236 王に問う
垂直。
真上に。
カルナリアを背負ったフィンは、そう飛んだ。
(なぜ!?)
周囲が『見え』ているカルナリアは、心底から動揺した。
失敗したのか。
肝心のこの場面で、しくじったのか。
ゴーチェに声をかけたせいでタイミングが乱れて、真上に飛び上がってしまったのか。
あの
斜め前へ飛ぶはずが、失敗して。
――違った。
失敗ではなかった。
ある意味、正解だった。
生き延びるため、という意味で…………。
みな、穴を出てすぐに「飛び散った」のだが。
カルナリアがゴーチェに一声かけ動きを指示した分だけ、フィンの動き出しが遅れて。
そのために――見えたのだ。
先にレイマールという「緑色の星」を輝かせた高速の豆粒の動きを経験しているグンダルフォルムが、同じものに、即座に対応してきたところを……!
ヴォン。
風のうなり。しかし聞いたことがない、太いもの。最も似ているのは、つい先ほど、身をかがめていた自分たちの頭上を高速で通過した、粉砕された城壁の一部だった岩が飛んでゆく音……。
垂直に飛んだフィンとカルナリアの、足の下を、何かが通過した。
グンダルフォルムの、尾だった。
あの平べったいものが――獣人たちを打ち落とし、レイマールを天高く打ち上げ、それから学んだことを生かして――角度をつけた上で、高速で振るわれた。
先の轟音に続いて、烈風が舞った。
崩壊した城壁や岩塔跡から激しく砂礫や小石が飛び散った。
すでに息絶えた者たちの死体があおられ、ずれた。
――グンダルフォルムは、知っていた。
高い知能で、推測していた。
逃げようとする豆粒どもは、自分に捕まらないために、高々と舞い上がることはせずに、自分の長い胴体のぎりぎりをかすめるように、低く、強く飛ぶだろうと……!
その結果。
四つの、ほぼ同じ高さで弾け飛んだ豆粒たちが。
その軌道上をひとなぎした尾によって。
角度を調整した巨大な板によって。
四つともすべて。
宙高く舞い上がることなく、地べたへ叩き落とされたのだった…………!
「!!」
それを、カルナリアは上空から「見た」。
見えてしまった。
緑の星。四方向に別々に――いやひとつはもうひとつにくっついて、三方向だったが。
その四つの星すべてが、巨大な尾の一振りで次々と打ち落とされて、緑の残像を引いて吹っ飛ばされていった……!
なまじ『流星』の使用に慣れているために、四人とも同じように飛んでしまい、そのためにひとまとめにやられてしまった。
――ひとりだけ、初装着初使用のため、違う動きをした
飛べるとは言っても、やはり第一歩から全力で空中に舞う、などということはできず、城門のある方向へ走ろうとして。
超加速し、緑の尾を引いて――まだ形は残っている城門に激突して人の形にぶち抜いていた……。
(わかります……)
自分も、最初に装着させられた次の瞬間には崖にめりこんだものだった。
とりあえず、ゴーチェは――緑の星の輝きで居場所がわかる――これもまた、本当に全力で動くことなどできなかったために、ひき肉、あるいは……悲惨なあの獣人たちのようにはならずに。
体の形は保たれた状態で、城門だった木材と入り乱れて倒れていた。一瞬だがそれが見えた。
見えた、というだけ。
ここまでのあれこれは、一瞬の間に起きたことを、視界に入れただけ。
ここでもやはり、見るしかできない。
助けることなど不可能。
「ぬっ」
しがみついているフィンが、またうなり声を漏らした。
垂直に飛び上がった体が、あらゆる重みが消えた不思議な感じになった。
上昇の最高点。
それと同時に、周囲のすべてが回転し始めた。
自分たちが回っているのだ。
今の、巨大な尾が通過した烈風のせいで。
こうなるともう、フィンでも何もできない。
ぐるぐる回りながら、落ちるだけ。
落ちる以外にできることはない。
そして……きわめて知能が高く、感覚も鋭い巨蛇は――もちろん、高く飛んだ赤い光、強い力を持つ魔法具を見逃すことはないだろう。
終わった。
自分たちは生きている。しかしそれだけだ。まだ死んでいないというだけ。次の瞬間には、レイマールと同じように、あの口の中に飲みこまれて、じっくり味を楽しまれながら、噛みつぶされて……!
恐怖に心が塗りつぶされる中。
ぽん。
お尻を、叩かれた。
フィンの手。
その仕草の意味は。
「!」
ぐるぐる回っていても、『透過』による視界確保が途切れることはないので、目を閉じようがどうしようが周囲が見え続けているわけで。
その回転する世界の中に、岩が近づいてきていた。
今のは、落ちるという警告――。
落ちた。
「ふべっ!」
衝撃、一瞬はしった魔力。
すなわち『流星』が着地に際して装着者を守ってくれた。
そのおかげで骨が折れるようなことにはならずにすんだ。痛いことは痛いが。
「起きろ!」
鋭く言われ、体が反応する。
反応できたのは、こういう激突が初めてではなかったから。
同じようにフィンに背負われ、崖を飛び上がって転がった経験があり、急斜面を転げ落ちた経験もあった。つい先日にはすり鉢状の穴を滑り落ち、滑りきった次の瞬間に――。
カルナリアは即座に気を引き締め、状況を確認した。
「…………あ」
自分たちは、砦を見下ろしていた。
まだ空中にいるのか。
違う。
グンダルフォルムにあっさり突き崩され、壊され、切断されていった中で、ただひとつまだ残っていた岩塔。
自分たちがその根元に隠れていたもの。
その頂上にいるのだった。
風圧で回転させられ軌道を変えられ、ここに落ちた。
奇跡と言えば奇跡。
しかしほとんど意味のない奇跡。
ほんのわずかな命拾い。
なぜなら――見られていたから。
グンダルフォルムに。
「…………」
考えるより先に体が動いて、カルナリアは腕を伸ばしぼろ布をめくって顔を出していた。
人間の特徴――好奇心。
肉眼で、自分の「目」で、相手を見たかった。
「……ひ!」
途端に、裏返った甲高い音を漏らしてしまった。
目が合ったのだった。
……先ほど、襲来してきた時に「見た」のは、一方的に目撃したというだけだった。
今は違う。
知恵ある、強大で凶悪な魔獣が、自分たちをしっかりと見つめてきている。
その視線とカルナリアの目が重なった。
「うひぃぃぃっ!」
ぞおおおおおおおっ、と――。
総毛立つなどというレベルではない、とてつもない悪寒と恐怖に、心身全てが凍りついた。
勝てない、どころではない。
相手は捕食者だ、と認識することもない。それは当然すぎることだから。
これは、絶対者。絶対にして超越の存在。人間がどう抗ったところでこれに食われる以外の道はありえない。
カルナリアひとりでこれと相対したのだったら、魂まですくみ上がり、食われるという当然の結果を受け入れ、一秒でも速くこの恐怖を終わりにするために、喜びすら感じつつ、自分から口の中へ飛びこんでしまっていたかもしれない。
しかしカルナリアはひとりではなかった。
恐怖の中、腕に力がこもり、まだ片腕をかけてくっついている体に、より密着した。
温かく、しなやかで、力強くて――やわらかで、麗しい黒髪の女剣士。
その手が、しがみつくカルナリアの手に重ねられた。
それによってカルナリアの理性は途切れることなく、恐怖しながらもなお相手を見つめ続けた。
すると。
(…………迷ってる……!?)
カルナリアは相手のそういう感情を読みとった。
巨蛇には、即座に自分たちを食べようという意志はなかった。
高い知能があり獲物を選り好みし、できるだけ美味く食いたいという欲求を抱いているために――。
迷っていた。
落ちてきた赤い光。まだ潰れていない、活きのいい豆粒。
しかし――魔力が底をついた上に『
一方で、豊かな魔力を身に宿した豆粒が、打ち落としたものの、まだ動けるようで、そばにいるもう一粒と一緒に逃げだそうとしている気配も感じる。
そちらは、これまで魔力は少なかったのが、ぐんぐん回復していっており、実に美味そうな状態になりつつある。この豆粒は自分からいい味になってくれることがよくあり、そうなってから食べるとさらに深い味わいをもたらしてくれる。
目の前の元気だが無難な味のものを食べるか、美味そうなそちらを先に口にするか。
この場の絶対的支配者は、迷っているのだった。
そのわずかな
カルナリアは周囲の、壊滅寸前のこの砦の全容に目を走らせることもできていた。
斜面の上、完全に崩壊し猛烈に炎と煙をあげている館と、その奥の洞窟。
反対側、半円形の城壁は、ほとんど斜めに傾くか崩れるかして、もはや原型を保っている部分の方が少ない。
その外側を完全に取り巻く、長い長い、グンダルフォルムの胴体。美味しいものをたっぷり口にできた喜びと、取りこんだ栄養すなわち魔力で、体毛がきらきらしている。
その上でゆらめく、刃のついた尾。どこまで続いているのかわからない長大な胴体が、どこかで曲がって戻ってきたその末端にして、恐るべき武器。あれを避けて逃れることは『流星』をもってしても不可能だと証明ずみ。
完全に囲まれ、逃げ場のない中に、まだ生きている者たちが見える。
『流星』で逃げるということは彼らを置き去りにするということで、成り行きとはいえ大人たちのその選択を一度は受け入れてしまった自分をカルナリアは恥じた。
逃げ散った案内人たちが、それぞれの隠れ場所から、可能な限り身をひそめたまま、這いずって、あるいは四つん這いで、瓦礫や木材で自分の体を隠しながら、この砦から逃れ出ようとし続けている。
兵士たちもいくらかは生き残っている。案内人たちの向こう側にいたために巨蛇を攻撃することができなかった者たち。それゆえにまだ命がある。
しかし、剛強な騎士たちや最強の騎士ディオンがあっさり倒され、主たるレイマールすら何もできないまま無残に噛み砕かれていった光景を目の当たりにして、完全に気死し、突っ立ったまま。
エンフとわかる案内人がそのうちのひとりを伏せさせようとしたが、別な者に止められ、引きはがされた。
兵士が自分から囮になってくれているのだから、その間に我々は逃げようと説得されたことは疑いない。残酷だが生き残るためには間違いとは言えない選択。
ゾルカンがまだ健在なのもわかった。
声は出さないが、周囲に手で指示を出している。周囲も彼の指示を仰いでいる。
前に、タランドンの街で、自分と引き離された後のフィンが、広場に座りこんで人の流れを観察し、地域の顔役を見つけ出したという話が頭に浮かんだ。
こういうことか、と本当の意味で納得できた。
人は学べる。学んで、成長できる。こんな時であっても。
そして、こんな時であっても――笑える。
「おしまいですね」
カルナリアは、フィンに言った。
笑顔で。
「あ~あ。せっかく王様になったっていうのに、これでおしまい。レイマール兄様の治世も短かったですけど、もっと短い。民の数も、ゼロ。これってすごい記録じゃないでしょうか」
「ふむ」
フィンは、こんな時なのに、一切の悲壮感も緊迫感も、
それもまた笑える。
「ゴーチェがいるのでは?」
「兄様よりわたくしを選んでくださいましたが、わたくしが王になると宣言する前なので、まだわたくしの民とは言えません」
「ふむふむ」
フィンは妙なうなずき方をした。
これまで聞いたことのない明るい声音。
「ところで――先に確認しておきたいのだが」
「はい、なんでしょう」
「お前は、本当に王女なのだな。自分で言っていた通り」
「……はい。それにつきましては、隠していたことを、本当に申し訳なく――」
「それはいい。最初からわかっていたことだ」
「………………はい?」
「その辺の話は後だ。そこではなく、急いで確かめたいことがある」
「はあ……後があるとも思えませんが……なんでしょう?」
グンダルフォルムに見られている前でするやりとりだろうかとカルナリアは考えたが、今更だと開き直りもした。普段通りの、どこかずれているこのひととくっついて、おしゃべりしながら死ねるなら、それはそれで、レイマールのように絶叫しながら飲みこまれ命乞いし泣き叫びながら噛み砕かれるよりもずっとましな終わり方というものだ。
「王女、お前は…………本当に、王になるつもりなのだな」
「はい」
答えはすぐに返せた。
「わたくしは、王の子として生まれました。父を殺したガルディス兄様には王となる資格はありませんし、レイマール兄様ももうこの世におりません。ヴィシニア姉様とそのお子様方では、ガルディス兄様たちどころではない量の血が流れます。ですからもう、カラントを、生まれ育った国を導くことができるのは、わたくししかいないのです。他に道はありません」
「そうか」
フィンは静かに言い――。
「ならば、新たな王に問う」
「うかがいましょう」
「幼き王よ。新たな国は、どのようなものにするつもりだ?」
「……………………あはっ!」
カルナリアの口から笑い声が漏れた。
本当の、心からの。
死の恐怖よりも大きな、愉快な感情。
なぜそんな気持ちがあふれたのかというと――。
それを訊ねてきた、まさにその相手から学び、考え、思い至ったことだから!
「楽な国、です!」
「楽?」
フィンが、あのフィンが、理解が追いつかないように声を裏返した。
「ひどいことが起きずに、王のわたくしが、のんびり、楽にやっていられるような国のことです。
ガルディス兄様のように、民の力を引き出して、新しい、より強い国を作ろう、そのために自分も力を絞りつくすなんて、できる気がしません。やったところでこんな小娘の全力程度で何ができますか。
レイマール兄様のように、逆らう者はみんな片づけていって自分の思い通りの国にするというのは、それ以上にやりたくないですし、わたくしの思い通りの国なんてどうせ出来が悪すぎて話になりません。
だから、わたくしは、いやなことはやらない、させないって、それだけ言って、めんどくさいことは他の、できる人にまかせます。
王自身が忙しくしなければならないというのは、その国がうまくいっていないということですから、そうならないように、使える人を使って、王はのんびり過ごすんです」
「ふうむ……その国では、王はのんびり、しかし民はこき使われるということか?」
「喜んで忙しく働く人、というものは実際にいると、わたくしは学んでいます。そういう人に押しつけてしまえばいいのです」
「ああ」
と、フィンも同意の声を発した。
二人そろって同じネチネチ男を思い描いていると感じ取って、カルナリアはニンマリし、布の下のフィンも同じ顔をしていることを確信した。
「そして……ゆったり過ごすわたくしの隣に…………同じようにのんびり過ごす、あなたにいてほしいのです、フィン・シャンドレン様」
カルナリアは、布の下の腕に力をこめ体をくっつけ、顔はぼろ布の上からフィンの頭部に押しつけて、言った。
次の瞬間には確実に死ぬとわかっているからこそ、一切の恥じらいもためらいもなく、心のままを言葉にした。
【後書き】
人生、最期の瞬間に何を話すか。大半の者は、口をきくこともできない状態になって死んでゆく。あるいは自分が死ぬとは思わないまま命を失うか。それを思えば、想いを口にできるのは幸せなことではないだろうか。少女の真情に、相手はどう答える。次回、第237話「王が告げる」。
ついに『その時』が。
【解説】
『流星』の初使用時の失敗については、63話参照。
グンダルフォルムの尾については、卓球をイメージしていただければ。豹獣人たちの時はほぼ水平に打ち返して台をオーバー。レイマールの時はスマッシュを受け止めたけれども高々と跳ね上げてしまう。今度はラケットを傾けて、見事に自分がすぐ食える範囲内に打ち返すことに成功した感じです。学習能力すさまじいです。
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