エピローグ

とある猫はのんびり暮らしたい

 騒動から一年が過ぎた。


 領主を失った半壊した町は、皇帝陛下が直接指揮を執り、首都からの援助を受けながら今も復興作業が至る所で行われているが、事件の傷跡はまだ完全には癒えていない。


 俺も未だに飼い主は見つからず野良猫ライフを満喫しているが、あの一件以来、住民の猫に対する接し方がかなり親密になって、野良でもそこそこ良い暮らしが出来ていた。


 早朝の町の中、復興作業の準備に勤しむ人々の喧騒を聞きながら、屋根伝いにパン屋へと赴く。香ばしいパンの匂いを嗅ぐと否応に無しに腹の虫が騒ぎ始めるが、今日は少し遅くに来てしまったので野良猫たちへの”配給”時間は終わってしまっていた。


 入口にはサビ猫を始めとしたいつのも面子が満足そうな表情で毛繕いをしている。その中へ、店から大きめの蓋が付いたキャリーカートを押しながらアリィが現れた。


「じゃあ、お母さん、いってきまーす!」


 元気よく声を発するアリィをレノアが追いかけて来る。


「待って、アリィ。これを忘れてるわよ」


 そう言って手渡すのは猫の刺繡が施されたバンダナだった。


「わっ、忘れてた」


 と、バンダナを受け取ったアリィは前髪をたくし上げてハチマキのように頭へ結ぶ。


「じゃ、今度こそいってきます!」

「気を付けてね。皆さんにもよろしく伝えといて」

「うん、わかったー!」


 そうしてレノアとたむろする猫たちに手を振りながら出かけるアリィの前にトン、と着地する。


「おはよ、ヨゾラ! 今日もよろしくね」


 アリィは俺の頭を撫でながらそう言った。あれからこうして俺は出来る限りアリィに付き従うようにしていた。


 俺たちは並んで町の中を歩く。一時は閑散としていた町中も、今ではすっかり騒動以前の活気を取り戻しつつあった。住民たちと挨拶を交わしながら向かう先は騎士団の駐屯地だった。


 正門にはラムダが立哨している。


「あ、お姉さん! おはようございます!」

「おはようございます。アリィさん。今日もお仕事ですか?」

「はい! いつもの場所をお借りしてもいいですか?」

「どうぞ。私も一つ、買わせてください」

「ありがとうございます!」


 お金を受け取ったアリィはカートから猫型のパンを取り出してラムダへ渡す。


「本当はお姉さんには無料で渡したいんですけど。一年前はすっごくお世話になりましたし」

「いえ、恩に感じてもらえるほどの働きは出来ませんでしたので。それよりもお体の具合はいかがですか」

「ぜんぜん元気です! おでこのも、あれから一度も開いてないし」

「油断は禁物ですよ。もしなにかあったら、いつでも言ってくださいね」

「わかりました。もしものときは、お願いします」


 ニコリと笑って言うアリィに、ラムダも微笑みで返していた。そうこうしている内に騎士たちがパンを求めて集まって来る。


 一時間も経たない内にカートは空っぽになった。相変わらず大盛況だ。


 アリィはラムダに別れを告げて、駐屯地を後にする。そうして次に向かったのは魔法陣研究所だった。


 正門で受付を済ませて、迷いなく建物内を進んで行き、到着したのは所長室だった。ノックし「どうぞ」の言葉を聞いて扉を開ける。


「おはようございます。エクルーナさん。診察、よろしくお願いします」

「おはよう、アリィ。そこに座って」


 促されるままアリィは部屋の中に置かれているソファーに腰かける。俺もその横に飛び乗った。


 エクルーナはアリィの前に立つと、頭に巻いていたバンダナを取る。露になった額には魔法陣の描かれた紙が貼られていた。


「封印魔法はしっかりと作動しているみたいね。何か、違和感や不調はある?」

「えーっと、特にはないです」

「どんな些細なことでも、変化があったら教えてね。大丈夫だとは思うけれど」

「はい。わかりました。あ、学校は行っても大丈夫ですか? 来週から再開するってお知らせが……」

「問題ないわ。ただし、額を見せないように気を付けてね」

「はい!」


 アリィが答えたその時だ。ドゴンッ、と爆発音が轟いた。室内にビリビリと振動が伝わってくるのを見るに、爆心地はかなり近い。


「何かしら。ヨゾラ、少し様子を見て来てくれる?」


 エクルーナに言われて俺はソファーから降り、窓から外へと出た。研究所内で職員たちが慌ただしく走り去っていく。彼らの向かう方向へ、俺も駆け出した。


 騒ぎは実験棟で起こっているようで、いくつか並んだ建物の一つから濛々と真っ黒な煙が立ち込めていた。そこからミクロアとモータルが全身を焦がしながら飛び出してくる。


「うはぁ、今回のはヤバかったねぇ! マジで死ぬかと思ったぁ」

「げ、限界値を見誤っちゃったね。次はもっと耐久を上げないと」


 心底楽し気に笑うモータルの傍らで、真剣にブツブツと呟くミクロア。そんな二人の元に、野次馬の中から一人の男が荒い足取りで近づいて行く。


「コラァ! またやりやがったなお前ら!」

「あ、リーダンさん。お疲れ様でぇす」

「お疲れ様、じゃねえ! 施設破壊すんなって何度言ったらわかるんだ! ミクロアも、一緒にいたんなら止めろ!」

「ひぇ、す、すみません……」

「まぁまぁ、実験に失敗は付き物、ですよ?」

「全く反省してないな? モータル、今から報告書と始末書と再発防止の資料をそれぞれ作れ。それまで実験は禁止だ」

「えぇっ!? そんなご無体な……わ、ちょ、どこ連れてくんですかぁ。助けてぇ」


 リーダンはモータルの首根っこをひっつかんでどこかへと連れて行く。それをミクロアは集まって来た職員たちに頭を下げながら慌てて追いかけて行った。


 一連の騒動を見て、「なんだ、またあいつらか」と呆れながらも職員たちが自分の持ち場へと戻っていく。どうやらよくあることらしい。


 俺も戻ろう、と来た道を引き返していたところで見知った顔にばったりと遭遇した。


「おぉ、久しぶりだな」


 ジャスタが歩み寄って来る。


 一年前の事件が解決した後、地下に捕まっていたエルフの人たちはほとんどが助けられた。ジャスタもそのうちの一人だ。救出当初こそ衰弱していて命も危ない、と言われていたが、仕事に復帰できるほど回復できたみたいだ。


「また魔法の勉強でもしに来たのか? 何かわからないことがあったら来ると良い。お前ならいつでも歓迎する」


 そう言ってもらえるのは純粋に嬉しい。ジャスタがいなかったらアリィも救えなかっただろうし、復帰祝いも兼ねて礼をしに行こう。


 ジャスタと別れて今度こそアリィたちの元へと戻り、軽く騒動の詳細を筆談報告。


 呆れ返るエクルーナを残して、俺たちはパン屋へと帰った。


 昼前の店には数人の客がいて、その中にはオルトが混ざってレノアと雑談に興じていた。


「オルトさん! 今日も来てくれたんだ!」

「おお、アリィ。おかえり」


 オルトに迎えられて、アリィは嬉しそうに挨拶を交わす。野外から見る分に、レノアとアリィ、そしてオルトが並ぶと、もう家族みたいな雰囲気になっている。


 一か月くらい前からだろうか、事件後のゴタゴタが片付いたから手が空いていると、オルトはもうほとんど入り浸っていると言ってもいいほどパン屋に通い詰めていた。


 名目としてはアリィの護衛と経過観察である。もちろんそれもあるだろうが、目的の半分以上はレノアが目当てなのが見え見えだ。


 しかし、オルトは相変わらず奥手なのか進展は全くない。


 そろそろまどろっこしいし、背中を押してやるかと模索しているところだ。


「おおーい! 兄弟!」


 どうやってキューピットになるかを考えていると、屋根の上からシャム猫が呼びかけて来る。俺が屋根へ上ると同時に口を開いた。


「町の外れにある山の中に目玉が一つのネズミが見つかったらしいぜ」


 事件以来、一つ目の小動物が出現するようになった。なので町中の猫たちに目玉が一つの生物が現れたら知らせてもらうように伝えてある。


 それが果たして、あの男のような脅威かは分からないが、見つけ次第駆除するようにしている。


 もう二度と、あんな惨劇はごめんだ。俺たちで対処できる危険分子は可能な限り潰しておく。


 俺としてはのんびり暮らしたいのだが、と考えながらも俺はシャム猫に言う。


「了解、すぐ行く。案内してくれ」

「おぅ、こっちだぜ!」


 報告を受けて俺たちは駆け出した。この町の平穏を守るため。


 いつの日か飼い主が見つかって、のんびり暮らしていくために。

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