295 剣聖の帰還
※最終回投稿に向けての調整で、本日二度目の投稿となります。
馬車が突っこんでくる。
カルナリアは、そこでとっさに馬ごと避けることができるほどには、乗馬に熟達していなかった。
代わりに、即座に
その動きは慣れている。
しかし、馬同士は互いをよけたものの、その後ろの車体をぶつけられ、カルナリアの馬が倒れこんできてしまい。
身を丸めたカルナリアだったが、その上から、馬体にのしかかられた。
痛み。重み。動けない。
「おおおおお!」
御者台から地面に転げ落ちた貴族がわめく。
カルナリアを探しているようだ。
しかし、その前に、凄まじい勢いで馬蹄の響きが押し寄せてきた。
炎の塊のようになった、親衛騎士たちだった。
カルナリアを守るために生きている者たちが殺到してきて、即座に地面の貴族を拘束し、またカルナリアを発見し馬体をどけて、そして剣を抜いて馬車の扉を開き中にまだ誰かいないか確認する。
その殺気だった彼らに――。
「待てえええええええい!」
鋭い声がかけられた。
女性だった。
なまじな男性よりずっと背の高い、旅装の女性が、棒を構えて立っていた。
胸は大きめだが不自然。布を硬く巻いている様子。
「馬車を襲う不届き者ども! 王の住まいのすぐ側で、
助け出されたカルナリアは、騎士たちともども、ぽかんとした。
だがすぐに、目を見張った。
素晴らしい才能持ち。
「武」の――個人としても、将としても、凄腕!
まったく別格のあのひとを除けば、カルナリアがこれまで見てきた女性の中では最強。
強化された女騎士ベレニスであってもかなうかどうか。
その女性が、火の出るような目つきでにじり寄ってきた。
構えた棒に、とてつもない力が宿っているのがカルナリアにもわかる。鉄輪をはめて補強している、きわめて危険な武器。
「待て、落ちつかれよ! 我らは盗賊などではない!」
乗馬した騎士が、馬体を立ちふさがらせて言うが。
「賊とはみなそのように言うものだ! 集団で馬車に群がり剣を抜く、それが賊でなければなんだ! 正義のために悪を討つ、これぞ武人の役目なり! たあっ!」
聞く耳持たず女性は打ちこんできた。
騎士はやむなく迎撃した。
剣は抜かず、防ぐにとどめる。
――そうしようとした。
打ち倒された。
女性の手に持つ棒が、倍にも伸びて、騎士のあごを打ち抜いていた。
一瞬で体を半身にし腕をいっぱいに伸ばして、棒の先端を届かせたのだ。
続いて大きく宙に飛んだ。
棒が異様なうなりを立て、別な馬上の騎士が叩き落とされた。
彼らは素人どころか、この国で最も重要な人物を守る、最強の戦士集団のはずなのに。
「
「陛下を安全なところへ!」
カルナリアは引き起こされ、鋭い痛みにうめいた。
足をくじいていたのと、あばらにも損傷。
即座に魔法で治したが――。
「魔法…………腕がいいねえ……やるねえ。勝負しよぉ?」
反対側から女性の声がかけられたと思った次の瞬間、魔力がはしって、周囲の親衛騎士たちがばたばたと倒れていった。
馬上の騎士も、馬の首にしがみつくように意識を失う。
「!?」
カルナリアもクラッとする。
そして総毛立った。
自分たちは、
なのに、やられた!?
「お、意識あるぅ。面白いなあ。この国のやり方じゃ防げないはずなのにぃ。もうちょっと楽しめそうだねえ」
酒にでも酔っているかのようにフラ、フラと身を左右に揺らめかせながら、細い人影が近づいてきた。
またしても女性。こちらも驚くほどの才能持ち、整った顔かたち、しかし眠たそうにとろんとした目……そして赤青白黒の四色に均等に染め分けられた、正気を疑う髪!
その体を包んでいるマントから、認識阻害効果を感じた。
だとすると……レンカや、あの七人と同類――すなわち忍びの者か!
『風魔』なら、あるいは『風』の残党なら、カルナリアを知らないわけがない。
では、外国からの刺客!?
あり得る。
カルナリアを殺せば、カラントから王が消えるのだ。
どの国どの勢力であっても、狙わないわけがない。
カルナリアもそれは承知していて、隙を見せないようにしていたのだが……たまたまの暴走で、まさか凄腕の刺客と出くわしてしまうとは!
カルナリアは再び肌に
どうやらこの相手は、子供のように、遊びたがっている気配。
「待て。ふうむ。見たところ、あの馬車に乗っていたご令嬢か。失礼した。我々は怪しい者ではない」
棒の長身女が、女王とその護衛騎士を攻撃しておいて、一点の曇りもない正義の顔つきで言ってきた。
「この国の女王陛下に、面会せんと向かっている途中であった。ご無事で何より」
「………………」
面食らって、つい素で訊ねる。
「……仕官をご希望してのことですか?」
これほどの戦士、魔導師の面会希望者がいるのなら、カルナリアの予定に組みこまれているはずだ。だが記憶にない。
「似たようなものだが。私の知り合いが、自分は女王の知り合いゆえに、面倒な手続きを飛ばして、すぐ会えるのではないかと言うのでな」
「あの、それは、さすがに……無理ではないかと……今は、そういうことを言い立てて近づこうとしてくる人が、すごく多いので……」
「ほうら、やっぱりぃ、無理だって…………言ったでしょお……?」
フラフラしている魔導師が言ってきた。
「むう。それは困る。私はもう、そのつもりで準備してきたのだ。女王陛下にお会いした時の挨拶の言葉を、せっかく暗記したというのに、頭からこぼれ落ちそうだ」
「あんたの頭に何かが残ってる方が不思議だけどぉ?」
「あの、あなた方が悪い者ではないというのでしたら、倒れているこの人たちを、起こしてもらえるとありがたいのですが……わたくしの、護衛なのですよ」
「むう。ということはあなたは、賊ということか?」
びしり、と棒が向けられる。
「だからあ、その白か黒かしかない頭ぁ、どうにかしなよぉ」
「四色のお前に言われたくはない」
「けけ。ざぁんねん。私のこれはあ、意味あるのぉ。魔法に、神様の力、重ねるためだからねえ」
「…………」
魔法防御が通用しなかった理由をカルナリアは察した。
そして同時に、ある光景を思い出した。
あらゆる魔法攻撃を受け付けなかった巨蛇が、神の力を宿した剣によって、真っ二つにされたところを…………!
(まさか……!?)
「む!」
女戦士が、一瞬で長身を這わせ、地面に耳を押しつけた。
「百騎以上、向かってくるな。まずいぞ」
カルナリアを追ってきた親衛騎士団だろう。
彼らは常時、二百騎が即座に動ける態勢を作っている。
遅れたのは、正門を開ける時間がかかった分だ。
「こりゃまずいねえ。ずらかるぜい。あんたはどうする? まさか、やるのぉ?」
「二十人までなら相手してやるが、百はさすがにな。しかも女王陛下のお膝元で殺しはまずい。ぬうん。まだまだ未熟」
そして女戦士は、言った。
「フィンのようにはいかないな」
「!?」
カルナリアの全身が耳になった。
雷鳴のように、トニアから聞かされたことがよみがえった。
フィンが、新しく仲間にした二人の女性。
背の高い戦士と、奇妙な魔導師!
「では失礼する」
「そんじゃね~、お嬢様ぁ」
女戦士と四色頭の魔導師は、木立の間へ入ってゆき――その姿が薄れた。
女戦士もまた、認識阻害の布を使っているようだ。
カルナリアには識別できる、周囲とは違うそのゆらめきが、遠ざかってゆく。
「お、お待ちを! 待って! お待ちください!」
カルナリアは後を追って道を外れた。
自分の立場も責任も護衛のことも、何もかも忘れて突っ走った。
「む、追ってくる?」
「いっぱい、ついてきてるよぉ。どうしようねえ?」
現場に到着した騎士団が、木立の間を駆けるカルナリアを見つけ、猛然と追尾してきていた。こちらもまたものすごい勢いだ。
「あの人数、連れてくのは、最悪だねえ?」
「やるか。あのご令嬢には悪いが、人質になってもらって」
「なんでそう、頭悪いことしか考えられないかなあ?」
「お待ちください! フィ、フィン、フィン様の、お知り合い、ですか!?」
追いかけるカルナリアは必死で叫んだ。
全力で脚を回転させているのに、相手の方が速く、距離が開いていく。焦りもあって声がろくに出せない。
「わあああああああああああああっ!!」
とうとう、意味のある言葉よりもとにかく声をと、ただ叫ぶだけにした。
一気に体力を消耗するが、続けて叫び、叫び、甲高い声を張り上げながら、走る、とにかく走る、後を追う!
先を行くふたつのゆらめきが、止まった。
もしかすると、そこに!?
カルナリアは限界を迎え、両膝に手をついてぜえぜえ喉を鳴らした。
まだ少し距離はあるが、先の二人がこちらを振り向いたのを感じ取って――。
「わたくしです! カルナリアです! ルナ、です! ご主人さま! そこにいらっしゃいますかああああああああああっ!?」
叫んで、酸欠でクラッとした。
よろめいたところを――支えられる。
布。
認識阻害の魔力。
見た目は――ぼろ布!
「!!」
しかし、あの見上げるような円錐形ではなかった。
カルナリアより小さかった。
「…………お前か!」
声は、よく知っているものだった。
「レン…………カ…………!」
「お前かよ! 久しぶりだな! でっかくなりやがって! ずるいぞ!」
懐かしいあれとほとんど変わらないぼろ布が揺れて、中からあの顔――大事な友だちの顔が……少しだけ大人びた、しかし相変わらず子供の
その背丈は、今のカルナリアの肩にも届かない程度。
ということは……レンカがいるなら……。
この近くに!
「あ……あのひと……は……?」
「まあ落ちつけ。息しろ。水あるか? あと――」
レンカは、カルナリアをゆっくり振り向かせた。
殺気だって突撃してくる親衛騎士団!
「あいつら、止めてくれ。お前以外にゃ無理だ。捕まるのもいやだ。逃げちまうぞ」
「!」
カルナリアは一気に体の力を取り戻し、背筋を伸ばし威厳ある立ち姿となって、忠実な騎士たちに無事をアピールした。
「止まりなさい! わたくしは無事です! この者たちは、敵ではありません!」
そしてたくましい男たちを見回し――。
ひとり、呼びつけた。
最古参――グライルで最初に親衛兵となった六人のうちのひとりが、ありがたいことにこの場にいてくれた。
「レンカのことは、おぼえていますね?」
あの頃と外見がほとんど変わっていない小さな手練れは、もちろんしっかり彼の記憶にあった。
それにより疑いは解けて――警戒はされつつも、一応は剣を収めてもらえた。
レンカの仲間らしいあの二人も近づいてくる。
「誤解であったか。すまない」
「いやあ、悪かったよお」
カルナリアの胸は否応なく高鳴る。
猛然と打つ。
「あ………………あのひとは…………!?」
「お姉さまなら、オレたちを様子見に行かせて、寝てたんだが……ちょっと前に、動き出して、どっか行っちまった」
「!」
いた、近くに、すぐ近くに、今、いる!
「まあ、それで……だ。何で、これまで会わないでいたのに、来たかっていうとだな……」
「あ、いたあ」
四色髪に言われて、また心臓が跳ねる。
「あの、馬車の中だねえ。回りこんで、こっそり、入りこんだんだあ。見られたくないし、歩きたくないからだねえ。さすがだなあ」
「!!」
カルナリアはものすごい目を、街道上の先ほどの馬車に向けた。
「あー。わかるが。落ちつけ」
駆けだしたら襟首つかんで止めるだろう、という位置取りをされる。
「オレたちはまだしも、お姉さまは、見られちゃまずい。知られたら、必ずろくでもないことになる。それはわかるな?」
「…………はい」
剣聖、カルナリア女王のもとへ!
その知らせは、カラント中に、いや周囲の国にも、たちまち広がるに違いない。
それにより群がってくる面倒ごと――フィンは以前、それを避けるために、カルナリアから離れると決めたのだ。
カルナリアを想ってのことを、カルナリア自身が台無しにしてしまうわけにはいかない。
その場合、また逃げられてしまう!
「わかりました…………ええ、必ず、冷静に、大丈夫です……」
「ほんとかよ」
親衛騎士たちに囲まれつつ街道へ戻って。
緊張と興奮を抑えるのに必死になりながら、道の端に車輪を落とし斜めになっている馬車を元通りにさせ――中に誰かいることに気づかれたらどうしようかとハラハラしつつ作業を見守り――検分のために王宮へ運びこむように命令した。
「あ…………ふうん。お呼びだ。乗せてもらうよぉ」
許可を出すより早く、スルリと四色頭が乗りこんでいった。
「逃げはしないけど隠れはするよぉ。その方がいいでしょお? ほら、あんたもぉ」
「うむ、わかった。確かに、正式な招待を受けたわけでもない我らが堂々と宮殿に入りこむところを見られるのは良くないことだ。では失礼する!」
棒の女戦士も、馬車に乗りこんでいった。
長身に重武装とあって、車体がかなり大きく揺れた。
扉は閉じられ、中の様子がうかがえなくなってしまう。
周囲に促されて仕方なくカルナリアが馬にまたがると――前に、レンカが軽々と飛び乗ってきた。
「いいだろ?」
「……はい」
身体検査、武装解除をしていないので親衛騎士たちの目は厳しかったが、そこは女王特権で無視する。
カルナリアは馬を進ませ始めた。
自分の方が後ろの、二人乗り。ものすごく奇妙な心地だ。
「ほんと、でかくなったな」
頭で、胸をぽよ、ぽよとされた。
「変わったな。オレは変わんねえっていうか、変わらないように、魔法で成長止めてもらってるんだが。小さい方が便利なことも多いからな」
「それで、ですか……」
この大事な友だちと抱き合った時のことを思い出す。
少し自分の方が大きい、くらいだったのに。
今では相手の頭は自分の胸のところだ。
「あの頃のわたくしは、こんなに小さかったのですね……」
「お前が、すげえ大きくなってんだよ。母親によく似てきてるぜ」
「そう……ですか……」
騎士のひとりが馬車の御者台について、ゆっくりと走らせ始めた。
……内部には女性が二人……いや三人乗っているはず……。
そう意識しながら、カルナリアはそれに追随して帰城していった……のだが。
馬車の中から、時折あの女戦士の声が聞こえてくるので、気になって仕方がなかった。
いるのか。あの二人と何を話しているのか。
「気になるよな」
「はい。あの棒つかいの
「ああ。事情というか、方針変更というか…………今まで姿見せなかったのに、何でかっていうとな……まあ、みっともない話なんだが……」
「遠慮なくどうぞ」
「かくまってくれ。
というか、面倒見てくれ」
「それは………………構いませんが…………かくまう?」
「お前が危なそうな時は出てたんだが、まあ基本的にグライルにいたわけで……あの砦で、お姉さまはぐうたらしててな。温泉もあるし」
「…………」
「だけど、希望通りにはいかなくなってきた。
案内人たちにとって、あの人は神だ。切り落としたグンダルフォルムの腕や尻尾も飾ってある。あそこは本物の神がいる神殿になっちまった。
でも、遠くから拝まれるくらいならまだよかったけど、直接参拝に来るやつが増えてきた。里から来ました。身の回りのお世話をぜひ。子供に祝福をくださいまし。名前をつけていただけませんか。この子に稽古を。
外から入りこんでくるやつも増えた。グンダルフォルムを盗もうとするやつ、研究しようとするやつ……実際に倒したのは誰か、どうやってと、探ってくるやつ……」
「それは…………あのひとが、一番いやがりそうな…………」
「ああ。限界が来た。
ゾルカンと話して、あちらもいい加減クソうぜえ下界の連中を追い払いたいって思ってたから、新しく仲間にしたあの二人と一緒に、まあ色々、きれいにしてきた。
でもこれ以上はもう無理だってことで……時々は顔見せに行くけど……グライルを出ることにしたんだ」
「それで……ですか?」
「みっともないけど、今ならもう情勢も落ちついて、お前んとこが、一番安全で、気楽で、都合がいい。だから頼みに来た。……なんであんなことになっちまったのか、わけがわからないんだが」
女戦士と騎士たちのやりとり、誤解の理由をカルナリアが語って聞かせると、レンカは盛大なため息をついた。
「だからあいつらだけで行かせるの、不安だったんだ……」
「どこのどなたなのですか、あのお二方は」
「棒のやつは、カナン・カンティラン。とんでもなく強いが、あの通りの馬鹿だ。サイロニアで、都合良く使われて、罠にはめられてたところを助けた……というか、こっちを襲うように仕向けられたのを、ぶちのめした。お姉さまが。家族全員を人質に取られてたのも助けたもんで、恩を返すとくっついてきた」
「はあ……」
「四色頭は、もっと東、ルーマのやつだ」
「!」
「クァン・マリエ。クアンマリエじゃなく、クァンが家の名前、マリエが名前だ。マリエールの略でもなくてマリエ。ルーマンゴールの、ゴールって方の出身。あっちにもグンダルフォルムがいる山脈があるそうでな。グライルのが退治された話伝わって、倒せるんだって息巻いた連中から、倒してこいって言われたけど、無理で、それでグライルに行ってみようってルーマを出てきて、オレたちに出会って、ついてきた。お姉さまが面白すぎるからって」
「……あのお二人と……は……?」
カルナリアの危惧を、レンカはすぐに読みとってくれた。
「何もしてねえよ。普通の、まあ友人というか、ツレ、仲間だ。顔は見せてるし、一緒に風呂ぐらいは入ったけど、お前が想像してるようなことはやってねえ。
……お姉さま、それもあって限界だったらしいぞ。
遠くからお前を見てるだけなのがつらくて、って」
「!!!!」
「ただ、近くまで来たけど様子うかがうばかりで、全然動かなくなってさ。何もなしにただ置いてくれってのはみっともないから、お前が襲われるみたいな危ない時に
「…………」
「でもお前、すごくしっかり守らせてて、襲われるどころかそれ以前に火種を消しちまう。元締めはトニアのやつなんだろうけど、お前も『目』で手伝っただろ。配下にすげえやつらがそろってきてるな」
「そう……なのですか……」
「だから、今日のこれは、本当に偶然だ。何か仕組んだんならもっとまともなやつ使うよ。
なんで、利用させてもらいたい。
……と、まあ、全然
もちろん、面倒見てもらう分、やれるだけのことはやるぞ?
『風』に入れとかそういう、組織とか臣下とかに縛られるのは御免だけどな」
「ええ、ええっ! ぜひとも! ぜひに! 何もしなくていい権利、ええと、国内完全自由通行権、不逮捕特権に免税特権に、望まれるものを何でも! いえそもそもこの国はあの方の――」
カルナリアは矢継ぎ早に言った。まずいことを言いかけてレンカに肘でどつかれてギリギリで止めた。それでも唇はぱくぱく動き続けた。
締まらないも何もどうでもよかった。
カルナリア女王は、出て行った時とはまるで別人の顔つきで宮殿に戻ってきた。
「ライズとファラを呼んでください! どんな大事なことをしていてもすべてわたくしの名前で! 必ず! トニアも! 同じく必ず! 特別な警備態勢をとってもらいます!」
女王は猛然と指示を出し、宮殿の裏側に広がる庭園を、わずかな者たち以外、下働きも警備の忍びもすべて退出させ、外から見えないように幕を張り巡らせた上で、馬車を導き入れた。
「…………でけえ」
レンカは、子を産み体型がものすごく変化した、三人目がお腹にいるメガネ魔導師を見上げた。
その隣の夫、覆面をし体型はわからないようにしているが
「レンカちゃん、おひさっ! ちっちゃ! かわいいっ!」
母親となった偉大なる女性は、少しも成長していないかつての仲間に、素直すぎる感想を叫んだ。
ちなみに抱きしめようとしたがもはや素人女性と同じようにしか動けず、一切成功することはなかった。
「王宮の、裏庭だ。誰にも見られてねえ。
レンカが声をかけ、馬車の扉を開いた。
「カナンだ」
まず長身の女戦士が出てきた。
居並ぶ者たちを見回し、すぐトニアに目を据える。
「ほほう、できるな。魔法も使うか。これは厄介だ」
最も戦闘に長けた者をすぐ見抜いたようだ。
「グライルに入ったとつかんだばかりだったのに……」
トニアは忍び組織の長、情報担当としてきわめて深い屈辱を味わっていた。
「ああ、悪いねえ。グライルに入れたの、それっぽく見せかけた連中でえ、私たちは『流星』の光を隠す魔法使って飛んできたからねえ。実はもう何日も前からこの辺にいたのぉ。ちなみにそれ使えるのは私だけだから安心してえ。ふふふ、よろしくぅ、天才魔導師のマリエだよぉ」
四色頭が自慢げに言いながら出てきたが、ファラを見て顔を引きつらせた。
「うげっ……遅れた国だと思ってたのに、なんでこんなのいるんだよぉ!」
ファラもうめいた。
「うわあ……何てやつ引きこんでくれやがりましたか女王陛下……お腹の子がまた影響受けちゃうよ。それにその髪、うちの子が真似したら困る……!」
魔導師同士、これもまた緊張をはらんでにらみ合う。
そして、最後に……。
最後に…………。
「………………」
カルナリアの心臓が痛いくらいに打っているのに。
気配だって感じるのに。
そこにいるのがわかるのに。
続いて出てくるはずの、最も見たい、会いたい、その姿が……。
現れない。
目は最大限にこらしている。今は『検索』も使える。絶対に見逃すことはない。
「あ~、カナン。マリエ。ちゃんと話したか?」
「ああ、全てつまびらかに説明したとも!」
「……自分がどんな風に騎士さんたちと戦ったか、ばっかりだったんだけどねえ……ちゃんと私から言っといたからあ……」
「わかった。じゃあ……」
レンカは馬車の中に向き、声音を少し変えて呼びかけた。
「お姉さま。聞いた通りです、大丈夫ですよ。怒ってませんよ。むしろ会いたがっていますよ。本当です」
ぶっきらぼうではなく、甘える少女のような、人がいるところではこのように振る舞っているのだろう子供っぽい言い方だった。
「……怒ってる?」
カルナリアがつぶやくと。
「あ~~~~~~あれかあ…………そういやそうだったねえ……」
聞きつけたファラが、しみじみと言った。
「何のことですか!?」
「女王陛下。いや、カルちゃん。あんたさ、おっきくなって、時間経って、会いたい、寂しいってそればっかりで、忘れてることない?」
「忘れていること……ですか?」
「よいしょぉぉぉ!」
ファラは突然、大きく脚を開いて腰を落とし、巨大かつ重たい体で地面を強く踏みしめて、左右に広げた手で何かを真ん中に集めてよじり合わせるような、あるいは首を絞めるような、珍妙な仕草をやった。
体が大きいだけに迫力がものすごかった……が。
「?」
「あ~~、自分自身じゃわかってないか。
これ、やったんだよ、あんたが。ものすごい顔と声で」
「わたくしが、ですか!?」
「人の歩みは、道じゃなく川だって。交わって離れるんじゃなくてひとつになっていくものだって。いきなり姿消して何かやった気になってるんじゃねえぞって、あのぐうたら者に伝えろって」
「あ…………!?」
それらの言葉から、記憶がよみがえってきた。
「楽ができる国を作ってやるから、さっさと取り立てに来い。
来なきゃこっちから押しかける。逃がさない。地の果てまでも追いかける。絶対に許さない。お尻ぺんぺんしてやるぞ。
……あの後、私とレンカちゃんとで、しっかり伝えたんだよねー」
「………………!」
思い…………出した…………!
フィンが自分から離れていってしまった、別れの言葉もなしに姿を消してしまった、そのやり口に激怒して、色々わめき散らしたのだった……。
「で、お姉さま、すっかりビビッちゃってなあ」
レンカが馬車の戸口から振り向いて苦笑した。
「
……ま、無理なのわかるだろ。一部じゃ知られすぎてるし、
「ん?」
女戦士カナンが、何もわかっていないような、いや多分本当にわかっていない顔で首をかしげた。
いや、彼女だけでなく、四色頭の魔導師に、子供にしか見えないが凄腕の少女、そして丈高いぼろ布の円錐という女四人組など、一度遭遇したらどんな者でも一生忘れはしないだろう。
「それなら、もう国も落ちついてきたし、さっさと会って、特権もらって、悠々と国内動き回れるようになっといた方が得だ、楽だって、二日ほどかけて説得してな」
「…………」
記憶がよみがえり。
それに伴う色々なことが、経験を積んだ今の自分の感覚を元に理解される。
(わ…………わたくしが……あの時、ものすごく怒ったのを、今でも気にして……!?)
思い出してしまった。
共に神の世界に滞在して、お互いの感覚を共有しあった時に。
あの超絶の美貌を持つ最強の剣士は、人間関係の面ではきわめて経験に乏しい、内気な少女も同然だとわかったことを……!
「あ…………あの…………」
「ゆっくりと、な。逃げ出されたら、オレたちでも捕まえるの大変だから」
場所を空けてくれたレンカに代わって、カルナリアはおずおずと近づいていった。
考えて……車内をのぞきこむような真似はせず、手袋も外して、横向きになり顔はそむけ、素手の手首から先だけを差しいれる。
「わたくしです。カルナリアです。お久しぶりです。……あの時は、すごく怒りましたけど……あれから、もうずいぶん経って……色々あって……もう、怒ってはいませんから……戦の時、守ってくださった、お礼を言いたくて……いえ、とにかく、あなたにお会いしたい、それだけで……………………出てきていただけませんか……?」
しん。
永遠にも思えた沈黙の後。
馬車の中で、動きがあった。
カルナリアの全感覚がそこに向いた。
前に、フィンがカルナリアを強く求めた時に、扉や壁を隔てた向こうにいるのがわかったと言っていたが、その感じを理解する。
目で見ていないのに、そこにいる者の全てを感じ取ることができた。
長身を小さく丸めていたのが、そろりそろりと、近づいてくる。
自分の手を見つめられている。
手に、手を伸ばしてくる。
触れる寸前で、止まり、ためらいを示して指が曲がり…………。
触れた。
「っ!」
捕まえたい!
でもだめ、多分逃げられる、車体を切り刻んで『流星』で逃げてしまう。
あと少し、あと少しだけで……!
つん、つんと触れてから、ようやく、指の腹を触れさせてきた。
麗しい指が、カルナリアの手に這ってきて、手の平が、手の甲に重ねられて……!
カルナリアはすさまじい鳥肌に襲われ、強く身震いした。
「わかります…………あなたの…………手です…………ずっと、夢見ていた…………あなたの……!」
すでに熱いものが目尻から頬へしたたり落ちている。こらえられなかった。
「あなたが……いつまでも……来てくださらないから…………わたくし…………すっかり、大人に、なって、しまいましたよ……!」
カルナリアの言葉に応えるように、包みこんでくる手が、手の平側に移動してきて。
カルナリアからも握れるようにしてくれた。
握った。
忘れるはずもない、同じ感触――この手を、握り、気持ちを伝え、想いを告げた……その手だ……!
「同じ手だよ」
暗い中から声がして、カルナリアは全身を激しく震わせた。
「あの時と同じ、可愛い手だ…………私のもののままだ」
カルナリアは指をからめて、手をゆっくりと引いて。
体も、そちらに向いて。
引かれるままに、馬車の中から、ぼろ布が……上下動を示さず、ずるりと出てきて……。
地に立った!
「あ…………!」
カルナリアは、耳の奥に強烈な鼓動音を聞きながら、見上げた。
いや、記憶にあるよりも、顔を持ち上げずにすんだ。
はるかに高い所にあったはずの、頭のあるだろう場所は、わずかに見上げる程度の位置に。
「…………大きく、なったな」
「フィン…………さま…………!」
ぼろ布が揺れて、開いた。
美しい黒髪と。
それ以上に美しい――記憶と何一つ違うもののないあの顔が、微笑んで、カルナリアを迎えてくれた。
「フィン・シャンドレンだ。剣士を
私は、めんどくさいことがきらいだ。動くのもきらいだ。できる限り何もしないでいられる、いい国に、住まわせてほしい、カルナリア女王陛下」
「も…………もちろんです……!」
カルナリアは顔をぐしゃぐしゃにしながら言った。
「やっと……来てくださいましたね…………いい国を…………あなたの方から……やってきて、住みついてくれる、楽な国を…………作り……ましたよ……!」
「ああ、いい国だ。日に日に、いい国になっていくのを、ずっと見ていたよ。
がんばったな。
だが、私がいると、面倒ごとが舞いこんでくる。それでも、いていいのか?」
カルナリアは握った手に力をこめた。
「いいに決まっています! 今度はわたくしが、全てをかけて、あなたをお守りいたします! あなたがそうしてくださったように! どれだけ大変でも! めんどくさくても!」
「…………頼む」
このひとに、言われた。
言ってもらえた。
頼ってもらえるようになった。
やっと。
カルナリアの手が震え、声が震え――。
「お…………お会い…………したかった…………ずっと……!」
「私もだ」
ぼろ布が大きく開かれた。
前とは違う――恐らく、グンダルフォルム由来の素材を色々使っている衣服。
そして、
カルナリアはしがみついていった。
前はフィンの胸の下になった顔が、フィンの肩についた。
その分、顔の下半分が豊かなふくらみに当たる。
「ああ…………!」
感嘆、感動の声が漏れ――いちど漏れ始めると止まらなくなって。
「あーーーーーーっ!」
女王は、奴隷の少女に戻って、全てを頭から消滅させて、相手に抱きつき、抱きしめられて、ひたすらに声をあげ、泣きじゃくり続けた……。
【後書き】
ついに、会えた。
前触れなし、手紙どころか遠くから吠え声あげることすらしないで、いきなり来た。
劇的なもののない、ぐうたら怪人ぶり全開のだらしなさで、会いに来た。
だがそれでいい。ここにいる、腕の中にいる。カルナリアにとってはそれだけで十分。
全てを満たされた少女は、ようやく、本当の女王として立つ。
次回、第二の、実質的な最終回。第296話「カルナリアの結婚」。
ふたたび交わった二人の道は、今度こそ重なり、ひとつになって流れてゆく。
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