第5話 呪いの威力

 店の奥から、呑気な鼻歌が聞こえてくる。


 クローエンが怒った時とは違い、トカゲ店主は毛ほどもビビっていない。

 あたしは釈然としない思いを抱きながら、在庫部屋のような場所でゴソゴソ動いている店主を眺めた。

 

 ふと、右隣から視線を感じたので目だけ動かして確認すると、クローエンが無表情にあたしを見つめていた。

 

 そういえば、かれこれ半年以上の付き合いになるが、あたしが魔女だという事はまだ言っていなかったなと思い出す。


「なによ。あたしが魔物で、びっくりした?」


 横柄な態度で訊ねたあたしに、クローエンは小首をかしげて柔和に微笑む。


「出会った時から魔物だと思っていましたが、びっくりしましたか?」


 などと、あたしの台詞を再利用して侮りがたい質問を返してきた。

 これだからコイツはいけすかない。

 あたしは仏頂面を深めると、クローエンがあたしを魔女だと見破った決定打を訊いた。一応、参考程度に。


「俺の竜にガンつけて怯えさせるなんて、人間の感覚じゃできませんよ。精霊族には見えないし」


 盲点だった。

 

 そうか、人間の娘は竜に威嚇されたら威嚇し返さないものだったのかと今更になって気付く。そういえば、『おまじないスタンプ』をウチに持ち込んだリエッタとルーラはドブネズミにさえ怯えていた。――あれ? リコッタとラーラ……だっけ? どうにもあの二人の名前は頭に入りにくくて困る。


 あたしは魔ガール二人が本日帰り際に叫んでいた名前を記憶から引っぱり出そうと努めつつ、残りの思考力で、初対面でいきなり『不味そうな女だな』とヌかしてきた失礼な飛竜の飼い主に苦言を呈す。


「あいつが先に喧嘩売ってきたんだからね。飼い主なら、もうちょっと言葉に気をつけさせなさいよ」


「失礼。俺は魔女の君と違って、竜の言葉は分らないので。風雅ふうがは何て言ったんですか?」


 性根の悪さは飼い主譲りだったか。


 おちょくりに乗って自ら『不味そうな女』と称するのもしゃくだったので、あたしは黙秘した。


 タイミング良く、店主が戻ってくる。右手には、香水瓶のような小瓶が握られていた。


「あっだあっだよ、お客さん。これがリムーバーオイルだっぴゃ」


 そう言うと、あたしとクローエンにくっついた手をカウンターに出すよう指示する。店主は、スタンプされた部分に数滴、オイルをたらした。


「いーち、にーい……」


 店主が数を数えはじめる。

 そして、「さん」とカウントしたとたん、あたしたちの掌をくっつけていた引力が消失し、パッと両手が離れた。


 店主がリムーバーオイルの説明欄を見ながら、「おお、ホントに三秒で離れたにゃ! 大したクスリだなやぁ」と声を弾ませる。


「どうも助かりました。一時はどうなるかと」


 クローエンは心底ほっとした様子で店主に礼を言った。つい先ほど、同じヤツに対して人間離れした殺気を放っていたとは思えないほどの笑顔である。

 若干滲み出ている色気は天然か、それとも意識的な感謝のしるしなのかは定かではなく、こいつのこういうところは、半年付き合ってもまだ理解できない。

 

 店主はクローエンの色気にやられたのか、頬を赤らめヘラヘラと笑うと、後ろ頭をボリボリかいた。


「いんやぁ。手ぇば離れはしたが、この調子だっと、効果はまだ消えてねえと思うで?」


「え?」


 聞き捨てならない店主の台詞に対し、あたしが聞き返したその時、大きな爆発音がした。店の窓ガラスがビリビリと震える。

 

 店主が「うひゃあ」とカウンターの下に潜り、あたしとクローエンもその場にしゃがみこんだ。


 やがて空振がおさまり、あたし達は店の外へ出る。

 

 林道を抜けた向こう。街の方で、黒い煙が上がっていた。


「ありゃまあ。何ぞ事故でもあったべかなあ。街のどの辺だがや?」


 店主が、平均よりも広い額に手を当てて遠くを見るように目を細める。


 北の街外れにある『夜辻堂』から確認できる王都のランドマークは、最南に城。続いて北西にずれて大教会の屋根。それからちょっと北東にずれて時計塔の順である。


 まず、遥かかなたに、聖王がおわす王城の黄金の屋根が、太陽の光を浴びて輝いているのが見えた。煙が上がっているのは、そこではなかった。もっと北側の市街だ。教会の屋根の尖端が見える。煙が上がっているのは、教会よりも更に西側。それから、時計塔よりも南のようだった。


――あれ? あのへんってもしかして旧繁華街……


 青空に向かって昇って行く灰色の煙を眺めていると、ふと、暗い予感めいたものが胸に湧いて出た。いや、まさかそんなはずは、と打ち消そうとした時、クローエンがずばり口にする。


「あの辺りは、君の職場じゃないか?」


 弓の届かない高さの上空から戦局を読まねばならない竜騎士には、人一倍の視力が求められる。

 クローエンには見えていたのだ。煙の中で、メラメラと燃えながら舞い上がる、色とりどりの布飾りが。

 部屋ごとに色分けされた布飾りは、占いの館のオーナーの、拘りだった。



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