ブルースター

丸家れい

第1話 ロック画面

 いつの間にか、日が暮れていた。


 分厚い雲が覆っていた灰色の世界から深い紺色の世界へ移ろい終えた空間に、色とりどりの光が点灯している。

 冬木に巻き付いている電灯が、淡い暖色の光を放って点滅するさまを、とおるはベンチに座ってぼんやりと眺めていた。


 駅前の広場には、サンタやトナカイがデザインされたイルミネーションが飾られ、仲睦まじいカップルや子供連れの家族が行き交っている。


 ふと、透が眺めていた冬木の下で、足を止めたカップルと思しき男女が、イルミネーションを見上げて幸せそうに寄り添って笑っていた。

 カップルが醸し出す甘ったるい雰囲気に透は顔を歪める。


「……胸やけしそう」


 と大げさに溜息をつき、イルミネーションを背景に自撮りを始めたカップルの姿を白い息で消してやった。


 ベンチに座ってかれこれ数時間が経つ。透はダウンジャケットのポケットの中で、ずっと彼のスマホを握り締めていた。


 自分がいつまでも持っているわけにはいかないことくらいわかっている。手放さなければならない瞬間ときが迫っている。

 透は覚悟を決めたようにひとつ息を吐いて、握り締めていた彼のスマホをポケットから抜き出し、画面に明かりを灯した。


 透は軽く目を見開く。

 見慣れないロック画面だった。

 確か以前まで、釣り好きの彼が海で釣り上げたのだと、自慢げに見せてくれた鯛の写真をロック画面にしていたはずだ。だが、今は星の形をした小さな青い花・ブルースターの写真が設定されていた。


 このブルースターは、彼が入院して間もない頃、フラワーアレンジメントを贈るために、透が花屋で見繕った脇役の花である。


 彼を茶化してやろうと可愛らしいピンクや黄色の花を選び、隙間を埋めるためにブルースターを添えてもらった。可愛らしくなりすぎて、自分が持っているのが恥ずかしくなってしまったことを透は覚えている。


 彼はそのときの花々を写真に収めていたようだ。

 それにしてもメインの花であるガーベラを差し置いて、どうしてブルースターなんだ。

 透は小首を傾げながらロック画面をスワイプし、noteのアプリを開いた。

 

 公開している記事ではなく、下書きにしている記事を見てくれとの伝言だ。


 下書きにされている記事のタイトルは、すべて日付になっている。

 まるでカウントダウンかのようだと、透は奥歯を噛み締めて目を伏せた。

 太陽の日差しに焼けた彼の小麦色の肌が、次第に青白くなっていく姿がゆっくりと脳裏を巡っていく。


 突如、広場を吹き抜ける冷たい風に煽られて、透はハッとする。過去の記憶と現実の狭間で混乱した心臓が早鐘を打つ。鼓動を落ち着かせるように深呼吸をして、透は彼が書いた記事に目を通した。


***


12月10日

入院して1年が経ってしまった。経過はよろしくない。

本当なら今頃、就職先が決まって悠々自適に過ごしていたはずなのになぁ。

羨ましすぎて友人らの楽しそうなSNSが見られない。

友人が羨ましくて妬むことしかできない、病気になってしまった自分の体を呪うことしかできない俺の人生。

気分が駄々下がりの最悪なときに透が俺の大好物であるモンブランを持ってきやがった。

空気読めよ!!!

もうケーキなんか食べられる体じゃねぇってーの。俺の目の前で堂々と、しかも美味しそうに、大きな栗が乗っかったモンブランを二人分平らげてしまうこいつは非常識極まりない。

まじで腹立つわー。


***


 透は、片方の口の端を歪めて苦笑する。

「非常識で悪かったな」

 どうやら彼はnoteに日記をしたためていたようだった。

 先月に投稿されている記事を適当に開くと、病院で検査があったことや、辛いけど頑張っていこう、などの自分を鼓舞するような闘病日誌が綴られていた。だが何故か、ここ数日の記事を下書きにしている。理由はわからないが、透は読み進めることにした。


***


12月15日

ここ最近、起き上がれないほど体が重かった。

けど、今日は気分がいい。

体調がよくなった、と透に連絡しても既読無視しやがる。

なんて奴だ。

今頃、誰と一緒に過ごしてるんだか。

あーあ。

……透に聞くんじゃなかったな。

この間、あいつに好きな奴いるのかって聞いたら、いるって答えられた。

あの気分屋も恋なんかするんだな。

羨ましい奴。胸がもやもやする。

また体調が悪くなりそうだ。体調が悪化したら透のせいだな。


追記

透は、本当に非常識だ!!!

夕方に、見舞いに来たと思ったら魚を持ってきやがった。

ビニール袋に入れた、ちっさいハゼを自慢げに見せつけてくる。

かなり、ウザい……(笑)

どうやら、透は朝から海釣りに行ってたらしい。

バカだ。

冬だぞ。

簡単に釣れるわけねぇじゃん。

そもそも、お前、釣り嫌いだろ。

俺と釣りに行っても、生臭いやら、おもしろくないやら文句ばっか言ってたくせに。

けど、透に染み付いた海の香りが懐かしかったな。



12月17日

あー、しんど。

まじでむかつく。


***


「17日……?」

 眉を顰めた透が、一週間前の記憶を探る。

 記憶の糸に触れたある出来事に「あぁ……」と嘆息をついた。


 その日は、彼と喧嘩をしたのだ。見舞いに行くとすでに不機嫌だった彼は透が何を言っても突っかかってくる。

 腹が立った透は『八つ当たりすんな。辛いのはお前だけだと思うなよ』と思わず言ってしまった。言い過ぎたと思ったが、謝れなかった。謝ったら嘘になる。


 しかし、自分もただの八つ当たりだったことに気づいた透は翌日に、モンブランを片手に見舞いに行った。

 もちろんモンブランは自分ひとりで食べてやった。


『お前、バカなんじゃねぇの?』


 そう苦笑交じりに言う彼の泣きそうな顔が忘れられない。



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