脳霧

小狸

短編

 脳の中に霧がかかって、前が見えなくなることがある。


 前、とは言ったけれど、さりとて、後方、左右を見ても、ぼやあとして実像を結ばない。


 その状態の時の私は、所謂いわゆる茫然ぼうぜんとした状態になり、役に立たない。


 役に立たない。


 この言葉は――なかなかどうして自分で打鍵していて辛辣だと、やはり思う。


 健常者の人々は、至極当然のように、役立つ、役立たず、で人を判別する。基本的人権とか、個人の尊重とか、そういうものは、結局建前でしかないのである。


 その霧は、私の身体にまとわりつくように囲み、私という個をゆるりと束縛する。


 ゆるり、と、束縛、という。


 この二語が同一の文で用いられることに違和を覚える方もいるやもしれないが、それ以上に、私の現象を説明することはできない。


 私の稚拙な語彙力が、己の状態を表現しきれないのである。


 とかくその霧が出ているときは、私は私ではなくなる。


 いや、生物学的な呼称としては私で合っているのだが、何というか、その霧が入り込んで来るのである。


 否。


 、とでも言うべきか。


 故に、「脳の中に霧が掛って」と言った。


 己の周囲に霧が発生している訳ではないのだ。脳髄という、あらかじめ隔絶されているはずの囲みの中に、霧が掛るのだ。


 そして結露が起こる。


 それは髄液と呼ぶべきものなのだろうかはたまた私の想像上の液体であるのかは――私には分からない。


 そのしずくが、おそらく脳髄の中核を担うところに、落ちるのである。




 ――ひたり。




 と。


 それを契機にして、私は私の意図とは違う行動を取るのである。


 私が私でなくなる――という表現を用いるのもやぶさかではないけれど、それはやはり少々、正鵠せいこくていない。


 そしてその雫は、脳の重要な部分に浸蝕、浸潤して、回路の異常を起こす。


 その結果が、恐らく私の、制御不能の行動の正体なのだろうと思う。


 霧が起こっている最中は、どうすることもできない。


 ただ、それが止むのを、待つのみである。


 この霧が厄介なのは、止むまでにかなりの時間を要するということだろう。


 従来の霧もそうだろう、瞬きをすれば霧が晴れているということはない。徐々に晴れてゆくのである。


 だから、霧が出ている間は、外出することはできない。


 文字通り、雫が脳髄にどんな影響を及ぼすか予測できないからである。

 雫の当たり所が悪ければ、若しかしたら人を傷つけるやもしれない。そうなればお終いである。


 社会的にも、人間的にも。


 故に私は、めっきり外へと出なくなった。


 ある朝、集積所にゴミを出しに行くと、遠くの山に霧が掛っているのが見えた。


 あの霧も、誰かの脳髄からあふれたものなのだろうか。


 私は思った。



 桜井さくらい信子のぶこ(私)が、主治医から解離かいり性障害を告げられたのは、令和五年の、九月二十九日の事である。

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脳霧 小狸 @segen_gen

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