伸ばされる気味の悪い手
その日のクレマンは、ひどく眠そうだった。
「昨日の夜、部屋で魔道具の設計図を見直していたんだ」
私達は毎日、作っては試し、改善してまた試すことを繰り返していた。上手くいく事もあれば失敗する事もある。失敗の方が多いくらいだ。
「昨日の失敗は、私も納得いかない。授業に出ないで魔道具作りの続きをしたいくらいだわ」
「全くだ」
真面目なクレマンらしくない答えに思わず笑ってしまう。
「あのさ」
クレマンが落ち着いた声を出した。
「俺は毎朝、君の歌を聴くのを楽しみにしている。魔道具の面白さを教えてもらった事も感謝している。フィルーゼが留学生としてこの学校に来てくれて嬉しい」
眠すぎるのだろうか、普段のクレマンが言わないような事ばかりだ。
「どうしたの? 今日はクレマンじゃないみたい」
「ひどいな」
クレマンは朝日に向かって思い切り伸びをした。
「眠いし体は疲れてるんだ。ほら、ブロイは工房で俺たちに重い物を持たせたり、埃だらけの回路の山から部品を探せと命じたりするだろう」
ブロイはそういう時に男女の区別をしない。私にも容赦なく用を言い付ける。実はそういう時の私はこっそり魔力を使って楽をしている。こっそりクレマンにも魔力を送って助けている。これはクレマンにも内緒だ。
「昨日の部品探しは大変だったわよね」
「だろう? でも、楽しいんだ」
確かに私も、どんなに疲れても嫌にならない。今日出来なかった事を絶対に明日こそ成功させたいと思って眠りに就いている。ここ数日は、国に一度戻ると言っていたエルピディオの訪問も無く邪魔が入らない。眠る寸前まで設計図を眺めながら考えている。この大変さを楽しんでいる。
「俺には使命と思える事は無いし、将来は父のように宮廷で政治の世界に入って、仕事をこなして家を継いで生きていくんだと思う。もしかしたら、学者になるかもしれない。いずれにせよ先が見えてる。今までずっと、毎日代わり映えしない日を過ごして驚くような事も心が動くような事も、熱中できることもなくて」
「えええ??」
驚きすぎて、おかしな相槌を打ってしまった。そんな事を考えていたなんて。外の世界の人たちは自由で何でも出来て、希望に満ちた生活をしていると思っていた。
「でも、君が来てからは驚いたり、新しい体験をしたり、むしろ以前の平穏が懐かしいくらいに落ち着かない日を過ごしてる」
私に夜の街に連れ出されて、兵士に拘束までされた。確かに新しい体験だったと思う。
「でも、それは嫌じゃない。毎朝目覚めて、君の歌を聴きたいと思って、今日はブロイとどんな魔道具に取り組もうかと考えて、君やルアナたちが、かしましく騒ぐのを聞いてうるさいなあ、と思って」
「ふふ、うるさいと思ってたの?」
「よくも毎日同じような話題で騒げるものだと呆れてる」
クレマンは少し微笑んだ。
「疲れたな、眠いな、と思うよりも、君がこの学校に来てくれて良かったと思ったんだ。ずっといてくれたら嬉しい。使命も何も関係なく、君がずっとここにいればいいと思うけど――」
クレマンが私の目をじっと見つめた。いつになく強く真剣な眼差し。
「――ごめん、眠すぎて何を言ってるか分からなくなった。忘れてくれ」
恋をしたいという目的は変わったけど、私も本当に学校に通って良かったと思っている。来てくれて良かったと言ってもらえて心から嬉しかった。
「あなたは、私に迷惑しか掛けられてないのに。でも、そう言ってもらえて嬉しい。ありがとう」
クレマンは、もう一度大きく伸びをした。
「授業中に眠らないようにしないとな」
「昨日、ブロイは堂々と寝てたわよ」
「本当か? よく教師に見つからないものだな」
◇
「こんにちは」
その男の子に見覚えは無かった。高等部の紋章がついた制服を着ているけれど、同じ3年生では無さそうだ。
「僕は、ルドガー・ドンギャン。2年生です」
「初めまして。フィリーゼです。留学生です」
ふふっとルドガーは笑った。とても嫌な感じの笑い方で、私は関わりたくないと思う。
「キシリーン国でしたっけ。遠くて小さくて国交が無い国?」
「はい、そうです」
ルドガーは一歩私に寄る。
(3歩よりも近い)
クレマンが言う適切な距離よりも近い。離れても失礼にあたらないと判断して一歩後ろに下がる。でもルドガーは、また一歩寄る。心細くなり、辺りを見回すけれど人がほとんどいない。特に見知った顔は誰一人いない。
その日、授業を全て終えた私は寮に戻る途中で、教室に忘れ物をした事に気付いた。宿題をやるためには必要な教本。取りに戻らなければならない。
「一人で大丈夫?」
ルアナの言葉に笑って『大丈夫』と答えた事を後悔する。このルドガーと名乗った男の子は、廊下で私が教室から出て来るのを待ち構えていた。
「私、用事がありまして、急いで寮に戻りたいのですが、何かご用でしょうか」
緊張して心臓が強く打ち始める。
「僕は『王子』よりももっと、あなたと仲良くなりたいんだ」
「はあ」
レアンドルと私は『特別な仲』だと周りに認識されているらしい。誰にも本気にならない王子と、いずれ去る留学生。この組み合わせは相性が良さそうだと皆が温かく見守ってくれている。
このルドガーは私と特別仲良くなりたいと言っているのだろうか。レアンドルとクレマンのおかげで、こういう男の子が現れる事は無くなっていた。
「でも、王子と比べられても勝てる気がしないんだ」
「はあ」
まあそうでしょうね、という思いは飲み込む。ルドガーの容姿について何かを言うつもりはない。造形的な観点では確かに、レアンドルの方が遥かに美しい。私がルドガーに対して魅力を感じないのは、彼の表情やそこから醸し出される暗い、少し歪んだ感じのする雰囲気のせいだ。
「だから、特別に仲良くなれる方法を考えたんだ」
「はあ」
ルドガーが気味の悪い笑みを浮かべた。私はこのまま走り去りたい気持ちを抑えて、一歩後ろに下がる。
「仲良くなるには、秘密を共有するのが近道だと思うんだよ」
「秘密」
どくんと心臓が一層強く打つ。そのまま強く強く打ち続け、じわりと額に汗をかく。
「キシリーン国ねえ。本当は君、どこから来たの?」
「――!」
青ざめる私を見て、ルドガーは満足そうに顔をゆがめた。
「僕の父は王宮で仕事をしているから内情に詳しいんだ」
ルドガーは素早く一歩近寄ると、私の腕を掴んだ。
「離してください」
「明日の放課後に秘密の共有についてゆっくり話そう。町の香水店の裏手にある公園。そこで待ってる」
ごくりと唾をのみ込んだ。行きたくない、でもそう言えない気がする。何も言わない私を見て、またルドガーが楽しそうに顔を歪めた。
「特別な仲の女の子の秘密は守らないといけないけど、そうじゃないなら⋯⋯ね」
「分かった。香水店の裏手にある公園ね」
「楽しみにしてるよ」
ルドガーは私の腕を、指でそっと撫でるように触ってから離し、立ち去った。肌が粟立っている。
(気持ち悪い)
二度と二人で話したくない。でも、秘密を知られているなら従うしかない。彼が騒ぎ立てないよう秘密にしてもらえるよう、お願いするしかないだろう。
私は重たい気持ちを抱えて寮に戻った。
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