225 カルナリアの戦い



「…………う………………ううう…………」


 流された大量の血が、じわじわと岩床に広がってゆく。


 女騎士ベレニスを解放しひとりで立ちつくしたことで、あらためて恐怖が襲ってきて、カルナリアの脚がガクガクし始め、震えが止まらなくなる。


 ひとが死んでいった。

 いとも簡単に、手の合図ひとつで、無数に殺された。


 王となった兄が、それを命じた。


 この兄に会うために、沢山の人たちの命を背負ってここまで来て、ようやくたどり着いた――その兄が、たやすく人の死を命じ、実行させた。


 自分は、もう死を見たくなくて、どんな相手でもとにかく命を守ろうとし続けたというのに。

 それを、道ばたの草を抜くように、次から次へと奪っていった。


 新しい国を、もう悲しいことの起きない、理不尽のもたらされない国を作ると宣言したばかりの新王が、これを引き起こした。


 罪を犯したから、ということで、一切心を動かすことなく。

 その罪というものにしても、罠にはめたも同然のやり口で。


 レイマールがつい先ほど、堂々と宣言した言葉。


「我が新しいカラント王国では、これまでのような悲劇も、悲惨な出来事も、無意味に虐げられ怨みを抱いて死んでゆく者の出ることもなく、誰もが公正に扱われ、優しき風のもとにその命を全うすることができるようになると、約束しよう!」


 あれは――。


『平民が貴族に逆らうという』これまでのような悲劇も、『王の財宝を山賊に盗まれるという』悲惨な出来事も、『山賊どもに』虐げられる者の出ることもなく、誰もが『その身分通りに』公正に扱われ、『王が与える』優しき風のもとにその命を『王が決める通りに』全うすることができるようになる……ということ!


 レイマールの表情が語っている。

 この兄の心の中では、何一つ妹との約束を破ったことにはなっていないのだ!


 しかもこれは、たった二十人ほどを片づけたというだけでしかない。


 カラントへ戻り、戦となれば、数百、数千の命が失われる。

 それだけの命を奪う命令を、レイマールは眉ひとつ動かすことなく、集まった味方の軍勢に、いくらでも発することだろう。


 もはや確信できる。戦後、反乱に加わった者たちを、レイマールはあの山賊たちと同じように、残さず処刑するよう命じる。

『公正に』扱った結果として『命を全うさせる』……すなわちそれは『悲劇』でも『悲惨な出来事』でもないという理屈で!


 死体の山が築かれる!


 刃を受け血を噴き出し絶叫し、直前までは動いていた者が動かない肉塊へと変わってゆく――自分が一度腕の中で経験しただけでも、二度目はもう絶対にいやだと忌避するものが、無数に作られてしまう!


「あ…………!」


 ……このために、自分はここまで来たというのか。


 こういうものを見せられるために、自分は『王のカランティス・ファーラ』を運んできたというのか。


 これが、『王のカランティス・ファーラ』を届けることだけをひたすら思い続けてきた自分に与えられた成果なのか……!?


 それは………………つまり…………。


「裏切り…………」


 その言葉がカルナリアの口からこぼれた。



 そうだ。

 これは、裏切りだ。



「兄様。裏切られたと、そこの者セルイは言っておりました。読み違えたと。ここまで来て、と。

 どういうことですか。裏切りとは。カラントへ戻り貴族たちをまとめるのは、どういう目論見あってのことですか!?」


「ははっ!」


 明らかに嘲弄の失笑を、レイマールは漏らした。


「いやいや、リア、何を言っているのだ。

 貴族を倒そうと平民たちが反乱を起こしたのだぞ。

 ならば、貴族たちをまとめ、その兵を集め、鎮圧しようとすることに、目論見も何もないだろう」


「それは……」


 その通りだ。

 あまりにもその通り。何一つおかしなことはない。カルナリアだって最初は、タランドン侯爵領へ逃げこんで、そこで各地の貴族の軍勢を集めるということを考えていた。騎士ガイアスはじめ誰もがそのつもりだったはず。


 だが、レイマールが当初からガルディスとつながっていたということなら、意味がまったく違うものになる。


 違うことは違うのだが――どう違うのかが、カルナリアにはわからない。戦いの経験がないというフィンの言葉。つまりは自分の知らない何かがそこに。


 知らないことを考えても答えは出ない。

 正解を求めてセルイを振り向いたが――。


「……」


 無言で、ファラが首を振った。


 先ほどベレニスに蹴られ治癒魔法が途絶えたところで、セルイは失血で気絶してしまったようだ。


 ファラなら知っているかもと思ったが、考えてみればセルイがレイマールに挨拶した時には本気で驚いていた。

 何も知らされていないと考えるべきだろう。レンカやグレンも同じ。


 答えは得られず、カルナリアは言葉にも思考にも窮した。


「わかったら、そこをどきなさい。そやつらは、許されざる大逆をなした反乱軍の一味、卑しき平民の身でありながら王宮を襲い貴族に反抗した、許されざる者どもだ。お前がかばう必要のない、いやかばってはいけない者たちだ」


 裏切りの意味はわからないままだが、カルナリアはレイマールをにらむ。


「反乱軍から逃げ出してきた者を、そのように扱うのですか。ご自分を頼ってきた相手を、殺してしまうのですか。それは裏切りではないのですか」


「余ならば助けてくれるだろうと勝手に期待するのは仕方ないが、我らの父、偉大なる先王陛下を手にかけておいて、自分だけは助命されるなどと思っているようなら、愚かと言うより他にないな。罪は公正に裁かなければならぬ。リア、お前が求めていた通りのことだろう?」


 レイマールは、疲れたように肩をすくめて笑った。


「やれやれ。いい加減にしてもらいたいものだね。これからは、にも大事な役割を果たしてもらわなければならないのだぞ。今や唯一の、他国とつながりを作ることのできる王族だ。そなたの身は、もはや自分だけのものではなく、カラントのものなのだ。さあ、こちらへ来なさい」


 兄ではなく、国王として言ってくる。

 だから「リア」ではなく「そなた」と。


 カルナリア本人の意志など完全に無視。そんなものは考慮する必要はない。

 これまでのカラント王国でそうだった通りに。

 父王が自分に言ってきた通りに。

 まわりの、ありとあらゆる人間がそうするものだと認めてきた通りに……。


「………………」


 予想はしていた。

 王女という身は、国の役に立つために使われるものであって、その個人の思いなど考慮されるわけがない。

 やはりそこは、ガルディスもレイマールもまったく違いはなかった。


 国のため、王として、血を流すことを厭わず、必要ならばいくらでも従わぬ者を排除してゆくことこそが、これからずっと、自分がこの兄と共に進む道……。




(……いいえ!)


 以前のカルナリアなら受け入れてしまったかもしれないが。


 今は、違う。


 相手が国王でも、言える。




「お断りします」


 たくさんの死体、大量の血の色を背にするレイマールに、はっきり告げた。


「今の兄様は、間違っておられます。役に立たないからと人を殺すのは、絶対に、間違っています。そのような方のご指示に従うのは、いたしかねます」


 両腕を広げて、セルイとファラ、レンカたちをかばう姿勢を見せる。


「共にあるうちに情が湧いたか。幼いゆえ仕方ないが……そうも堂々と王に逆らうようでは、いかにそなたといえども、許すわけにはいかなくなるぞ」


「では、どうぞ処刑なさってくださいまし。即位して最初に成し遂げたことが、卑劣な罠とだまし討ち、妹殺し。慈愛深き新たな国王陛下のべたもうカラントは、さぞすばらしい時代を迎えることでしょう!」


 カルナリアは言い切った。


 次の瞬間、槍が投げつけられたり、矢が飛んできて体を貫くことも覚悟した。


「ふむ」


 レイマールは――面白がるように笑みを深めた。


「国王を侮辱したとあっては死罪が当然だが、幼い妹に言われた程度で立腹するほど狭量きょうりょうと思われるのも面白くないな。

 よろしい、では王ではなく兄として、ひとりの男として、侮辱に対応させてもらうとしよう」


「どうなさるのですか。ご自分でわたくしを捕らえ、ご自分の剣でわたくしの首をはねますか。お手向かいいたしますよ!」


 短剣に手をかけ威嚇する。


「そうだな、捕まえて、おしおきにお尻を引っぱたいてやるのもいいが――王みずからがそんな真似をするわけにもいかぬ」


 レイマールは横を向いた。


「ベレニス。私の代理として、リアと決闘し、捕らえて、お尻を引っぱたいてやりなさい」


 従卒に甲冑を急いで装着させていた女騎士が、すぐにぎらぎらした目つきになった。


「拝命いたします! 王妹殿下、少々手荒な真似をいたしますが、どうぞお許しを!」


 先ほどの屈辱を晴らす絶好の機会。

 レイマールもそれを考えて命じたのだろう。


 兜をしっかりかぶり、甲冑の金属音を立てて、意気揚々と進み出てくる。


「いいでしょう。相手してあげます」


 カルナリアは腰を落として身構えた。


 自分より体格のいい平民兵士に立ち向かった時のレント。

 あるいはがっしりしたアランバルリに何発も拳を叩きこんだエンフ。

 これまで見てきた、戦う者の姿を思い出し、同じように……。


「おい。向こうが本人じゃなく代理を出してきたんだから、こっちも出していいんじゃないのか?」


 牙を剥くような顔と気配で、レンカが進み出てきた。


「というか、らせろ。貴族相手だ。全力でいく」


「いけません」


 レンカなら勝てるだろう。

 だがベレニスを斬った場合、次の瞬間、平民であり反乱軍の一員でもあるレンカは、周囲から一斉に攻撃されて終わる。

 レンカもそれはわかっている。だからこそ貴族に一矢報いるこの機会を逃したくないと思っている。その目は死を覚悟したものだ。


 それは、だめ。

 死ぬのは、だめ。


「あなたを代理にするのでは、わたくしがガルディス兄様にくみしたことになってしまいます。そのつもりはありません。

 これはわたくしの意地、わたくしの戦いなのです」


「お前が負けたら、オレたち皆殺しだぞ。わかってんのか」


「勝てばよろしいのでしょう?」


「鎧着こんだ、お前よりでかくて、鍛えてもいるやつに、勝てると思ってんのかよ」


「やってみなければわかりません!」


 本気だった。


 今まで避けてきたもの、甘いと罵られてきたもの、幸運だっただけだと嘲られてきたもの……それに、向き合う。


 今度こそ、本当に、ベレニスの体に短剣を突き立てる。

 刃を届かせる。

 血を流し、肉を裂き――殺す。


「やってやります」


 短剣を抜き、突き刺す動きをしてみせた。

 殺気、湧け。

 私の中から、ひとを殺す覚悟と意志よ、出てこい!


「お、お前……!」


 愕然とし、それから妙な、泣きそうな風に顔を歪めて、つかみかかってこようとしたレンカが――。


 いきなり目を限界まで丸くして、動きを止めた。


 ふわっ。


 背後に風を感じた。


 振り向くより先にカルナリアは、ものすごい鳥肌を立てた。


 その相手の存在を、全身で感じ取る。


「剣士のご用命はないかな」


 振り向いた時には、高い所から飛び降りてきて大きくめくれあがっていたのだろうぼろ布が、膝までかぶさって、ほとんど何も見えなくなっていた。

 ずっと前に、馬にまたがるとき、こんなことがあったなと思い出す。


「反乱軍とかそういうのは一切関係ない、流れの剣士、フィン・シャンドレンという者だが」


「雇います」


 考えるより先に口が動いていた。


 手も動いていた。


 自分の財産など持っていないカルナリアだが、いま、服の中に一枚、金貨がある。


「あ」


 小さくファラの声が聞こえたが、無視。いずれ返す。


「決闘の代理を、お願いします。依頼料は、こちらで」


「引き受けた」


 差し出した金貨が、ぼろ布の中に吸いこまれた。





【後書き】

ついにこの人物が参戦………………か?

カルナリアにその実力を見せる時が来たのか。本当に見せてくれるのか。

次回、第226話「眼光紙背」。カルナリアにとって予想外のことが。



【解説】

カルナリアが持っていた金貨については、149話参照。

ちなみにそこを書いた時点ではこの金貨をどうするかはまったく考えておらず、カルナリアが襲われた時にこれが刃物を防いでくれる、ファラのピンチに投げつけてきらめきで相手の注意を引きつける、などをどこかでやるか、程度の漠然としたものでしかありませんでした。まさかの決闘代理人への支払いになるとは。

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