進展への一歩

 本格的な転移魔法の共同研究が始まったのだが、そもそも空間の圧縮なんて芸当が実現可能なのか。


 結論から言うと、可能だ。実際に魔法としては完成しているらしい。ただし実用性には程遠い代物だとか。


 ミクロアとモータルは、共同研究を取り決めたその日のうちに転移魔法の現状確認を行った。


 ミクロアの部屋の中で、A4用紙サイズの紙二枚にそれぞれ魔法陣を描き、一メートル離して設置する。


 そして片方の魔法陣の上に30cm程度の木の棒を置いて、ミクロアが魔法を発動させると――棒は激しい音を立てながら半分にへし折れ、次の瞬間には棒の片割れが一メートル先の魔法陣の上に移動していた。


 が、移動した棒の半分は粉々に砕けている。一応、空間圧縮による距離の短縮と、そこを通過させて物体を移動させる。という理論は出来上がっているのだが、転移対象はが破損してしまう。


 また、発動時間が短すぎて半分しか移動しないのだそうだ。距離が近くなっても発動時間が伸びるわけでもないし、これ以上離すと魔法自体が作動しなくなる。


 ちなみに、魔法発動時に魔法陣の間に障害物があると魔法は発動しないのだそうだ。大きさも木の棒半分が限度らしい。


 なるほど、確かに現状ではとても使い物にならないな。そしてこれを使える可能性のある物にしなければならないと。


 ひとまず、最終的な目標を『人、一人を安全に10m転移させる』に定めて研究を開始する。


 まず、エネルギー問題は現状の俺たちではどうすることも出来ない。ので、実験中は魔子を貯められる鉱石を使って補うことになった。


 魔鉱石、と呼ばれる石はいわゆる電池みたいなもので、魔子を溜めたり引き出したりが可能になる代物だ。加工すれば電灯や武器といった魔道具になる。


 ミクロアが取り出したのは手のひらサイズの黒っぽい石――これを使えば、最低限の動作確認が可能な力は確保できるらしい。


 ということでミクロアはモータルと一緒に転移間の空間問題(移動距離の延長と障害物がある時の問題)の対策を担当。


 使用者(または転移させる物)の耐久問題はモータルの研究チームで担当してもらうことになった。


「対策って言ってもそれが出来ないから困ってるんだよねぇ。まあ実験しながら色々と試していくしかないかぁ。実験場を確保しておくから、空いてる時間を教えて」


「あ、わたしは、いつでも……」


「本当? それなら今から空いてる時間確認してくるねぇ」


「あ、ちょっと……」


 ミクロアの小さな制止は聞こえなかったようで、モータルは勢いよく部屋から出て行った。場所取りは今後も必要になってくるだろうし、俺も予約方法を知っておきたい。


 モータルを追いかけよう、と思ったが取り残されたミクロアは、しゃがみ込んで頭を抱え、足を止める。


「ど、どうしよう……実験場ってことは、外に出なくちゃいけない……」


 外って、敷地内を移動するだけだろう。何をそんなに怯えているのか。呆れる俺を尻目に、ミクロアはヨロヨロと立ち上がると流れるように床に敷いてあった毛布にくるまった。


 外に出ると考えただけでこれとは、引き籠り具合は重症のようだ。モータルとはすんなり仲良くなれたんだし、一度外に出てみたら案外平気かもしれないぞ。なんて励ましの言葉をかけることすら出来ない。


 猫の俺はじっと、毛布にくるまるミクロアを見つめることしか出来ないのだ。


「ただいまぁ、実験場、ちょうど空いて……あれぇ?」


 そうしている内にモータルが戻って来た。どうやら使える場所はあったようだが……。


「どうしたのぉ? お腹痛くなっちゃったぁ?」


 モータルはミクロアに近づきながら問いかけるが、毛布から出てこようとしない。困った様子でモータルがこちらへ視線を向けるので、伝わるか分からないが俺は首を横に振った。


 それを見てモータルは「うーん?」と腕を組み考え、口を開く。


「なにかあった?」


 と、再び問いかける。けれど返答はない。


 そんな彼女をしばらく見下ろしてから、そっとしゃがみ込む。


「言ってくれなくちゃわかんないよ。相談に乗るから、話してみて。ね?」


 いつもの朗らかな口調ではなく真摯に、けれど優しい声音で声をかける。


「ミクロアさんは、ここで働き始めてまだ一年ちょっとなんだよね? しかも、今までずっとひとりで頑張ってたでしょ。でも、今はあたしがいる。できることは協力するって言ったじゃん。困ったことがあれば頼ってくれればいいんだよ」


 深刻過ぎず、軽薄過ぎず、諭して絆すような物言いだった。それでもミクロアは何も答えないが、モータルは苛立つ素振りすら見せずにじっと待っていた。


「…………こわいんです」


 ようやく、今にも消え入りそうな声でミクロアが言った。


「怖いって、なにが?」


「外に、出るのが……人と、会うのが……みんな、わたしのことを冷たい眼で見てくる。酷いことを言ってくる。もう、傷つきたくない……」


「あー……なるほど」


 思い当たる節があるのだろう、モータルは歯切れの悪い呟きを返す。そうしてまた腕を組んで考え込む。


「十六歳で学園を首席卒業して、今十八歳だよね。若くして魔法陣の研究所の職員で、しかも所長のお気に入りだから特別待遇を受けてるし、お父さんは――とんでもないことをやらかした」


 恐らくは施設内……いや、世間のミクロアの印象だろう。それを淡々と羅列して。


「だからどうしたの」


 と、言い放った。さっきまでと一変したあまりにも無遠慮な物言いに、ミクロアは思わず毛布から顔を覗かせる。そんな彼女をあえて無視して、モータルは続けた。


「若くて優秀なのはミクロアさんの努力だし、最年少で魔法学園を主席卒業した人材を贔屓するのは当たり前。お父さんのことだってミクロアさんがなにかしたわけじゃないんでしょ? ミクロアさんが悪いことなんて、ひとつもないよ。だから――」


 モータルはミクロアへ向き直り、ニコリと笑う。


「他人の悪口なんて気にしなくてもいい。悪いことしてないのに責めるようなことを言ってくる人は、例え良いことをしたとしてもなにかしら言ってくるからね。その人の個性みたいなもんだよ。反応するだけ損。少なくともあたしはそう思ってるかな」


「…………」


「それに、そこまで性根の腐ってる人間なんて意外と少ないもんだよ。みんな自分のことで忙しいからね。だからミクロアさんもそこまで心配しなくていいんじゃないかな」


 あっけらかんとしたモータルの言葉を聞いて、ミクロアは目から鱗が落ちるような、感嘆と驚きが入り混じったような表情を浮かべるが、すぐに陰が戻る。


「……そんな簡単に、考え方なんて変えられないよ」


「あたしと初めて会ったとき、ミクロアさんはあたしが怖かった?」


「……ちょっと」


「でも、話してみたらそうでもなかったでしょ? 人間関係も研究と一緒、やってみて失敗して改善して、いろんな事象ひとを見て対応を覚えて行くしかない。それでも駄目なら諦めればいいんだよ。やってもみないで諦めるなんて、学者としてどうかと思うな」


「…………」


 グッと悔しそうに下唇を噛むミクロア。学者として、と言われて奮い立たされているのだろう。


「どうしても一人じゃ厳しいなら、あたしも協力するし。変な人が来たら追い払う。あたしも結構、大変な目に遭ってきたからさ。そういう人のあしらい方は教えられるよ。それにさっきも言ったけど、あたしたちはもう仲間なんだから頼っていいんだよ」


 ミクロアは葛藤を見せてから、のそりと毛布から這い出てくると、ちょこんと座って姿勢を正し、モータルへ言う。


「モータル、さん。わたしが外に出るの、協力、して、ください!」


 精いっぱいの勇気を振り絞って、という風に頭を下げながら、半ば土下座するような恰好になりながら、協力を乞う。


「もちろん。これから一緒に頑張ろうね。ミクロアさん。目指せ、友達百人!」


「い、いや、さすがに、そこまでは……」


 思わず顔を上げてもにょもにょと抗議するミクロア。


「冗談、冗談。さあ、立って。まずは実験場に行ってみよう」


 モータルは朗らかな笑顔ですっくと立ちあがり、ミクロアへ手を伸ばす。一瞬の躊躇を見せたが、ミクロアは差し伸べられた手を取って立ち上がった。

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