ネイルコンペティションに向けて
ネイルサロン『ロータス』は今月でオープン六周年を迎える。
毎年何かしらのキャンペーンを打ち出しているが、今回はスタッフの意見を聞いて、限定でネイルアートの割引とハンドクリームをプレゼントというキャンペーンを出すことにした。
オーナーの徳永蒼は、予約ページを見ながら、スタッフを指名希望していないお客さんの割り振りを考えていた。
お客さんの年齢、希望のアート、それに対して、うちのスタッフが得意としていることを考える。
スタッフ五年目の高梨エリカは、技術は申し分なく上手い、接客も丁寧だ。
若手の伊藤望は、3Dを得意としているので、デコレーションネイルを希望しているお客さんを目の前にすると、気合を入れて施術してくれる。
大手のサロンに比べたら、給与も少ないし、休みも少ないのに、二人は愚痴ひとつ言わない。
文句があるとすれば、「蒼さん、頑張りすぎ。休んでください」という有難い言葉だ。
頼もしいスタッフに恵まれたなと思う。
――頑張りすぎ……いや、まだまだこれからだ。
来月開催されるネイルコンペティションに向けて、着々と準備を進めている。
蒼が、エントリーしている部門は、フリースタイルデザインというもので、六年前にも出場した。
その時は佳作賞をもらったが、今年から賞の基準が変わって、佳作賞がなくなった。
優秀賞と二位から十位が順位つけられる。
前もって、デザインしたものを写真データとしてネットで応募。
今月に優秀な作品十作が選ばれ、選ばれた人は、来月開かれる全国規模のネイルコンペティションで、実際にモデルの手を使ってデザインを施す。
それとは別に開催されるのが、プロフェッショナル部門、スチューデント部門と分かれて、モデルの手を用いてネイルケアとフレンチネイルのテクニックを競う。
プロフェッショナル部門で、エリカと望はエントリーした。
蒼も六年前のこの競技には参加していて、十位までのファイナリストに選ばれている。
今回は、運営側のスタッフとして手伝うことになってしまった。
スチューデント部門は、ネイルや美容系の専門学校の現生徒を対象としており、蒼が卒業した専門学校も協賛として参加している。
蒼が運営側と連絡をとった際に、たまたま専門学校時代の職員が対応したことから、スタッフとして運営側の手伝いをしてほしいと頼まれてしまったのだ。
もともと、この競技にはエントリーするつもりはなかったが、職員がよく自分を覚えていたなということへ驚きながらも快諾した。
職員の記憶に残っていてもおかしくないくらい、蒼は相当優秀な生徒だったのだ。
ヘアスタイルとメイクアップのアーティストの分野に進もうと決めていたのだが、専門学校二年目の春に、友達から手のモデルをお願いされたことがネイリストへ進むきっかけとなった。
単純に手が好きだった。手の造形。指の長さ、手のひらの厚さ。全体のバランス。
そこに、自分で作った爪をあてる。
――なんて魅力的な仕事なんだろう。
既に二年生になっていたので、就職先やらカリキュラムを変更して、ネイリストが含まれるトータルビューティーという専門に進むこととした。
トータルビューティーは、エステティック、メイクアップ、ネイルアートを含むもので、学ぶにはちょうどいい分野だった。
先生や周りの友人からは、ヘア、メイクアップの専門分野に進んでほしいと打診はあった。
才能あるのに、勿体ないという言葉をもらったこともあったが、蒼自身は、全く才能を感じたことはなかった。
――好きでやっていることだから。
そう言って、黙々と作業に取りかかる。上手な人の技術は見て、自分で試した。うまくいくまで何回も繰り返す。
トータルビューティーに進んでも、それは変わらずで、あっという間に、その専門のトップクラスの成績を収めてしまった。
ただ、好きだから。
ひとつ間違えれば、イヤミな奴になるところだったが、蒼の人柄でそうはならなかった。
努力家で、表現することを夢中で楽しむ純粋で素直な性格は、皆から慕われていた。それが職員の記憶に残るところだったのだろう。
東北の小さな街で育った中高時代、ゲイだということを隠さなければならないと思って、とても息苦しい日常を感じていた。
何も悪いことはしていないのに、自分だけが違うという疎外感。
今思うと、被害妄想の塊だったのかもしれない。
いじめられていたわけでもないし、家族が壊れていたわけでもなかった……全てが普通だった。
だから、普通じゃない自分が、この場所にいていいのかわからなかった。
東京に出てきて、初めて自分という人間が認められたような気持ちになった。
男とか女ではなくて蒼として接してくれる友達ができて、嬉しかった。専門学校時代は、蒼にとって青春そのものだった。
表現することの自由とかチャレンジが刺激的で、夢中で勉強した。
オープン記念のハンドクリームを小袋にラッピングしている蒼の元に、エリカが聞いてくる。
「蒼さん、そろそろコンテストの結果、わかるころですよね?」
ネイルサロン『ロータス』は休みだが、コンペティションの練習のために二人は、店に来て練習をしている。
視線をエリカへ向けた蒼は、またハンドクリームのラッピングに視線を落とす。
「何かしていないと、落ち着かない」
ノートパソコンが置かれている机をちらりと見やり、息を吐いてから「見てみるか」とつぶやいた。
パソコン開け、受信メールフォルダをチェックする。
――あった。
――ネイルコンペティション フリースタイルデザイン部門結果のお知らせ。
一旦、パソコンから目をそらし、エリカと望の顔を見る。
期待と不安を見せる二人の目は、今の自分と同じ目をしているのかもしれない。
少し自分を客観視できたところで、メールを開いた。
『――ファイナリスト入選のお知らせ……おめでとうございます……』
二人の顔を見て、笑みがこぼれる。
その表情を見て、二人とも顔を見合わせ「良かった」と微笑んだ。
「しかし、蒼さんも変わりましたよね」
急に、そんなことをエリカに問われ、戸惑いに目を丸くする蒼をよそに、望は興味津々とその先の言葉を待っている。
「蒼さんを初めて見た時、なんつうか……怖いというか……暗いというか……そうそう、笑わないから、なんだこの人って思った」
望が、ボケっとしている蒼の顔を見て、吹き出しながら言う。
「信じられない」
その言葉を受け、信じられないわよね。と同調してエリカが続けた。
「今は、可愛いなと思うけど、あの時は……そう可愛げがないって感じ。初めて参加したコンテストで ファイナリストになるなんてさ、テクニカルですごいって褒めてんのに全く喜ばなくて……」
今は可愛いという言葉に頬を赤くする蒼をみて、二人は、声を出して笑っていた。
確かに、あの時は必死で、色んなことがそれどころではなかった。
店をオープンする少し前に、付き合っていた彼氏に振られ、店には客が付かず、ボロボロの精神状態だった。
それでも諦めずにやってこれたのは、ネイリストという仕事が好きだったからだ。
コンテストに参加したのは、振られた悲しみとか、怒りの感情の気を紛らわしたかった。
あとは……。
――自信が欲しかった。いろんな意味で。
結果、自信がついたわけではなかったけど、コンテストの参加のおかげで、エリカと出会いスタッフとして働いてくれることになった。
失恋は時間が解決してくれるとはよくいったもので、一年経った頃には、憑き物が落ちたように冷静さを取り戻すことができた。
今は、可愛い年下の恋人ができたが、それでも彼がいつか離れていくのではないかという不安は拭いきれない。
だって悠はノンケだから。
勘違いしてた。と言われてしまえばお終いだ。
この不安は消えないだろうけど、何か自信が欲しい。
このコンテストで、昔の自分を超えることができるなら……何か変わるような気がする。
何かは、わからないけど……。
その夜、フリースタイルデザイン部門の入選が通ったことを悠にメールで連絡しておいた。
レストラン『雪月花』を閉めて、家に帰ってくるのは、夜中の一時を過ぎる。いつもなら翌日に差し支えるので、先に寝てしまう蒼だったが、今日は待っていたかった。
一階が、ネイルサロン『ロータス』で、二階から、蒼と悠の住居になっている。
蒼は、朝十時には店をオープンし、夜は七時には閉まる。
『雪月花』は、夕方五時にオープンする。閉まるのは夜の十一時だ。それから片付けなどで、帰宅するのは午前様を過ぎる。
お互いの生活時間帯が違うので、三階を悠の部屋にあてがった。
『ロータス』が休みの前は、起きていて、二人で夜更かしし、一緒にベッドで寝ることが習慣だ。
でも、明日は店が休みではない。今日は、悠の顔を見てから眠りたかった。
店の出入り口とは別にプライベートの玄関が建屋の横にあり、店のバックヤードど直結している。
玄関が開き、階段を上る音に続き、「ただいま」と独り言のようにつぶやいた悠の視線の先に、蒼が「おかえり」と出迎えた。
「わっ、びっくりした! 起きてたの?」
嬉しさのあまり、にやけながら近づいた悠は、一瞬、立ち止まり「手、いや風呂入ってくる」と手を洗うではなく、すぐにバスルームに消えて行った。
ガタン、バタンと慌てているような派手な音が聞こえる。
程なくして、パンツだけを身に着けた悠は、濡れた髪の毛をタオルでふきながら、ソファに座る蒼の隣へストンと落ち着いた。
上半身裸の悠の体は、定期的に走ったり、筋力トレーニングしているおかげで引き締まって、いつ見てもどきどきする。濡れた髪は色気が漂い、見た目の良さがさらに際立つ。
蒼の視線を絡め取りながら、目を細めて近づいてくる悠の仕草は煽情的で、抗えない。
「入選おめでとう」
そう言って唇を合わせられ、舌を絡められた。
蒼の唇の隙間から、官能的な吐息が漏れ聞こえ、悠が強く抱きしめてきた。
「あまり煽らないで」
耳元でそう囁かれ、腰のあたりが疼くのを感じる。
「悠こそ、煽ってる」
体をそっと離し、悠の顔を見る。
少し困ったような怒っているような顔に蒼から軽いキスをして、六年前のことを話した。
開店する少し前に、五年付き合った恋人に振られた。初めての彼氏だった。
初めてのことで舞い上がっていたのだと思う。なんだかんだいって、二年経ったあたりから、頻繁に会うことがなくなった。
特に、夏休みとか正月休みは、実家に帰ると言われて会う事がなかった。
その時に気が付けば良かった。いや、気が付いていた。――もう振られる……と。
それを確かめるのが怖くて、気付かないふりをした。
その時が訪れた。
――付き合っていた彼女が妊娠したから別れて欲しいという言葉だった。
色んな気持ちや葛藤がぐるぐると渦を巻いて、悲しさと怒りがいつまでも心に居座っていた。苦しかった。
なにか自信が欲しくて、ネイルのデザイン、テクニックを磨いた。
ファイナリストや佳作賞に選ばれたが、自信がついたわけじゃなかった。
開店したけど、中々客が入らなくて、一人の男がネイルサロンを経営していくのに思っている以上の偏見があった。
でも、偏見のせいだけじゃない。笑顔がうまく作れない店主のいる店なんか、誰も寄り付かない。
それがわかっていても、当時は笑うことが難しかった。
エリカの言葉で、自分では気が付かない顔があるものなんだと思い知った。
「六年前は、暗いとか、可愛げがないとか、ぼろくそ言われたよ」
蒼の話を優しい目をしながら聞いていた悠が、実家で自分も思いがけないことを言われたことを話してきた。
――妹には、男が好きなんだろう。とか、母親には、モテたくせに長く続かない残念な息子だとか。
口を尖らせて、冗談半分で不満げに話していたが、次の言葉に、蒼の態度が冷たいものと変わった。
「ふーん。――とっかえひっかえ、だったんだ……」
一瞬で悠の表情が固まった。
「あっ……ち、違う。そんなことない」
しどろもどろに弁明をしようとしている悠の首に腕を回して、キスをせがむ。
焦った悠の顔が蕩けたように甘くなり、それに応えた。
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