最強と呼ばれた男、自らの願いを叶えるために旅に出る。

空見 大

第1話出会い:前編

 世界の果てには何があるのか。

 それを知る人間はこの世界でも数少ない。


 明日を生きることすら出来ない生き物では世界の広さを考えることなどできるはずもなく、知識だけを蓄えた人間は広いということは分かっていてもそれがどの程度なのかを理解することが出来ない。


 どれだけ頑張ったところで、才能がなければこの世界で生きていくことは出来ないのだ。

 手の中で静かに冷たくなっていく人だったものを抱きながら、俺はふとそんな事を思っていた。


 △▽△▽△▽△▽△▽


 どこかの王国の首都、気候は温暖でそれなりに治安が良く、貴族と平民には大きな差がある。

 極めて平凡なそんな国に彼はいた。

 身長は大柄、具体的な数値を出すならば180前後といったところか。

 中肉中背黒髪黒目の特にこれと言って特徴のない外見であり、傍から見ている限り威圧感というものは感じられないが、ふと彼の手の届く範囲に立ち入ってみればその危険性というものは嫌でも理解できる。

 酒がなくなる前から売り込みに来ることで有名なこの店のウェイターが誰一人だって彼の近くに寄れていないのが彼の不気味さを加速させていた。


 木製の椅子に腰をかけ、そんな椅子が軋む音に彼は苛立ちを感じながらも眼前に置かれた安い酒を口に含むと、よほど味が悪かったのだろう。

 表情を隠す素振りすら見せずにいやそうな顔をする。


(まっず)


 口の中を通り過ぎていく臭いに顔をしかめ、思わず口に出そうな言葉をなんとか抑え込む。

 吐かなかったのを褒めてほしいと言いたげなその顔は以下にその酒がまずいかをありありと教えてくれる。


 酒なんてアルコールが入っていればいいだけの飲料なのだから、不味く作ることなんて不可能に近いはずだと男はそう思って居た。

 だというのにこれはなんだ、泥水でももう少しまともな味をしている。


 誰に意思表示をするでもないが、飲まないという事を明確にするためにジョッキを奥の方へと押しやった男は酒場の出入り口へと目線を向ける。


(いつになったら来てくれるのかな……こんなクッソまずい酒出すやっすい店になんか誘ってくれちゃってさ)


 心の中で悪態をつきながら葉巻をポケットから取り出して火をつけ、口の中で何度か煙を味わってみる。

 味わい慣れた味だが不味い酒を飲んだばかりではなんだか葉巻まで不味く感じられ、お気に入りの葉巻が嫌いになる前に火を消すと机に突っ伏す。


 彼がこんなところで安酒を飲まされているのも周囲から奇異の目で見られているのも、全てはこんなところに呼び出した依頼者が原因だ。

 来たら文句の一つでも言ってやろうと椅子をガタガタと揺らしながら待っていると、五分ほどだろうか。


 そろそろ本気で帰ってやろうかと考えていたあたりで、ようやく一人の女がずかずかと酒場に入ってきた。

 まず注意を引くのはその身長、女性にしてはめずらしく170をゆうに超えている。

 髪は綺麗な黒髪でありキリッとした吊り目と整った顔立ちは威圧感を感じさせ、まるで粗事を知らないような細い指は力をかければ簡単にへし折れてしまいそうだ。

 とてもではないが酒場が似合っている女とは言い難い。


 だが女に視線を集まる要因は別にある。

 それは女が着ている鎧だ。

 白い鎧に虎の刻印、赤いマントはこの国で五人しかいない騎士団統括の役職を拝命している者のみが着用を許されている装備である。


 女はその見た目からは想像つかないほどに荒々しい歩き方で俺の前にやってくると、椅子をこかしてしまうほどの勢いで飛び込むようにして座り、飲むのをやめた不味い酒を勝手に一口で飲み干す。


「──ぷはぁっ! 相変わらずここの酒は美味いな」


 人を待たせ、まずい酒を飲ませ、あげく最初のセリフがこれ。

 これでこの国の軍事の5分の1を預かっている人間だと言うことが信じられない。

 いや、人の命を預かる──それも軍隊という場であるにしろ大量に──立場の人間だからこそ、これくらいの豪胆さは必要なのかもしれないが。


「それは良かったな。それで? どんな仕事が入ってきたんだ?」


「まぁそう急ぐなアデル、時間は沢山あるんだからな。お前のためにわざわざ時間を取ってやってるんだから」


「相手があんたじゃなかったらいまごろ酒樽に頭ぶちこんでやってるところだよ。酒なら後からいくらでも飲めるだろうに」


 両者頭に一瞬血が上りそうな感覚を覚えるが、目の前の人物を相手に怒るだけ無駄だという事は理解している。

 100%の善意と好意だけで話を進めようとしている人間相手に不機嫌さを見せれば、心が削られるのはこちらの方だ。


「私にそんな口を聞けるのもそんな実力があるのもこの国ではお前だけだろうな」


「……今日は随分と褒めるな、そんなに面倒くさい仕事なのか?」


 自分が相手なら面倒な仕事を任せる時にはどうするか。

 相手をその気にさせ、適当なおべんちゃらを並べ立てて受け入れさせるだろう。

 目の前の人間がそのタイプの人間でないことを知っているだけに、慣れない事をしてまで機嫌を取ろうとする彼女には違和感を覚えずにはいられない。


「仕事が、というよりはこの国の情勢がだな。帝国について知ってるか?」


 ああつまり、そういうことか。

 この国も、ついにはそうなってしまったのか。

 アデルは少しの悲しみと同時に深い失望を覚えていた。


「……いい金づるだよ」


 吐き捨てるように口に出しながら、俺は相手の言葉の意味を理解する。

 騎士団に所属している人間が、国に支えている人間が情勢を口に出した上に相手先の国が戦争国家として有名な帝国。


 話の展開を考えるのは簡単なことだろう。

 この世界において最も時間の無駄でしかない行為。

 ありとあらゆる生産性を破壊する行為の事を人は戦争だというのだ。


「ははっ、君相変わらず口悪いな。まぁその金づる君がだ、どうやら戦争したいらしい」


「戦争? このご時世に? くっだらないね」


「くだらないかもしれないが、帝国は本気だ。実際のところ小競り合いで#済ませている__・__#だけの戦闘も多くある」


「そこまでか」


 一般人には知り得ない情報ではあるが、実際それくらいまずい雰囲気だということは肌で感じられるほどに帝国と王国の仲は悪い。

 アデルの言葉に対して自嘲気味に笑うと、彼女は言葉をポツリとこぼす。


「私が王都で帯刀しなければいけないほどにはな」


「……いまはしてないようだが?」


 視線を落として見てみれば、武器を持っている素振りはない。

 暗器を隠し持っているのかと思いもしたが、注意深く見ても武装になりそうなものは鎧くらいのものだ。


「君に会うのに武器を持っていくのは違うだろう。何かあれば守ってくれるだろうしな」


「料金に入ってればもちろん守るけど、今回の依頼となにか関係あるのか?」


 思いつくのは帝国兵の排除や帝国との交渉の場にアデル自身を連れて行くこと。

 だが事前に国同士の争いの仕事には関わらないことを説明しているし、王国がそれを無視してこちらに依頼をしてくるほど馬鹿だとはアデルも思ってもいない。

 わざわざ武器を持たずにやってくるくらいなのだから目の前の彼女とどうこうしろ、というのもないだろう。

 そうして考え込んでいたアデルの思考を嘲笑うかのようなとんでもない一言が彼女の口から飛び出てくるまでは。


「──実は上がお前に対して捕縛命令を出している」


「はぁ?」


 何を言っているのかが全く持って理解できず、心の底から驚きの声が漏れる。

 帝国と王国が戦争をしそうになっていることと、自分に対して捕縛命令が出ていることに対しての因果関係がまるで想像もできない。

 無理もない、なにせこんな突拍子もない話などしている本人も理解できていないのだから。

 そんなアデルを見てどうやら理解できていない事を分かってくれたのだろう、彼女は説明を開始した。


「帝国の領土はうちとそんなに変わらないが、中央集権的とはいえ民主主義も取り入れつつある我が王国と帝国では、中央に集まる金の額が違う」


「そんなの城を見ればバカでもわかる。民主主義もガワだけなのもな」


「ガワだけでも随分と大変だったし多くの血が流れたんだぞ。まぁそんな事でな、お前が金に目が眩んで我々を裏切る可能性が高いから捕縛しろとのことだ」


 世界各国に国同士の戦争には参加しないと宣言しているとはいえ、人というのは当たり前だが変わりゆくものだ。

 それこそ彼女が口にした通り金という魔物の持つ力は人を簡単に変化させることができる。

 考えるまでもなく面白くもない馬鹿な話、だが彼女の顔を見る限り上層部は馬鹿な話だとは思ってもいないらしい。


「ちなみにどう思ってんの?」


「――馬鹿な話だと思っているよ。そもそもお前はうちの国の者じゃない、金に目が眩むというのもおかしな話だ。ただ一つ付け加えるならお前の自由意志を金でどうこうしようというのは気に食わん」


 国に所属している人間らしい言葉だ。

 騎士団にフリーランスの人間が横から入ることはないだろうが、金で雇った傭兵のような人間と共に任務をこなすことというのはそう珍しい話ではないのだろう。

 他者の自由意思を金で縛れることがないと思って居る辺りはアデルにとって中々に好印象ではある。


「分かってて安心したよ。それで? 依頼ってなんなの結局。捕まってって事?」


「言って捕まってくれるならそれでもいいが……私としてはなアデル。お前に逃げて欲しいんだ。帝国と戦争になれば長期戦は間違いない。この国は衰退するし、滅びはしないだろうがそれでも長い間暗い場所になるだろう。お前の成長に良くない」


「なにそれ、母親ヅラ?」


「私に母性なんてものがあるように見えるか? 単純に心配なんだよ。昔からお前を見ているが、お前は霧のような奴だからな」


 昔から。

 その言葉の通り目の前の彼女と自分の関係というのはそう短い関係性ではない。

 期間にして五年というところか、昔から見られているというのは確かにそうだ。


 わざわざこんなところで安い酒を飲んで彼女を待っていたのもそれが故であり、だからこそ彼女に与えられた言葉を受け止めきれず誤魔化すような言葉を返す。


「褒めすぎでしょ急に」


「褒めていない。お前はお前が隣にいる事を自覚すれば消えるが、そうでなければ気づけば傍にいる。そんな存在だといったんだ」


「……俺を逃がせばあんたにも罰が落ちるんじゃないの?」


 罰が落ちるんじゃないか、などと疑問形で口に出したはいいがアデルは彼女に間違いなく罰が降るということを知っている。

 何故ならば王国と帝国の戦争、あり得ない話では無いがもしアデルを完全に捕縛し自由に扱えるようになったならばその国の一大事と言っていい問題を瞬時に解決できるからだ。


 国の上層部が彼女を差し向けた理由は力で敵わないことを知っているからこそ、旧知の中である人物を俺に押し当てることによって精神的にアデルを縛ろうとしているのだ。


 この場に来たのは彼女の意思であったとして、上層部の奴らはなんとしてでもアデルを手中に収めるために明らかに彼女を殺す可能性すらアデルに示唆していた。


「戦争前に重要な指揮官を殺すほど馬鹿なやつは軍部にはいない。まぁ最前線勤務くらいは覚悟しているがな」


「マジで馬鹿だね」


 こんな簡単なことを彼女が分からない? そんな訳はない。

 最前線勤務というのはつまり死ねということの遠回しな言い方に過ぎない。

 この国で五人しかいない騎士団長をそのようにして浪費するなどあり得ない事だ。


「ちょっと考える時間をくれ」


「…………分かった。私はここで飲んでる。決まったらここに来てくれ」


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