第16話 生きる意味

 陽が沈み、そして上がっていく。

 アデルがくれと言ってくれた一日は、特にこれといっていつもと変わらない一日だ。


 きっと世界が終わる日もこんな、なんのことのない日なのだろうなと思いながらリナはアデルの部屋の扉を押し開ける。

 そこには既に着替え終わりベットの上で寝転ぶ本を読みながら寝転ぶアデルの姿があり、部屋の中へと入りながらリナはそんな彼に声をかける。


「おはよう、アデル」


「ん。おはよう」


「今日は朝食も私と外に行こう、着いてきてくれるか?」


「いいよ、付いてく」


「そうか。美味しい飯屋がこの近くにあるんだ、朝しかやってないんだぞ」


 意思もなくふわふわとしているのかと思っていたが、喋ってみれば意外と受け答えもしっかりとしている。

 先ほども本を読んでいたりとリナは見た事がなかったが、先程の格好を見る限りどうやら普段通りに生活してくれているらしい。


 部屋の鍵を閉め、最低限の荷物を持って宿屋の外へと向かうために外用の靴に履き替えていると横から声が飛んでくる。


「……昨日あの後師匠達と何を喋ってたんだ?」


 アデルからの質問を受けてリナは昨日のことを思い出す。


(昨日か……龍王様、意外と普通の人だったなぁ)


 思い出すのは昨日の記憶、ふらふらと屍人のような足取りで宿屋へと向かっていったアデルの跡を追いかけようとしていたリナを龍王は引き留めた。

 アデルを追いかけたかったリナだったが、アデルはいまは一人にしてやれば大丈夫だという龍王の言葉を信頼したのが半分。

 もう半分は龍王がアデルについて教えてくれると言ったからだ。


 何を聞いたのかはアデルに言うなと龍王に口止めされているため詳しくは言えないが、アデルに聞かれた以上は怒られない程度に答えるしかないだろう。


「アデルの好きな食べ物について聞いていた。あと趣味とかな」


「師匠はなんて?」


「口に入ればなんでも良いような顔をしているが、意外と魚料理が好きだと。しかも味にうるさいと言っていた」


 味に対して敏感な事はここ最近の言動からわかっていたが、川魚が好きだったとはリナからしてみれば意外だった。


 兵士の多くは肉を好むものが多く、中でも強い人間達は何かとドラゴンを食いたがるのでてっきりアデルもそうなのかと思っていたからだ。

 靴紐を結び終え、宿屋を後にしてリナがアデルを先導するようにして進んでいく。


「さすがによく見てるな師匠は。俺が魚好きなのは元々山に住んでたからなんだ。その時に川魚食って腹壊したんだけど、すげぇ美味くてさ。そっからかな」


「どこの山なんだ? 気になるな」


「もうないよ。その時強かった猿王って奴と殺し合いになって山の原型ほぼなくなった。近くにいた有権者にその土地は上げたしね」


「規模がでかいな。いまその有権者は生きてるのか?」


「王国築いて国王名乗って帝国と戦争しようとしているよ」


「なるほどなぁ……話題を変えよう」


 まずった。

 過去のことを思い出すようなことを口にするのは悪手だ。

 アデルが千年生きているのだとしたら、一千年生きている相手に振る話題──そんなものどこにあるというのか。


 とはいえ昨日わざわざ龍王から話を聞いたのは、こんなことになった時になんとか回避するために必要だからだ。

 手持ちにある多くのカードから、とりあえず一番無難なものを切ってみる。


「趣味だ趣味。聞けば本を読むのが好きだって話じゃないか、さっきも何か読んでたみたいだが何を読んでいたんだ?」


「この国の建国についての本だよ。本には知り合いがたくさん出てくるからな。思い出も振り返れるし」


「……なんかこれもよくない気がするから次だ次」


 千年も生きていれば人との関わりなんて必然的に尋常ではないほど多くなる上に、八百年や七百年ほど前といえばアデルが自分の存在意義を確認するために世界中を旅していた頃だ。

 その頃アデルと関わり何かを成した人間というのは数多く存在し、本の中に出てくる様々な人物がアデルの知り合いとなった理由も考えればよく分かる。


 ただ一つ問題があるとすれば、先程悪手だと思ったものとほとんど同じ地雷だったことだ。

 それからいくつか話題を取り上げてみるが、残念なことにどれもがなんらかの地雷を踏み抜いてしまう。


 いっそアデルに多少気を遣って話をしろとでも言いたくなるほどだったが、彼が自覚せずに地雷をこっちが勝手に踏み抜いているだけなのをリナとしても分かっているので何もいえない。


「重症だな。この世界に絶望する意味もわかる」


「たたまぁ、俺の事を覚えてる人がいなくなったって言うのは結構ストレス軽減には役立ってるよ。昨日はいつぶりか分からないくらい熟睡できたから」


 世界中がアデルの事を忘れた、その事を喜ぶべきなのかはリナには判断できない。

 ただそれによって彼が救われた事が本当で、いつもよりほんのりと優しい彼の言葉遣いがささくれ立っていた感情を多少はマシにできたのだと理解させてくれた。


「……やはり世界最強ともなると命を狙われるのか?」


「狙われるよ。実際王国から共和国に向かう道中でも何度か来てるし」


「気がつかなかったな。それに相手もよく諦めないものだ、何度も送り込んでいれば無理そうなのにも気がつくだろうに」


 兵士一人を訓練するのにかかる金額は相当だ。

 以前アデルから講釈してもらったが、アレは一般的な兵士達の給料の話であって特殊部隊に所属しているような人間の教育費というのは、アレの比にはならない。


 でなければアデルが特殊部隊を殺した後、王国が積極的に手を出してこないような状況にはならないだろう。

 ただそれでもアデルを襲うものがいる辺り、口減しや暗殺者の数を調節するためにアデルが巧く使われているだけのような気もするが。


「ストレスを与えてるだけだよ、俺が何かやらかすのを世界中のみんなで期待して待ってんのさ」


「そんな奴らのことを考えなくてすむように、いまからとびきり美味いのを食べようじゃないか」


 悪態をつく事を隠さずに、自分はアデルの味方である事を言葉によって強調する。

 そうして話している間にいつの間にやら店の前へと着いていたわけで、入り組んだ路地の中にある小さな店の前に二人は立っていた。

 木造建築の外装はかなりの年月が経過したの思わせ、食欲を誘う匂いは寝ぼけていた胃袋を叩き起こしてくれる。


 鰻屋若松本店と立て看板がされたここは、隠れた名店ながら騎士団長としてそれなりに稼いでいた頃ですら躊躇うほどの高級店である。


「ここがその店?」


「そうだ。とびきり美味いらしいぞ、いまもお腹がぐるぐるなって仕方がない」


「確かに美味しそうな匂いだ」


 待つ時間が惜しいとばかりに扉を開けて中へと入っていったアデル達は、店員に案内されるがままに椅子に座る。


「店内も良い感じだ。よくこんなところ見つけられたな」


「騎士団長と言っても私は前線に出るタイプで、交渉とか訓練の内容を決めたりするのは苦手だったからな。

 意外と手持ち無沙汰になるから、暇な時はその都市をぶらぶら歩いて美味しそうな匂いのする店を探すんだ」


 騎士団長としてそれで良かったのかと聞かれると、正直良くはない。

 王国でもいい顔をされていなかったし、騎士団長として活躍するために色々と戦術について知識を学ぼうとしたこともある。


 ただ最強の隣に立とうとしていた自分にとって、集団で強い敵と戦おうとする戦法は最強の隣へと辿り着く道のりから離れてしまうと思ったから。

 それならば自分が誰よりも強くなろうと、そう考えてしまったのだ。


「ほい、うちの特性蒲焼だ。あったかいうちに食べてやってくれ」


「いただきます」


 鰻のいい匂いが鼻の中を通過していき、あまりの食欲に耐えきれず届くが早いが口にする。

 口の中でほつほつと解けていく鰻の身とタレの匂いが食欲を続伸させ、少し硬めの米が噛めば噛むほどに甘味を与えてくれる。

 何度かそうやって口へと運び、一緒に出された温かい茶で喉を潤せば世の中の面倒なことというのは大抵がどうでも良く感じられるのだ。


「──美味い」


「そうだろう?」


 茶飲みを机の上に置き、アデルは心から言葉を漏らす。

 自慢げに投げかけたリナの言葉に対してアデルは短く肯定の言葉を返すと、再び食事へと熱中してしまう。

 会話は少ないが不思議と心地いい時間がそこにはあった。

 リナがそうして時間に浸りながらゆったりと自分の分が食べ終わった頃には、アデルはすでに食べ終わっておりお茶の味を堪能している。


「ごちそうさまでした」


「美味しかったな。お勘定お願いします」


「俺が出すよ、美味しかったし」


「いや大丈夫だ。先日の戦闘でそれなりに金を稼げた、ここは私に奢らせてくれ」


 財布を取り出そうとしたアデルの手を止め、リナは懐からかなり膨らんだ皮袋を取り出す。

 数日前までは金がないと懐事情の寂しさに打ちひしがれていたリナだったが、闘技場に出た事で莫大な報奨金を獲得したのでそれなりに金に余裕はできたのである。


 袋の膨らみ具合からして少々使ったところで生活に支障が出るような金額でもない。

 そう考えたアデルは一体何十年ぶりの事か忘れてしまったほど久しぶりに奢られる事を受け入れる。


「そう言ってくれるならお言葉に甘えて」


「ふふっ、そうしてくれ」


 素直にアデルが受け入れてくれた事が嬉しくリナが笑みを見せると、アデルもほんの一瞬だけ口元が緩んだように見える。

 それについて問いただそうと口を開こうとするが、財布も開けて店員に支払いをする一歩手前の状況だったので一旦考えをよそにおき支払いをすませた。


「ご馳走様でした」


「どういたしまして。意外に殊勝な態度をとることもあるんだな、ずっと俺様なのかと思っていたよ」


「感謝する時くらいは俺も下手に出る。まぁそれ以外の時はずっと俺が上だけどな」


「そうだな。お前はそうやって生意気なくらいがちょうどいい」


「よく言われたよ」


 相変わらず、大きな子供のような男だ。

 だが自分自身を守るために自らに子供である事を課した彼が、こうして色々な面を徐々に見せてくれるようになった辺り少しは信頼してくれているのだろうか。

 街の外へと向かって向かって歩きながら、リナはふとそんな事を考える。


「いまはどこに向かって歩いてんの?」


「街の外にすごく良い昼寝スポットがあるらしいんだ。そこへ行こう」


「食ったばっかで寝ると逆流した胃酸で喉溶けるよ。俺は大丈夫だけど」


「それなりに歩く。その頃には胃も治っているだろう」


 手を繋いだりはしない。

 ただ横並びになって他愛もない会話をしながら、お互いのことを知るためにたまに少し踏み込んだ話題を振って、そうしてリナとアデルは時間を潰しながら歩いていく。


 30分ほどだろうか。

 街道から少し外れた小さな丘に、アデルとリナはやってきていた。

 振り返ってみれば遠くに先ほどまでいた共和国の首都があり、喧騒から遠かったここはまるで異界のようだ。


 平原に生えた一本の大きな木の下までやってくると、二人はそこで足を止める。


「なーんもないね」


「平原なんてそんなもんだ。さすがに地べたは汚いからな、シートを持ってきたぞ」


「準備がいいことで」


 腰に取り付けた袋から丁寧に折り畳まれたシートを取り出したリナがそれを広げると、ダブルベッドくらいのサイズのシートが地面に広がる。

 このサイズ感ではどうしても同衾しているようになってしまうが、とはいえリナは別に嫌ではなかったしアデルもそれほど気にしていないのかシートの上に寝そべって二人は空を眺める。


 木漏れ日が視界をチラチラとしているが、目を閉じれば程よい暗闇と心地いい風が体を通り抜けていく。

 もし共和国に温泉があればそこに入ってから来たかったものだが、残念ながら共和国には風呂に入るという文化がないので仕方がない。


 目を閉じて、暗闇の中でリナはアデルへと問いかける。


「ほらどうだ? いい風と温度だろう」


「ああでも確かにこれは……ちょっと眠くなってきたかも」


「ゆっくり寝るといい」


「ならまぁ、お言葉に甘えて」


 言葉をかけて少しすると、すぅすぅと寝息が聞こえてくる。

 こうして彼が寝られるようになったのも、世界が彼を忘れたからなのだろう。


「まずいな……私も寝そうだ」


 元よりその予定ではあったが、何かあった時のために仮眠程度に抑えておこうと思っていたのに。

 身体はどうにも睡眠を求めているようで、いま寝れば深い眠りになる事がなんとなくわかる。


 だがまぁ大丈夫だろう。

 もはや彼を狙うものは誰もおらず、そしてここは自分と誰も関わりを持たない共和国なのだから。

 そう感じてリナは目を閉じる。


 …………それからどれくらいの時間が経っただろうか。身体が何かに抑え付けられているような気配を感じてリナは目を覚ます。


「……っ……重っ」


 パチリと目を開けて一体何事かと瞳を向けてみれば、服の上に大きな毛布がかけられている。

 自分の私物ではないそれを見てなんだろうと回らない頭で考えていると、ふと横から声がかかった。


「自分が先に寝てたらしょうがないだろうに」


「……んっ……起きてたのかアデル」


 真上に上がっていた太陽もいつの間にか地平線へと沈み始めている時間で、隣で黄昏ているアデルと目線を合わせるために起きあがろうとすると止められる。


「いいよまだ寝てて。気がついたらもうほとんど夜だし、なんか予定あったんじゃないの?」


「いろいろ考えてたが、まぁ私にできるのなんて美味い飯を一緒に食って一緒にだらだらしてやるくらいだ。そんな期待されても困る」


 何か面白い芸でもできればよかったのだが、生憎笑いというものに関しては全く持ってセンスがない事をリナは自覚していた。

 自分が彼の決断を左右するための人員として彼自身に指名されていなければ、リナは身を引いて彼の師匠あたりになんとか頼み込んで彼に生きていてもらえるよう懇願してもらうつもりでいたのだから。


 だが彼は自分を選び、故にリナは持てる最大限の穏やかな一日を彼に提供した。


「どうだった一日私と一緒にいて。生きていられると思ったか、この世界で」


「……まぁ少なくとも一緒にいれば退屈はしなさそうだと思ったよ。それに俺が死んで師匠とリナしか泣いてくれないのは贅沢だけど悲しいな」


「そうか良かった──」


 人はどれだけ頑張ったところで人の意思を変えることはできない。

 結局他人はどれだけ行っても他人でしかなく、本人の気持ちを変えられるのは本人だけなのだ。

 それを分かっていても変えられたことの喜びで、自分にも彼にしてあげられる事があったのだという事が分かれば涙というのは自然と流れ落ちてくるものだ。


「なんで泣くかなぁ……泣いた女性をどうすればいいか知らないんだけど」


「うるさい、ただそうしていろ」


 恥ずかしさからごまかすようにしてリナはそんなことを口にする。

 顔が熱い、耳が焼けているようだ。


「はいはい」


 適当なアデルの返事がさらに羞恥心を増幅させるが、冷静になるように深呼吸をしてゆっくりと自分の状況を把握し、なんとか落ち着きを取り戻す。


「ありがとう。生きようと決意してくれて」


「まぁ俺だって別にどうしようもなく死にたい訳じゃなかったからね」


 きっとそういった彼の言葉こそが心からの言葉なのだろうということは、いまのリナなら十分にわかる。

 彼がこの世界で生きていたいと思えるように、自分はこれから彼と共に生きていこう。

 熱い耳とほほを流れ落ち切った涙に、リナはそう誓うのだった。

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