第1話:赤く染まった手袋の先を、俺は

「伏せろっ!」


 俺の叫びに、部下たちが地面に這いつくばる。

 その瞬間だった。山なりに飛んできた法弾・・が目の前の家を吹き飛ばし、凄まじい衝撃を撒き散らす!


「……くそったれめ! 奴ら、どこから弾をかき集めてるんだっ!」


 口に入った砂を吐き出しているのだろう、ロストリンクス十騎長が唾を吐きながら毒づいた。それは俺だって言いたいところだ。もはや、祖国ネーベルラントの劣勢は明らかだった。


「アインさま! やはりアルヴォイン王国の背後にはヴェスプッチ合衆国がいて、協定違反の武具供与をしているという噂は……!」

「本当だったのかもしれない。だが、ミルティ。今さら、それを言ったところで始まらないさ。俺たちは生きる。生きて、君は俺と結婚するんだ」


 副官たるミルティ──ミルティアーネ・プルナ・デリエールの、肉感的な体を抱きしめる。彼女の栗色の長い髪には、姫椿カメリエの花を模した髪飾りが輝いている。


 戦場で髪飾り、というのも危機感のない話だが、これは俺が贈ったものだ。彼女が好きな花だから。ずいぶんと土埃にまみれているが、それでも戦場において、この愛しい人の存在を、より実感させてくれる。


 そしてかすかに香油──彼女が好む、姫椿カメリエの香りが鼻をくすぐる。水を浴びることすらろくにできないこの戦場で、彼女はそれでも、香油をつけているのだ。

 なんのために? ──決まっている、俺のためだ。


 家名を上げる働きをせよ──この戦争に志願したとき、領内の豪農であるデリエール家の四女を、俺の身の回りの世話をする副官として紹介した、上機嫌な父の姿を思い出す。ドレス姿で頬を染めるミルティは、美しく、そして誰よりも魅力的だった。


 ちっぽけな領主貴族の五男坊という、使いどころのない息子に、領内の、嫁ぎ先に迷っている娘を当てがう。そして、戦争を利用して宮廷騎士に取り立ててもらって、王都とのコネに使おう──父は、そんな腹づもりだったのだろう。

 ……だが、現実は甘くなかった。それだけだ。


「ミルティ! 地下室にまだ弾薬と……応急処置具一式がいくつかあったよな?」

「は、はい……! ただ、弾薬はもう、歩槍ゲヴェアのものが、ほんの少し残っているだけのはずで……」

「いい。ありったけ持ってきてくれ」

「……はい!」


 ミルティが、素早く階段に飛び込む。

 直後に至近弾! 立てこもっている家はとっくに屋根が落ちているが、頼りにしていたレンガの壁も、今度こそ半分以上が崩れてしまった。

 散らばったガラスの破片に映る顔は煤け、髭面となった頬はすっかりこけている。ひそかな自慢だった銀髪は、埃と煤にまみれて銀髪というより暗灰色だ。こんなありさまとなった俺を、故郷の者たちは、どう見るだろう。


「へっ、可能な限り遅滞防御に努め、後退の合図をもって撤退せよ──こっちはとうの昔に迫撃戦槌ヴェルファーの法弾どころか、歩槍ゲヴェアの弾すら欠くってのに……! 旦那、いったいどうすれば実現できるんスかね⁉」


 斥候のディップが、手にした法術ザウバー火槍バッフェの弾倉に、残り少なくなった魔素マナ実包ボルトの五発挿弾子クリップを押し込みながら怒鳴るのに対して、怒鳴り返す。


 法術ザウバー火槍バッフェ──硬く、魔素マナを阻害しにくい樫の木に、魔素マナ実包ボルトを射出するための銀製の筒を埋め込んだ、戦闘特化の法術ザウバー長杖ストック


 これが実用化されてから、戦争は地獄そのものになった。

 神々が我々ヒトに下さった奇跡の御業──「法術」。

 その心得がない者でも簡単に鉛弾を飛ばし、法術の心得がある最強の近衛騎士──「魔装騎士」ですら、たやすく屠ることができるようになってしまったのだから。


「ディップ、上がやれというんだ、やるしかないだろう! 上手くやれば出世できるかもしれないぞ!」


 自分の法術ザウバー火槍バッフェ──Karカラビナ98クルツ歩槍ゲヴェアも弾切れだ。遊底を引き、空薬莢をはじき出すと、床に散らばる五発挿弾子クリップの一つを拾い上げ、弾倉に押し込む。


 ──と、再び法弾が至近距離で炸裂!

 しばらくの耳鳴りのあと、十騎長ロストリンクスが金切り声を上げた。


「隊長! 出世どころかネーベルラントの命運自体、もはや風前の灯じゃないですかね! 何なら戦争には負け、領地をいくばくか奪われたうえに多額の賠償金を支払わされる未来しか見えませんぜ!」

「十騎長! それだけ見えていれば十分だ!」


『さっさと怪我して紫紺戦傷勲章を貰って、あとは軍人年金でゆるゆる暮らそうか』


 戦場に出る前にミルティと交わした冗談も、もはや夢物語かもしれない。

 向こうから飛んでくる法弾が地面を揺るがすたびに、地面に這いつくばりながら悲鳴を上げる部下たちだが、彼らにだって、帰れば未来があるはずなんだ。

 もちろん、俺だってミルティとの未来を手放すつもりなんか、毛頭ないんだ!


「くそっ! 騎鳥シェーンに……軍装騎鳥クリクシェンの背中にまたがって騎兵突撃して、歩兵を蹴散らしていればよかったころから、変わりすぎだろう!」

「ここ十年足らずで魔煌レディアント銀の結晶を贅沢に使った魔素マナ実包ボルトがムリヤリ実用化されちまった……そんな時代に生まれちまったのが、騎士サマの運の尽きってヤツでさぁ!」


 この戦争が始まって以来の歴戦の勇士である、ロストリンクス十騎長。その言葉に、部下たちも笑う。笑うしかないのだろう。


「言ってくれる……俺はミルティと、絶対に生きて帰るんだよ!」

「分かりますけどね! ありゃいい女だ! なんで抱いてやらねぇんですかい!」

「十騎長、俺はそういうことはな、帰ってから家のベッドでゆっくりって決めてるんだよ!」


 また笑い声。

 ディップが、空になった歩槍ゲヴェアの弾倉に弾を込めながら冷やかしてきた。


「旦那もおかてぇ人だ。お貴族さまなら、女なんてよりどりみどりでしょうに!」

「彼女は俺の女神様なんだ! 俺はミルティひとりで十分なんだよ!」

「またまたァ! 貴族といえど、五男坊には彼女のほかに嫁の当てもなかったって、旦那、いつもぼやいているくせに!」

「分かってるなら冷やかすなって!」


 また、笑い声。炸裂する法弾の衝撃を背景に、俺も部下たちも笑い続ける。もう、俺たちはみな、どこか正気を手放してしまったかのようだった。

 だが、再び地を揺るがす至近弾には、さすがに沈黙する。


「ひゃうっ……!」


 ミルティが小さな悲鳴と共に、膨らんだリュックを担いで地下室から戻ってきた。


「あ、アイン様っ! 弾薬、応急処置具一式、全部お持ちしました!」


 全部──それはつまり、なにもかも、彼女が担げる程度しか残っていないということでもあった。


「……分かった。ありがとう」


 これ以上、ここに立てこもっていてもすりつぶされるだけだ。少しでも補給ができる場所で、立て直すべきだろう。


「もうここは持たない、後退する!」

「後退の合図が出てやしませんぜ、いいんですかい?」

「十騎長、分かってるだろう! もう俺たちだけでここの維持は無理だ。本当に動けなくなる前に、後退して立て直す!」


 下手をすれば軍法会議ものだ。

 だが、このまますりつぶされるより、一人でも多く生き延びる方が結果的にいいに決まっている。


「今から最後の弾薬を配る。まずはあの民家まで後退。さらにあの奥に、おそらくまだ味方がいるはずだ。俺が合図を出したら、全力で走れ。いいな?」

「アイン隊長は?」

「威嚇射撃で時間を稼いでから、すぐに合流する。俺だって貴族の端くれだ。高貴なる者の義務ってやつは、きっちり果たすさ」


 いざという時に民を率いて戦うのは、高貴なる者の義務。そう教え込まれてきた。

 部下たちが一瞬、互いの顔を見合わせ、そして泥だらけの顔で一斉にうなずく。

 幸い、敵方の迫撃戦槌ヴェルファー法声・・が散発的になっている。走るなら今だ!


「行け!」


 敵陣にまき散らす俺の威嚇射撃と共に、部下たちが固まることなく、個々に散りながら走り出す!

 本当はこんな標準モーゼル実包ボルトではなく法術ザウバー実包ボルトなら、もう少し戦えるのだろうが……今はそんなことを言っている場合じゃない。

 とにかく生きて帰る──ミルティと共に!


 再装填の弾も無くなって、地面に置いておいたはずの予備を探そうとしたら、「こちらです!」と、絶妙なタイミングで五発挿弾子クリップを渡される。

 ──ミルティに。


「……ってお前! あいつらと一緒に後退したんじゃないのか!」

「私は副官である以前に、あなたの婚約者ですよ! あなたを置いてなんて行けるもんですか!」


 ……ああ、こういう奴だったよ、彼女は!


 思わず彼女を抱きしめる。

 ──温かい。

 このぬくもりを、俺は、絶対に、連れて帰るのだ!


「……これを撃ち尽くしたら、あいつらのところまで後退する! 準備しておけ!」

「はい、アイン様!」


 弾を再装填した歩槍ゲヴェアを構え、再度威嚇射撃!

 五発撃ち尽くしたところで、ミルティが走り出す!

 俺も続いて走り出した、その直後だった。


 地面をえぐる法弾の衝撃──!




 気が付いたら、体の半分以上が土に埋もれていた。

 誰かがそばで叫んでいる。

 どうにも体が動かない。

 衝撃波で感覚がいかれてしまったのか。

 ああ、人間はたったそれだけで戦闘不能になるのだと実感する。ヒトはなんと脆いのか。

 せっかく土から掘り出してもらっても、起き上がることすらできない。


「起きて……ください! こんなところで死んでたまるもんですか……!」


 かけられている声は、なんとか理解できるようになってきた。だが、世界がぐらぐらする。脳震盪のうしんとうだろうか。腰が抜けたというか、体を起こすこともおぼつかない。


「まだ……あなたに……、抱いてもらってすらいないのに……! 肝心のあなたに退場されたら、こっちが大損なんです……よっ!」


 ようやく、俺を引きずり起こそうとしているのが、ミルティだと理解できるようになってきた。

 ……だめだ。

 俺に構っていたら、君まで、格好の的になってしまう……。


「ミルティ……。俺のことはほっといて、さっさと……」

「い・や・で・す! 私が決めたことですから! ほら、アイン! さっさと歩いてくださいってば! 私だけじゃ、重くて、歩けないんですよぉっ……!」


 泣き言は言っても、それでも彼女は、俺を土の中から引きずり出す。

 引きずり出した拍子に仰向けに転倒した彼女に覆いかぶさるように、俺の体も勢い余って、そのまま倒れる。

 ――彼女の、豊かな胸に。

 ……土の中で窒息しかけ、今度は婚約者の胸で窒息か。軍服が破れて肌着をさらした胸は、焦げくさく、しかし、柔らかい。


「もう! いつまでも甘えてないで起きてっ!」


 俺の下から這いずり出したミルティは、俺の腕をつかむと、肩を抱えるように強引に俺の体を抱えて歩き始める。

 ああ、ミルティ。

 ――すまない、歩きたいんだ、でも、……動かないんだ。


「……足の感覚が、もう、無いんだ。多分、どこかひどく怪我をしてる……血も流し過ぎてるんだよ……。鎮痛呪印、何枚使った?」

「一枚だけですっ! それだけ怪我をしてるなら、帰れば紫紺戦傷勲章ごほうびは確実なんですから!」


 そう言って、肩に回し、だらりとぶら下がる俺の左腕――左手をつかむと、服が破れ、下着が露になったその左胸に、押し付ける。


「ほら、あなたのものですよ! 帰ったら、今度こそ、あなたのものになるんですよ、コレが! だから歩いて! 歩いてくださいってば‼」


 命がほこりのように簡単に消し飛ぶ戦場で、その胸の柔らかさが、強烈に生への渇望を生み出す。


「……そう、だよな。おまえと……」

「そうです! 約束したでしょう? 指輪だってほら、ちゃんと着けてます! だから歩いてください! 早く帰りま――」


 その瞬間、背後ですさまじい爆音が炸裂する。


 強烈な衝撃と、浮遊感。


 土砂が体を再び覆う。




 どれくらいたったのか。

 一瞬だったのか、一刻なのか。


 多少の隙間があったのが救いだ。かろうじて息ができていたようだ。


「……ミルティ?」


 左の手に、感触がある。

 その繊細な指の感触は、俺のよく知る、彼女の細い指だ。


 ああ、ミルティ。

 君は、こんな時までも、俺の手を握っていてくれるのか。


 ずっと、君は俺を支えてくれていた。

 この戦線が片付いたら、おそらく戦傷勲章で故郷に帰らざるを得なくなるだろう。

 そう笑っていたのが、現実になりそうだ。


 ああ、ミルティ。

 君のこの指を、もうすぐ、温かい家庭で感じられるようになるのだ。

 君の作るアイントプフは、素朴だけど、美味しい。

 君とともに迎える朝を、君の作った朝食を、俺は、早く楽しみたいんだ。


 ミルティ。

 ああ、ミル――


 チュンッ

 耳元を切り裂く、火線。


 目が覚め、驚いて背後を振り返る。


 軍装騎鳥クリクシェンにまたがる一人の将校が、幾人かの部下と共に、太陽を背に、瓦礫の上に姿を現していた。

 ややずんぐりとした見慣れぬ歩槍ゲヴェアを構えたその男は、逆光で顔の様子もおぼつかない。ただ、鋭い眼光が貫くように俺を見下ろして、言い放った。


『ふん……。危うく殺してしまうところだったぞ。まったく、じっとしていればいいものを、間抜けな男だ。しかも戦場に女連れとは。本当にネーベルラントの連中の女々しさには反吐が出る』


 王国語で話す居丈高な男は、二言三言、傍の男から何かを聞くそぶりを見せた。『分かっている』と、忌々しげに吐き捨てる。


『……本国からのお達しだ。とんだ間抜け男だが、適性だけはあるらしいからな。いつも通り処置しろ。……いや、いつも以上に念入りにしろ』


 金の飾緒のついた汚れひとつない真紅の将校服を、

 特徴的な鳥の羽を模した飾りのついた指揮官帽を、

 逆光でよく見えぬ顔に光る蔑むような冷たい目を、

 ──俺は決して忘れない。


「……ミルティ、起きてるか……?」


 王国兵どもがこちらに駆けてくる。

 くそっ……体が動かない……!


 彼女は……彼女だけは、なんとか逃がしてやらないと。

 俺が死ぬのは、貴族の高貴なる義務だ。仕方がない。

 だが彼女は、ただの豪農の娘に過ぎない。

 そしてまだ、生娘おとめなのだ。

 帰れば、やり直せる。


 俺は、握りしめていたその手のほうに、目をやった。

 俺が握っていたものを、目にした。


 手首から先、赤く染まった手袋の先を、俺は握っていた。


「ミルティ……ミルティっ……」


 それに気づいたとき、俺は、声にならない叫びをあげていた。




 血染めの白い手首から先にある、




 彼女の細い腕は──




 手首の、その先は、







 ない。


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