第17話 次の目的地
空気の読めない人間というのやはり一定数いる。
それが意図せず空気が読めていないのか、はたまた空気が読めない行動だと知りながらやっているのか。
正直どちらであっても別に問題はないだろう。
悪質さという点について語るのであれば、この二つはほとんど同義と捉えてもいいだろうから。
視線の先、10人ほどの兵士たちを引き連れリナと同じ鎧に身を包み、赤いマントにオオカミの刻印があしらわれた男を前にしてアデルはそんなことを考えていた。
「いい雰囲気だな裏切り者の騎士団長よ」
よく通っていくいい声だ。
もしこの声で何か小言を言われたら割増しで苛立ってしまうことがわかるほどに、アデルの耳は男のそんな声が合わない。
本人は普通に喋っているつもりなのかもしれないが、言葉の端々から小ばかにするような感覚が見て取れるのだ。
まるで隠れているようには見えない付近にいる隠密も、そしてそんな隠密がこちら側にばれていないと思い込む男の顔もアデルの不快感を増幅させる。
もし彼の虫の居所が悪ければいまごろ細切れになっていてもおかしくないと思えるようなそんな立ち居振る舞いを彼ができるのは、何を隠そうアデルのことをこの世界が忘れてしまったからである。
「我ら王国を裏切り共和国へとなんとか逃げおおせた分際で、随分と楽しそうにだなリナよ。駆け落ちでもしたのか? お前が第六師団を蹴散らしたと聞いた時は驚いた。お前のような醜女でも──」
周囲を取り囲む人間たちが準備を終えるのを待つために会話による時間稼ぎをしようとした男。
だが彼は不幸にもアデルの地雷を踏みぬいてしまったようだ。
どさどさと音を立てながら先ほどまで男がいた位置に同じサイズの肉片が現れる。
それは先ほどまで男であったもの。すでに命は終わっているがおそらく肉になった本人は自分が死んでしまったことにすら気が付いていないだろう。
周りを取り囲んでいた兵士たちはいったい何があったのかと驚いていたのもつかの間、アデルから声がかかったことでまるで魔法のように先ほどまで考えようとしていた思考が消し飛んでしまった。
目の前で自分達よりも強い男が何もできずにどんな方法かもわからない力で死んでしまったことよりも、怒りの感情を見せるアデルの方が脅威としては大きかったのだ。
「あのさぁ……お前ら空気読めよ」
しんみりとしていた空気を見ず知らずの人間に邪魔されれば、誰だってキレる。
泣けるシーンが目の前で繰り広げられていたのにいきなり外野がくれば冷めてしまうものだ。
「なっ!? 一体何をした!」
数秒ほどの間を開けて、ようやく状況を理解したらしい。
震えを隠そうともしていないのか、もしくは隠してもそれくらい酷い震えなのかカチカチと歯を鳴らす音さえ聞こえる程の様相の男を前にしてアデルは立ち上がると男たちから完全に視線を外し、リナに対して問いかけた。
「リナ、君は俺にどうあって欲しい?」
「別にどうあってくれても構わないよ。たとえ虫も潰せないほどの人間でも、大量虐殺者でも構わない。間違っていると思ったら私は止めるけどな」
「安心したよ、そう言ってくれて」
人を殺すことに躊躇いはない。
アデルが振り返り視線を送ればあたふたとしていた男達は、先ほどの男と同様に肉の塊へと変貌する。
戦闘と呼ぶにはあまりにも烏滸がましいほどの戦闘能力の差。
蟻と龍が戦っているようなものだ、龍の方はただその体を身じろぎしただけで蟻は竜も知らない間に死んでいる。
周囲一体が血溜まりへと変貌するなかで、一人だけ呆然と立ち尽くしている男がいた。
アデルの攻撃を躱したのだろうか?
それならばどれほど良かったか。残念ながら現実は非常である。
「お前だけ、わざと生かしたんだ。分かるな?」
血に濡れた地面を歩きながらアデルは男に語りかける。
あまりのショックから膝を降りながらもそれでもしっかりとアデルの方へと目線を送れるのは、さすがに訓練された兵士ということだろう。
戦意というのは全く持って存在しなくなってしまったが、それでも自分の命を繋ぎ止めるために何かをしなければいけないという考えが透けて見える。
「どこからそれほどの力を──いや、そもそも誰だお前は?」
「その顔見たことあるな。騎士団長か、連帯責任ってところかな?」
「私の質問に答えろッッ!! 貴様は何者だっ!!!」
たまたま生かして残したのがどうやら騎士団長だったらしく、アデルは自分で運がいいと思う。
暴言を吐いたことに後から気付くもいまさら引き下がることもできず怯えるような視線と怒りの表情を浮かべる男に対して、アデルは優しい声音で彼の肩に触れながら優しく言葉をかける。
「俺はアデル。アデル・ゼルドリエ、もし次も俺達に襲いかかってみろ。王国を更地に変える、そう国王に伝えろ。いいな?」
「我ら騎士団長が国王に失敗しましたなど口にできる訳が──」
「選択権はないんだ。いますぐ王都を灰にしたっていい、これは優しさだ。彼女に触れるな、関わるな、それに対してお前は頷くだけだ」
騎士団長としての誇りだけで喋る男に対し、アデルは優しく語り続ける。
軍人には強い言葉で責め立てれば反射的に強い言葉を返そうとする性質を持つものが多いが、事実だけを淡々と突きつけてやれば理性より先に頭が事実を事実として認識するので扱いやすい。
そうして無言のままこくこくと頭を縦に振った男を見てアデルは満足そうな笑みを見せた。
「分かったらいけ。二度と帰ってくるな」
出していた威圧感を解き、両手を上げて背を向けながらそう口にすることで男は反射的に逃げ出した。
街からそう遠くはない。無事に帰って何もするべきではないと、きっと告げてくれることだろう。
「すまないな、私のせいで迷惑をかけた」
「別にいいよ、よく考えたら俺の最強って名前がなくなったならそりゃ殺しにくるだらうしね。まぁこれで来ないだろうけど」
最強のネームバリューがなくなった今、アデルの影響力というのは無に帰った。
これからいろいろと面倒ごとが起きることは予測できるが、それらを全て弾き返せるだけの力を持っているからこそアデルは放っておかれたわけで。
つまりはアデルはこれから起きることに対してこれっぽちも心配などしていなかった。
むしろ心配なのは師匠の動向だ。
この国にいないと言っておきながらいる、それはいつもの気まぐれなのかと思っていたが、纏っている空気がどうやらいつもと違う。
ましてやわざわざ監視してくることなどなかった──そう思いながらアデルは隠れていた龍王へと目線を送る。
草むらをかき分け、がさがさと音を立てながら出てきた龍王の顔には貼り付けたような笑みがついている。
「綺麗な草原が血みどろじゃないか。手荒な弟子だなまったく」
「わざとらしいですよ、師匠がこいつら見逃したんでしょう? 共和国で王国の兵士がここまで大々的に動けばさすがにバレますって」
「随分と弟子に信頼されたものだな。そうだな……まぁその話は後でいいじゃないか、いまはお別れの挨拶をしに来たんだ」
「──やっぱり何かする気なんですか?」
少しだけ寂しそうな顔をするラヴェインの顔を見ていれば、彼女が何をするのか分からないアデルではない。
10世紀近い付き合いの彼女の考えていることはなんとなくわかる。
彼女がアデルに対して目線を合わせず何かを誤魔化そうとする時は、決まって彼女が人類の敵になる時だ。
この世界の調停者としての役割を持っている彼女はバランスを取るため、時には人の敵になることだってある。
アデルが彼女の元を去ったのはそれが原因であり、いまはまだこうして師匠と彼女を呼べるが当時はそれはそれは大きい感情を彼女のぶつけていたものだ。
「何かするとして、それを君に教えても教えなくても何も変わらないよ。君は人類の味方だ、そうだろう?」
「俺が人類の味方なら、師匠は正義の味方ですか?」
「正義でも悪でもないよ私は。強いていうのであれば世界の味方だ」
ピリピリと肌を突き刺すような空気感があたり一体を支配する。
両者から発せられる魔力が物理的な質量を伴って、周囲の草木を地面から吹き飛ばさんばかりの勢いで揺らしていた。
リナでは意識を保っているのがやっとのほどの威圧感はこの世界の一番と二番が相対した結果であり、現実から逃避し始めたリナの頭は地図を書き換える必要があるな、なども考え始めている。
「リナちゃん、いいかい?」
「わ、私か!? 出来れば師弟の喧嘩に私を挟まないで欲しいのだが……」
「君に関係のない話というわけではないんだ。申し訳ないがこれから先、アデルが道を違えないように見ていてほしい。先ほどの通りこの男は手を出すのが早いからな、放って置けないんだ」
まるでその顔は子を思う母であり、愛しい人間を見送らんとする妻のようですらあった。
とてもではないが龍王がするとは思えない表情を前にして、リナはただただ言葉を詰まらせるばかりだ。
「私が彼を預かって、本当にいいので?」
「残念ながら私はアデルの隣には居られない。アデルだってそれは分かっているだろう?」
困ったなと言いたげな顔を見せるラヴェインを前にして、名前を挙げられたアデルはといえば首を振って視線を外すと腕組みまでする始末。
よほど何か気に入らないのだろう。
「頼むよリナちゃん。代わりに百年だけ、アデルを貸してあげるからさ」
龍は一度手に入れた宝を決して手放さない。
龍王が自分のモノだと思っているアデルをリナに差し出すということは、この世界の朝と夜がいきなりひっくり返ってしまうほどの驚愕の事態である。
百年ということはだいたいリナが死ぬまでアデルを貸してくれるということだ。
随分と太っ腹な事である。
「元よりそのつもりだ。私は私の正義に基づいて、アデルと共にいることを誓う」
「うん、任せたよ。この後どこか行く予定はあるのかいアデル」
「旅をするつもりだ。誰も俺を知らない世界をゆっくりと歩いてみたい」
己を顧みる上で旅というのは非常に有効的な方法である。
様々な場所で様々な体験をし、どうしようもなく暇な時に自分とはなんなのかを考える。
そうする事で新しい自己が形成されていき、人はまた違った自分へとなれるのだ。
いまの自分とは違う自分を求めているアデルにとって、それ以上のことはないだろう。
「旅か? 散々してきただろう」
「また違うんですよ。依頼を受けたりしないで各地で美味い酒で飲みながら、リナのしたいことを気が向いたら手伝うくらいの生活を送りたいので」
「お前それほぼ老後だぞ」
「実際そんなもんじゃないですか。それに師匠もいまそんな感じじゃないですか」
「私は私で忙しいんだよ。お前のためにあっちこっち行ったりとかな。ただまぁお前が世界中を旅してくれるのはありがたいな」
先程までの事を考えればアデルが旅をする事でラヴェインが助かるというのであれば、なにか人類にとって都合の悪いことが起きるのだろうか。
そう考えたリナはラヴェインへと素直に問いかける。
普通聞いたところで教えてくれるわけがないのだが、バランサーとしての役割よりもアデルの師匠としての役割をいまは優先していると考えたからだ。
「なにかあるんですか?」
「ここだけの話だが、そろそろ魔族が復活する」
「魔族が!?」
魔族とは人でも亜人でもない第三の種族区分であり、かつて人類と覇権を争い合った宿敵でもある。
その性質は獰猛にして身体に刻まれている魔力量は人のそれを遙かに凌駕しており、個体数こそ人と比べれば少ないものの人にとっては十分な脅威だ。
国家間が特別警報を発令し人類連合として国家をまとめ上げなければこんどこそ人が絶滅してしまうかもしれない。
それほどの敵というわけである。
もしこの事実が知れ渡れば世界中に震撼が起きるだろう程の情報を、ヴェインは指を唇に添えて可愛らしく秘密だと言いたげに口にした。
その情報の価値が一体どれほどか分かってない彼女ではなく、アデルは自分の動きを固定化させようとする龍王の意思をひしひしと感じずには居られない。
「ここだけの話だぞ」
「王は誰が?」
「いまのところ判明していない。どこに扉を作るのかも分かっていないが、あいつらの扉はそう簡単に作れるものじゃない」
魔族はこの世界におらず、別の世界にいると人の間では噂されている。
それはこの数百年間どこをどう探しても魔族の根城を見つけられなかったからなのだが、実はあながちこの仮説は間違えてはいない。
魔族達がいる場所、いわゆる魔界は彼等にしか作れない扉を経由する事で通行が可能になる。
そしてそれを作るための条件は二つ。
一つは高位の魔族が扉を製作すること。
これは扉を作るために必要な魔力量が尋常ではないためである。
二つ目は人ないしは亜人種が大量に死んでいる事だ。
彼等は魂と呼ばれる概念を操る術に長けており、扉の材料としてその魂を使うわけである。
「──ああ、そう言うことですか」
「だろうな。帝国はまだしも今回の戦争は王国からふっかけている。あの臆病な王がやるにしては大胆すぎる」
傀儡となった国王を思えばリナとしてはほんの少しだけ憐れみを感じるが、それよりも先にやってくるのは腑抜けた王を切らない周りの人間達への怒りだ。
だがいまここで目の前にいない王にキレていても意味はなく、務めて冷静にリナは自分より魔族を知っているだろうアデルに問いかける。
「アデルは魔族と戦ったことがあるのか?」
「ちょうど魔族が大暴れしてた時期と俺はズレてるから残党としか戦った事はない」
「やはり強い……のか?」
「人が定めている冒険者の等級、成人男性で鍛えていない人間で開始は銀羽、一部現存する能力の高い亜人種ですら金羽からだけど魔族は子供でも鋼以上だ」
最低でも二人周りは子供の時点で成人男性のそれを凌駕している力を持つ魔族達。
そんなのが長い間鍛え続け技に磨きをかけたらどうなるか。
かつて魔神と呼ばれた武器を持たない魔族がいたらしいが、そんな彼のように神と呼ばれるだけの力を持てるのが魔族の特権である。
魔王が何らかの理由で崩御し、その結果人類は助かったわけだがもし次魔族が出てきた時に人は無事で荒れる保証がない。
「それは凄まじいな。ものすごく凶暴だったりするのか?」
「いや、実際のところはそうでもないよ。確かに人よりは攻撃的だけどまぁたかだか知れてる、彼らが恐れられた理由は魔王のせい」
「魔王は魔族達の中から選ばれる王であり、その命令に魔族は基本絶対従う。かつての魔王は戦が好きだったからな、激戦になったんだ」
歴史の生き証人である最強と龍王が語る昔話は御伽噺そのものだが、実際にそれがこの世界では数百年も前に行われていた事なのだと考えると人のみであるリナには感慨深い。
巻き込まれたくはないが、だがアデルの顔を見れば何を考えているのかくらいはふんわりと分かる。
迷っているのならば背中を押してあげるのが自分にできる事だと、リナはそう自覚している。
「一度王国へ戻るか?」
「……正直それが一番確実だろうな。師匠はどうせ移動しないんでしょ?」
「お前が行くなら私はいらんだろ」
「もしあてが外れたらその時は頼みますよ」
「任せろ任せろ」
アデルが行くから行かなくてもいいとそう考えているのか。
はたまたわざわざアデルに行くように誘導したということは、そうなることによって何か彼女が利益を享受するのか。
最強であるアデルはどんな無理難題であったとしても乗り越えられるだけの自負を持ち、だからこそ師匠の動向をあえて無視する。
そうしてアデル達は再び王国へと戻ることになったのだった。
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