第5話 冒険者

 海と違って川はいい。

 潮の満ち引きがない分まず酔いにくい。

 さらに言えば陸地が近くにあるというのは陸で生きる生物にとって非常に心を穏やかにしてくれるし、なにより海水と違って浄化処理が楽なのが素晴らしい。


 道中何度か休憩を挟み、そうして川を下り続けたアデル達はようやく王国の国境を抜けて森の中にいた。


「結局3週間近くかかったな。もうそろそろ冬か」


「シャワー……はやくシャワーが浴びたい……」


 疲労感と共にそんな言葉を発してしまうのも仕方がないだろう。

 王国を出て三週間もの間ほとんどずっと船の上にいた彼等は、道中何度か水浴びをしているとは言えしっかりとした設備で休憩をとった時に比べればまるで休憩できていない。


 疲労というのは限界値を徐々に減らしていくものだ。

 限界値が減っていけば回復までの時間は早いが当然のことながら動けなくなるまでの時間も早い。


 近くに落ちていた木の枝を杖代わりにして歩く彼女の姿はまさにしんどさの象徴だ。


「確かにな。匂うぞ?」


「なんで同じ時間風呂に入っていないはずなのにそっちは匂いがしないんだ。自分の匂いで鼻まで曲がってしまったのか私は」


「長旅するんだからそれ用の魔法だったり道具だったり用意するでしょ。冒険者ならこれくらいできるけど正規軍はそういうのやらないもんな」


 アデルの手の中にあるのは小さな指輪。

 彼がそれを握りしめながら何かを唱えると、少しだけ彼から発されていた体臭の様なものが消え失せる。


 王国軍に所属している人間は身なりをきれいにし、常に高潔であることを求められるのだが、現場に降りてくる金額が少なすぎて彼が持っているいわゆる魔道具──誰でも簡易的に魔法が使える様に改良された道具──を揃えることはできなかったのだ。


 理由はそれ以外にももちろんあるが、理由の半分はそれだといっていい。


「魔法は使うと魔術組合と宮廷魔術師がうるさいのだ。私だってできれば魔法を覚えたい」


「それは俺じゃなくて魔法使いにでも聞いてくれ。使い方はわかるけど教え方とか知らないしな」


「魔法使いの講習か……どれくらいかかるんだろうか」


 魔法使いとこの世界で正式に呼ばれる物たちは稀だ。

 魔法を使える者と魔法を使う事のできるものは全く違う。


 弛まぬ知識と努力こそが魔法を覚える唯一の手段であり、肉体的要素のある戦士とは違い魔法使いには一切才能というものが存在しない。

 ただひたすらに修練を重ねた者、勉学を収め続けた者のみが魔法使いとして高みへと昇っていくわけであり、それを他者に教えるとすれば一体いくらになるのだろうか。


「ちゃんと魔法使いとして食っていけるレベルまで教えてくれる人なら公金貨で大体100枚くらいじゃないか?」


「公金貨で100枚!? 私の月給レベルじゃないか!」


「王国の騎士団長貰いすぎでしょ。手当なしでそれなの?」


「交通費や側近を雇うための費用、その他雑務はもちろん王国からでるぞ」


 公金貨100枚がいくら程度なのかと聞かれれば、王都に住む一般家庭の家族五人組が年間で手に入れる金額のおおよそが金貨50枚ほどとされている。

 一人の人間が生きていくのにかかる費用は大体一年間につき10枚といったところ。


 そう考えれば年間1200枚というのは途方もないほどの金額だと思えるが、それでももう少しは貰っていいと思えるほどに騎士団長の仕事は激務であった。

 思い返せばいい思い出たが、そんな莫大な収入を失ったと思うと同時に頭も痛い。


「王国負けそうだなぁ。帝国の上層部は戦争するためなら尋常じゃないくらい結束力高いし」


「私の生まれ故郷も焼け野原に変わるのか。なんだか感慨深いなぁ」


「感慨深いっておそらくそんな風に使う言葉じゃないぞ」


「なんでもいいじゃないか。ようやく街が見えてきたぞ」


 普段しない様なことをするべきではない。

 ジト目でこちらの間違いを指摘してきたアデルに対し、私は強制的に話題を入れ替えさせた。


「共和国で最も王国に近い街ということはバイエルンか」


 王国と共和国の仲は良くはない。

 共和制を取り入れ血を第一としない共和国の人間に対して、王国は絶対血統至上主義だ。


 根本的な思想の違いは対立を産み、一時期は戦争が始まるかとも思われたものだが、共和国の軍備と地形などを考慮に入れた結果、戦争に勝利できたとしても尋常ではないほどの被害が両名に出るという事でぎりぎり戦争を回避した歴史がある。


 そんな背景もあってか王国との間に作られたこの街は固い城壁と数多くの兵士によって守られており、いつ王国が攻めてきてもいいようにと守備を固めている。


 王国の騎士団長としての立場でこの場所に入ればどうなるかは考えるまでもないので、鎧につけられたマントを取り外し騎士団長の証を取り外しているとアデルから声がかかった。


「一応王国を出たわけだけど、まだ付いてくんの?」


「受けた恩は返せと教えられて育ってきた。それに歩法もまだ教えてもらえていないからな」


「別にいいけど無理に恩を返さなくてもいいよ。返せると思ってないし」


 そういいながらこちらを見てくるアデルの目には優しさがともっている。

 まるで小さな子供が親の手伝いをしようとしたときにやんわりと断るときの様な、どうせ無理だとわかっているが相手のプライドを傷つけないためだけに優しくしてやっているというのがひしひしと伝わってくる。


「言うじゃないか。これでも名家の産まれだ、金の稼ぎ方くらいは知っているぞ」


「……俺が受ける依頼って一個の案件につきいくらだと思う?」


 カネで恩を返すのはあまり褒められたことではないが、金を貰って困ることがないのも事実。

 一番わかりやすい金という単位で彼に恩を返そうと考え言葉を投げかけてみれば、若干呆れたような顔をしながらそんな言葉を返してくる。


「そうだな、冒険者の最高位で料金は大体一案件最低50金貨と聞く。世界最強の男と言われるのだから私の月収と同じ100金貨でどうだっ!?」


「初依頼料が100金貨、それに合わせて通常依頼料金が500金貨、依頼をこなすための交通費と道具料金は別途、戦闘後に戦闘地を綺麗な状態にして欲しい場合は追加で100金貨。しめて大体1000枚前後が俺の一回の依頼料だよ」


「一回でか? 本当に? 少なくとも私の口から7回はお前に依頼したぞ? あれで7千枚だというのか!?」


 思い出すのは酒場での依頼。

 アデルに対しての依頼は全て口頭のみで伝えられ、料金に関しては別のところで受け取っていると一度アデルから聞いたことがあった。


 伝令役として騎士団長である自分が使わされていることが正直腹立たしくもあったのだが、一度の依頼に対してそれだけの金額がかかっているのならば自分にまかせるのも納得はできる。


「契約時に相手を威圧するため、どこぞの教団が召喚した大悪魔の討伐任務、突如発生した魔物の群の排除。最初のは別としてどれもこなせば一個大隊単位で被害が出る代物だ。

 一人死ねば遺族に手当として金貨10枚、遺族手当として二ヶ月に一枚金貨が配られそれが一年は続く。つまり訓練してきた兵士が一人死ねばそれだけで16枚、新任を教育する金を考えたらもっとだ。50人も死ねばとんとん、しかも短期間で兵士が死にまくれば当然志願するやつも減るし辞める奴だって増える。

 随分と安上がりだよ、そう考えれば」


「確かにそうだな。兵士が死ぬことを考えれば……安いのか?」


「まぁもちろん国相手だから高いのもあるけどな」


 それだけの金額をそれに見合った大変な仕事をして稼いだというのにその稼ぎは全て王国に。


 ただ働きで言いように使われたとしか言えない彼に可哀想だという感情が浮かんでくるが、国から逃げるというのはそれなりにリスクを負うものなのだから金だけで済んでいる分まだいいのかもしれない。


 実際のところはその金のほとんどは国外に逃してあるのだが、彼女がそれを知る術というものはなかった。


 そんな事を考えながら街道を歩き、いつしか街を取り囲む城壁を見上げるようになっていたころには完全に体力もなくなってしまっていた。


「ようこそバイエルンへ。通行証は……その姿もしかして王国の?」


「そこらへんは深く追求しないでよ。はい、通行手形」


 騎士団長とはバレずとも鎧の造形でどこの国の人間かくらいはある程度兵士として訓練を積んでいる者ならばわかる。

 ましやそれが王国から日々やってくるだろう刺客をはねのけているこの街の人間であることを考えれば当然のことだ。


 警戒心を隠そうともしない兵士に対し、アデルはまるで何も問題がないかのようなふりをしながら通行手形と呼ばれるだれがどこの町からやってきてどのような人物なのかを証明するようなものを手渡す。


 分かっていたことではあったが、そうして通行手形を目にしたとたんに兵士の顔色が変わる。


「この通行証は……失礼しました。どうぞ中へ、街長への連絡はどういたしましょうか?」


「いらない。今回は遊びに来ただけだからな、気を使ってくれてありがとう」


「いえ、私は門兵としての仕事をこなしたまでですので」


「──なんともまぁ優遇されているものだな」


 ふとそんな言葉が口から飛び出る。

 通行手形を見せずに通ることは基本的に不可能だ、それは街の治安を守るためであり当然誰しもがこのルールに縛られている。


 だというのに最強の名前さえあれば、そんなルールすらも相手の方から無視してくれるのだ。

 なんとも都合のいいことがあったものである。


 いや、都合がいいのは相手の方であってアデルからしてみればいらぬ世話を焼かれているようなものなのかもしれないが。


「そりゃあな。誰だって最強の力を自分の側につけたいもんだろ?」


「気分が悪くなったりはしないのか? 周りの誰もが媚びを売って来るなんて胸焼けしそうだ」


「人間なんて所詮お互いの事を打算的に使おうとしているんだから、それが見やすくなっただけだよ。相手の性格がわかりやすくてこれはこれで悪くない」


 そういいながらアデルは笑う。

 普段からよく笑う男ではあるが、なんだかその笑顔は無理をしているように見えた。


 アデルが何歳なのかは知らないが、最強と呼ばれてずっと自分達とは違うといわれて育ってくれば疎外感はどうしたって感じてしまうものだろう。


「なんというか寂しい人生だな」


「酷いこと言うね、まあ……君はわりと打算的に動いてこないからその点ではありがたいんだけどさ」


 変なところで言葉に詰まったアデルを見て、言いようのない違和感を覚える。

 後の言葉を考えれば別に言いよどむようなことはなかったはずだ。


 そこまで考えて彼女はとあることに気が付いた。

 この旅の道中、いやこの旅が始まるまえですらも――たったの一度たりとも彼から名前を呼ばれたことがないという事実に。


「もしかして私の名前を憶えていないのか?」


「長期的な付き合いをしたことが無いから人の名前を覚えられないんだよ。あんたくらいのもんだ、師匠を除けば俺の周りに長いこといたのは」


「つまり私の名前には興味ないと?」


 意地悪な質問だったろうか? いやそんなことはないはずだ。

 人の名前というものは大切なもので、たとえどれだけ行動を共にしていたとしても名前を呼びあうというのは関係性を深めるうえでこれ以上ないピースである。


 いまのいままで名前を呼ばれていなかったことに違和感を覚えなかった自分がそれを口にすると言葉の重みが消えてしまうので口にはできないが、それでも名前の重要性というのは個人を識別するうえで、これ以上ないほどに大切なのだ。


 アデルの肩に手を添えてにらみつけるようにして目線を送ってみれば、アデルは観念したように大きく息を吐きだすと肩に置いた手を優しく振りほどく。


「仕事を持ってくるだけの人でしかなかったからな。風呂入って身なりを綺麗にしたら改めて名前を聞くからとりあえず宿に行くぞ」


「二度と名前を忘れないようにしてやる」


 一度も覚えていないのだから正確には一度も忘れられないように、という風に口にするのが正しいのだろうが、一度も覚えられていないと自分の口で言うのはなんだか尺に触る。


 そうして約束をしたアデルと彼女は王国を出て初めて別々に別れ、アデルはこの街の冒険者組合へと向かい彼女はアデルに教えられた宿の一室で念願の風呂に入っていたのだった。


「――まさかシャワーだけじゃなくて風呂にまで入れるとはな」


 王都や帝都などと呼ばれるその国の首都であるならばまだしも、地方の街の上下水道の設備というのはとてもひどい。


 汚くなった水を処理するため何とか下水道が取り付けられているところがほとんどで、飲み水や生活用水などは少し離れた川に行くか井戸から水をくみ取ってくるかしなければ手に入れることもできない。

 そんな環境の街でシャワーを浴びることすら相当の贅沢だというのに、ましてや風呂に入れるなどとは驚きだ。


 ラウンジの風格からして相当に良い宿屋であることは予想がついていたが、これほどまでに設備が整っているとなると考えられるのは貴族や王族などが視察に来た際に使われるような施設なのだろう。


 基本的にはこういった宿屋は一見さんをお断りしている場合は多いのだが、アデルに言われるがままに彼の名前を出すとここでも勝手に便宜を図ってくれた。


「王国とは完全に縁が切れた以上はあの男についていくのが最も賢い選択か。本人は私が打算的ではないと言っていた手前申し訳ないが……」


 打算的でないのならば、私はきっとあの時彼についていくなど口にしなかっただろう。

 確かに彼を救おうとしたのは自分自身の考えでそこに打算というものは存在しなかったが、目の前で王国最強の部隊をまるで子供の相手をするようにして蹴散らした彼を見てこの男についていけば自分は安全にこの国から逃げられるという感情が芽生えたのは確かだ。


 いつかは彼に対してそんな風に思ってしまっていることを謝罪しなければならないだろうが、それはきっと自分が感じているこの恩全てを完全に返しきれたと思えた時だろう。


「それにしてもあの男が最強と言われてもなんだか実感がわかないな。

 確かに王国最強の部隊を相手にしてかすり傷も追わないのは凄腕だが、世界最強かと聞かれるとなんだかな。本気の戦闘を見ていないからなんだろうが」


 思い変えすのは立ち回り方や武器の振るい方に目線の使い方。

 強い人間の動きを分析することは彼女の趣味のようなものだが、そんな彼女が疑念を抱いているのにはもちろん理由がある。


 アデルが使っていた技術というのは素晴らしいものだ。

 全てが神業と呼ばれるにふさわしいだけの練度を誇っていたし、誰もそのことについて文句を挟める人間は存在しないだろう。

 だが世界最強と言われると話は変わってくる。


 この世界には人間だけでなく亜人と呼ばれる異なる種が存在する。

 それらは人と魔物と呼ばれる動植物達の中間のような生物であり、それぞれが様々な特色を持つのだが中には巨岩を一撃で破壊するような力を持つものや100本近い腕を操るものだっているのだ。


 それらすべてに彼が勝てるのかと聞かれれば疑問がないわけではない。


「守ってもらっている分際で失礼か」


 最強とはどのようなものなのか。

 闘いにかかわるものとしてその高見がどれほどなのか気にならないわけではなかったが、それでもこれ以上はアデルに対して失礼というものだろう。


 改めて肩まで湯につかりなおし、とりあえず空を眺めてここまでこれたことを喜ぶのだった。

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