ヨウコとカズキ 1

 異世界転移は一瞬だ。魔法陣が光り、浮遊感を覚えると、次の瞬間には異世界に着いている。


 いつもは異世界召喚術によって時空を越えてくるので、現れる場所は大体王城の広間、もしくは中庭が定番だった。しかし今回は俺が自分に転移術を掛けて時空跳躍をしている。なので、どこに転移するかは事前には分からなかった。


 浮遊感に包まれた次の瞬間、俺の視界は真っ白になった。なんだ? 俺は一体どういう状況なのか分からず目を瞬いたが、しばらくすると突然視界が開けた。


 眼下にバーンと世界の大パノラマが広がったのだった。おおお! なんかすごいな。そして同時に、自分が陥っている状況が理解出来た。


 落ちているのだ。物凄い高空から。つまり俺は、はるか上空に出現して、そのまま絶賛落下中なのである。さっきの白い視界は雲の中だったのだろう。


 つまりスカイダイビングだ。俺は学校の制服姿のまま両手を広げた。途端、風圧で落下速度が落ちる。動画とかで見た通りだな。ちょっと嬉しくなる。問題は、俺はパラシュートなど背負っていない事だろうな。このままだと地面に激突だ。


 まぁ、俺、飛べるんだけどね。


 前々回の異世界では磨上の魔力無効結界のおかげでもう少し低いところからだったけど、地面に叩きつけられたなぁ。懐かしい。


 俺は落ち着いて、飛行術を使った。その途端、ふっと重力が緩和され、落下が止まる。魔力無効結界は無いようだな。俺が少しほっとしていると、その横を何かが物凄い勢いで落下していった。


「きゃあぁぁぁぁああああ!」


 見ると茶色いツインテールをはためかせ、神原が一気に落ちて行くところだった。良かった。神原もちゃんと一緒に転移出来たんだな。……というか。


「おーい! もうお前も飛べる筈だろう! 落ち着いて術を使え!」


 俺は落ちて行く神原に向けて叫んだのだが、神原は遠ざかりながらこう叫んだ。


「むーりー! 怖いー! 死ぬー!」


 突然の落下状態で恐慌状態になっているものとみえる。


 仕方ねぇなぁ。ここで神原にロストされても困る。俺は魔力を高め、一気に神原に向けて急降下した。追い付き、神原の足首を掴む。そして停止。


「げふ!」


 急制動に神原がうめく。俺は神原の足首を掴んでぶら下げた状態で……。あ。


 神原の格好は制服。しかもスカートはかなり短かった。その状態で俺は足首を掴んで彼女をぶら下げている。……となるとどうなるか。


「……シマシマか」


「こんの! エロ勇者! 死ねー!」


 異世界の上空に神原の叫びが響き渡った。


 ◇◇◇


 神原のパンツはどうでも良いとして。俺たちは無事に磨上がいるであろう異世界に到達した。俺の魔力は異世界転移のためにかなり使ってしまっていたので、俺と神原はすぐに地上に降り立った。


 MPは休息すれば回復する。とりあえず上空からすぐ近くに村があることは見て取れたので、俺と神原は歩いて村を訪れた。


 魔気の濃さからすると、ここはまだ魔王の勢力圏では無さそうだったが、磨上は人類をも籠絡する戦略を使う。もしくは磨上が勇者である可能性も考えられる。その場合は村に滞在出来ないかもしれない。


「その場合は先輩方式で脅せば良いんじゃないの?」


「お前、それが勇者の言い種か?」


「結果的に魔王を滅ぼせれば良いんじゃないの?」


 ……磨上のおかげで神原が合理的な勇者に育って何よりだ。確かに最優先事項は魔王の討伐……って、まだ磨上がこの世界の魔王だとは決まっていないけども。


 俺たちは入り口から村の中に入っていった。その前に俺たちは勇者装備に着替えていたから、格好は異世界風になっている筈だ。村人はよそ者である俺たちを警戒する素振りは見せたが、俺たちが勇者であると名乗っても特に反応は示さなかったな。まぁ、本当は今回は、俺たちはまだ国王から勇者認定されてないんだけどな。


 俺は情報収集をすべく、村人に話しかけて回った。魔王は何処なのか。どの程度の勢力なのか。魔物の出現頻度はどれくらいか。後は今回、王城の場所が分からないからそれも確認しなければならない。


 村人は特に警戒することなく話してくれたが、言う事がいちいちおかしかった。


「へぇ、魔王? なんですかそれは? 聞いた事がありませんな」


「魔物は出ますが、人が襲われる事などありません」


「王城? 王様? なんですかそれは?」


 ……なんだと?


 魔王がいない? 魔王がいないのに勇者が召喚されるものか。って、今回俺は勝手に来たのであって召喚された訳では無いのだが。それにしても、魔物はいても人間を襲わない? そんな事があるのか?


 それと、王様がいない? そ、それじゃあ、誰が国を統治しているっていうんだ?


「神様ですよ。神様が全てを取り仕切って下さっているのです」


 神様? 神様が国を統治している? なんだそれは。これまでの異世界でも信仰されている神様はいて、その神様を信仰する宗教が強い勢力を持っている事も多かった。その宗教団体が国王の代わりに国家を統治しているという事なのか?


 しかしどうもそうではなく、神様自身がこの村を治めているという事だった。意味が分からず俺と神原は顔を見合わせてしまったが、村人が言うには税の徴収も何も無く、必要品は神様が持って来てくれて、食料が足りなければ供給され、それこそ望むことは何でも神様が叶えてくださる、のだという。


 俺は唖然とした。なにその夢の世界。税金もなにも無いため、村人はほとんど仕事をしなくても良いそうで、適当に生活に必要な作業をする他は、のんびりしているのだという。


 ……これは、あれだ。


「神原、どう思う?」


「……その神様ってのが磨上先輩くさくない?」


 そうだよな。そう思うよな。俺も同意だったが確証が無い。俺たちは村人から食料と水を分けて貰って(何しろ神様がいくらでもくれるそうで、鷹揚に分けてくれた)、俺たちは飛行してこの世界を偵察して回った。


 幾つかの村に降りたが、何処の村も同じような状況だった。食料も物資もいくらでも神様がくれるということで、村人はどこでも遊びほうけていた。堕落していた。将棋やポーカーみたいなゲームをしたりサッカーみたいなスポーツに興じている連中もいたな。聞けば医療も神様に願えば怪我も病気もあっという間に治るという事で、全員が健康そのもの。子供も死なずに全員よく育つという事なので、人口爆発が懸念される状況と言える。


 飛び回っていても確かに魔物はたまに見たが、俺たちに襲い掛かってくる事はなかった。そして、確かに魔王の気配が無い。魔物がいるのだからどこかに魔力の核が生まれているのだとは思うのだが、何処にもその気配が無い。


 五日ほどこの世界を見て回った俺と神原の意見は。


「「おかしい」」


 という事で一致した。こんな世界があるわけない。


 何しろ、食料は神様が供給してくれるというのだが、かなり広い範囲を見て回ったのにその食料を作っている土地が見当たらない。麦畑も豆畑も芋畑も一切無いのだ。都市があっても確かに王も市長すらもいない。道具を作る職人もいないのに、人々は豊富な道具や衣服を用いて遊び暮らしている。


 一体、誰が食料を生産し、道具や衣服を作成し、しかもそれを人類世界に配布して回っているのか。どうやって魔物に人を襲わせないようにしているのか。これが全て「神様のおかげ」で済むのなら、それは確かにここは楽園と言っても間違いないだろう。


 しかし、そんな無から有を生み出すような事はあり得ないだろう。もっとも、そういう物理法則を捻じ曲げる方法には心当たりが無いこともない。……魔法だ。


 魔法は、魔力と引き換えにあらゆるこの世の法則を捻じ曲げる術だ。引き換える魔力が大きければ大きいほど、現実を改変できる能力は大きくなる。


 それこそ、磨上が自分に関わるあらゆることを消去、改変してしまうなんてことができてしまうわけである。しかし、それではこの異世界一つを全て思い通りに動かすほどの現実改変など出来るのだろうか。


 出来なくはないだろう。魔法は、言ってしまえばなんでも出来る能力だ。レベルが上がるにつれ、魔力が増えるにつれ出来ることは増える。俺だってやろうと思えば現実を改変することはもう出来る。ただ、とても世界一つを改変する事なんてできないと思うが。


 磨上なら、俺よりもはるかに高いレベルと魔力を持つあいつであれば出来なくもない、のかもしれない。


 しかしながらこの世界のこれは、一瞬の現実改変ではない。何しろ人間社会が生産を放棄するほどの長期に渡って、人々に食料や物資が供給され続けているのだ。どんな老人に聞いても「ワシが生まれた時からこうだった」という答えしか返って来ないのだ。これは既に数世代に渡ってこの状況が続いているという事を意味する。これはどう考えても尋常な話ではない。


 世界そのものを造り変えて維持する。まさに神の御技で俺の考える魔術の範疇を外れている。


「なんだって先輩はこの世界でこんなことを……」


 神原は呻いたけど俺にだって何故だかなんて分からない。磨上がこの世界でその甚大な魔力を使って神様役をやっているのはもう間違いないと、俺も神原も思っていた。どこにも磨上がいる気配はなかったが、それでもこんな世界を造り上げようなんて考えるのは磨上しかいないだろうという確信が、なぜか俺の心には生まれていた。


 思えば、磨上は何度か異世界のシステムや政治について詳しく話してくれた。磨上は恐らく、勇者として戦った初期の頃に、魔王討伐後に異世界に残ったのだ。恐らく長期に渡って。


 それから、磨上は元の世界に戻り、魔王として何度も転移し、世界を滅ぼしてきた。しかし、魔界に堕ちた世界にずっと居着く事はなかった。


 それは、勇者側にいても魔王側にいても、結局は究極の勝者たり得ないということが、磨上には分かっていたからだと思う。魔王サーベルが言っていたように、勇者の前には何度でも魔王が現れる。そして恐らく、魔王の前にも何度でも勇者が現れるのだ。


 永遠に戦いは終わらない。異世界はそういうシステムになっているのだと思う。ではどうするか。俺に思い付く方法は、一つしかない。勇者も魔王も生まれない世界を創ることだ。そしてそれが、磨上が改変したこの世界なのだろう。


 なぜ魔王が生まれるのか。その理由を俺はなんとなく考えたことがある。


 魔力の核は唐突に生まれるらしい。いくつかの世界で聞いた話では、大きな疫病が流行ったり、飢饉が起きて人々が多く死んだり、大きな戦争が起こった後に生じるのだという。


 それが次第に大きくなる。そして魔王が生まれる(召喚される)と能動的に魔界の範囲を広げて人間社会を侵食して行くのである。


 恐らく多くの人が悲しみ、苦しみ、恨み辛みを覚えると、それが魔力の核を生じ魔界を生み出すのだ。つまり、人々が平和で裕福に暮らしていれば魔力の核は生まれず、魔界は生じず、魔王は降臨しないのだ。そして逆説的に言えば魔王がいなければ勇者も召喚されない。


 つまりこの世界だ。人々が生きるためになんの不満も持たず、魔物も人を襲わず、争いも生まれないこの世界には魔王も勇者もいらない。平和だ。これぞ持続可能な社会だ。という事なのだろう。


 磨上がそういう理想の世界を望んだ、創造したという事なのだろうか? 本当に? 磨上がそんな世界を望むだろうか。あの魔王の中の魔王が。


 ……とりあえずそれは今は置いておこう。後で本人に問い正せば良い。それよりも問題は、磨上が今どこにいるかだろう。


 そう。俺たちが色々飛び回っても、磨上の影は一切見えなかったのだ。俺は魔力探知を使い、磨上の魔力を探索したのだが、あの巨大な魔力はどこにも感じ取ることが出来なかった。


 磨上が神なのであれば、人々への食糧供給などの際に魔力が動くはずだ。それを感知して逆に辿れば磨上の場所に辿り着けるはず。俺はそう考えて、村の食糧供給場所で待機してみたのだが、俺がいる間は(というより人がいるとダメらしい)そこに食料や物資が送られてくることはなかった。


 こんな世界を維持するには、常時魔力で世界に干渉する必要があると思うのに、磨上の魔力はどうしても感じ取れない。俺と神原は完全に手詰まりになってしまった。町の酒場で二人して頭を抱えてしまう。


「先輩が何考えてるか全然分からない!」


 全く同感だ。同感だが、そんなことを言っても意味はないだろう。


「カズキ! あんた先輩の彼氏でしょう? 彼女の考えている事ぐらい分からないでどうするの?」


 無茶を言うな。確かに、俺と磨上は元の世界では結構近しい存在だったという自負はある。だが、磨上は本心を韜晦する術に長けているから、あいつの考えが読めた事なんてほとんどないんだから。


 俺が憮然としていると、神原はやれやれと言うように首を振った。そして俺の事見て小馬鹿にしたように微笑んだ。


「……そうなんだけど、でもね、先輩はあんたについては結構分かり易かったわよ?」


 俺が目を丸くすると、神原は少し意地悪そうに目を細める。


「いつもあんたを見てたもの」


 ……それはちょっと気が付かなかったな。いや、そういえばそうだったかもしれない。磨上とは、事ある毎に目が合った。教室でも通学路でも、異世界でも、俺の家でも。……俺もつい磨上の事を見てしまう自覚があったから、それで目が合ってしまうのだと思っていたけど。


「あんたに私が触ろうものなら凄い目で睨まれたからね。よっぽどあんたの事が好きなんだろうなぁ、って思ってたわよ」


 く……。客観的に見ていた神原にそう言われると、なんだか物凄く恥ずかしい。何故なら、磨上の想いが見えていたなら当然。


「あんただって磨上先輩の事大好きなんでしょう? 見え見えよ」


 俺の気持ちもバレバレだったに決まっているのだ。


 認めたくない事だが、いや、そんな筈がある筈もない。勇者と魔王の関係なのだから、優等生な磨上と平凡な俺の関係なのだからあるわけがないと思いながらも、俺はやっぱり磨上に惹かれていた、捉われていたのだ。


 磨上からの想いが、俺の勘違いでなかったのなら、神原にはっきり見えてしまうような明らかなものであるのなら、俺は磨上に言いたいことが、伝えたい事がある。


 しかしどうやって。この世界に磨上がいるのは間違いないのに、どうしてもこの世界の神である磨上に声を届ける方法が分からない。


 ……。一つ、思い付いた。


 磨上はこの世界の神だ。神はいつでも見ている。天網恢々疎にして漏らさず。そう、この世界における俺たちの一挙手一投足は磨上の監視下にあると考えて良いだろう。そして、神原はさっき言っていたな。


 俺は、テーブルに乗っている神原の手をわしっと掴んだ。


「は?」


 神原が思い切り戸惑ったような顔をする。まぁ、そうだろうよ。俺は構わずその神原の小さな手を持ち上げ、自分の唇のところに持って行き、チュッと吸った。


「ぎゃー!」


 途端に神原が大声を出す。俺は即座に魔力を使って神原が逃げられないように拘束した。神原の表情は引き攣った。


「磨上が出て来ないんじゃ仕方がない。帰るか、サツキ」


「誰がサツキよー!」


「帰って二人で幸せに暮らそうじゃないか。磨上なんて放っておいて」


「あんた正気なの?」


「正気だとも。磨上がいないんだから、サツキも気持ちを隠す必要はないんだぞ? 俺の事好きなんだろ」


 もちろん出鱈目である。


「誰がよー!」


 神原は顔を真っ赤にして涙目で抗議した。しかし俺は演技を続ける。


「可愛いサツキ、大事にするからね」


 神原の手を頬擦りする。「ひー!」っと神原が悲鳴をあげているが、魔力で拘束してあるので動けまい。


 ……さっき、神原は磨上は俺が神原に触れると凄い顔で睨むと言っていた。俺だって磨上が他の男に触れたり触れられたりしたら嫌だ。俺の目の前で磨上が口説かれたり、磨上が男と宜しくやっていたら?


 俺なら……。


『いい加減にせんか!』


 ドーンと頭の中に声が響いた。グワっ! 俺は思わず衝撃に仰け反る。


『このエロ勇者め! 成敗してやる故そこに直れ!』


 大きな声が脳内に響き渡り、次の瞬間、酒場だった筈の周囲の風景が音も無く燃え上がった。紅蓮の炎が辺りを埋め尽くすと、その炎が一気に広がり、俺と神原は漆黒の円盤の上に取り残された。


「な……!」


 愕然とする俺と神原の上から、今度は肉声が、懐かしい声が降って来た。


「見事誘き出されてやったぞ。満足か? 勇者よ」


 見上げると、赤黒い空の中に燐光を纏った女性が浮いていた。黒髪を靡かせ、エロはどっちだと言いたいような魔王装備で肉体の曲線を誇示し、怪しくも美しい微笑みを浮かべて。


 探し求めたその人。磨上 洋子がそこにいた。


 

 


 

 

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