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あべせい
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駅前の交差点にある巨大スーパーの駐輪場で、小さなトラブルが発生した。
男が自転車を物色していたのだが、それを怪しんだ警備員が近付き、声を掛けた。
「もしもし、お客さん」
声を掛けられたのは、40前後の会社員風の男。時刻は、日曜の午前11時を少し過ぎた頃だ。
「なんでしょうか?」
男は、駐輪場に並ぶたくさんの自転車のサドルを掴んでは揺らし、首を振っては隣の自転車に移り、各々のサドルに同様のことをしている。
警備員が来てもやめようとはしない。
「あなた、ここで何をしているンですか?」
男は、初めて手を止め、警備員を睨みつけた。
「大きなお世話でしょう」
男は再び、サドルを触り、次々と自転車を試していく。
警備員はムッとしたのか、男の先に回り、男が触れようとする自転車のサドルを両手でふさいだ。
「ナニをするンだ!」
男は声を荒らげ、警備員の手をどかせようとして、警備員の両手首を握った。
警備員も負けていない。合気道を心得ているのか、警備員は両腕を大きく空にあげて、逆に男の両手首をしっかりと押さえ、地面に転がそうとする。
通行人がその光景を見て、騒ぎ出す。
「どうしました!」
「どうしたッ!」
警備員は、深く考えずに、
「ドロボウです。警察を呼んでください!」
そう叫んでしまった。
自転車が邪魔をして、男は倒れずに、警備員の力によって、斜めに傾いだ自転車の列の上に、ねじ伏せられた格好になった。
男は、首を横にねじまげられた姿勢のまま、携帯で110番する通行人に向かって叫ぶ。
「誤解だ。私は赤塚レンタサイクルの経営主だ。私の店の自転車を探しているンです!」
110番より早く、駅前の交番からひとりの警察官が走ってきた。
3分後。男は警備員と一緒に、駅前の交番に行き、激しい口論を始めた。
「サドルを触ることが窃盗ですか!」
「自分の店の自転車を捜すことが罪ですか!」
「レンタルした自転車が3台、戻ってきていないンです。1台10万円もする電動アシスト付きの自転車ですよ」
「警察がやってくれないから、自分でやっているンでしょ!」
警備員は何も言えない。
警官は、自分のほうに火の粉が飛んできやしないかと冷や冷やしている。
「公衆の面前でドロボウと名指しされた、私の立場はどうなるンですか!」
男の怒りは収まらない。
「この男の警備会社に行って、責任をとってもらいます。キミ、行きましょう!」
男は交番を出た。
しかし、警備員はグズグズしていて、交番から出ようとしない。警官が説得している。
「あなたが騒いだから、こうなったンだ。だから……」
「しかし、警察官のあなただって、私に加勢して、ここまで引っ張ってきたじゃないですか。連帯責任ですよ」
「それは、あんたがドロボウと言ったから、職務を果たしただけ」
そこへ、ワンピースを着た若い女性が血相を変えて飛び込んできた。
「お巡りさん! ドロボウです!」
警官は立ち上がり、
「どうしました!」
「財布、財布を盗まれて。犯人はまだ、そこに!」
「行きましょう。どこです」
警官はホッとしたように女性と一緒に外へ。
交番の外には、自転車ドロと疑われた男がいる。
「お巡りさん、どこに行くンですか」
警官、振りかえって、
「事件です。こちらは立派な盗難事件です。あんたに構っているヒマはない」
と言い捨て、女性にせっつかれるようにして、スーパーのほうに駆けていく。
男性は、交番の中にいる警備員に声をかけた。
「キミ、もういいよ」
「エッ!?」
「持ち場に戻ったら。仕事があるンだろう?」
警備員、怪訝な表情になる。
「でも、あなた、会社に責任をとらせるンじゃ……」
「だから、もう、いいと言っているンだ。それとも、どうしても責任をとりたいというのなら」
男は交番の中に入った。
警備員は外に出ながら、
「帰っていいンですね」
警備員、うれしそうな顔をして一礼すると、
「ご迷惑をかけて、すいませんでした」
外を出るが、交番の中にいる男性を振り返り、
「あなたは?」
「私は、あのお巡りさんに用事がある。警官に一言、苦情を言いたくなったンだ。キミは早く戻りなさい」
「は、はい」
警備員は喜んで立ち去った。
交番の中にひとり取り残された男は、交番の表の人通りを警戒しながら、交番に備え付けのパイプ椅子に腰掛けると、前にある机の引き出しを開けた。
引き出しの中には、雑多なものが見える。
ボールペンや物差しといった文房具から、手帳、ノート……「拾得物届書」と書かれたノートを取り出してページを繰っていき、記帳してある最後のページを読む……。
さらに、引き出しを閉じ、机の上を見まわす。
電話、日報、右角に、B5サイズの菓子箱がある。その蓋の上に白い紙が貼ってあり、「本署届け品」とサインペンで手書きしてある。
男はニヤリとして、その蓋を開ける。
中に、輪ゴムで束ねたUSBメモリーが3本。それを手に取ろうとしたとき、人が入って来た。
「ごめんなさいよ」
70過ぎの老婆だ。男はUSBメモリーを手の平の中に隠して立ち上がり、蓋を元に戻すと、出入り口にいる老婆のそばへ。
「どうされました?」
「あんたは? いつもの巡査は?」
「いまパトロール中です。わたしは成増署刑事課の者です」
「刑事さんか。見ない顔だと思った」
男、手の平のUSBメモリーをスーツのポケットにさりげなく落とす。
「警察官は、もうすぐ戻ってきます。私はこれで失礼します。彼によろしく」
そう言って、交番を出た。
右に行けばスーパー。左に行けば、駅と踏み切りがある。踏み切りを渡らず駅に入り、都心に向かう電車に乗ることも出来る。
反対に郊外に行くには、踏み切りを渡って、反対側のホームを使うほうが便利だ。
男は一瞬、躊躇した。やっぱり、踏み切りを渡ろう。そう思ったとき、
「あんた!」
老婆が後ろから呼び止めた。
数歩歩いた男は、足を止め、振り返る。
「なんでしょうか?」
「あんた、名前は?」
「私……喜多と言います」
喜多はそう言って、笑顔を作った。
「刑事の喜多さんね。お疲れさん」
「お婆さん、じゃ、また」
交番の前は、幅6メートルほどしかない狭い道路だ。
そこはいま、駅を利用する人とスーパーを利用する人でごった返している。
喜多は、駅の改札と踏み切りに向かう人の流れに交じった。しかし、その直後、顔色が変わる。
あいつだ。戻ってきた!
踝を返して反対方向に行きたい衝動に駆られる。しかし、それはまずい。却って怪しまれる。いまは交番から出来るだけ早く、離れる以外にない。
喜多は自分にそう言い聞かせながら、素知らぬ風を装いゆっくり歩いていく。
交番から、5、6メートル離れた辺りだ。
前方左手には駅の上りの改札がある。このまままっすぐに進めば、踏み切り。踏み切りの遮断機はあがったばかりだ。一方、駅の改札からはあふれるように人が出てくる。混雑にまぎれて、うまくすれ違えるかもしれない。
しかし……、
「あれッ!」
すれ違えると思っていた巡査が正面から喜多に声を掛けてきた。
「あなた……レンタサイクルの……」
喜多は立ち止まると、巡査に顔を向け、厳しい顔を作る。
「あァ、お巡りさん」
「警備会社とは話がつきましたか?」
「はい、しかし、満足していません。電話ではらちがあかないンで、これから警備会社に行ってきます」
「そうでしたか。それじゃ……」
巡査が通り過ぎる。喜多は人ごみに交じって進む。踏み切りの警報音が鳴り始める。
背後から、聞き覚えのある声がする。喜多は立ち止まり、懸命に耳をすます。
「吉弥、お帰り」
「母さん、ダメだよ、勝手に交番の中に入るのは……」
「いま刑事さんが来ていたよ」
「エッ!?」
「すれ違ったンじゃないのかい。踏み切り辺りで?」
「まさかッ、あのひと……ない、ナイよ! この箱に入れておいた拾得物、母さん、知らない?」
「そういえば、さっきの刑事さん、その箱を……」
「本当かい、行って来る!」
慌しい足音が響く。警報音は鳴っている。
目の前の遮断機は降りたばかりだ。喜多は、踏み切りに駆け寄り、遮断機を手で押し上げて体を入れ、強引に踏み切りを渡り切った。
まもなく、喜多の背後を電車がゆっくり通過していく。電車が壁になり、喜多の行動は見えないはずだ。
喜多は、踏み切り脇のパチンコ店に入り、空いた台を見つけて腰を降ろした。
これでいい。このパチンコ店は、踏み切りとは反対側の裏通りにも出入り口がある。追われる心配はない。
喜多が、ホッとしたとき、
「うまくいったじゃない」
喜多の隣の台に、若い女性がそう言いながら腰を下ろす。
ほかにも空いた台があるのに、どうしておれの隣なンだ。それもまるで、恋人か何かのように、ぴったり腰を押し付けてくる。いやじゃないが……。
喜多はそう思いながら、女性の顔を見た。どこかで見た顔だ。
「キミ、確か、交番にドロボーと言ってきた……」
「よく覚えているわね。それだけ記憶力があれば、わたしの仲間としては合格ね」
「仲間?」
「仲間に入れる資格があるということ」
喜多は無言で、女性の顔の艶やかな肌を見ている。
「ご苦労さま」
女性はそう言って、喜多の目の前に手の平を差し出す。
「なんだ。ご苦労さま、って」
喜多は瞬間、それを察知したが、とぼけた。
「あんた、名前は?」
女性は、ショルダーバッグを衝立のようにかざすと、その内側で、右手の人差し指の第2関節を曲げた。
「わたし、夕実。仕事はコレ。預かってもらったお礼はするから……」
「あのメモリーか……」
喜多はスーツのポケットに片手を入れて考える。
このメモリーは、スーパーの表でカモを物色していたとき、中年の婦人が、買い物してきたレジ袋を自転車の前カゴに入れ、駐輪場から出ようとして、空っぽの後ろカゴの中に見つけたものだ。
婦人はそのまま自転車に乗り駅前の交番の前で停め、中に入った。おれはその光景を見ていて、直感した。
その数分前、スーパーの前の通りでちょっとした騒ぎがあった。サラリーマン風の男が、スーパーから走り出てきて駐輪場の整理をしていた警備員に、
「若い女が走って来なかったですか!」
と尋ねた。
警備員は、
「その人なら、あっちへ……」
と言って、スーパーから西に伸びる道路、すなわち、おれがたむろしていた道路を指差す。
男は礼も言わず、おれのいる道路に駆けてきて、おれの前にさしかかった。おれは、つい、男の前に足を差し出した。おれの悪い癖だ。
男は、前のめりに一回転した。
「イテッ! ナニをする!」
「失礼」
おれは後ろも見ずに行き過ぎようとした。
「待て、おまえはスリの仲間か!」
「スリ? なにを言っているのか……」
「とぽけるな。あのメモリーは……」
言いかけて、男は腰をさすりながら立ち上がると、
「あれがないと、おれはヒドイ目に……追わないと……」
と言って、泣きそうな顔をして駆けて行った。
それだけのことだが、この夕実という女がスリだとすると……。
喜多は、メモリーの中身をまだ知らない。
「逃げる途中、自転車のカゴに放り込んだ、ということか」
「それだけじゃないわ。男、あの男はあらゆる企業の顧客情報を売り買いしているグループの1人で、盗んだ情報をメモリーに保存して、売りに行くところだった。わたしは男をまいた後、あなたが交番に行くのを見たから、あなたの仕事がしやすいようにしてあげた」
「余計なことだ。おれは一人でやる。助けは借りない主義だ。これはおれが釣り上げた」
夕実はムッと口を突き出す。
「渡せないと言うの!」
「そうは言ってない。それ相応の代金が必要だ」
「いくら?」
「この品物の売値の70%」
「! ナニ言ってンの! あんた、バカじゃないの」
「声が高い。ここには金に飢えた野郎が、くさるほどいる。少しは考えろ」
「わかったわ。わたしの事務所に行きましょう。国道でタクシーを捕まえるから、一緒に来てよ」
喜多は承知して、夕実の後に従った。
国道までは、5、6分。パチンコ店の裏口から出て、路地のような細い道を行く。
すきを見つけて、逃げてやろう。喜多は左右を見ながら道の端を歩く。
区画整理がすんだらしく、縁石を兼ねた真新しいL字ブロックが道の両側に続いている。
L字ブロックの下には、雨水や汚水が流れる排水溝があり、今朝降ったにわか雨でかなりの雨水が流れているはずだ。
喜多は学生時代、L字ブロックを埋設するバイトをしていたことがある。汗を流す仕事がいやになったのは、いつ頃からだろうか。喜多は考える。
女だ。汗をかいた体は男らしいと考えていた喜多は、同じクラスの美人の女子学生とデートしたとき、前日バイトで着たTシャツをわざと着て行った。すると、女子学生は「汗クサイ!」と言って、心底いやな顔をした。
あのときの女子学生に、いまおれの前を歩いている夕実は顔が似ている。
夕実も、汗くさい男は、大嫌いだろう。L字ブロックに挟まれて、グレーチングが見える。グレーチングは、地下の排水溝の所々に設けられた排水桝を覆う格子状の鋼鉄製カバーだが、喜多はバイトをしているとき、その格子の隙間で指を挟み、大怪我をした苦い思い出がある。
そのキズが化膿したせいで、なかなか治らなかった。それも肉体労働がいやになった原因の一つかも知れない。
喜多はそんなことを考えながら、L字ブロックの上を歩く。夕実の指示通りにタクシーに乗るつもりはない。何か、きっかけはないか。
喜多の行く手に、小さな交差点があり、その角にカギがかかっていない自転車が見える。
あの自転車を拝借して逃げるか。
喜多は決意した。あと1メートル歩いて……、喜多がその自転車のサドルに手を掛けたとき、その角から、待ち構えていたかのように男が現れた。
喜多の前を歩いていた夕実は、男を見て、アッと声を上げて後ずさりする。
喜多が足を掛けて転がした男だ!
喜多は後ずさりしてきた夕実と、L字ブロックの上でくっつくようにして立ち止まった。
「あんたら、やっぱり仲間だったのか」
男は、ポケットから刃物を出した。刃先8センチほどのサバイバルナイフだ。人通りはない。
「違う。おれは何も知らない。拾っただけだ。この女に脅されて、これから返しにいくところだ」
喜多はポケットから、輪ゴムで束ねられた3本のUSBメモリーを取り出した。
「これでいいンだろう」
「それさえあれば、おれは何もしない」
男は、喜多の手の平に手を伸ばす。
喜多の後ろにいた夕実が、
「それ、5千万の値打ちがあるンよ!」
叫び、ナイフを持つ男の左手を強くはたいた。
ナイフが下に落ち、抵抗した男の手が、弾みで喜多の手の平を叩き、喜多の手の平から、メモリーがナイフの後を追うように下に落ちる。
さらにメモリーは、グレーチングの格子で2度はねた後、隙間から、下の排水構に消えてしまった。
ナイフは刃をむきだしたまま、グレーチングの隣のL字ブロックの端に引っかかっている。
3人は、足下のグレーチングを呆然と見ている。
男が咄嗟に身を屈め、グレーチングを持ち上げようとして、両手で格子を掴んだ。
喜多は夕実の横で、そのようすを立ったまま見物しながら、足下に落ちているナイフを靴で滑らせる。
ナイフはうまい具合に、グレーチングの格子の隙間まで行き、下に落ちた。
男はやっと気がついたのか、
「ナイフ!」
喜多は、焦っている男に、
「そのグレーチングは、例え持ち上げても、下に落ちた物が拾えるほどには、どかすことができない。盗難防止用の金具がしっかり付いているから、鉄筋カッターでも持って来ない限り、無理だ。あきらめるンだな……」
突然、下を見下ろしている喜多と夕実の前に、もう1人別の男が加わった。
男は、通りすがりのカップルが、腰をかがめ排水桝の蓋を持ち上げようとしている男を見ている、とでも考えたのだろう。
男は、屈んでいる男の上から、腰を屈めて一緒に下を覗きこみ、
「あなた、こんなところで、何をなさっているンですか?」
喜多と夕実は、その声にハッとして、不意に加わった男の丸い背中を見た。
警官の制服を着ている。駅前交番の警官だ。喜多と夕実は、そっと後ずさりを始める。両手でグレーチングを掴んでいる男は、なおもメモリーの行方に夢中で、
「この下に大切な物を落としたンです!」
警官は、
「何を落とされたのか知りませんが、よほど重い物でもない限り、流されるでしょうね。水が流れている音が聞こえるでしょう」
確かに、聞こえる。
「どこに、どこに行くンですか?」
「下水溝を通り、下水処理場です」
「それは、どこにあるンですか」
「車で30分くらいですが、それより、交番で紛失届けをお出しになりませんか?」
「交番に行くンですか」
喜多と夕実は、そんな2人の会話を聞きながら、国道に向かって懸命に走っていた。
(了)
USB あべせい @abesei
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