招き猫
開店時間の少し前、まずやって来たのは壮年の男性だ。
堀の深い顔は厳つく、小さな傷がいくつも刻まれている。彼はほぼ毎日、朝一番にパンを買いにやってくるヘビーユーザーで、この町を守る騎士団に所属していたはずだ。
「よお、猫。今日も変わらずたかりに来てるのか」
言いながら男はしゃがみ俺の頭を撫でる。ごつごつ手は、ほぼ成猫に成長した俺の頭をすっぽりと覆うほどに大きい。店に入らず、真っ先に俺へ寄ってくるなんて余程の猫好き、かと思いきや狙いは別にあることを知っている。
俺を撫でながらも、視線はちらちらと店の中へ移り、準備に動き回るレノアの姿を追っていた。そして時折、恋する乙女のような吐息を出す。
ここまで露骨なら誰でも分かるだろうが、コイツはレノアが好きなようだ。パンを気に入っているのも事実だろうが、一番の目的は彼女だろう。
仕事前、日本で言うとまだ六時頃のこの時間に毎日来るのだから相当お熱だ。
けれどこれと言ったアプローチはせず、こうして外から眺めるに留めている。会話もパンを買う時に数分、たわいもない言葉を交わすだけでレノアに対しては素っ気ない態度を貫いている。
ゴツイ顔してなかなかいじらしい。きっと子供がいるから遠慮しているのだろう。無理やり行こうとしないのには好感が持てる。だが、毎日店が開くまで撫で回される挙句、撫で方がたびたびおざなりになるので若干鬱陶しい。パン屋の貴重な収入源なので我慢してやっているが。
そうして店の準備が整ったのか、レノアが顔を出す。
「おはようございます。オルトさん」
「あぁ、レノアさん、おはようございます」
さもレノアの接近に気が付かなかったように振舞っているが、扉に近づくのを見て慌てて俺に視線を戻したのを知ってるからな。
「オルトさん、いらっしゃい!」
トテテ、とアリィが男――オルトに駆け寄る。基本的に人懐っこいアリィだが、彼に対してはかなり心を許しているようで暇さえあれば絡みに行く。もしかするとオルトはレノアよりもアリィと話している時間が長いんじゃないだろうか。
恐らく、父親と重ねている部分もあるんだろう。オルトも騎士隊だからか子供の扱いには慣れているようで、邪険にもせず構ってやっている。
三人は店の中へ入って行くと、アリィは楽しそうにオルトへ猫パンを見せていた。
「これね、お母さんが新しく作ったの。かわいいでしょ」
「おぉ、これは猫か。確かに可愛いな」
「少し趣向を変えてみたんです。集客に繋がるかと思って」
「いいですね。この町には猫好きも多いですし、きっと売れますよ。また、いつものをお願いします」
「はい、袋に入れますね」
「せっかくだし、猫型のを貰います。いつもの量と、あとそっちのを追加で十個お願いします」
「ありがとうございます」
オルトはいつも食パンを一斤まるまるとクロワッサンを数個買っていく。それに十個追加は流石に買いすぎなんじゃないか? と、オルト自身も思ったのか、少し照れたように笑いながら口を開く。
「いやぁ、最近新人が入隊したんですけど、そいつが若い娘でどうにも会話に困ってしまいまして。根が真面目でいい奴なんですが、まだ部隊にも馴染めてなさそうだったので、ちょうどいい話のネタが出来てよかったです」
ははは、と言い訳のように口実を述べるオルト。確かに若い女性なら猫パンは喜びそうだ。それにこうして広めてくれれば店の宣伝にもなる。提案した戦略の効果がさっそく出たようで俺も嬉しい。
それから少しの会話を挟んでオルトは店から出て行った。
その後も常連客がやってきて猫パンを買っていく。誰もが好評、褒め言葉を残していく。出だしは上々と言った所か。まあ味が変わったり量が減ったりしているわけでもないし、好評でなければ困る。
このまま口コミで広がってくれればいいが、SNSなどがないこの世界では爆発的に広まることはないだろう。年月をかければ違ってくるだろうが、あいにくとこの店に話が広まるのを待っている余裕はない。
今はとにかく商品を知ってもらうこと。それが大事だ。
常連がやってくる時間帯も過ぎ、アリィも学校へと登校した。
道行く人々はちらりと店内を覗き込み、興味を示すものの入ろうとする人間はいなかった。出勤時間なら仕方のないことだろう。今はとにかく印象にさえ残ればいい。それで帰り道に寄ってくれれば上々だ。
それから時間は過ぎて昼頃、俺は行動を開始する。
この時間であれば基本的に住民たちの手が開く。昼休憩や主婦層で外出が増える時間帯だ。余裕がある人間なら、興味さえ引ければ店に呼び込むことが出来るだろう。
少し店から離れて人通りの多い場所へ。後はここで座って道行く人の顔を見上げて、人間の視線を観察すればいい。野良猫生活で培った”猫に興味のある人間”の視線を探る。
三十代の女性と目が合った。表情が緩むのを確認して、すかさず俺は立ち上がり「にゃーん」と高めの声を出して駆け寄った。
もちろん尻尾は立てて、足取りは軽く。視線で「あなたに興味があります」と訴えかけながら。無視をされたら諦めればいい。だが、少しでも猫に興味がある人間なら大抵これで引っかかる。
「あらぁ、どうしたの?」
よし、かかった。俺は女性の足に纏わりつきながら少しずつ、着かず離れずの距離を保ちながら店の方へ誘導していく。そうして店の前まで連れて来て、しばらく毛並みを堪能させてやり、頃合いを見て逃げる。
「あぁ、猫ちゃん……」
触れ合いに満足できなかった女性は視線を上げた先に、欲求を満たすであろう物の存在に気が付く。そして数秒、窓の外か猫型のパンを眺めて――誘われるように店の中へと入って行った。
やった。成功だ! あとはパンを買うかだが、ここからはもう俺の出る幕はない。行く末を見届ける間もなく、俺は大通りへと駆け戻った。
それから二時間、同じように誘導を繰り返して俺に釣られたのは二十人ほど。だが店まで来たのは五人だった。
思ったほど成功率は高くない。店から通りまでが遠すぎるのだ。誘導するにしても限度がある。こればかりは仕方ないか。
昼時も過ぎて、後ひとりくらい誘って休憩にしようと決めた矢先に、ある女性と目が合った。
優し気な顔つきの初老の女性だ。髪は金髪と明るめだが、整った顔立ちのおかげで歳の割に違和感はない。
普通の人物にも関わらず、なぜだか妙に目を引いた。どうしてだろうと観察を続けると、耳が長いからだと思い当たる。
女性はニコリと微笑み、こちらに近づいて来た。これまでと同じように誘導しようとするが、彼女は俺を撫でようとはしなかった。これはダメか、と半ば諦めていたのだが、意外にも女性は俺の後に付いてくる。
そうして店の近くやって来て、窓辺に誘導するまでもなく女性はパン屋を覗き込んだ。
「あら、可愛らしいお店ね」
誰にともなく呟いた。かと思えば女性は俺の方を向く。
「あなた、わたしをここへ連れて来たかったのかしら?」
……思惑が悟られた? いや、まさかな。
なんとなく、彼女と接し続けていると正体がバレそうな、そんな危機感を覚えてひとまず俺は逃げた。
曲がり角へ入る寸前、ちらりと振り返ってみたが女性の興味はすでに俺から離れて店に入って行くところだった。
嫌な感じはしなかったが、どことなく不思議な人だったな。なんとも言い知れぬ気分を味わいながら、俺は自分の飯を調達するためその場から離れたのだった。
その後、俺の思惑通り猫パンは口コミで人気を上げていき、順調に客も増えていき、ひと月が経つ頃には、日によっては店内が人でいっぱいになるほどの繁盛を見せ始めた。
なんとか集客に成功し、第一関門を突破したことに、俺は一旦の安堵を覚えながらも自分の成果である店の盛況っぷりを眺めるのだった。
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