50話 サーモンピンク
あれは、いつ頃だっただろうか。
一番に支配され始めたのは。
私はもともと活発的な女の子だった。
褐色肌で、遊ぶのは家ではなくて外で走り回る、手のかかる子。
男の子とはしょっちゅう喧嘩して、男同然に殴り合いの喧嘩を保育園でしたことも多々あった。周りの男の子に気に入らない言動があれば、力で屈服させた。
女の子だと自分を思っていなかったように思う。
そんな生活を暮らしていたからだろうか、必然的に男性脳で生きていた。
保育園や小学校で、運動会があれば、運動神経を喧嘩で磨いた私は全てにおいて一番を取った。だって、自分が弱い事実が嫌だったから、人より劣っている実感が許せなかったから。
その度に私は褒められた。
一番を取ると、周りが女の子を扱うように褒めてくれた。
自分を大切なものとして見てくれる視線が嬉しかった。
喧嘩して返ってきても叱られて終わっただけなのに。
女の子を男の子から守ったのに、怒られた。
褒めて欲しかったのに、それではダメだった。
だから、思った。
強い女の子になろう、と。
運動をすれば褒められる。
その為には、全てにおいて一番に囚われる必要があった。
小学校までは運動だけで良かった。
だけど、中学になる頃には、一番の座が増えた。
勉強、クラスの関係性、部活動での立ち位置……などなど。
挙げればキリがないほどに一番が多くなった。
その度に私は一番を捥ぎ取った。
一番の座が脅かされないように、私は努力した。
男性みたいにパワフルだった力を、一番を取る努力に集約させた。
親は嬉しそうだった。
女子に産まれたことを、嘆いていたくせに。
私が男だったらと、襖の奥で話していたのに。
そこで、理解した。
男だったら良かった、を上書きしてやろう、と。
私が全てにおいて一番を取れば、両親はそんな性別という些細な事を忘れるだろうと。
だから、私は、一番を譲る気はなかった。
自分の存在意義がそこにあったからだ。
男ではなく、女として産まれた私が唯一、褒められる喜ばれる瞬間だったから。
愛想を振りまいた。
みんなそういう熊谷睦月がすきだったから。
人の上に立った。
みんながやりたく無さそうだったから。
勉強を教えた。
人より何十倍以上やっているから。
運動した。
負ける気がしなかったから………………アレっ……?
ざざざざざざざざ。
『
『えっ、私で?』陸上部の新入部員がみんなの前で自己紹介をする時だった。
『はい。
『……』
『辛くても前を向いて走る。そんな先輩に私は、付いていきたいと思いました。よろしくお願いしますっ』
初々しすぎるお辞儀をした女の子に私は見惚れてしまう。
誰かが、私の事を称賛してくれる、そんな経験は何度もあった。
だけど、私が誰かの人生に関われたと思うと、嬉しさが込み上げてきた。
私の逆境を跳ね返す力とわんぱく少女の私を賞賛してくれたのだ。
この子は、結果ではなく、
他の人にしたら、些細なことかもしれない。
でも、私はその時、この後輩を大切に育てようと思った。
『この子いい子じゃんっ!!』リスっぽい彼女をギュッと抱きしめた。スキンシップの度が過ぎていたと思う。ただ、それ以上に嬉しかった。
『せっ先輩っ。ムッ胸が』私の胸は成長していた。あの時のわんぱくっ子感覚でいたから、後輩が胸で埋まる事を忘れていた。
『ごっ、ごめん』
ざざざざざざざざざっざざざ。
ざざざっざざざざっざざざざ。
『ほらっ、腕をしっかりと振らなきゃ』
『はいっ!』横を一緒に走りながら、そうアドバイスする。飲み込みが早い理央は見る見るうちに成長していた。だから、私は、他の後輩よりも贔屓目で練習に付き合っていた。
『タイム二十秒縮めるために少しスピードあげるよ』
『はい! 付いていきます!』
辛くて、脇腹が痛み始めているだろうに、ニッコリと笑う。
その時、思った。
あぁ、この子が横を一緒に走ってくれるなら、私はきっと……頑張れるだろうって。
『よぉっ〜し、1分縮めるゾォ!』
『えっええええっ〜〜〜?!』
右手を子供っぽく頭上に突き上げると、彼女は冗談ですよねって苦笑いするも私はスピードを上げる。
後ろからピッタリに付いてくる後輩をいつも私は、可愛いなと思っていた。
ざざざっっざっっざっざざざ。
ざざざっざっっざっざざっっ。
『最近、頑張ってるな、橘のやつ』
『そうそう、もう私なんて夏前に越されちゃったよ。それにまだまだタイム縮めそうだしね』
『うかうかしていると、睦月も越されるんじゃない?』
『……』
『睦月?』
『あぁ、うん。頑張らないとね』
ざざざざっざざざざざっざざざざざざざざっっざ。
ざざざざざざっっざっざざざっっざざっざっっざ。
『睦月先輩、やっとタイム同じ十分代に入れました』
『すごいね。私も……もうそろそろ、本気出さないと』伸びをする。
『えっ、まだ上があるんですか?』
『……うん、後輩に負けられないからね』
『すごいです、睦月先輩はっ』パッと無邪気な笑顔を見せた。
『…………』
ざざざっっっっざざっっっっざざざざっっっっざざっっざざっっっざざ。
っざざざっっっざざっっざっっざっっざっざっっっざっざざざざざっっ。
ざざざっっっっざっざっっざっざっざざざざざざざっっっっざっざざざ。
『今度の大会、橘を最重要区間である、アンカーにしたいと思う。キャプテンとしての意見を教えてくれ』
『…………何で、ですか?』
『分かるだろ。もう、橘の方が』
『……わかりました。…………辞めます』私は、踵を返す。
『おいっ、最後まではな』
『いえ、私の考えは変わりません。両親から、政明高校をトップで入学すると約束しましたので。もう、秋ですからね。時間はないんです。では、明日退部届出しに行きますから』
その日の夜。
私は、初めて、泣いた。
一番を誰かに奪われた瞬間だった。
大切で可愛がった後輩に、自分の生きる意味を取られたのだ。
その日以降、私は、別で一番を取り始めた。
無かったことにした。
長距離みたいな人生にピッタリだと皮肉きって、やり始めた長距離を忘れた。
高校では、生徒会長。級長。学年主席。文武両道の才女。
ありとあらゆる、一番を取って。
過去に奪われた一番を思い出さないようにした。
だけど、彼女は、私の後を追ってきていた。
それが、怖かった。
怖いもの知らずで、男の子と喧嘩をしてきた私が初めて、家族以外で恐怖をおぼえた。
だから、遠ざけた。
ゴールに向かって走る筈なのに、私は、逃げていた。
あの時から、多分、ずっと私は走っていない。
「熊谷会長っ、大丈夫ですか?」
「…………、ごめんごめん。ぼーっとしていたね」
会計の
今は、物品の耐用年数が到来している物を廃棄して、新しい物を取り入れれるかの予算把握。
「椅子の耐用年数は、五年ですから。もう新しいのに変えてくれという要望は却下かと。まだ、四年と二ヶ月ですので」要望を私たちが決裁し、学校側へ伝えるのだ。
「えぇ、そうね」小清水さんが出してきた資料を見ながら確認し、生徒会長に許された会長印を朱肉につけて押す。そして、却下印を黒のスタンプ台に浸して右上へ押す。
「……また、けい……明智君が何かしました?」
その言葉に、少しだけ動きを止めてしまう。
「やっぱり……今日の一件も何か関係しているんですね」
小清水さんは、首元を触って目線を伏せた。
「……今日の一件って……大袈裟よ」
「……校内で拡散されて大変だったと聞きましたし……」彼女は、私が出会ってきた中でも人を思い遣る気持ちがずば抜けて高い子だ。
「…………そうね。どう収集すれば分からないわ」
ポロッと漏らす本音。
いつもの私だったら、言わなかった筈。
でも、私のコップはカラカラで、余裕が無かった。
今朝、明智さんと話して、彼を頼ったのもそれが原因だと思う。
「……でもでもっ、人の噂は
気を遣ってか、私の方へ体を向けてほんのりと柔らかい笑顔を作る。
「…………それでも生徒会選挙で、影響出るでしょ?」
生徒会選挙活動は、九月からゆっくりと始めていく。
もう既に六月に片足を突っこもうとしているから、九月前にその話題が残っているのは次期生徒会を引っ張る者としては避けたいリスクだ。
小清水さんに取っては変わらないが、私が九月から表だって推薦活動を進めると何かしらの翳りを生むことになるかもしれない。
「……貴方にはこの席を引き継いで欲しいの。だから、今、火種を風に乗らせて、あられも無い噂に燃え広がる前に対策を練っておくわ」
会長印と朱肉等をケースへ戻し、書類をトントンと机で整理する。
「さっ、遅くなったし、帰りましょうか」立ち上がって、引き出しにそれらを入れる。
振り返ると、小清水さんは座ったままこっちを見ていた。
「対策って言葉は違うと思います」
「……」
「人が恋して伝えた言葉を、そんな風に言うのは止めてください」
「……分かってないわね。あの場所で言ったことが問題なのよ」
「……それは……確かにそうかもしれませんけど……」
先程まで、小清水さんが居ない間、生徒会室に例の一件を執拗に聞いてくる人でごった返していた。
まぁ、新聞部が生徒会との交渉材料にしようと考えているのか、新聞部の部員もチラホラ見かけた。今朝も一年の新聞部が熱心に来ていたっけ。
「はい。やめましょう、私たちが険悪なムードになるのは」手をパンと叩き、そう言って私はカバンを担ぐ。
「……はい。そうですね」保存が必要な書類をファイル毎に閉まって、戸棚を閉める。私は、小清水さんの方へ手を差し出して、鍵を受け取る。
学校の重要情報が有るため、しっかりと施錠した後、職員室へ返す必要がある。これも生徒会長の職務の一つ。
私は小清水さんがドアから出ていくのを確認し、キャビネットと窓に鍵がかかっているかやパソコンもしっかり切られているかも確認する。最後に、灯りを消して、外に出ては鍵を閉める。
「では、お先に失礼します」
「えぇ。また明日」
小清水さんはぺこりとお辞儀をし、階段を降りて昇降口へと向かっていく。
時間も遅いから、心配したが、徒歩十分圏内のようだから大丈夫だと思いたい。
私は、いつも通り足を進める。
職員室で鍵を返して、自転車小屋へと向かう。
こっから、三十分ほどかかるから、家に着くのが十九時手前。
だけど、私は自転車小屋に留まった。
ある人を待っていたからだ。
まだまだ、陽は落ちておらず、ピンクとオレンジ色のサーモンピンクに包まれた夕方である。私は、この色が好きだった。
何もかも許してくれそうなこの色が。
顔や体がボロボロになって帰ったあの日も。
疲れ過ぎて頭がふらふらになったあの日も。
このサーモンピンクの夕焼けを見れば、涙が溢れそうになった。
心が浄化するとかじゃなくて、あったかくて包み込むような優しさに浸ってしまうからだ。
下を向いてしまう日もその色を見ようと上を向く。
その為にある、色だと思った。
私がお母さんのお腹の中にいた時の色だ。
今でも薄らとした記憶にある。
ピンクとオレンジ色が混ざり合ったサーモンピンク。
だから、泣きそうになる。
だから、安心する。
渦巻く感情に浸っていると、待ち人がやってきた。
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