ヨウコとカズキ 2

 あれほど会いたかった磨上だが、その姿を見ても嬉しくないのは何故だろう。


 それはあれだな。磨上が何だか知らないけど、物凄く怒っていたからだ。怒髪天を突くというけどな。本当に磨上の黒髪が逆立っていたからな。そしてバリバリと燐光を放っている。


 俺もだが神原の表情が恐慌寸前という感じになった。彼女は必死に磨上に向けて叫んだ。


「せ、先輩! 違うんです! 私は無罪です! こいつが、こいつが無理やり!」


 うん、確かに神原は無罪である。俺が魔力で拘束して動けなくしたのだから、神原に罪は一切ない。ないのだが……。


「もちろん。ちゃあんと分かっておるとも。サツキ」


 磨上の猫撫で声に神原はホッと胸を撫で下ろす。しかし魔王は冷酷にもこう言った。


「しかしのう。満更ではなさそうだったではないか? 手を握られて顔を赤くしていたであろう?」


「そんな事ありませんー! 信じて先輩ー!」


 神原は悲鳴を上げたが磨上は聞いちゃいなかった。うん、多分、磨上にも神原が無罪であることは分かっているんだと思うぞ。磨上が神原に対して怒っているのは違う事だ。結構余計な事言ったからな。


 神原へのお仕置きは後で存分にさせれば良いとして、せっかく出て来てくれたのだ。ここで磨上を説得してなんとか元の世界に彼女を連れ戻さなければならない。


「おい! 磨上! 一緒に日本へ帰ろう!」


 俺は叫んだのだが、磨上は表情一つ変えなかった。


「断る! 我はこの世界の神じゃ」


「そりゃそうだろうが、お前が本来いるべき世界はここじゃないだろう? 生まれた世界に帰るべきだ」


「あの世界とは縁を切ったわい。今や誰も我の事を覚えてはおるまいよ」


 確かにそれはそうなんだが、そんな物は再び磨上自身が改変して元に戻せば良いのだ。しかし問題は、なぜそんな事をしたのか、という事なのだが。


「我はもうあの世界には飽き飽きした。何の未練も無いわい」


 本当かよ。俺の見るところ、磨上は元の世界でもそれなりに楽しそうにやっていたと思うんだけどな。俺の母親や妹とも仲良くやっていた。それがある日突然の出奔だ。俺だって、磨上が現実世界で迫害されているとか、嫌な事が続いているとかいう理由なら、磨上が異世界に逃げても異論は唱え難いんだけど、どうもそんな感じは無かったのだ。


 それはちょっと後回しにするとして、問題なのはこの世界だ。俺と神原は恐らく、磨上が改変した空間に転移させられている。ここが神としての磨上の住処なのだろうか? 真っ暗で殺風景で何も無いようだが。それこそ、何の楽しみも無さそうに見える。漫画もゲームも無い。


 磨上だったら自分の空間はもっと豪奢に造って、それこそ宮殿の様に仕上げて美男子の魔族でも侍らせているイメージだったのだが。


 ……もしかしたら、理由があるのかも知れない。


「磨上、この世界は何なんだ? 何のためにこんな世界を創った? 人間も魔族も遊んで暮らす、そんな世界は不自然だろう?」


「しかし、一番平和で安定した世界であろう? この世界なら永遠に平和に、魔王も勇者も存在せずに存続させる事が出来る」


 この磨上の答えで、俺の仮説が間違っていなかった事が分かった。そして、もう一つ。


「……それはつまり、磨上は長続きしなかった世界を知っているんだな」


「……」


「え? どういう事?」


 神原が戸惑ったように口を挟む。


「俺は、勇者が魔王を倒しても魔王は何度でも出現し、魔王が世界を滅ぼしても何度でも希望が生まれて勇者が降臨すると仮説を立てたが、実際に見たことは無いし、そういう世界は知らない。しかし、磨上は本当に『知っている』んだよ。そうだろう? 磨上?」


 磨上は不機嫌そうに眉をしかめて俺を睨んで、吐き捨てるように言った。


「勘の良い奴じゃ。流石はカズキ。伊達に十回も勇者を続けてはおらんな」


 磨上は腰に手を当ててふんぞり返った。


「おうとも。その通りじゃ」


「……何回目だ?」


「最初の数回じゃな。一度では無い」


 俺は思わず絶句する。


「数回?」


「ああ。一回目の冒険が終わった後、我はその世界に残った。勇者としてな。栄耀栄華を楽しんだのじゃ」


 勇者として魔王を倒して凱旋すると、国中の人々から感謝され、王様より金銀財宝を授かり、ずっとこの世界で暮らしてくれと頼まれる事が多い。俺だって毎回頼まれた。俺はそれを振り切って帰ったのだが、磨上は残ったというのだ。……元の世界に帰りたくない事情があったのかも知れない。


「じゃがな。数十年経つと、魔王の記憶は忘れ去られ、人々は争うようになり、再び魔王が出現するのじゃ。我はまた勇者となり、再び魔王を倒す旅に出た。そして、魔王を倒し平和が来て、我は讃えられる。しかし、また数十年経つとまた魔王は出現する」


「ちょっとまて!」


 俺は磨上の話を思わず遮る。


「……今、数十年と言ったか?」


「最初の世界には結局、数百年はいたのではないかのう」


 俺も神原も間抜けに口を開けてしまった。数百年? つまり、磨上の精神年齢は数百歳以上という事になる。そりゃ、貫禄もあるわけだ。


「そうやって懸命に魔王を滅ぼし続けていたのじゃが、人間というのは愚かなものでな、その内に我の事を畏れ疎むようになる。我がいるせいで魔王が出現するのだと言い出すのじゃよ」


 ……これは俺にも覚えがあるな。勇者なんかを召喚したから魔王が暴れるのだ、という意見はいろんな世界で時々聞いた。人間は冷静に理屈で動くとは限らない。磨上は数百年、不死の存在として人類社会に君臨したのだろうから、人々にとっては魔王と同質に恐るべき存在に思えた事だろう。


「で、我は排斥された。呆れかえった我は元の世界に帰った。数百年が無駄になったわけじゃの」


 磨上はふーっと。色っぽい溜息を吐く。


「二回目も同じじゃ。何百年か経つと、戦い続けてやっても勇者は排斥されるようになる。これは人類の習性としか思えぬ。三回勇者をやって、我はほとほと人類に愛想が尽きた。すると今度は魔王として魔族に召喚された。我は喜んだぞ。魔王ならあの愚かな人類に鉄槌を下すことが出来るからの」


 どうも魔力があって、正義の心を失うと、魔王として召喚され易くなるらしい。


「我は力を振るって勇者を退け、世界を滅ぼした。そしてそのまま魔王として君臨した。……じゃが、数十年すると、勇者が生まれ人類が再興し、再び戦いが始まってしまった」


 ……それは辛い。


「何度徹底して人類を滅ぼしたつもりでも、あいつらはしぶとくてな。何度でも蘇ってくるのじゃ。で、そうしていると、魔王である我の力を疑う魔族も出てくるわけじゃな」


 ……辛い。それは辛い。結局、磨上は魔族に追われて元の世界に帰ってくるしか無かったのだという。


「魔界でも色々試したのじゃがの、結局は同じじゃ。我は異世界では勇者としても魔王としても永住出来ぬ。最終的には異物として排斥されてしまう事になる。あまりの馬鹿馬鹿しさに、我は出来るだけ召喚に応じないでも済むようにするようにして、召喚されてしまったら魔王として世界を滅ぼし、その後に魔界も滅ぼしてから帰還する事にした」


「は? 魔界も滅ぼした?」


「全部燃やしてしまってな。無の状態にする訳じゃ。ま、それでもあやつらはしぶといから、どこかから湧いてきてしまうのじゃろうが」


 そう語る磨上の目は暗い洞窟のようだった。虚無に、絶望に満ちている。


 ……絶望の深さが違った。磨上は恐らく、千年以上の時を人類や魔物の為に費やし、彼らのために尽くしてきた。しかしその報いは結局は排斥であり、自分は異世界では完全なる異物である事を思い知らされる事でしかなかったのだ。そして渋々元の世界に帰ってくるしかない。


「其方も覚えがあるじゃろうが、元の世界に帰ってもな、自分が異物であるという思いが拭えんのじゃよ。人間にはあるまじき力を持っているのじゃからな」


 それは分かる。高レベルの勇者としての力は、元の世界では異端でしかない。本気で力を振るえば自衛隊にだって勝ててしまうような人間は元の世界で普通の生活を送ることは難しいのだ。慎重に力を隠し抑えて自分を偽って生きるしか無い。


「つまり我は、何処にも行き場が無い存在になってしまったのじゃ。さて、では我はどうすれば良いのかの?」


 咄嗟に言い返すのも難しいほどの絶望が、磨上の言葉からは感じられた。魔王サーベルの絶望が浅いと叱責した理由がよく分かった。一千年の絶望を前に、たかだか数十年勇者をやっていたに過ぎない俺の存在は如何にも薄っぺらい。


 そしてその絶望の果てがこの理想の世界という訳だ。


「なるほど、人類が争わなければ魔力の核から魔界は生まれず、魔物が人を襲わなければ勇者も召喚されないという事ですね? 凄い」


 神原が心底感心したように言って、磨上は満足そうに頷いた。


「我が神として管理すればこんな世界の維持も可能じゃ。さすれば我はこの世界に永遠に君臨する事が出来る」


 そうすれば我が二度と居場所を失う事は無い、と磨上はポツリと呟いた。そのセリフにはなんというか、軽々しく言い返してはいけない深刻な色合いを帯びていた、が。あえて俺は言った。


 磨上の欺瞞に気が付いていたからだ。


「本当に永続するならな」


 俺の言葉に磨上はビクッと身体を振るわせた。神原が戸惑う。


「どういう事?」


「おかしいと思わなかったのか? この世界に供給される物資はどこから湧いて出た?」


「そりゃ、先輩の魔力からでしょ?」


 神原は自明の事だとばかりに言った。俺は頷く。


「そうだ。磨上の魔力からだ。しかしだな、磨上の魔力がいかに絶大だとは言え、一つの世界を維持し続けられるのか? しかも、無から有を生み出して配るという、歪な世界を」


 千年くらい生きたらしい磨上のレベルがどれくらいなのか、俺には見当も付かないが、俺では一つの村に必要物資を生み出して供給するような真似をしたら、多分半年も保たないな。それくらい事象を改変するには魔力が必要なのだ。


 それを広大な異世界一つを全て維持するなんて、どんな魔力があっても難しいだろう。多分、本物の神様にだって無理だと思う。だからそんな夢の世界はこれまで存在しなかったのだ。


「この世界を既に何年維持しているのかは知らないけど、いくらなんでも磨上でも魔力が保たない筈だ」


 俺の指摘に磨上は顔を歪める。「勘のいい奴だ」とでも言いたいのだろう。勘が良いついでにもう一つ踏み込んでやろう。


「他の世界から持ってきたな?」


「は? なにそれ?」


 神原が驚愕する。俺は磨上から目を離さないままで説明した。


「おそらくだが、他の異世界に行って食糧なり物資なりを奪って来ているんだろう。そうすれば無から有を生み出すよりは容易いからな」


 つまり略奪だ。よその世界から奪ってきたものでこの楽園世界を維持している。なんという歪さなのだろうか。俺はそう思ったのだが、磨上は皮肉そうに笑った。


「なるほど、そういう手もあるな。しかし我はそんなまだるっこしい手段は取らぬ」


「? なんだと?」


 磨上は魔王そのものの笑みを浮かべて恐ろしいことを言った。


「世界のそのものを分解して、魔力に変換して吸収したのじゃ。その魔力で思い通りの物資を生み出せば良い」


 世界を分解して魔力にする? あまりのトンデモ発言に俺は頭の中が空白になる。そ、そんな事が出来るのか? 間違いなく俺は出来ない。しかし、俺よりもはるかに高レベルの磨上には出来るらしい。


 な、なんという事だ。ということは……。


「一つの世界の生きとし生けるもの、それ以外にも世界を形作るものを、文字通り滅ぼして分解する。そして魔力にしてこの世界の維持に使う。どうじゃ、簡単じゃろう?」


「せ、世界を完全に滅ぼしたという事か?」


「小さな意味ではそうじゃな。この世界は、魔力が世界の形を作っている。じゃから、我のやったことは形を失わせ、魔力に戻したということじゃな」


 やってることが天地創造レベルじゃねぇか! 磨上の力は俺の予想の遥か上を行っているらしい。一体全体、今のレベルは幾つなんだろう?


 しかしそれにしてもそんな事をしたら……。


「そんな事が許されると思っているのか?」


「我の世界を維持するためじゃ。やむを得ぬ」


 流石に許されるとは言わなかったな。世界を消滅させるなんて、魔王として世界を滅ぼすのとは次元の違う悪行だ。


 それにしても……。


「しかし、そんなとんでもない事が簡単に出来るものなのか?」


「……簡単ではないぞ。世界には、神がつきものじゃからな」


 神……。磨上はこの世界の神だけど、他の異世界にも神がいるらしい。


 そして磨上はその神と戦って、勝って、その異世界を滅ぼして分解して魔力に変えているらしいのだ。


 「神」がどんな奴らかは知らないが、容易な相手ではないことは分かる。俺は何度も異世界に行っているけど、一度も神に出会った事はない。異世界を創り上げ護っている存在。場合によったら勇者や魔王を生み出して世界のバランスを取っている存在。


 そうであれば勇者である俺の上位に位置する、運命すら操る存在だという事だろう。磨上はそんな存在と戦って世界を奪っているのだという。想像を絶する話に俺はゾッとした。


「ふん。結局は戦わねば世界は維持できぬ。居場所を維持するというのは綺麗事ではないのじゃ」


 ずっしりと重いセリフに、俺は声も出せなかった。


 磨上はこの楽園世界を維持するために、神々をも敵に回して戦っているのだ。……自分の居場所を守るために。ただそれだけのために。


 俺はこれまで、異世界に召喚されても、異世界の人類を救うため、つまり他人のためにしか戦った事がなかった。そのため俺は、自分の正義に疑いを持った事がなかったのである。


 俺の正義はいつだって周りが証明してくれた。救われた人がいつだって俺を讃えてくれた。なので俺は戦う以外の事を考えずに済んだのである。


 しかし磨上は「正義」というモノを自分自身で証明しようとしている。それはまだ神になる前、勇者であり、魔王である頃に「敵」を滅ぼした後に異世界に残り続けていた頃からそうだったのだろう。そして、何度も挫折してきた。


 最終的には神となり、自分の正しさを証明するために他の神々を滅ぼしてまで自分の世界を護るまでに至ったのである。


 その苛烈さ、意志の強さ、そして深い絶望は俺の浅薄な正義感や同情を寄せ付けるようなものではなかった。俺は言葉を失って暗い空に燐光を纏って浮かぶ磨上を見上げるしかなかったのだ。


 しかし、その時神原が言った。


「居場所は、あるじゃないですか。そんな事をしなくても」


 神原は茶色いツインテールを振って首を傾げた。


「家に帰ればいつだって。お父さんお母さんや弟がいます。学校には友達がいますし、ネットにも友達がいっぱいいますよ?」


 神原は純粋に分からない、という顔をしながら磨上に言った。


「私が魔王討伐が終わっても異世界に残らないのは、私の居場所は元の世界だと思うからです。先輩だって元の世界に家族も友達もいらっしゃるんだから、そこが居場所じゃないんですか? 元の世界に帰りましょうよ」


 ……間違ってはいない。間違ってはいないよ神原。


 でもな。その、家庭の事情というやつは個人個人によって違ってだな。その、あんまり踏み込むのはデリカシーが欠けるというか、なんというか。


 磨上は神原の言葉を聞いてキョトンとしていたな。そして口を三日月のように歪めて笑った。


「なるほど、普通に考えればそうじゃろうな。しかしなサツキ。世の中はそれほど単純でもない」


「え? でも、先輩ってカズキの事好きなんですよね?」


 いきなりとんでもない爆弾を投げ付けやがったぞこいつ。しかし磨上は眉も動かさずに頷いた。


「そうかも知れんな」


「なら、帰る理由はあるじゃないですか。カズキは元の世界に帰るんだから、カズキと一緒にいたければ元の世界に帰るしかないわけですよ」


 神原の言葉に磨上は沈黙したそれで俺は気が付く。


 磨上は元の世界に帰りたくない理由は、元の世界での状況が気に入らないからではないのだ。お、俺の事はともかくとして、俺の家族とか、クラスメートとかあるいは神原とかと二度と会いたくないからこの世界を創造した訳ではないのだろう。


 たぶん、逆だ。おそらく……。


「もう良い。時間の無駄じゃ。貴様らは元の世界に帰れ。記憶を消してやる故」


 磨上の魔力が膨れ上がる。圧倒的な魔力だ。以前よりもよほど大きい。それはそうか。磨上は神々すら戦って倒したと言っていた。神様を倒したらどれくらいの経験値が入るのだろうか。


 この魔力差では、如何にこの俺でも瞬殺されてしまうだろう。全然勝てるイメージが湧かない。今の磨上の魔力だと神原なんて魔力を吹き付けられただけで消滅しかねない。


 しかし、諦めるわけにはいかないだろう。


 俺は勇者だからな。悪を倒してお姫様を取り戻すのは古来勇者の役目なのだから。

 

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