に入っていないのかっ!!」


 首を飛ばされた男の代わりにやってきた別の男が人質の首に刃が突き立て、その白い肌からゆっくりと血が流れ落ちていく。

 もう既に二人も人が死んでいる以上、この場は死という普段はあまり身近にないようなものもすぐそばにある場所だ。


 男が殺すと口にしたのならば、確かに人質は殺されるのだろう。

 だがアデルはこんな状況にもかかわらず満面の笑みを浮かべていた。


「大きな誤解をお前は二つしている。一つ目、俺は俺の本名も知らない人間をそこまで本気で助けてやる気はない。二つ目、お前らは本気なんか出さなくても簡単に倒せる」


 アデルが腰から武器を引き抜くと、男達が息を呑む音が聞こえる。

 正式には登録されていない騎士団の団員、おそらくは王国の裏仕事を任されている彼らは相当の実力者なのだろう。

 そんな彼らが武器を引き抜かれただけで息を呑むほどの男、それがこのアデルという男なのだ。


 ここで一つ、相手のしている大きな誤解を解こうではないか。

 彼らがしている大きな誤解、それは実に簡単な事で彼らが人質だと思っている人物は人質たり得ていないのだ。


「クソクソクソックソがァァァァァッッ!! 女を殺せ! どうせ俺たちも殺られるなら全てこいつのせいにしてしまえばいい!」


 もし本当にアデルがどうやっても助ける手段がなく彼女が死ぬのであれば、アデルはこの場に限り彼らのいう事をきっと聞いてしまっていただろう。


 自分の知らないところで死ぬならばまだしも、少なからず大切だと思っている人間が目の前で死ぬのを許容できるほどアデルは腐った人間ではないからだ。


 ほんの一瞬アデルの腕が消え、そして次の瞬間には人質を取っていた男の頭部に深々と剣が突き刺さっていた。

 誰が見ても即死、遠距離から針の穴を通すような作業を少し間違えれば人質が死ぬというのに行うのは狂気の沙汰だ。


「バケモンガァァァッッ!!!」


「そっちの形相の方がよっぽど化け物じみてるよ」


 再び人質を取るよりも、いまは武器をなくしたアデルを殺すしかない。

 そう思った男達がアデルへと群がるが、剣も槍も弓もありとあらゆる武器による攻撃をアデルは効率的に防御し、的確に一撃で向かってきた敵の急所を貫いて絶命させる。


 もっとも効率よく相手を殺す方法を知っているからこそ、アデルの動きは実に地味だ。

 一歩も動かずに達人クラスの人間をいなし切る神技を見せつけ、アデルは大きくため息を吐くと自体の上で座る。


「弱っちいのに喧嘩売ってくるからそうなるんだよ、あとブラフの見極めできないのもかな」


 ため息すら出しかねないほどのアデルの態度は激戦の後とは到底ではないが思えない。

 これが覇王とすら呼ばれる男の実力、最強という称号を欲しいがままにする男のものだ。


「助けてくれてありがとう……そういうべきなのだろうな私は」


「礼なんていらないよ、死ななかったのはたまたまだし。強いていうなら自分に感謝しときなよ、もし少しでもさっきの飲み会で俺を売る素振りを見せてたら一緒に切ってたし」


「そうか…………そうだな」


 目線が交差し、なんとも言えない空気が流れる。

 わざと相手を切り捨てるような事を口にするのは、誰かにこの会話を聞かれていないとも限らないからだ。


 彼女は人質としての価値がない、そう相手に思わせることこそが大切であるという事をアデルは痛感していた。

 警戒の範囲を広げることでおそらくはどうやってもこちら側を観測不可能だろうと思えるところまで索敵し、周囲の安全を確保していると彼女から言葉がかかる。


「なぁ、私は国に見捨てられたのか?」


「指揮官なんてどいつもこいつも下の兵隊は万歳三唱しながら突っ込んでくと思ってるんだから、見捨てたつもりは向こうにないよ。なんで生きてんのか疑問には思ってるだろうけどね」


 まだ敵は兵士を送ってくるだろうか?

 犠牲に対して利益はない、むしろ自分を殺せなかっただけ相手は大きな不利益を被っている事をアデルは理解していた。


 とりあえず今後の目標は彼女をどうやって生かして逃がすか、それ一つに尽きるだろう。

 もっとも彼女が安全にこの国から逃げ延びられるのは自分と一緒にいる場合、だが女性である彼女が男性である自分と共に二人旅などしたがるものだろうか。


 なんとかしてそんな話の方向性に進めていきたいものだが……。


「……お前この後どこの国に行くんだ?」


「共和国行って飯食って評議国で金稼ぎかな。その後は考えてないけど……帝国に遊びにいったら王国がどんな反応するかは気になるかな」


「こんなこと聞くの本当に嫌なんだが、護衛いるか?」


「俺に? 世界最強だよ? 冗談キツいって」


「分かってる。分かってて言ってるんだ、傷心中の私の心の事も考えてくれ」


 涙袋に涙を溜めて、こちらを見つめる彼女の姿は傷にまみれたその姿も相まってなんとも美しい。

 裏切られたことによる憎悪と、それでも生きようと強く願うものの目はこの世の何よりも素晴らしい事をアデルは知っている。


 何もできない彼女が、それでも前に進むというのならもはや迷うことはない。


「…… 付いてきたかったら着いてくれば良いんじゃない? 起きて最初に見る面がアンタなら悪くなさそうだ」


 死体の山に火をつけると、燃え盛る火は空を焼くように燃え上がっていく。

 吐き捨てるように言葉を口にして、気が抜けたのか体を倒した彼女を背負いアデルは再び歩き始める。

 こうしてアデルと彼女の物語が始まるのだった。

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