茜川の柿の木後日譚――姉の夢、僕の願い* 【トゥルーエンド】

永倉圭夏

第39話* 賭け

 先月行った定期検査において血液検査の結果が芳しくなかった姉は、即日入院した。姉は不服そうだったが、このまま放置すれば早晩悪化するのは明らかで、もしそうなった場合回復の見込みは極めて厳しい状態と言えた。


 翌週、僕は教授と対峙していた。つい先ごろ僕が考案し敢えて論文には発表せず教授に打診した治療法を使うか否か。僕の周囲の反応は概ね、いやほとんどすべてが否定的な見解を示していた。且つて無い若さで助教の座を手にした程度で増長した跳ねっかえりが、自信過剰になって姉を治験の対象、実験台にしようとしている。それにしてもこの姉弟の親密ぶりたるやいささか常軌を逸しているのではないか。まるで本当の恋人同士のようで気味が悪い。


 それらの雑音をすべて跳ね返して僕は教授と直談判する機会を得た。このままいけば姉は死ぬ。これまでの症例から見ても明らかだ。姉は確実に死ぬ。今でこそ平穏な容態を見せてはいるが、検査の結果では三ヶ月もすれば地滑り的な悪化を見せるのは目に見えていた。


 だがこの治療法を使えば万にひとつの可能性で姉は助かる。そうすれば教授は、世界で初めてこの疾病をこの新しい治療法で治癒させた人物として歴史に名を残せる。僕はこの治療法について何の権利も主張しない。そして失敗した場合、その責任はこの治療法を強引に提唱し、教授に無断でこの治療を行った僕一人が被り、教授に傷がつくことはない。いずれに転んでも教授にリスクはないことを主張した。そしてもう時間がないことも。


 具体的な治療方法にまで話を詰めること三時間。遂に教授は折れた。どうせ後悔するならあらゆる可能性を試してからにしましょう。そういった僕の言葉が教授を動かしたようだ。


 その場で僕は姉の病室に向かう。気分が高揚する。フックやストレートがだめなら今度はアッパーだ。見てろよ姉の病。今までとはひと味違う一撃をお見舞いしてやるから覚悟しろ。


 実を言うと姉は一昨日から熱発ねっぱつしていた。それもかなりの高熱だ。姉曰くこの間病院のスタッフに連れて行ってもらって行ったザリガニ釣りではしゃぎすぎたから、とのことだが、このタイミングでの熱発は全くの想定内だ。僕は病室のベッドに寝て熱のせいでうつらうつらしている姉の耳元にそっと声をかける。


「姉さん。姉さん」


「ん? あ、ゆーくん?」


「聞いてくれ姉さん。明日から僕が前に言った治療法に切り替える。薬の副作用とか辛いかもしれないけど、頑張ってくれるね」


「ゆーくんがこないだから言ってたあれね。いいよ、姉ちゃんゆーくんのためなら何だってやってみせる」


 ぼんやりした表情に笑みを浮かべる姉。


「うん、姉さんと僕と、他のスタッフの力を全部合わせて病気に勝とう。追い出そう」


「わかった、姉ちゃん頑張るよ」


 突然姉の表情がいたずら心でいっぱいの表情になる。


「もし、姉ちゃんが治ったらさ、ご褒美ちょうだい」


「ああ、ああ、なんだってしてあげるさ」


「よかった……」


 どこか充たされた表情で眼を閉じる姉。そして僕はのちにこの安請け合いをひどく悔やむことになる。

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