37話 オオカミと野良犬
文芸部の部室へ放課後集まるのは、当たり前の日常と化していた。
二階堂と暁さん、神様の小説話には付いていけなかったが、なんだかんだ居心地の良い場所だった。それが、彼らとの親密さを深めている証なのだろう。
オレは、部活が終わると部室で彼らと別れ、最近寄っている場所へと向かう。
もう時刻は、夕暮れで十八時を回っていた。
多くの部活動が終わった学生は、流した汗を涼やかな外気に触れて心地良い余韻を仲間と過ごしているだろう。恋に耽った夜を過ごしている者もいるだろう。
だから、誰かの温もりが必要なのだろう。
オレは、冷えたドアノブを握り、扉を開いた。
その一番奥に一人黙々とパソコンへ打ち込む少女がいる。
艶やかな髪にするため櫛で丁寧にすいているだろうに、前髪アップで綺麗なおでこを晒していた。瞳には、画面からの光が映り込んでいるのだが、オレに対して言葉を出した。
「また来たの?」
「えぇ、まぁ」
生徒会室の右側で彼女から二つほど離れた席へ向かう。
腰掛ける際、ふと電源タップが目に止まった。
「…………大変ですね。生徒会長ってのは」
「……君は、暇そうね」
暇つぶしに彼女と話に来てる訳でもなければ、熊谷睦月に、文芸部の電子化を取り合ってもらおうなどでも無い。
「熊谷先輩こそ、暇だから忙しいのでは?」
「……」手を止めて、オレを見た。
そして、数秒後にぷぅっと笑みを漏らす。
「それって、矛盾してない? 本当にあの物語書いた作者とは思えないわね」
くつくつと肩を揺らす先輩がオレには、嘘をついているように思えた。
「まぁ、なににしてもいいです。……それよりも、読んでくれたんですね」
「貴方たちにそう言ってしまった手前、読まない選択はできないわ」
「……それはすみません」
「そうやって、何回も来て、何回も謝られるのは迷惑なのだけれど?」
「……」
時折、オレは生徒会室に足を運んでは、生徒会長に話しかけていた。
謝る口実を吐き出させては、謝っていた。
自分が吐いた言葉を戻せないとするなら、人はどうすべきだろうか。
届いた言葉が、その人に暗い
それは、きっと誰かに優しい言葉や美しい言葉を吐いた時も同じだろう。
届いた言葉が、その人に陽だまりのような明るさをもたらしたのだとしたら。
吐き出した言葉は、撤回することはできないのだ。
彼ら、彼女ら、に残り続けるのだ。永遠に。
だから、オレは、残り続けて漏らした汚水が出る度に謝るしかできないのだ。
拭うことも、堰き止めることも出来ないのだから。
「君は、彼らの居場所を守るために出した言葉を、謝るんだね」
その言葉はオレの気づかれたく無かった平和を暴かれたようで、視線を彷徨わせた。見つめてくる、あの時の彼女の目を思い出して、言葉を返せずにいた。
伽藍堂の中にボールを投げいれて、その音が静まり返るほどの時間が過ぎた頃、誰かが呟いた。
「私には、出来ないな。そんなの」
低い声で小さい声が生徒会室に響いた。
厳かな生徒会室には似つかわしくない、一匹オオカミの嘆きだった。
その一匹オオカミは、仲間の死に悲しんで満月に向かい遠吠えすらしないだろう。
遠吠えをした狼を見て、何も叫ばずに月光の下を滑走と去るのだろう。
そんな凛々しくも気高いオオカミはオレへ笑みを漏らす。
「明智君と私は、似ているようで違うようね」
「……そうですね、自分は生徒会長って柄では無いです。血統種犬の集団に混じる只の野良犬ですよ」肩をすくめて冗談混じりで返す。こんな言葉は……すぐに出るのだな。
「……だったら、私は、生徒会長の柄に染まる、一匹のオオカミってとこかしら?」
オレが思い浮かべた描写を彼女は読んだようにそう綴って問いかけてくる。
リーダーとして、敬われた彼女が、ここに一人でいる光景。
それがひどく今の彼女の状況を如実に物語らせていた。
才能も容姿も努力も、全てにおいて学生達とは波外れたパラメーターを持つ彼女は、何故ここに辿り着いたのだろう。
何故、彼女は、生徒会長になったのだろう。
何故、彼女は、哀しそうにわらうのだろう。
何故、彼女は、オオカミでいる道を選んだのだろう。
何故、彼女は、他人の遠吠えに遠吠え出来ない、と言ったのだろう。
「知ってる? 狼って縄張りを主張するために、独りで遠吠えするんだって」
オレは熊谷先輩が雄弁に生徒会演説している姿を脳内でフラッシュバックさせた。誰も寄せ付けない圧倒的に凄みがあった彼女の覇気を纏った演説を思い出した。
「……先輩が…………生徒会長選挙で」
オレが続けようとした言葉を、先輩は言わせないように軽く笑った。その笑う口元を隠すように右手の握り拳を唇に当てている。
「ふっ……君は、ほんと察しがいいね。そりゃあ〜あんな面白い小説書ける訳だ。……私は、そうすることでしか、自分の居場所が無いのよ。もう、自分の居場所を奪われないために……遠吠えをしてる……臆病なオオカミ」
そんな暗がりで独り、自分の弱さを遠吠えで隠しながら、ビクビク震えて身を丸くしながら床に就くのをイメージしてしまう。
熊谷先輩は、ふらふらとオレの方へとやって来る。
まるで、腹を空かせたオオカミがノコノコと近寄った野良犬を獲物にするが如く。
オレの右の席へと座り、椅子をずらして、オレへ向く。
ふありと嗅いだことのない、甘いラズベリーのような匂いが脳を一瞬で支配する。線のように繊細な髪の毛をピンク色の爪に染まる手を使い、左耳へ掻き上げる。
「オオカミって……夜になると獰猛なんだよ?」綺麗なほっぺが色づいた。
「……せっ、性欲ないって言ってませんで、した? れ、恋愛欲で保管してる、って」あたふたしながら答える。
「最近は、恋愛欲……満たされてないんだよ……だからっ……ふっ。カワイイ」
目がキョロキョロと四方八方を駆け巡り、脳へのダメージを軽減しようとしてくれるが……、上半身を前屈みにして近寄って来る。
柔らかく甘い吐息が首筋にかかる。
息の仕方を忘れ、密室な空間という事実がさらにオレの頭を狂わせた。
けれど一瞬、熊谷先輩の目を捉えると、切なそうな瞳だった。
獲物を捕まえる為に夜でも目が光る狼の姿ではなく、暗闇に飲み込まれたオオカミの水晶体。
だからだろうか、真正面から
「嘘、……つかないでください」
「えっ?」前屈みだった先輩の体は小さく座った。
「自分の物語を見たら、恋愛欲を満たしている筈です。今の先輩は、違う理由でオレを揶揄っているだけです」
その違う理由を敢えて口には出さなかった。
またも熊谷先輩は哀しそうに微笑んでみせた。
「……野良犬相手に、縄張りを穢されたくないから追い出そうって、……。ほらっ、安っぽいでしょ? 私の遠吠えは」
自分を卑下したように呟いた先輩は
「もう、来るのは……止めます」
「……」
そのまま帰ればいいのに、オレは『ただ』と付け加えて、言葉を出した。
「野良犬だって、遠吠えをしますし、遠吠えは聞こえますよ」
オレの顔を見ながら、一瞬固まるも、ひゅーっと視線を下ろし、自分の胸を見てはゆっくりとオレを再度見た。
「…………明智さん、あなたの言葉は……謝るよりも、そんな深みのある言葉の方が価値がありますよ」
言葉には価値があるのだろうか? 優劣があるのだろうか?
それは、きっと無いだろう。
だけれど、誰に言うのか。
どこで言うのか。
何故言うのか。
どうして言うのか。
いつ言うのか。
そのふとした場面と、言葉が重なり合って、価値が生まれるのだろう。
場面も関係ない謝罪は、彼女にとっては無価値だったのだろう、と思う。
だから、さっきの言葉が今度は、彼女の前へ進もうとする糧になればいいなと思った。
オレは、立ち上がり鞄を持って出て行こうとする。
「……さよなら、野良犬さん」
「……さよなら、オオカミさん」
オレは、その厳かで若干暖かくなった部屋を後にした。
人気のない廊下を進み、昇降口を抜け、校門まで一人歩く。
ふと、振り返ると、ぽつんとあの部屋が明かりを灯らせていた。
まだ、残るんだろうな。
そう、思っていたが、明かりが消えた。
カーテンがガラッと開き、真っ黒のシルエットだけが見える。
今日はぐっすりと眠れるから、早めに帰るのだろうか。
なんて思いながら、視線を目の前へ戻して、自分の家へと踵を返した。
縄張り争いをしてギクシャクした関係を最初から、こうすればよかったのだろう。お互いの守りたい場所を尊重してあげれば。
もしかすれば。
いや、過ぎた話はやめよう。
オレは、ただ前を向いて、ふと夜空をみあげる。
早めに出ていたお月様は、霞んで見えた。
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