ギフテッドと探偵

冷門 風之助 

その1 探偵、天才少年(ギフテッド)より依頼を受ける事。

 事務所オフィスで俺と向かい合って座っている少年は、別にどこといって何の変哲もなく見えた。

 年齢は11歳。

 普通ならば小学校5年生。

 趣味はテレビゲーム。

 アニメか漫画に夢中で、学校での成績は中くらい。

 スポーツはサッカーが好きで、学校帰りにクラブチームで練習をしている・・・・。

 と、こんなところだろう。

 しかし、俺が推理したこれらのデータはことごとく間違っていた。


 正しかったのは年齢だけである。

 では、正しいデータといこう。

 少年の名は桂川弘かつらがわ・ひろむ

 年齢は11歳。ここまでは正しい。

 間違っていたのはここから先だ。


 少年・・・・いや、桂川弘は小学校には通っていない。

 いや、これも違う。

 通っていないのではなく、3年前、即ち8歳の時に小学校6年・・・・否、義務教育総て、即ち中学3年までの総ての課程を習得してしまっており、その後半年で高校、更には大学4年分の単位を総て修得し、現在はアメリカの某有名私立大学の大学院にある特別研究所、通称『ラボ』におり、10歳にして物理学と化学の博士号を取得したばかりだという。

 それだけじゃない。

 僅か2歳の時に当用漢字を総て記憶出来、東京大学の入試問題を解き、英語、フランス語、ドイツ語、ラテン語を自在に操ってみせた。

IQ(知能指数)は、8歳の段階で160。

 11歳の現在では200を超えているといっても差し支えないだろう。

 要するに彼は”ギフテッド”つまり天才少年という訳だ。


 しかし、冒頭でも言ったように、少年の見かけは何の変哲もない。

 真ん中できちんと分けた栗色がかった頭髪。

 丸顔に黒縁の眼鏡。

 身長は凡そ156センチ。

 額の右側に黒子。

 半ズボンに蝶ネクタイ。

 紺のブレザーに白のカッターシャツ。

 中流家庭に生まれた素直で育ちのいい少年・・・・正にその通りだった。


”何が飲みたい?”

 俺が訊ねると、最初彼は”コーラを”と言いかけて、

”ああ、未成年にはカフェイン飲料は出さないんでしたね”と、小さく笑ってから”すみません”と付け加え、

”じゃあ、炭酸水はありますか?”と返した。

 

 俺は肩をすくめながらキッチンに行くと、ウィルキンソンのボトルとコップを二つ持ってきて、向かい合って座っている彼と、俺の前の卓子テーブルに置き、中身を注いだ。

『有難うございます』

 桂川君はそう言って馬鹿丁寧に頭を下げると、コップを両手で抱えるようにして炭酸水を飲んだ。


『で、依頼の趣はなんだね?いきなり電話を貰って事務所に押しかけてこられたんだ。まずそこから話してくれないとね。』


 10月になったばかりの日曜の午後、俺こと私立探偵の乾宗十郎いぬいそうじゅうろうは、新宿四丁目の通称”三角ビル”の五階にある我が事務所オフィスで少年と向かい合って座っていた。

 少年はもう一度、炭酸水に口を付け、それから傍らに置いてあるナップザックを取り、更にその中の財布から、写真を一枚取り出して俺の前に置いた。

 三人の人物が写っている。

 二人は大人、

 一人はまだ子供。それも凡そ4歳になったかならぬかという年齢に見える。


 親子と観て間違いはなかろう。

 母親らしき女性はクリーム色のスーツに、栗色の髪。どうやらハーフ。

 父親は縁なしの眼鏡に、額の右側のすぐ下に黒子がある。

 背が高く、真面目そうな顔をした男。

『両親と・・・・僕です』

 彼はコップを空にすると、二杯目を俺に要求し、遠慮がちな口調で続けた。

『母はもういません。僕が4歳の時に離婚したそうです』

『”そうです”とは?随分曖昧な表現だね?』

『知らないんです。離婚したのか、死んだのか。父は何も教えてくれませんでした。でも僕は父だけがいてくれればいいんです。その父が・・・・』

 と、そこで言葉を一端切り、

『行方不明になってしまったんです。依頼内容は・・・・お判りでしょう?』

『行方不明になった父上を探して欲しい。そう言う事だね』

 弘君は二杯目に口をつけ、頷いた。


『まずこれだけは話しておこう。俺は・・・・』

『犯罪や反社会勢力と関わりがなく、更に離婚や結婚と無関係ならば、大抵の依頼は引き受ける・・・・』

 彼は難しい方程式でもそらんじるようにそう言ってから、

『すみません』と付け加えた。

『いや、別に謝ることはない。その通りだよ。後は詳しい事情を聴かせてくれればいいんだ。』

『それが、僕にも分からないんです』

 つい1か月前のことだ。

 彼はアメリカの原子物理学会で講演をし、その後で休暇を貰ったので、久しぶりに父に逢おうと帰国したのだが、自宅に戻ってくるとそこはもぬけの殻で、父の姿は何処にもなかった。

 ただ、書斎の引出しの中から弘少年名義の預金通帳とキャッシュカード、それから俺の名前と事務所の電話番号を記したメモがあり、”何かあったらこの人に相談するように”と、それだけが書いてあった。

 俺は足を組み、しばらく考えた。

 ふりをしたわけじゃない。本当に考えたんだ。

『失礼だが、父上の名前は?』

『桂川、桂川俊介かつらがわ・しゅんすけといいます。東南大学の理学部で教授をしていました』

『していました。ということは?』

 大学にも連絡をしてみたが、3か月前に休職届を大学に提出して以来、一度も大学へは顔を見せていないという。

 それでもまだ分らない。

 俺は弘君ほどの天才じゃないが、記憶力はいい方だ。

 依頼人の名前は大抵は記憶している。

 しかしどう考えても名前が出てこない。

『お願いします。乾さん。引き受けて貰えませんか。父が貴方に頼れとメモを残したのは、きっと何か訳があると思うんです』

『いいだろう。』

 彼はきょとんとしたような顔で俺を見た。

『引き受けようじゃないか。但し君が未成年だからって割引はしない。探偵料は・・・・』

『一日六万円と必要経費。拳銃がいる事態が発生したら、危険手当として四万円の割増を付ける。でしょ?』

 そう言ってからまた『すみません』と、頭を下げた。

『いいさ』俺はそう言って契約書を渡す。

『よく読んで納得出来たらサインをくれ。他に聞いておくことは?』

『ありません』

 彼は俺から書類を受取り、手早く確認をすると、ボールペンを取り出し、手早く末尾にサインをして寄越した。

 

 

 

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る