中扉

昼間は軋まないのに夜になったら軋む。まるで数が増える階段のように。洋風さも感じた日本家屋が意図的に作られたお化け屋敷のような禍々しさのある古いだけの屋敷に変わってしまったような気がした。

響くのは二人のゆっくりな足音と、荒い呼吸の音だけ。光が映し出すのは足元の一メートル先のことだけ。それより先を照らせないのは先の長さに気づくのが怖いだけ。

「ユウキくん、いやあ……まさかこんなことになるなんてね」

「本当に、そうだな。まさか、すぎるな」

「俺お化けとか信じて生きてこなかったけど信じて生きるわ」

「俺もだよ。触れない、とかマジなのかな」

「やめようやめよう。触る?とか言ってお化けが来たらシャレにならない!」


キイ


響く、と表現するには十分が音が響いた。

いる。確実に目の前に。いる。

ライトを持つ手が激しく震えだし、もう片方の腕で腕を抑えても震えが収まることを知らない。冷房が効いていない真夏の部屋とは思えない気温の急降下につま先までが一気に凍り付く。足元から芽生えた氷とくっついてしまったみたいに足が前にも後ろにも出せなくなる。

呼吸のスパンは短くなり、体の重心だけが後ろに下がっていく。動きたい心と体とは裏腹に見えない何かが足を引っ張っている。足元を照らせないのは知ることが怖いだけ。

引きすぎた腰が限界を迎えしりもちをつく。前しか見ていなかったユウキもフウも二人の視線が同じ高さであることに顔を見合わせて気づく。そのままギギギと顔を前に向けた。転んだ拍子に口が上がってしまったライトが照らしている先には何もなかった。

しかし直接は照らしていない。光の力が弱まった輪の端に見えたのは、人の足だった。人間か疑わしいまでの白さ。肌色の要素は一切なく、ただ細く。ただ白い。

「うわあああ!」

「逃げるぞ!」

すぐ近くにあった部屋のドアノブに手をかける。廊下のどのあたりまで進んできていたかも分からず、逃げるために身を翻したのか、それとも脇をすり抜けたのかも何も分からないまま進んだからその部屋がどこの部屋かが分からなかった。

入った部屋が脱衣所だと気づくのに時間はかからなかった。すりガラスの扉を横にスライドすると室内浴場。さらにその奥には露天風呂。肝試しの終わりにみんなで入ったけれどそれでも余裕があるくらいの広さだった。

「露天風呂から母屋の方ってどうにかすれば行けるよね?」

「確か行けるんじゃなかったか?」

「じゃあそっち行こう!」

先に走り出したユウキの服をフウは掴んだ。

「どうした?」

「進めない……」

顔から血の気が引いたフウは自分の動けない原因の足元を確認する。自分の足を掴む白い手にフウは絶叫する。涙を流して離せ、と言うが無機質が故の強さはフウの足を離してはくれない。脱衣所の扉は十センチ程度開いている隙間から伸びる手はどんどんフウを引っ張っていく。

もう片方の足で白い手を蹴るが人間の足はすり抜けてしまった。白い不公平にライトを向けた。手は消えてフウの足は自由になった。ユウキが引っ張って立ち上がらせる。腰が抜けたフウは走れずその場に尻を突いたまま。ユウキに支えられて走っていこうにも恐怖のあまり体の使い方を忘れた二人では逃げるだけ体力の消費になった。

動くのではなく体力の回復や、母屋への生き方の最終確認のために脱衣所に留まることにした。ライトを隙間に向けながら積み上げられているタオルを綺麗に折って差し込んだ。その作業が終わりフウの腰が回復してきたところで風船がしぼむ感じでライトが消えた。何度か点滅した後に命尽きるように完全に消えた。

「消えるな!消えるな!消えるなって!」

何度か叩いてみるが非常用の電灯で何も起こっていない時に母屋や、他の部屋に移動できるだけのバッテリーしかないのは当たり前だった。ダメもとで押した電気は点かなくて、何故か点いている鏡の下の間接照明は怯えた二人の表情をよく浮き上がらせた。

「仕方ないよ」

「そうだな。もう、動けるか?」

「うん、だいぶ」

「じゃあ行くか」

立ち上がりすりガラスのドアに手をかけた。人の影が奥で動く。化け物が変形して人型に収められるまでのモーションを見て声を揃えて叫びそうになる。咄嗟にフウがユウキの口を押えた。

「気づかれたら、やばい、かもしれない」

小声で囁いた。ユウキは頷いて口を自分の手で押さえた。何が起きても叫ばないように。

鍵を閉めて、虫一匹も通さないように隙間を塞いだドアを簡単に開けることは出来ない。消えるのを待つしかない。間接照明の仄暗いオレンジ色の光に照らされたすりガラスのドアの取っ手の真下に鍵が見えた。ユウキが指を指すとフウは閉めていいんじゃないか、という意味で首を縦に振った。室内浴場への扉についている鍵をユウキは体をしならせて閉めた。

盛大な音が鳴った。

影でも分かる視線の向いている方向。人間側から触れることが出来ないチート能力が隔てているものにまで適用されたら人間に勝ち目がない。音を立てないように後ろに下がっている時に尻をついているユウキの手に何かが当たった。ついさっきまで持っていた非常用電灯と同じ形。壁側にくっついていたから充電は十分だと引き抜き、ドアに向けた。

「ユ、ユウキくん……ありがと……」

「い、いや……こちらこそ?」

走ったわけじゃないのに息が切れている。その息切れを落ち着かせて立ち上がってドアを開いた。

「早く露天風呂の方に行こう」

新しい電気を装備して向かうは露天風呂の外。目隠しの柵があっただけという記憶を信じて走り出した。

室内浴場は雨が降った後みたく濡れていた。温泉は抜けていないのに湯気のむわっとした感じに襲われなかった。それに違和感を覚えても、指摘し合うことをしている暇はないと走り抜けた。露天風呂スペースに出て母屋の方角に走る。

「これ、柵か!」

「ユウキくん、先昇って!」

「分かった」

身長よりも高い柵に先に昇っているユウキを待っていたフウが闇の中に消えた。

「うわああああ!」

「フウ!」

悲鳴が聞こえて振り返った時にフウは既に黒く暗い闇の中だった。転がっているライトは自分の方を照らしていて、背後に出来た自分の影は逃亡者を見つけるためのそれに似ていた。

「フ、フウ……?」

何かを砕く音に似た音が耳の奥をぶん殴った。耳を強く塞いで、目をきつく瞑る。それでも聞こえてくる音が何を砕いているのかは想像しなかった。逃げるべきか、それともフウがいるかもしれない暗闇の中に突進していくか。一つに絞れるほど脳の中が冷静にはいられなかった。

震えが再び戻ってきた手でライトを掴む。一気に暗闇に向けた。


がさがさ


「フウ!?」

音がした方にライトを向けたけど激しく動き回っているように聞こえるだけのいないかもしれないものに振り回されている気がして一方向だけに目を向けた。

血の匂いに顔をしかめる。嗅いだことのない類の匂い。恐らく精肉店のような。売るために肉を加工する時に放出される匂い。意識的に口で呼吸をしながら歩いて行く。

石畳に液体が垂れる気配がする。

「フウ……?」

大きく開いた口、すぼまった先端。口の中を覗くと赤色の液体が飛散して、ところどころに肉片が挟まっている。その気持ち悪さに感情も、体も動きが停止する。フウの成れの果てと読み取るには容易かった。まさか友達がこんなことになるとは想像もしていなかった。

恐怖や、哀しみより衝撃が簡単に勝った。予想を裏切る物語の結末にユウキは動けず立ち尽くすだけだった。

急に叫べなくなって横に引き倒された。その瞬間意識は途絶え、ユウキの物語もとりあえずの幕が下ろされた。


【続く】

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