なナ


 結局、付近を巡回していた警官に保護された。

 凪子が手を下す前だった。

 口裂け女の正体は、大学受験に失敗して精神を病んだ女だった。


 取り押さえられた際に彼女は言った。

「子供たちの姿にイライラした。無邪気に笑っている顔が憎らしかった」


 あまりにも身勝手な動機に凪子は涙を流した。大人たちは必死で慰めようとしたが、誰も凪子の気持ちは分からない。


『殺せなかった』という、絶対零度のどす黒い後悔を。


――25年後。


「ねぇ、道也さん。私、気づいたことがあるんですけど」


 背を向けてふて寝をする夫に、凪子はするりと身を寄せた。


 あなたは言いましたよね? 遅刻の常習犯の言葉を鵜呑みにするなんて……って、私は被害者を莉生の友達程度に話して、ラインには生徒の名前なんて無かった。

 莉生の友達でよく遅刻する子は、佐々木 弓子しかいないけど、おかしいわね、なんで襲われた友達を、あなたは遅刻の常習犯だと言い切れたのかしら?

 いいえ、前提を間違えていたのだとするなら【口裂けババア】が出没している時間帯は、じつは帰りの通学路ではなく、朝の遅刻が確定している時間帯の通学路ね。

 中途半端な時間帯だし、朝に白昼堂々と通り魔的な犯行を犯すなんて考える人間は少ない。

 被害者は遅刻が確定している小学生だから、後ろめたくて、家に帰ってすでに会社にいる両親に電話で泣きつくの。


『昨日の帰りに口裂けババアに襲われた。怖くて学校に行けないよ』


 佐々木 弓子の両親みたいな、子供の寝顔を見る余裕がなさそうな家族なら信じるんじゃないかしら。

 犯行時刻を被害者である子供側が誤魔化しているなんて、親はつゆにも思わないでしょうね。


「おまえは、自分の夫が【口裂けババア】だっていうのか?」


 口裂けババアはマスクをつけているし、長い白髪のカツラをつけていれば、怪物だって先入観もあって性別も年齢もごまかせると思うのよ。


「ふぅん、それで犯行の動機は? この時間帯だと俺は会社にいるはずだ」


 ただイライラしただけで、凶行に及んだ人間を私は知っている。あなたのアリバイを証明するためにも、明日あなたの会社に連絡を入れてもいいかしら?


「……分かった。降参だ。実は事業縮小で、この前退職勧告されたんだ。会社ではなく、ハローワークとネット喫茶に通って、就職活動の傍らで資格も取ろうと勉強したりしてね。こんなに頑張っているのに、のろのろと開きなおって学校に行くガキをみたらムカツクだろ。殴ってスッキリしないとやってられないんだよ」


 悪質ね。わざわざ変装するなんて。私の昔話から思いついたの? ひどいわ。

 もしかしてあなたは、ターゲットの子供と親の、出勤時間と帰宅時間を調べることに一日を費やしていたの?


「必要なことだろ。俺が逮捕されたら、お前どころか莉生の人生まで滅茶苦茶になるぞ。まったく、口裂けババアなんて、とんだ副産物だ。言い訳とはいえ子供の想像力には驚かされるよ」


……そうなる前に、話してほしかった。


「話してどうする? 俺は君と対等でいたいんだ」


 対等ってどういう意味?


「俺から見れば、俺が主力で働いて君が専業主婦でパートに出るくらいが、対等だと思えるんだ。だって、君が正社員で復職したら資格職の君は俺の給料をあっという間に超えてしまうし、しかも、この庭付き一戸建ての家は君の両親が君のためにプレゼントしたものだ」

 

 買い被りすぎだわ。資格職だとしても、あなたの給料を超えるには、まずブランクを埋める必要があるもの。それにこの家は結局中古だし。


「それこそ、君は自分のことが分かっていない。……もういいだろう。君にバレた以上、大人しくしているから放っておいてくれ」


 そうね、そのためにも。変装道具がどこにあるのか教えて、証拠隠滅に協力するから。

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