第20話:まぎれもなく、この金色の犬は
「……こんなことをしていても時間の無駄だ、続けるぞ」
「時間の無駄ってひどい! ……でも、そうやって照れ隠しするアインも好き」
また訳の分からないことを言うエルマード。
もういい、勝手に言わせておくことにする。
彼女を抱きしめていた腕をほどくと、彼女が胸に、結構な量を抱えているのに気づいた。
「エル、なんだそれは」
「よくわかんないけど、見て気になったやつ」
「気になった?」
エルマードから、その書類の束を受け取る。
『新型の起動増幅装置の運用について』
「王国の連中め、また新兵器でも開発したのか」
うんざりしながら、斜め読みをしていく。どうも、
「ねえ、アイン」
俺の腕にぶら下がるようにして一緒に資料を読んでいたエルマードが、指を差しながら聞いてくる。
「この『上記「
「この装置の構成のことだな。『甲素体 G』を『G金物』という箱に入れて完成させたものを、ここでは仮に『甲標的』と呼ぶことにするってことだ」
「それはボクだって分かるよ」
エルマードが口を尖らせる。
「この『甲標的』って、なんだか
確かに、「甲標的」という名称は、一見、射撃用の目標物か何かのようだ。だが、エルマードは違和感を覚えたらしい。俺も同じ違和感を覚えていた。
「……どうしてそう思う?」
「だって、的にするなら板きれでいいじゃない。この『甲素体G』とか『G金物』とかって、なに?」
「目の付け所が鋭いな。同じことを考えていた」
うなずく俺の腕に、エルマードが嬉しそうに頬をこすりつけてくる。
「えへへ、ボクだってちゃんと考えてるんだよ?」
エルマードの言う通りだ。この仮称「甲標的」は、法術の起動・増幅を行うための装置などと
にもかかわらず、「甲標的」などと妙な名前をつけて、新型の法術起動・増幅装置として開発したということは、相当に画期的な
問題は、
「つまり『甲標的』とは、
「それだけ、隠しておきたいものだってこと?」
「ああ。その通りだ」
そして何より、文章中ところどころみられる、「甲素体G」「G金物」などと呼ばれている、ナニか。
「それだけ、敵に知られちゃいけない大事なものなんだね?」
「それだけじゃない。これが
──ああ、
見つけたぞ、「ゲベアー計画」の資料を。
「エル、他にも『甲標的』とか、『甲素体G』とかに関する資料がないか、探してくれ。もちろん、それ以外にも気になるものがあったら教えてくれ」
「うん、まかせて。ボク、がんばるから」
それから、有力と思われる資料がいくつも見つかった。甲標的──それがかつてヒトの女性であったことなど微塵も感じさせない、なるべく長く生かしつつ効率よく使い潰すための、無慈悲な運用方法。
研究を進めた輩どもの、吐き気を催すほどの邪悪な好奇心に満ちた実験報告など、読んでいて不快になるばかりだった。
一人の女性だった存在を、まるで
「そんな……ひどい……」
エルマードには見せたくなかったが、その資料を見つけたのがエルマードなのだから仕方がない。下手をすれば自身がその実験体にされていたのだ。
彼女自身、女性たちが箱詰めにされる非人道的な研究内容自体は理解していても、興味本位の実験によってたくさんの女たちが「殺されていた」こと、その実験結果を「面白い」などと評価されていたとあっては、彼女が絶句するのも当然だ。
その「面白い」とは殺人を楽しんでいたものではなく、あくまでも研究者にとって「興味深い実験データが得られた」程度の意味なのだろうが、それにしたって言葉選びが無慈悲に過ぎる。
さらには、過負荷のあまり生命反応が失われた実験体──つまりは死体に
「ね、ねえ、アイン……これって……」
「ああ。要は『生きる死体』を人工的に作り出して、そいつに
人間のあまりに強い情念は、時としてその土地にたゆたう
それは生き物だけに限らず、最悪の場合、
これが
その場にとどまって通りかかる者を襲う個体を「生きる死体」と呼び、
どちらもすでに死んでいるため、殺すことができない。徹底的に関節を破壊して動けなくなるようにするか、法術で芯から焼き尽くすしかないのだ。
この最悪の現象を人工的に発生させ、死体の子宮から
「え? でも、『生きる死体』も『さまよう死体』も、法術を使うなんて聞いたこと無いよ?」
「見ろ。だから失敗したんだろう」
記録を見る限り、人工的に
それでも、「可能性を信じて」片っ端から試したというからあきれ果てる。
「未来ある女たちの命をもてあそぶだけに飽き足らず、死んでからも鞭打つような真似をしやがって。許せん」
「それって、婚約者さんがそうされたから?」
「当然だが、それだけじゃない」
エルマードの問いに即答する。
「こんなに沢山の女が犠牲になっているんだぞ? 許せるはずがないだろう」
「じゃあ……。あのね、変なこと、聞くね?」
エルマードは、やや上目遣いでためらいがちに口を開く。
「……もし、もしだよ? ボクがこの中のひとりだったら……そんなにも、怒ってくれた?」
「無いな」
やはり即答した俺に、エルマードは目を丸くした。
しばらく固まっていた彼女は、ややあってからひきつった笑みを浮かべた。
「あ、あはは……。や、やっぱりそうだよね。アインにとって、ボクなんて……」
「無駄な仮定だ。お前がもしさっきの中のひとりだったら、お前と出会うこともなかったし、当然、俺にとっては数ある犠牲者のひとりという、数字でしかなかったはずだ」
きょとんとする彼女を、改めて腕の中に収める。
「ふあっ⁉︎」
「もし、今、お前が行方不明になって、このリストの中に入るような目に遭いそうになったなら、俺はお前を死に物狂いで探すだろうな」
「……え?」
「今の俺は、お前を知っている。共に死線を潜り抜け、俺に現実を叩き込んで目を覚まさせてくれた大切なお前を、今さら見捨てるはずがないだろう」
「え? ……ええ? あ、アイン、ボクのこと……大切って……え?」
「当然だ」
「と、当然って……ボク、ボク……!」
腕の中で、ひどく困惑したように目をしばたたかせ、頬を染めるエルマードに苦笑しながら、彼女を抱きしめる腕に力を込めた。
ああ、当然だ。
この部屋に辿り着いたのも彼女が警備の兵から情報を手に入れたおかげだ。今だって、彼女が見つけた資料を手掛かりに、さらに多くの資料を発見することができたのだから。
「今のお前は、優秀で大切な相棒だ」
「……あ、相棒……? はうっ……」
なぜかみるみるうちにしおれていくエルマード。おい、さっきまでのキラキラした目はどこへ行った。
エルマードが、ドアノブをいじりながらため息をついた。
「……どうするの?」
「どうすればいいかな」
例の「鍵が壊れかけているドア」は、外側からなら開けられたようだが、中からは開けられないようだ、と気づいたのが、つい先ほどのこと。外側に鍵穴はあっても、内側に鍵穴がなかったのだ。
「外から開けないと出られない部屋か……」
ため息をついて壁を見上げる。すでに夜が明けて光が差し込んでくる明かり取り用の窓は、位置が高いうえにとても小さい。あそこから出るのは無理だろう。
「……ねえ、ほんとにいいの?」
「だから気にするな。これでも一応、騎士として鍛錬してきたんだ。多少のことは平気だ」
エルマードがさっきからためらっているのは、水分補給だ。すでに彼女の水筒は空になっているため、俺の水筒を渡したのだ。偵察に近いことだからと、色々と最小限にしてきたことが今、仇になっている。彼女は俺と違って鍛錬を積んでいないのだから仕方がないとはいえ、うかつだった。
「……すまないな。俺のわがままにつき合わせた結果、お前を巻き込んでしまうなんてな」
「どうしてそんなことを言うの?」
エルマードが、不思議そうに首をかしげる。
「ボク、アインのおそばにいられて、とっても幸せだよ?」
「……エル、お前は本当に可愛い奴だな」
「そ、そんなことないよ……」
エルマードはしどろもどろになると、両手で水筒を持ち、俺と水筒とを何度も見比べた。渡してからずっと、それを繰り返しているのだ。
「アイン……。ホントに飲んでいいの?」
「だから飲めと言っているだろう。大丈夫だ。これでも騎士として鍛錬を積んできたんだからな」
「……でも」
「俺も多少は飲んでいる。大丈夫だ。お前が体調を崩した場合、それを抱えて走らなきゃならなくなるのは誰だと思う? 俺に迷惑をかけないためにも、飲め」
そう言って携帯食料の干し肉をかじってから、半分になったそれを投げる。慌てて手を伸ばしたエルマードは、受け取った干し肉と水筒と俺とを見比べて、ますます困惑したようだった。
「え? ……え?」
「腹の足しにしろ。水だけじゃだめだ、塩も必要だしな。いいから食え」
「ほ、ホントにいいんだね? ねえアイン、ボク、信じちゃうよ……?」
「なんだ、今まで信用されていなかったのか。それはなんとも悲しいね」
大袈裟に嘆いてみせると、エルマードはやたら背筋を伸ばした。
「た、食べる! 食べるよ! ボク、アインのためにがんばるから! アインが信じてくれるなら、ボク、なんだってするから!」
そう言って、ぎゅっと目を閉じたエルマードは、俺がかじった方から干し肉をかじると、「む~っ……!」と必死に引きちぎった。そして一瞬だけためらったあと、悲壮感すら感じられるほどぎゅっと目を閉じて、水筒に口をつけた。
……俺が口をつけた水筒が、よほど気に入らなかったようだ。まあ、そんなものなのかもしれない。
「焦らなくていい。機会はあるはずだ。ゆっくり噛んで飲み込め」
なにやら必死に肉を噛み続けるエルマードが、やっぱり子犬か何かの小動物のようで妙に微笑ましく思えて、そっと手を伸ばす。彼女は特に抵抗することもなく、ふわりと腕の中に収まった。
小さな窓を見上げながら、どうすれば脱出できるか、頭を巡らせる。
分厚い壁を素手で破壊するのは不可能だ。
よって、あの小さな明かり取りの窓を広げることもできない。
ドアの鍵を破壊して出られたらいいのだが、それも望み薄だ。ついさっき、発見されることを覚悟で、
「……参ったな」
「……どうすればいい?」
なりふり構わず破壊工作をして出るというだけなら、出られるかもしれない。
しかしそれでは、敵を呼び寄せることになる。この手に入れた貴重な資料を持ち帰ることが難しくなるだろう。
──だが、もう、そうも言っていられないかもしれない。閉じ込められてから、ずいぶん時間が経過した。ロストリンクスたちは、もうディップを発見して脱出しているだろう。
「内側から鍵が開かず、今は朝。強引に脱出しようにも、明るいうちは動かない方がいい。……行動は夜になってからだ、今は寝ろ」
「で、でも……」
「いい。俺が起きていてやる。お前は寝てろ」
部屋の隅で壁にもたれて座ったまま、不安がるエルマードを抱き寄せる。
「……ぼ、ボク、ほんとに、いいの?」
「いいと言っているだろう。今は寝て、体力を温存しておけ」
自分も起きている、と言っていたエルマードだが、しばらくしたら俺の懐の中で、可愛らしい寝息を立て始めた。やはり疲れていたのだろう。
彼女の水筒が空になっただけでなく、俺たちの活動限界が近づいてきているのは明白だった。
しばし続いた水音が途切れ、ほどなくして衣擦れの音が背後から聞こえてくる。
「……アイン、これってやっぱり、ボクのせい、だよね……?」
部屋の隅からそっと隣に戻ってきたエルマードは、うつむき加減に、かすれた声でそう言った。真っ赤に染まった頬は、明かり取りの窓から差し込んでくる夕日のせいだけではあるまい。その頭を、ぽんぽんとなでる。
「そんなわけがないだろう。エルのおかげでここにたどり着いたんだぞ? 言葉は正確に使え」
「うう……でも……」
じわりと涙を浮かべるエルマード。
彼女の頭を掴むと、俺はぐしゃぐしゃとなでまわした。
「やぁんっ……!」
「くだらないことを考える時間を惜しめ」
ひとつ考えていたのは、
貴重な攻撃手段が無くなるうえに敵を呼び寄せてしまうが、仕方がない。俺たちは単独で潜入したのではない、ディップ捜索隊もいるのだ。同じく潜入しているロストリンクスたちが騒ぎを聞きつければ、何らかの手立てでサポートしてくれることも期待できる。
「でも……でも、そんなことしたら、せっかくの……」
「ここで無意味に死ぬよりはマシだろう。爆音で警備兵が押し寄せてくるだろうが、もし囲まれたら、お前は自分が逃げることに全力を尽くせ」
「そ、そんなのいやだよ! ボクはアインと……!」
「お前、強いんだろう? 俺がどうしようもなくなったら、そのときに助けに来ればいい」
「だめ、だよ……!」
エルマードが、しがみついてきた。意外な力に驚く。
「エル、聞き分けてくれ」
「いや……! ボク、アインのこと、本気で好きになったんだもん!
「エル、何を言って──」
「アイン! ボク、アインのことが好き。ずっと、ずっとずっと、アインと一緒にいたい。……だから、だから──」
そう言って、ふっと、しがみついていた腕を緩めたエルマードは、そっと俺から離れてみせた。
「──だから、ボクをみて、嫌いにならないで……?」
そう言って服を脱ぎ始める。
「……何をしている。お前の貧相な裸なんか見たって、俺はな……」
思わず目を閉じたが、エルマードが「見て」と言って、俺の手を取った。
差し込む夕日に照らされて、彼女のしなやかな肢体が輝くように浮かび上がる。
淡い金色の、ふわふわの髪。
神秘的な、透明感ある青紫の瞳。
しみひとつない、滑らかな白い肌。
女性的な魅力というには控えめな胸。
だが腰回りは女性らしい柔らかな曲線を描く。
一糸まとわぬ彼女が、そこにいた。
「ボクね? ……ボク、アインのためなら、なんだってするから」
「こんなところで何をするっていうんだ、エル」
「ボクを知ってほしいの……。アインに……あなただけに」
そう言って、今にも泣き出しそうな微笑みを浮かべると、彼女は床に両手両膝をつき、そして──
「……うそ、だろう……?」
彼女の体が、ざわざわと変化してゆく。
全身を、髪と同じ色の毛が覆い始める。
全身の筋肉が盛り上がり始め、しなやかでありながら力強い体型に変わってゆく。
耳は頭の側面から上に伸び始め、顔は鼻のあたりが盛り上がり、さながら犬のようになっていく。
尻の上部からはしっぽが長く伸び、ふわふわの毛でおおわれてゆく。
わずかな時のあと、そこには、直立する犬のような獣人が、そこにいた。
夕日の中で輝く淡い金色の、長く伸びた髪。同じような質の毛で、全身がおおわれている。顎の下から喉、胸、腹、内もも側の毛と手足の毛、そして耳の中を埋め尽くす綿のような毛は、雪のように白い。
長い尻尾は、立ってなお、地面に届きそうで、そしてふっくらとしている。
いかにも「女性」を主張するかのように、つんとやや上向き加減の、豊かになった胸だけは、わずかな産毛程度しかない。そこだけは、エルマードの白い肌の名残を思わせる。だが、それ以外は全身が毛皮で包まれているそいつは、どう見てもエルマードと同一人物とは思えない。
それでも、その透明感ある青紫の美しい瞳は、たしかにエルマードだった。長いまつ毛にふわふわの長い髪も、そのままだ。
「……アイン。これが、ボク……。ボクの、本当の姿なの」
俺はその一部始終を、確かに見届けた。
まぎれもなく、この金色の犬は、直立二足歩行の獣人は、誰がなんと言おうとも、エルマードだった。
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