実験開始
立ち直ったミクロアを連れて、実験場へ向かおうと出入口へ向かう。先導するモータルが扉を開けて、外へ出た。続いてミクロアも、と思ったがあと少しの所で立ち止まってしまう。
「今なら誰もいないから大丈夫だよぉ。ほら、怖がらないで」
扉を支えながらモータルが呼びかける。踏み出そうとして、やっぱりやめて、それを何度か繰り返す。それでもミクロアからは部屋の外へ向かおうという意思が感じられた。モータルも急かすことなく、自らの力で一歩を踏み出すのを待っている。
一足先に外へ出て二人を見守っていた俺とミクロアの視線が合う。
そうしてミクロアはひとつ、大きく深呼吸してからギッと表情を引き締めて部屋から――自分を守っていた殻から抜け出した。
外へ出るだけで大仕事だったが、これから実験場までは施設の中を通らなくてはならない。確実に人目に付くが、果たして辿り着けるのだろうか……。
モータルはさっさと扉を閉めて歩き出す。ミクロアの気が変わらない内に行ってしまおうという魂胆だろう。狙い通り、ミクロアは慌てて追いかけていた。俺も二人の後に付いていく。
道中は案の定、多くの職員たちとすれ違うことになった。けれどミクロアはパニックになることも逃げ出すこともせず、モータルの背中に隠れるようにしながら歩みを進めていた。
その状態、逆に目立つのでは。現にすれ違う職員たちは何事かと視線を向けていた。モータルは別に気にしていないどころか、あの状態でも談笑、というより一人で喋り続けていた。ミクロアは相槌すら返していないのに、凄いなホント。
ふと、奇異の視線の中に嫌な感情が混じっていることに気が付いた。明らかな敵意――猫特有の野性的な感覚に加えて、前世でも幾度なく感じたことのある視線だった。
「おい、見ろよ。あいつ」
「あぁ、狂人の……よくノコノコと出てこられたよな」
モータルの声の合間を縫って聞こえてくるのは悪意に満ちた言葉だった。それは猫の聴力だから聞こえる、というわけではなく明らかにミクロアも聞こえるであろう声量で発せられている。恐らくそれはモータルも気が付いているのだろう。
そして一人で喋り続けているのは、少しでもその声を打ち消そうとしているのか。
舐めていた。俺が思っていた以上に、ミクロアの置かれている立場は危ういのだ。気遣いが足りなかったことを反省して、俺は自分が出来ることを考え、ぴょんとミクロアの肩へ飛び乗った。
「ほぁっ!? な、なに……?」
困惑するミクロアの頬に自分の頭を擦り付けてゴロゴロと音を鳴らす。
「あはは、甘えたくなっちゃったのかな。猫は気分屋さんだねぇ」
これでどれだけ気分が紛れるかは分からないが、何もしないよりはマシだろう。陰口を叩いている輩を引っ搔いてやってもいいが、荒事を起こすと相手にこちらを攻撃する口実を与えかねない。
言いたい放題に言われるのは業腹だが、ああいうのは無視するのが得策なのだ。
俺たちのフォローの甲斐あってか、無事に実験場へ辿り着くことが出来た。人目の付かない場所に入ってミクロアも落ち着いたらしい。
さっそく、防護用の簡易的な鎧を身に着け実験を開始する。
まずは単純に魔法陣を大きくした物を試す。魔法の持続時間や効力は魔法陣を描く時に使う魔子の量に比例する。つまりは魔法陣が大きければ大きいほど、出力が上がるということだ。
A4サイズから一メートル四方の布、それを一メートル離して設置し、30cmの木の棒を置いて魔法を起動する。
パンっ、と木の棒はその場で弾け飛んだ。転移すら失敗だ。それなら距離を五メートルに延ばしてやれば、木の棒はあらぬ方向へ吹き飛んでしまう。
そこからは魔法陣の大きさやら移動させる品やらを変え、失敗しては原因と改善案を話し合い、トライ&エラーを繰り返していく。一度、鉄の棒が弾け飛んで破片が俺の真横を掠めて行った時には肝を冷やした。
「いやぁ、やっぱりうまくいかないねぇ……」
結局、10mどころか1mでさえ転移は成功しないまま三時間ほどやっていただろうか、モータルはふぅ、と息を吐いて座り込んだ。
「わっ、もうこんな時間。ねぇ、ちょっと休憩――」
言いかけて、ミクロアが魔法陣の改善に集中しているのを見て言葉を止めた。そうしてやれやれと言った様子で微笑むと、防具を脱いでミクロアに声をかけた。
「ちょっと飲み物取ってくるねぇ」
一応、という態で言ったようだが案の定、ミクロアは集中していて気づかない。部屋で見ていた時と同様、完全に自分の世界に入ってしまっていた。そんな彼女にモータルは別段気にした様子もなく、実験場の隅っこで見学していた俺へ顔を向けた。
「ミクロアさんのこと、よろしくねぇ」
そう告げてモータルは実験場から出て行った。よろしく、と言われてもああなってしまったら俺には関与できることは何もない。邪魔したら怒られるし。
しかし、ここへ来るまではどうなることかと思ったが、始めてしまえば何の問題もなかったな。まあ人目がないということもあるだろうが、普通は環境が変われば集中できなかったりするもんなのに、ミクロアは変わらず作業に没頭している。
今ならどんなバッシングでさえ、ミクロアの耳には届かないだろう。あれが、彼女を優秀たらしめる要素なのだ。
十分ほどしてモータルがコーヒーを手に戻って来た。肩を叩かれ驚くという工程を経てから、二人はコーヒーブレイクに入る。とは言っても結局は仕事の話に終始していたが。
そうして試行錯誤を繰り返しながら、失敗を繰り返しながら、どこか楽しそうに実験をする二人を眺めながら時間は過ぎて行った。
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