235 弾け花


「………………!!」


 目を限界まで見開き、巨蛇を、兄の終焉を見つめながら、口をふさがれたカルナリアは真後ろへ引きずられていった。


 世界が狭くなった。

 いや、周囲が暗く――岩の、穴の中に入ったのだった。


 わからないままに、絶叫しかけた。

 レイマールが死んでしまった。

王のカランティス・ファーラ』ごと飲みこまれた。

 あってはならないこと。ひどいこと。いやなこと。


「静かにしろ! 叫んだらみんな死ぬぞ!」


 レンカの声だと気づいて、ようやく周囲に意識が向いた。


 自分は、セルイ、ファラ、ゴーチェたちに、総出で飛びつかれ、穴の中に連れこまれたのだった。


 穴は、地面より下にえぐれており、貯蔵庫に使われているらしく、樽や木箱がいくつか置いてあった。

 しかし高さはなく、大人たちはみなしゃがんでいる。


「参ったな」


 ほとんど喪心状態だったカルナリアは、その声に反応して我にかえる。


 フィン。


 自分の後から、穴に入ってきた。


 これもまた身をかがめて。

 頭からかぶったぼろ布――それが、横に広がった。

 内側の緑色が見えた。

 隠蔽効果のあるぼろ布を、自分の腕と長剣を使ってカーテンのように広げて、穴の入り口をふさいでくれたのだった。


 その結果、頭部はまだ布に覆われているが、その体の大半が見えていた。

 すばらしく豊かでしっかりした下半身と、胸の盛り上がりの半ばほどまでが露出している。これまでのこの人物の見た目からすると驚きの姿だ。


 そんな空気に気づいた様子もなく、疲れ果てたようにフィンは言った。


「確かに、最強の魔獣だな。まさか、あれほどとは。案内人たちが隠れろと伝え続けてきたのも当然だ」


「石人以上に、無理っす」


 ファラが淡々と言った。これ以上ない本音だった。


 あらためてカルナリアは、激しく震えた。

 歯が細かく激しく鳴った。


 大魔導師バージルも、最強騎士ディオンも、魔導師にして忍びのトニアも、『王のカランティス・ファーラ』を装着した真の王たるレイマールも、ほとんど何もできないまま、巨蛇の腹の中に消えていった。


 抗おうと考えることもおこがましい存在だとドランから聞いた、その通りだった。


 あれは、どうしようもない。

 現れたら最後。


 自分たちも、こうして隠れることには成功したが――。


「どうします?」と、薄暗い穴の中でセルイがフィンに問う。


「逃げるしかないだろう」


 そうっすね、とファラが同意した。


「あれは人間を食うっすけど、魔力あるのから狙ってきてるっす。今はレイマールと『王のカランティス・ファーラ』を食って、じっくり味わってるっすけど、その次には――どう考えても、案内人さんたちより、こっちっすよね」


 カルナリアは、初めての魔法行使で、魔力を使い果たして空っぽになっていた。

 ファラも、バージルに妨害されながら全力で治癒魔法を使おうとし続けていたので、ほとんど魔力が残っていなかった。

 そのために、グンダルフォルムに目をつけられずにすんだのだ。


 だが、最上のものたちを食い終え、周囲の魔法具持ちや魔導師能力もある騎士たちも片づけば、その次は。


「逃げるなら、今すぐだ」


「でも! あんなの! ひょうのやつらだって、!」


 ギャオルとシャルガの最期を見ていたらしいゴーチェが、死人の顔色で言った。

 人の足でどう駆けたところで、逃げられる相手ではない。


使。ただ一度きり、それで逃げ切らねばならん」


 フィンが言い、カルナリアに手を差し出してきた。


 そこには、魔法具が――足環が。


『流星』だ……!


 フィンと手をつないでタランドンへ飛んだ、あの時の『流星』は不良少年たちに奪われてしまったが――その後に、用心棒たちが倒したという猫背の男や他の者たちの持ち物を手に入れ、ひそかに持ち続けていたのだろう。


「お持ちでしたか。先に知っていれば、あれこれ理屈を考えるまでもなく、話は簡単だったのですが」


 セルイが苦笑した。


 フィンは、カラント王国が国家管理下に置いている貴重な魔法具を、持ち逃げしたも同然。

 そのことをレイマールに知らせていれば、カルナリア自らフィンに別れを告げるという残酷なことをやるように持っていかなくとも、即座にフィンを犯罪者として扱いカルナリアを解放することができたという意味。


「私を襲ってきたやつの持ち物だから、何も問題はないはずなのだがな」


「異論はございますが、後にしましょう」


 確かにセルイの言う通りで、カルナリアはそれを自分の足に装着した。


 セルイ、ファラ、レンカ、それにグレンも、それぞれ同じものを足首に。

 四つも持っていたのかと驚く。

 しかし考えてみれば、元々はこのグレンを筆頭にした七人が装着して、自分たちを追いかけてきていたのだ。


 フィンの足首には、自分たちのそれとは少し意匠の違う、赤く光るものであることをカルナリアはよく知っている足環が。


「飛び出して、全員、違う方向へ一斉に飛びますよ。誰かは生き残れるでしょう」


 セルイたちは、オレは右、私は左へ行きましょう、多分私が目をつけられるっすから……とそれぞれの飛び先を打ち合わせ始める。

 フィンとカルナリアはどうするのかも言及され――。


「…………あ」


 カルナリアは、ゴーチェを見た。


 その足環が何なのかまったくわかっておらず、きょとんとしている。


 セルイを見た。元は七つ持っていたはず。それならゴーチェの分も。


 しかしセルイは、カルナリアの視線で要求はわかったのだろうが、首を振って否定してきた。


 ここで出し惜しみする意味はない。

 より大勢で一斉に散って逃げた方が、グンダルフォルムを戸惑わせる役に立つからだ。容赦ない言い方だが、おとりは多い方がいい。

 なのに出してこないということは……だ。


 フィンも動かない。自分のものと、カルナリアの分しかないということ。


 では、ゴーチェは、置き去りに!?


 この足環が何なのか誰も説明しないのは、何も知らないまま置き去りにされた方がまだましだという、ある意味彼のための配慮なのだろう。

 教えて、すがりつきでもされたら、レンカかセルイが剣を振るいかねない。


「ゴーチェさん! これを!」


 カルナリアは迷わず自分のものを外し、押しつけた。


「タランドンで、『流星伝令』を見たことはありませんか!? 緑色で街の上を飛んでいくあれです! これをつけると、走ったり飛んだりが、何十倍も速くできるようになります! これで、みんなで逃げます!」


「ちょ! 待っ! おまっ!」


 レンカが目をむいた。

 剣に手をかけたが、カルナリアは即座にその前に体を入れた。


「私は、ご主人さまに運んでもらいます!」


「おい」


 と、めんどくさそうに言われた。


「この中では私が一番軽いのですから、一番上手な方に運んでいただくのがいいと思います!」


「いや、そこじゃない」


 意外な反応。


「もう、私はお前の主じゃないんだぞ」


「今、気になさることですか!?」


「やかましい。お前は自分で自分を買ったんだ。それならそれを貫き通せ」


「めちゃくちゃ引っかかってたんすね」


 ファラが言い、フィンが不満げに鼻を鳴らした。


「当たり前だ。離れていた間に裏切り者が出て、捕まえられて、ひどく心配していたのに、やっと合流できた途端に、突然兄とかいうやつが出てきて、ぼろぼろ泣きながら自分を買い戻して兄の元へ行くなんて言われたんだぞ。納得できるか。お前自身があんな顔で言うから何とか受け入れたんだ、それならとことんその態度を貫いてもらわなければ、こちらの気がすまん」


「そんな風に思っておられたのですか……!?」


 盛大にため息が漏れた。


(まったく、このひとは……!)


 それならそれで、あの時にそういう態度を示してくれていれば、こちらの気持ちも違ったのに!


 そうは思いつつも、とにかく。


 カルナリアは、かがんだまま近づいていって、フィンにくっついた。


「では――色々心配をかけてしまったことはお詫びいたしますから……わたくしを、運んでくださいまし、剣士さま。

 誰かを斬るのではなく、人助けのお願いです」


うけたまわった。剣を使わないのなら、無償で引き受けよう」


 フィンがぼろ布を広げる腕をさらに上げ、カルナリアはすぐ潜りこんでいって、しゃがんで丸くなっている背中にへばりついた。


 荷物袋は先ほど失われたので、フィンと完全に密着だ。


 久しぶりだ。

 本当に久しぶり。


 沢山の、人の死と容赦ない肉体の破壊を見た直後に、生きている者とくっつくというのは、これほどに安らぐものなのか。


 しかも――これは言葉でも理屈でもない、重ねた体と体の感覚から伝わってきたのだが……。

 フィンは、自分を拒絶していなかった。

 前にこうしてしがみついた時よりもずっと、このしなやかな体は、自分を受け入れてくれていた。

 カルナリアは舞い上がるような心地に襲われつつ、体は逆に、絶対に離れないように力をこめた。


 布が自分の体にもかぶさってくる。

 周囲が「見える」ようになった。

『透過』の効果……前にこれを経験した時が、もうずっと前に思える。


 長い髪が顔に触れる。

 今は、布が完全にかぶさっていないので――肉眼で見えた。


 髪の色。

 黒い。漆黒。つややかな。

 こういう色だったのだ。


 それ以上も見えそうだが、さすがに今はカルナリアも控える。


「では、行くぞ」


 フィンが言い、全員に緊張がはしった。


 この穴から飛び出し、みな別々な方向へ飛び離れることで、誰かは生き延びられるだろう……逆に言えば、誰かは確実にやられるだろうということでもある。


 王宮の庭園に咲いていた、『はじけ花』を思い出す。

 大きな、ピンク色の花なのだが、その中央がふくらみ、あるところでいきなり弾けて、色とりどりの種を周囲にばらまく。

 幼い頃、ランバロと一緒に、弾けるまでずっと待っていたことがある。確か八つ、八色の種が飛び散った。


 あれと同じように、これから、自分たちも飛び散る。


 レイマールと護衛騎士たち五人が弾けたのと同じように。


 あの五人は全滅したが……グンダルフォルムに向かっていくのではなく、全員が逃げに徹すれば、誰かは……!


 立場は違えど、ここまで共に旅をしてきた者たちの誰かが、食われていなくなるというのは恐ろしい。

 自分が食われる側になるかもしれないというのも、とてつもなく恐ろしい。


 カルナリアはフィンの体を、熱を、匂いをあらためて感じ取った。

 この土壇場で、こうすることができているのは、ある意味幸運なのだろう。他の者たちはひとりきりで飛び、ひとりきりで食われることになるかもしれないのだから。


 指で、それぞれの飛び先の最終確認を行った。


 ゴーチェは、初めての『流星』なので――とにかく城壁の外へ、思いっきりジャンプするようにとだけ指示した。飛び上がることさえできれば、『流星』が体を守ってくれるので、着地はできるはずだ。


「行くぞ!」


 フィンの号令で、まず穴の入り口からぼろ布が外れて。


 最初にゴーチェが穴を出た。

 出るだけで、まだ飛ばない。


 魔力なしのため感知される可能性が低いのと、他の者が『流星』を使うのを見せて少しでも学習させるためだ。


 グレンが駆け出し、即座に緑を輝かせて飛んでいった。


 セルイが続く。違う方へ飛ぶ。


 ファラが。……セルイと同じ方へ向かった。


「後でな!」


 レンカが言い置いて、先の三人、二方向とは違う方へ飛んだ。

 生き残れよ、という激励だった。レンカ自身も死ぬ気はない響き。


「後で!」


 カルナリアも言い返し、フィンが動き、足元で魔力、『流星』が発動――。


「ゴーチェさん! 飛んで!」


「はいっ!」


 目を白黒させていたが、実例を四度見せられた後なので、理解はできたようで、城壁の外、グンダルフォルムの胴体がぐるりと取り巻くその向こうを目指して飛び出そうと身をかがめる。


「行くぞ。………………む!」


 舌を噛まないように事前に言ってくれたフィンが、短く叫んだ。


 そして飛んだ。




 ……………………『真上』へ。





【後書き】

巨蛇から逃れ得る、唯一の手段。レイマールははたき落とされた。しかし複数ならどうか。逃れたとしても、この巨蛇は獲物を狙ってその後も追跡してくることは間違いない。どこまで飛び回り、逃げ続けられるのか。そしてフィンは、なぜ、逃れるのではなく真上へ……? 次回、第236話「王に問う」。


【余談】

この回、最初は「花火」というタイトルでした。しかしそれだと、火薬があることになり……炎魔法、それをこめた爆裂弾などが存在するこの世界では火薬は登場していないということで、その表現はやめました。

「弾け花」は、マーブルチョコみたいな色鮮やかな種をばらまくもので、大人気の植物です。どの色の種が出るかで賭けをしたり、出た種の色で占いをしたり、一般市民にも広く楽しまれています。

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