魔術院の姫君は、恋を求める、学校に通う、魔力を振るう

大森都加沙

学校の古びた噴水で初めての友達ができる

 すう、と息を吸い込み感覚を鋭くする。辺りに薄く光が差し始めている。日の出の時間はもうすぐだろう。


 どこからか甘い花の香りが漂って来た。秋に魔術院を出発してから半年。各地を旅している間に王都は春を迎えていた。


 全身から魔力を放出して周りの魔力と同化させる。


(やっぱり王都は違う。魔力が満ちて流れが整っている。『あの方』の魔力も強く感じる)


 心地良い新緑の香り、土の香り、かすかに強い水の香り。全てが調和している。ゆっくりと太陽が昇り辺りを輝かせる。


 私はもう一度、大きく息を吸い込んだ。


「あがきみますこのあめつち あがきみしきなぶこのあめつち――」


 旋律に乗せて『あの方』に感謝の気持ちを伝える。


(私がこれからお世話になるこの土地が、平らかでありますように)


 私が紡いだ言葉は音楽となって辺りに広がる。鳥の鳴き声、風にそよぐ草の音、木の葉の重なる音に乗って、伸びやかに旋律が遠くまで運ばれる。


「――いりひさしみずのねさやけし しみさびたてりみずやまうまし」


 何度か繰り返して、私は朝の祈りを終えた。


「はあー、気持ちいいわね!」


 限界まで体を伸ばして眠気を吹き飛ばす。昨日ここに到着したのは日を越えそうな時間だった。荷解きをし、旅の汚れを落としてから床に入ったので、数時間も眠れていない。


 それでも今日があまりにも楽しみで、ゆっくり寝ている気分にはなれなかった。


 私は今日からこの学校の生徒になる。半年という短さだけど全力で楽しみたい。期待で胸を満たして、記念すべき最初の朝を目に焼き付けるように私は辺りを見回した。


――パキッ


 少し離れたところから、小枝を踏む音が聞こえた。


(誰か居た?)


 もしかして祈る姿を見られたのだろうか。まさか初日の朝にもう正体を知られてしまったとしたら。


(始まる前に終了なんて嫌だ!)


 泣きそうになって慌てて音がした方に視線を投げると、背中を見せて木陰に入る後ろ姿が見える。


「待って!」


 逃げようとする人影を追いかけた。若い男性は振り返りもせずに走る。


「お願い、待って!」


 僅かにこちらを気にした様子から、私の声は届いているようだ。止まる気が無いと言う事は、やはり尋常じゃない物を見たという気持ちがあるのだろう。逃がすわけにはいかない。


 このままでは追い付けないと判断して、その人から大きく魔力を抜き出した。


「う、わっ!」


 魔力を失ってふらつき、均衡を失ったその人は足をもつれさせた。その隙に追い付いて腕を両手でしっかり掴んで声をかける


「大丈夫ですか?」


 魔力を抜いた事は普通の人には分からないはず。さも心配するように声を掛けると、その人は私を振り返って戸惑ったような顔をした。顔色が悪い。私は少しだけ彼に魔力を戻した。


(このくらいかな)


 魔力を戻し過ぎて元気一杯になって逃げられると困る。様子を見て加減しながら、もう少しだけ戻した。

 

 彼は体調が変化した原因が魔力の増減だとは思いもしないのだろう。戸惑ったように少し頭を振って、目をしばたかせた。そして、私が強く掴んでいる腕に目をやると、困ったような顔をして腕を引いて自由になろうとした。私は逃すまいと、両手でますます強く腕を掴んだ。


「大丈夫だから、離してもらえませんか」


 もちろん私は離すつもりがない。彼を観察する。


(この服装は、ここの生徒ね)


 彼の上着の胸についている紋章は、この学校の高等部のものだったはず。私は自分のケープの裾についている紋章にすばやく目を走らせ、同じ物だと確認する。


 私よりも、かなり背が高い。掴んだ腕の感触から骨と筋肉がしっかりしている事が感じ取れる。私よりは年下とは思えない。


(ということは、同じ高等部の3年生かな)


 これから一緒に学校生活を送る仲間だとしたら疑われたくない。


「離してもらえませんか?」


 彼はますます困った顔をして腕を引っ張り、私から自由になろうとする。


 私が魔術院から来たと言う事は絶対に知られてはならない。明らかになった時点で学校生活が終了してしまう。この人が私の祈りを見たのか、見たとして魔術院につながるような情報を得たかどうかを、絶対に確認しなければならない。


 瞳を覗き込もうとしたけれど、身長に差がありすぎて届かない。私が思いきり腕を下に引っ張ると、彼は困ったような顔をして身をかがめた。柔らかそうな金色の髪がふわりと揺れて石鹸の香りが漂う。目線を合わせて瞳をじっと覗き込んだ。そこに見えるのは。


(戸惑い? 焦り? 恥ずかしさ?)


 悪意や疑惑、嫌悪のような感情は感じ取れない。


(本当に大丈夫かな)


 もっとしっかり覗こうとすると大きな声で抗議された。


「近いよ! 離れて! 頼むから、離れてもらえないか」


 大声に驚いて、瞳から視線を外して少し体を引いてみると、最初に見た時よりも彼の顔の色が赤くなっている。少し汗もかいているようだ。


(魔力を戻し過ぎたかな)


 魔力は体力のようなものだから多くても障りはない。でもさっき抜き取って戻した事で、彼の中の均衡を崩してしまったのかもしれない。


 彼の全身の魔力を探ったけれど異常は感じられない。取り急ぎ、私の祈りを見て不審に思ったかどうかの確認を済ませることにした。


「あなた、今、何かを見た?」


 もう一度、瞳を慎重に覗き込みながら聞いてみた。彼は尚も腕を引っ張って私から離れようとする。


「何って、あなたが噴水の近くで歌っている姿を⋯⋯。覗き見るつもりは無かったけど、普段は誰もいない場所から歌声が聞こえたから気になってしまった。申し訳ない」

「歌?」


 彼は私から離れようとしながらも乱暴に振り払ったりしない。粗暴な人柄ではなさそうだ。


「さっき歌っていただろう。盗み聞きして悪かった! 本当に頼むから、離してくれ」


 私は息をついた。ただの歌と思っているなら恐らく問題ないだろう。


 私は安心して、触れそうなほど近くにあった男性の瞳から目線を外した。彼の金色の髪が風にそよいで、ふわりと動く。掴んでいた腕を離してそっと撫でてみると、思った通りの柔らかな感触が伝わってきた。


「あなたの髪の毛、うちの小さな子たちみたいに柔らかね」


 懐かしいあの子たち。思い出してほほ笑むと、彼は目を大きく見開いた。


「な!」


 私から飛びのくように、数歩離れる。


「な! な!」


 みるみるうちに顔の色が赤くなる。耳と首筋まで真っ赤になっている。


(どうしよう、やっぱり魔力の均衡を崩したかな)


 魔力を少し抜き取ろうかどうか迷っているうちに、彼は後ずさりして近くの木に背中を預けた。胸が苦しいのか上着の胸元をギュッと握っている。もう片方の手は、髪の毛を押さえている。


「あなたは、誰だ! 高等部の制服を着ているが、あなたを一度も見た事がない!」


 よくぞ聞いてくれた。私はにっこり笑った。


「私はフィルーゼと申します。今日から、この学校でお世話になります」

「え? 転入生? そんな話は聞いたことがない」


 不審そうな目を向けてくる。


 疑うのは当然だろう。この学校には貴族の子弟が集められていて、初等部から高等部まで12年の間ずっと顔ぶれが変わらないと聞いている。新入生が高等部の3年に転入するなど、普通にはあり得ないことだ。


「私は異国から、この国を学ぶ為に来ました」

「留学生ですか?」

「そう、留学生」

「ああ、それなら⋯⋯」


 彼は納得したように大きく呼吸をした。数回繰り返すと顔の赤みが治まり、木にもたれかかっていた姿勢から起き上がり、自分の足で真っ直ぐに立った。もう胸も苦しくなさそうだし魔力を操作した影響は無さそうだ。少し安心する。


「ずいぶん、言葉が上手ですね」

「ありがとうございます。たくさん練習して来ました」


 私はこの国で生まれ育ったから言葉が上手くて当然なのだけど、彼は私が留学生という事を信じてくれたようだ。悪い人間ではなさそうだし、魔力に気付いた様子も無さそうだ。


(この人は、友達になってくれるかな)


 学校の仲間は『友達』になると聞いている。私がいた環境では、周りの人間全てが『家族』だった。初めて『友達』が出来ると思うと興奮で震えそうだ。失敗は出来ない。慎重に申し出をする機を狙う。


「私は高等部の3年生として受け入れてもらえる事になっています。あなたも3年生ではないですか?」

「はい、3年生です」

「では、これから一緒に勉強することになりますよね。よろしくお願いします。フィルーゼと申します。私の国では家の名を名乗る習慣がありません」


 丁寧に挨拶すると、ちゃんと挨拶を返してくれた。


「クレマン・ダルセです。よろしくお願いします、フィルーゼ」


 嬉しくなってほほ笑むと、クレマンと名乗った男性もやっと笑顔を返してくれた。


(よし、申し出てみよう)


 私は緊張でごくりと喉を鳴らした。


「あの! 友達になってくれますか?」

「え!」


 クレマンは少し困ったような顔をして私から目を逸らした。


「学校で一緒に学ぶ仲間は友達だと聞きました。私とあなたは友達になれませんか?」


 一歩近づくと、クレマンは一歩下がろうとして木に背中をぶつけた。少し考えるようなそぶりを見せた後、今まで見た中で一番困った顔をした。


「確かに、同じ教室で学ぶ仲間ですね。⋯⋯それは、友達ですね」

「友達!」


 私は嬉しくなって、クレマンに駆け寄ってぎゅっと抱きついた。


「うわああ!」

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