見えない脅威
翌日。モータルは今日も弁当を持ってミクロアの部屋を訪れていた。
昨日の食事会は上手く行ったようだが、夜中の一人反省会を経て、また恐怖心が戻ってしまったミクロアはノックの音にビビッて毛布にくるまっている。
「昨日変なこと、言っちゃってるし、怒られたらどうしよう。今日変なこと言って、嫌われたらどうしよう」
と、ありもしない想定をして震えている。
そういう不安は分からなくもないが、今日もわざわざ来てくれてるのだから大丈夫だろう。
不快な人間と会うために昼休みを潰してまで訪問するなんてことはないだろうし。
何度か出るように促しても駄目だったので、今日も俺がモータルを招き入れた。その後は昨日と同じ、食事をしながら魔法談議を交わす。
すっかり仲良くなったようで安心した。これなら勉強会も問題なく執り行えるだろう。
論議を交わす二人を尻目に、俺は食後の散歩へ出ようとペットドアを潜って外に出た。
ひらり、と目の前に一枚の紙が降ってくる。地面に落ちた紙には魔法陣が描かれており、それを認識すると同時に紙からは声が発せられた。
『ヨゾラ、今すぐ所長室へ来てもらえる?』
エクルーナ所長だ。急な呼び出しに面食らいながら、何かしでかしてしまったか考える。けれど部屋へ着いても思い当たる節はなく、怪訝に思いながらも窓から所長室へ。
「急に呼び出してしまってごめんなさいね。あなたにひとつ、聞きたいことがあって」
ミクロアの件で何か追加の要求でもあるのかと予想しながら話を聞く姿勢に入る。
「実は、ジャスタの行方がわからなくなってしまったの」
告げられた言葉に耳を疑った。ジャスタが行方不明? いったいどうして。
困惑を隠せないでいる俺に、エクルーナは続ける。
「昨晩、彼の部下が仕事完了の報告に来たの。けれど、詳細はまるで書かれていなくて、ジャスタに話を聞こうと思ったのだけれど、帰って来ていないみたいでね。一緒に商船の対処に当たっていた部下二名も。港や自宅を捜索したけれど、見つからなかったわ。あなたはジャスタに魔法を教わっていたわね? どこに行ったか、心当たりはないかしら」
俺が首を横に振ると、エクルーナは「そう……」と残念そうに呟いて額を抑える。
「彼が何も告げずに姿を消すなんて、今までそんなことは一度もなかったのに……何かあったのかもしれないわね」
いつも毅然としているエクルーナ所長の顔には珍しく陰りが見えた。とても心配しているのだというのが読み取れた。
「わかったわ、ありがとう。お昼休みに時間を取らせてしまって悪かったわね」
そうして解放された俺は、所長の部屋を出てすぐに港へ向かう。
ジャスタと会ったのは二日前。その時は別段、変わった感じはなかった。
疲労はあっただろうが、失踪するほどのことでもなかっただろう。商人と揉めて何かされたのだろうか、それとも事件に巻き込まれたのか?
魔子を喰う虫が研究所に持ち込まれていないのも気になる。どことなく、嫌な予感がした。
いろいろと考えている間に港に到着する。二日前に来た時と変わらず活気に溢れている。特に変わった様子はない。
ただ、ジャスタが作業をしていた商船はすでに出航したようで見当たらなかった。
しばらく探してみたが、エクルーナの言っていた通りジャスタやその部下たちの姿はない。
港に住み着いている猫に話を聞こうかと思ったが、彼らは人間の顔を見分けることが出来ないので聞いても無駄だろうと諦めた。
商船のあった場所も、海を覗き込んでみたが何も見つからなかった。結局、手がかりを得られないまま町へ向けて歩いていると、潮風に混じって血の匂いがした。
微かであるが、間違いない。人間の血かどうかは分からないが無性に気になった。
地面に鼻を近づけ、よく嗅いでみる。血痕はないが、明らかに臭いの強い箇所があった。
ふと、海に向かって小さな血痕が続いているのを発見する。本当に小さな跡だ。血の匂いを嗅ぎ取らなければ血痕とは分からないほどに。
恐る恐る海を覗き込んでみた。ジャスタの水死体でも沈んでいるのでは、と恐怖したがそんなことはなく、透き通った海の中で小魚の群れが泳いでいるだけだった。
ホッとしながら顔を引っ込めようとして、白い物体が目に留まる。
堤防に打つ波に翻弄される紙は見た目が普通にも関わらず水に溶けることもなく、形を保ち続けていた。
それがどうにも不思議で、海面から紙を拾い上げる。危うく落ちそうになりながらも、なんとか拾い上げて陸地へと戻った。
折り畳まれた紙には文字が書かれており、それは俺がジャスタに宛てて書いた密告文だと分かった。
どうしてこれがこんな所に? 落としたのだろうか。しかし、そこそこ立場のある人間が重要な可能性のある手紙を落として気づかずに去るだろうか。
それにこの手紙、何か魔法がかけられているようで、それが水を弾いていたのだと理解する。
魔法がかかっているということは落としたわけじゃなく、わざとここに残した可能性が高い。
そうしなければならない状況……血痕があるということは戦ったはずだ。ということは誰かに襲われた。
そしてその相手に手紙を見られたらマズい、かつ誰かに発見されたいという心理。
拾ってもらう人間は選べないが、それすら考える余裕がないほど逼迫した状況だったということだ。
ジャスタはエルフで、しかも魔法陣の研究職員だ。戦闘能力があるとは限らないが、その辺のチンピラに負けるようなことはないだろう。戦わずとも魔法を使って逃げるという選択だってあったはずだ。
しかしそれすら叶わなかった。魔法を使っても逃げられないほどの相手で、この手紙に関係する人物と言えば、クルントしか当てはまらない。
どうしてクルントがジャスタを襲ったのか。もしかしたら俺が密告文を渡したから……?
いや、それならこの手紙が残っているのはおかしい。手紙の奪還や隠匿が目的なら、こんな分かりやすい場所、とっくに見つかっているはずだ。もっと他の理由があるはず。
あの虫か……? 発見が二日前、それなのに施設内では一切話題に上がっていない。モータルもそれらしい話は口にしていなかった。
あれだけのお喋りなら「魔法陣を荒らす新種の虫が現れた」なんて研究職員が共通して興味を持ちそうな話題を出さないとは思えない。
これは、一度エクルーナに相談するしかないか。
ドレイナ皇帝は襲撃があったからか居場所が分からなくなってしまったし、オルトもそれに同行しているから会うことはない。パン屋にすら来ないのだから、よっぽど厳重に警戒しているのだろう。
ジャスタも頼れなくなってしまっただけでなく、クルントが手を出している可能性があるのなら、例えまだ証拠を提出できないとしてもエクルーナに伝えるべきだ。
ジャスタを心配していた彼女の様子を見るに、クルントと共犯とは考え辛い。
それだけだとエクルーナが敵ではないと確証を得るには理由が弱いが、このままこの問題を放置しておけば取り返しのつかない事態になってしまいそうな予感がした。
手紙を咥え、エクルーナの元へと駆け戻った。
「……よく知らせてくれたわ」
俺の書いたジャスタへの密告文とそれを見つけた経緯を綴った手紙を読んで、エクルーナは俺の頭を撫でる。
「けれど、この文書だけではあなたの証言を信じることはできない。向こうもあなたに見つかっていることを察知しているとすれば、そう簡単に尻尾を掴ませてはくれないでしょうし」
やっぱりそうだよな。結局、図書室での一件以来クルントは怪しい動きを見せていない。施設外での調査もまるで進んでいない。
それで信じてくれ、というのも無理があるだろう。
「それにしても、転移魔法に注目しているのは気になるわね。ミクロアの方には、何か異変はある?」
俺は首を横に振るのを見て彼女は「ふむ」と顎に手を当てる。そうしてしばらく沈黙が続いた後、おもむろに口を開けた。
「こうなったら、転移魔法の完成を急ぎましょう」
え、普通は逆じゃないのか。狙われているなら転移魔法を完成させない方がいいんじゃ……。
そんな俺の疑問に答えるように、エクルーナは続ける。
「さっきも言った通り、仮にクルントが敵側の工作員だったとしても、そう簡単に正体を現さないでしょう。なら、彼らの望む餌を提示しておびき出してやればいい」
にやり、と不敵な笑みを浮かべながらエクルーナは言った。確かに、それなら向こうから出てくるだろうが……何を企んでいるのか分からない以上、リスクがデカすぎるんじゃなかろうか。
「大丈夫、ここはワタシが管轄している場所なのよ? 何を仕掛けてこようとも、この中でなら対応できるわ」
俺の心を読んだような回答にドキリとする。なんとも心強いお言葉だ。
「それと、これからはこれも首輪に貼っておきなさい」
エクルーナが取り出したのは魔法陣が描かれた小さな紙だった。
「ジャスタから聞いているわ。あなた、簡単な魔法なら扱えるんでしょう? それを持っていればいつでもワタシへ連絡ができるようになっているから、何かあったら魔法を発動させなさい」
そう言って、ネームプレートの裏に貼り付ける。
「行方不明になった職員三名についてはこちらで引き続き調査を続けるから、あなたはミクロアのサポートに集中してちょうだい。もうこれ以上、好きにはさせないわ」
そう、決意の籠った声に、俺も力強く頷いたのだった。
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