42話 街灯は夜に役立つ
その日の授業を受けながら、必死で頭を回転させて物語の展開を考える。
自分が面白いと思うストーリーとはなんだろう。
ぱっと、出てくるのは、自分が予想外の結末や展開を描く作品か。
……とはいえ、そうポンポンと意外性のある行動をやって来なかった人生だったからな。物語とはいえ、面白味のある作品を作れないのでは無いかとすら思ってしまう。
「はぁ〜〜〜」ため息が漏れた。
その大きさは、目の前にいる大人しげな佐々木が後ろを振り返るくらいの声量だったよう。
「ごめん」と右手を縦にして謝罪し、密かに口を閉じて『ぅぅ〜〜』と唸る。
時間がない、な。
だから、思ったのだろうか。
何をしているんだ、と。
これは、オレが、神様の物語を進める為の意味ある事なのか?
オレが執筆しなくても、彼らは、許してくれるだろう。
そして、話は進む。
いや、違うか。
オレが執筆する事で何かが進む可能性だってある。
例えば、彼らと信頼関係を構築し、更に深い仲になって自分が秘めている葛藤を告白してくれることに繋がるかもしれないじゃないか。
ううん、それよりもなぜ、他力本願で物語の進みを考えているのだ。
この流れに乗れば、と神様頼りになっていた。
気がつけばそうなっていた。
また、暁さんの時みたいに、神様が誘導して病院の中へ入っていくのを目撃した時のようにと心の何処かで頼っていたのだ。
彼らに深く潜り込むのが怖くて、キッカケを誰かに縋った。
あれ程までに、早く終わらせようって息巻いていた癖して、怯えていた。
そんな自分が情けない。
だからっ、神様。
オレに才能がないのは、知ってる。
悩んで苦しむよ。
人が簡単に思いつくことに時間をかけて、オレは何度も何度も何度も何度も書き込んでは消すよ。そして、かきあげるよ。
だから、神様。
オレが、今からすることは神様から貰った宝物のように今後も使うよ。
オレに才能が無いなら、誰かの才能を使うよ。
そして、オレはその才能の上で、凡人らしく踠いて踠いて書きあげるから。
だから、神様。
あんたの才能をこの作品が終わるまで使わせてくれ。
それは、きっとオレだけが使える手。
この世界の真実を知っているオレに唯一残された手段。
目的の一致を果たしているオレと神様のみが通じる言葉だ。
オレの横にいる美少女は、チラリとこちらを向いて、口パクした。
『いいよ』と。
その日の文芸部の部活が終わった後、オレは一人ある人の所へと向かっていた。
恐らくいるだろうと思う。
白から乳白色に変わってしまったスニーカーを履きながら、グラウンドへと向かっていた。十八時過ぎになった今でさえも、大勢の部活動が今も尚励んでいる。
薄暗くなった空に負けじと、グラウンド全体を包み込むような力強い照明が降り注ぐ。大気がグラウンドの頭上だけ深く無いような気がした。
そのグラウンドには入らず、学校とグラウンドの間のコンクリートの上を歩きながら、目線をグラウンドに向けていた。
近くに来ると、野郎どもの声が一気に野太く響くな。
それに、各々のフィールドしか見えてないように靄がかかった何かで覆われている気がする。疲労と心地よい夜風とラストスパートによる謎のテンションが相まってそうなるんだろう。
オレは、その光景に頬を緩め、トボトボと歩く。
タタタ……タタタタ……………………キュ……ザーーー。
オレは、肌寒くてブレザーを着ているというのに彼女は、涼しげな黄色のノースリーブに『政明高校』と黒で書かれたのを着ており、下は短パンの黒。
裏校門から戻ってきては、体育館裏の近くにあった給水機に駆け込んでは、蛇口を捻って、後ろ髪を解くなり水を頭から浴びていた。
それは、豪快な男のような姿見だが、頭を上げてバサっと髪を振るその刹那は、美しさがあった。彼女の研ぎ澄まされた、太ももの筋肉が肉体美はそこにもあるのだなと思うほど。
あと、綺麗な脇も垣間見えた。柔らかそう…………何、考えてんだオレ。
かけておいたであろう、アディダスで水色のタオルを頭にかけるなり、コッチに気づいた。
そして、うげっとなっている。怪しむように半目になりながら胸元を手で押さえる。
「あのな、別にそんなとこ見てねぇよ」
「じゃあ、どこ見てたんです?」
「……まぁ、お前の走り……とか?」
呆れたようなため息を軽くついた橘は目を逸らした。
「先輩って、奥さんの尻に轢かれそうですね」
どこかで聞いたことがあるような屈辱的な事を言われる。
オレは、近寄りながら先ほど買ってきたアクエリスを右手で渡す。
「お疲れ。暗いから外を走るの危ないだろ」足元は、蛍光色でグリーンと黄色のデザインで光るのだろうけど、ジョギングではなくガチで走るのは危ない。
「…………あっ、ありがとう、です」
ヒョイっと両手で受け取りながら先ほどまでのツンケンした目はなくなり、いつものリスっぽい橘に戻った。
オレは、近くに寄って煉瓦造りの給水機に背凭れる。ひょいひょいという効果音が付きそうな可愛らしい飲み方をする橘をみる。口元から水色の清涼水が溢れるのがどこか過ぎ去りし夏を思い出す。
って、もう直ぐ夏か。
「大変そうだな。居残りまでして」
「っ……はい。まぁ、負けたく無いので」ペットボトルを閉めながらそう呟く。
「駅伝って向上心よりも、チームワークの方が大事そうだけどな」彼女の奥深くにある塊を引っ張り出そうと言葉を紡ぐ。
こうやって、誰かの核心に触れるのは避けてきたのだけど、暗闇に手を入れるみたいに突っ込んでいかないとな。
「……そう、ですかね? 走っている時は独りです、し」ペットボトルを見つめる橘の顔はタオルに隠れて少ししか見えない。チラリと見えた鼻先に雫が溜まってはポツリと落ちた。
「それだったら、なぜ短距離じゃ無いんだ?」
そんなの短距離が苦手だからって事で落ち着くだろう。
花形種目である短距離が好きじゃないからで、終わるだろう。
だけど、聞いた。
「…………寒いです」橘は俯きながら、腕を摩っていた。
「あっ、悪い」そう言うと、体育館裏に置いてあった黄色のエナメルバックまで向かい、あの時と同じ上着と黒のジャージを履いた。
帰りなさいと言うような夜風がオレと彼女に注がれる。
ふたりは、藍色に染めあげていく大気を見ながら、暫し沈黙した。
だから、オレは彼女に委ねた。
言葉……と言うよりも、自分を話すのかを。
「明智先輩……今日、お時間あります?」
「……あぁ」
「そですか。………………じゃあ、少しここで昔話聞きません?」さっきのタオルを小さな階段に引きながら座って、横をポンポンと叩く。まるで、お母さんの近くに来てって優しく呼びかけ、読み聞かせをし始める時みたいに。
「分かった」
オレは、彼女のタオルには座らず、少し距離を空けて座り込む。
橘は、ちろりとタオルを見て、『遠慮しなくていいですのに』と純粋無垢な思考でそう呟いてくる。
本当に親切のつもりでやっているのだろう。
その素が彼女らしさなのかもしれない。
純粋に自分の言動を俯瞰しても、誰も自分の言動に靡かないだろうといった、悪意なき無邪気さが。
「私は、陸上を中学から始めました。そして、県で一位を貰うまでに成長して、インターハイ……まぁ、全国大会にも出ましたが、ベスト八で中学の夏を終え、今に至ります。全く、中途半端ですよね……」ピンポン玉が跳ね返るように可愛らしく肩をすくめながら、自嘲気味に話す。
「いや、県のトップで、全国でも両手に収まる順位だったんだろ? 普通にすごいぞ」
「……みんな、そう言います。高校の推薦であちこちから一緒に頑張ってみないかってお誘いも頂きました。ただ…………私は、上を目指した訳では無いんです」
長いまつ毛をゆっくりと伏せて、自分の足を見つめた。
「……私はただ……一緒に走りたかったんです……憧れの人と」
時折、言葉を詰まらせながらも絞り出すように話してくれた。言い終えると、喉が渇いたようにゴクゴクとスポドリを飲み始める。
それがヒドく渇いた夢を喉の潤いで誤魔化すように見えた。
「その人と走れなかったのか?」
「……はい」
「走れる機会は、あったのか?」
「…………はい」
「その機会は、まだ残されているのか?」
「……………どうでしょうか…………話したのは、中学以降ないので」
彼方に見える小さな雲の破片を見ながら切なげに答える。
まだ、オレは彼女が生きた過去を知らない。
だから、聞く必要があった。
「今の橘は、その人の影響で駅伝をしたのか?」
「……はい。私が小学生の時に偶々通った道路でそのカッコイイ姿を見て、気になって。同じ中学だって知って喜ぶなり、陸上部に入りました」
「……」一瞬見たであろう光景に彼女は胸を掴まれて、自分の行くべき道を選んだのだろう。
だが、結果として、その憧れの人は自分から離れて行ったと。
「全く気持ちが悪いですよね。そんな稚拙な思い出に突き動かされて、あるかも分からない機会を心待ちにして今を頑張っているなんて」
『走っている時は独りです、し』
さっき言った言葉に彼女の全てが詰まっている気がした。
橘が目指しているのは、ゴールなんかじゃない。
襷を仲間に届けるために走っているのでもないのだろう。
ただ、自分が描いた儚い雲の破片を追いかけているのだ。
幼少期の頃に淡く期待を膨らませた空想に、今も尚、襷を渡そうとしている。
憧れの人に想いを伝える、そんな襷を。
「土曜日……見にいく」
言葉を漏らした、とかではなくて、しっかりと彼女に向かって言った。
それ以外の言葉を彼女に、中途半端な考えでは伝えれないと思ったからだ。
くすりと後輩は笑みを漏らすも、一度目を伏せてはこちらを見て言葉を出した。
「勿論……応援……してくれますよね?」
『応援』その言葉の意味が何を指しているのか、オレには分かっていた。
だから、伝える。
「あぁ、夜中にポツンと佇む街灯くらいには」
「ふっ、なんですか、それ。……最高に心強いじゃないですか」
「そうなれたら、いいと思ってる」
「じゃあ……走りますね」ワザとらしく階段から飛び降りて、立つなりオレを見下ろす。
「夜は、危ないから控えろよ?」
「それだったら、先輩の存在意義ないじゃないですか?」
「まぁ、迷って夜走った時のお守りみたいなもんだ」
「…………今は、夜なんでしょうかね?」橘は、首を軽く反って再度空を見上げた。
もう直ぐ夜に耽りそうな時間で、夕方とも夜とも取れるどっちつかずの空だった。
だから、思う。
彼女を元気づける言葉も、何かを教えることも、寄り添ってあげることもできない。
何故ならそれを、彼女は望んでいないから。
橘が望むのは、あの時思い描いた景色なのだから。
橘と話し終えた後、母親が迎えに来るらしく、オレはそこで別れて一人で帰った。
その道すがら、街灯の下に学生服姿の美少女が佇んでいた。
スニーカーのつま先を地面に押し付けながら揺らしており、暇そうである。
薄暗い時間帯だからか、やけに神様の輪郭が神々しく光って見えた。
「どうしたんですか、こんな所で」少し遠くから話しかけると気づくなり、嬉しそうに手を振る。
「いいぃや〜? どう選択するのかなぁ〜ってここで道草食ってたのだよ。可愛いでしょ?」
「……神様には全部見通しなの知ってるんで、オレにはあざとい戦法は通じません」まぁ、他の女子がこんな事してたら、心配するが。
「ひどいなぁ〜、圭吾は」
横を通り過ぎるといつも通り、横並びで我が家へと帰宅する。
「短編、もう書かないと間に合わないんじゃない?」
左耳へ艶やかな髪の毛をかけながら問いかけてくる。
「……ですよね。ただ、今日。橘と話してオレの中にある主人公が動き出した気がするんです」
そう、ぼんやりとイメージした棒人間の主人公が肉付き始めるような変化が。その舞台に欠かせない人物を登場させろとオレに訴えかけてくるほど物語に浸ってしまう自分がいた。
「舞台に欠かせない人物、か」何気なくポツリと呟いたであろう神様を見ると心なしか頬が丸まっていた。
「なんか複雑ですよね。オレは神様に作られた人間なのにこうやって思考して物語を編み出しているの」
「……」
「物語の登場人物が、物語を作るなんて」肩を揺らしながら笑い声で話す。
前みたいに自分が物語の脇役である事を揶揄した訳ではない。
それがただ、可笑しいなと思っただけ。
「……それは、君が……生きている証だと思う」生きている証……。
「……だったら、感謝しないとですね」
オレ達は足を止めて、丁度街灯から漏れた光を体半分受けれる位置で言葉を交わした。
「……オレを生かしてくれてありがとうございます」
「……こっちこそ、生きてくれてありがとう」
擽ったい事をお互い言い合って、その後は無言のまま帰っていった。
神様の作ったこの世界には『欠かせない人物』なんているのだろうか、と頭の中で思案するも、神様からの返しは一向に返ってこなかったから。
『……』
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