224 それぞれの正体


「むう」


 レイマールがうなり、優秀な兵士たちは『王』の判断を待って動きを止めた。


「ゴーチェさんの治療を!」


 その間にカルナリアは叫ぶ。必死に。


 しかし。


「大丈夫です……」


 ゴーチェが、刺された場所をこわごわと撫でさすりながら言った。


 血は出ていない。


「いただいた服の、大事な部分に、強靱きょうじんかわが使われていて、それが防いでくれました。……感謝いたします、我が姫君」


 ゴーチェは恐らく二重の意味でカルナリアに礼をした。

 自分を心配し治療を頼んでくれたことと、しっかりした防具を与えてくれたカルナリアのご主人様の存在と。


 カルナリアは心から安堵し、はなすすった。

 エリーレアの時のようなことにはならずにすんだ。よかった……!


 そして、すぐ次の行動を指示する。今のカルナリアはそれができるように成長した。


「この人の、下半身を押さえてください。乗っかって」


 先ほどから、猛烈に暴れ、しきりに膝をカルナリアの背中に叩きこもうとしてきているのに対処する。


「汚らわしい! 平民が! 触れるなああああ!」


 ゴーチェがふとももの上にまたがり体重をかけて動きを封じると、ベレニスは涙目で絶叫した。甲冑をつけていない平服姿なので、貴族令嬢としては素肌に触れられたも同然で、しかも彼女からしてみればレイマールを裏切った時点で元の平民に落ちた男の、薄汚れた衣服の、尻を乗せられて、恥辱のきわみ。


「お黙りなさい。たかが第四位が、第一位に狼藉ろうぜきをはたらいておいて、何を言いますか」


 カルナリアは先にトニアが貴族位階を持ち出したのと同じ論法でベレニスを黙らせた。


 …………刃を女騎士の整った顔立ちに突きつけながら、声を張る。


「あらためて、兄様! お話をうかがいたく存じます! 答えてくださらなければ、これから先、当分は、夜をおひとりで過ごすことになりますよ!」


 レイマールは――大笑いした。


「これはこれは! 何という恐ろしい脅迫だ! それはとても困るなあ」


「わたくしは本気ですよ!」


「お前に人を殺せるのかい?」


 レイマールの背後には、岩塔の周囲に折り重なった、山賊たちの無残な死体がある。


 それを命じた者が、笑っている。

 あれほどの死体を作り出しておきながら、一切気にすることなく、カルナリアへの対応だけに意識を向けている。


 これは、本当に兄なのか。

 いや、本当に人なのか。


 ぞっとするが――おびえ、すくんでしまったら、さらに人が死ぬ。


 気丈に、必死に、カルナリアはできるだけ冷静かつ冷酷っぽく振る舞った。


「できるかどうかはわかりませんが、鼻がなくなったり、顔に大きな傷のついた方と一緒に寝るのを、兄様が嫌がるだろうということは間違いなく想像できます」


 短剣の切っ先をベレニスの鼻に触れさせて、おかしな動きをしたらすぐ切れるようにした。

 そのくらいなら実際にやってやる。


 ひぃっ、と悲鳴を美形の女騎士は漏らす。

 痛み、怪我への恐れではなく、レイマールに愛されなくなるという事態への恐怖だ。


 多少の傷がついたとしても、魔導師がいるのだから治癒魔法ですぐに元通り……だが問題はそこではない。

 ひとたび傷ついて顔を見られたら、そのあと治療されたとしても、レイマールはもう今までのようには扱ってくれないだろうということ。

 お気に入りの食器にひとたび汚物を盛られたら、その後どれほど洗ったと言われても、二度とそれを食事に使う気にはならない。それと同じ。


「困ったものだね。話を聞きたいからというだけでそんな真似をするとは……それにその乱暴な振る舞いも…………あの護衛の者フィン・シャンドレンや、まわりの平民たちに影響されてしまったのかな?」


 レイマールは軽く手を上げ横に振り――それにより、周囲の兵士たちは武器を引いた。


 トニアも引き、レンカが殺気を周囲に振りまきながら後ずさるかたちでこちらへ来る。


 山賊たちは、もう誰も動いていない。

 ただただ、血が流れ、広がり続けている。


 ガザードと、その後ろに二人控えている、それだけが山賊の生き残りだ。


 そのガザードと対峙していたグレンもこちらへ下がってきて――それで、生きて動ける者はすべてだった。


 ファブリスとジスランは、兵士たちと相討ちになった無残な姿でこときれている。背中合わせで、どちらも全身ずたずたに切り裂かれていて、槍も何本も突き立てられていて、ファラをもってしてももう助けられない。


 二人に逆襲された兵士も死んでいるが――命に優劣をつけるつもりはないけれども、ここまで旅を共にしてきて、時には力を合わせたり頼りにすることもあった大きなふたりが血みどろになり息絶えている姿は、カルナリアにひどい気分をもたらした。


「…………」


 とにかく、レイマールはこれ以上の実力行使をやめてくれたのだ。

 ならば自分も。

 ゆっくりと、警戒しつつベレニスの上から降りる。


 ベレニスはよろめきながら起き上がり、ううう、おおおと泣き声を漏らしながら無様に逃げていった。


 失われてしまった命の多さ、流れた血の凄惨さにうめき、自分自身の暴力衝動、本当に人を刺そうという気分になったことにも恐怖し、歯が鳴り、猛烈に震える。


 ――しかしそれはほんの一瞬だけ。


 動揺し、恐れ、おびえている余裕なんてない。

 今、ここで自分がしっかりしなければ、もっと沢山の命が失われるのだから!


 カルナリアはレイマールをにらみつけた。

 ゾルカンに「おとしまえ」としてぶん殴られるのを待ち受けたあの時と同じように、脚にと力を入れて、目にありったけの力をこめた。


「兄様! なぜ、このようなことを!? その者たちも、こちらの者たちも、みな兄様に従っていたではありませんか!」


 カルナリアの必死の糾弾に――。


 優雅なままの笑みが応えた。


「さて、どうしてだと思う? お前もこれからは国の中枢を担う身、わかるようにならなければならないよ」


 大量の流血、惨殺を前に、愉快そうな表情。

 他人にものを説明するのは楽しいことである。それはわかる。

 だが今、この状況で、この殺戮についての言い方がそれか。


「とはいえ、また先ほどのように、幼い思いつきの長話を聞かせられてはたまらないからね。…………ガザード」


 促されたガザードは。


 自分の副官だった遺骸や、凄まじい形相でこときれている手下たちを冷ややかに見て、これもレイマールによく似た、仲間の死を一切気にしていない笑みを浮かべた。


「ではご説明いたしましょう。

 陛下は、罪に対する罰を与えられただけでございます」


「罪とは何ですか! こんな風に沢山の人を――あなたの仲間でもあったのでしょう、それだけのことをする、どんな罪が!?」


「そうですな、まず、盗みの罪。フィン殿が受け取ってくださらなかった以上はレイマール陛下の元に戻されるべき財貨を、勝手に奪おうとしたこと。国王陛下の財産を、それも金貨を山ほど盗む、これは問答無用で死に値する罪と言えましょう」


「な……!」


「陛下が一切罪には問わぬとおっしゃった者に対して、下卑た目を向け襲いかかったこともまた罪ですな。陛下の威信を傷つけた、これも死をもって応じるのが当然の無礼です」


「それは…………あなたがやらせたことではないですか!」


「はて? 私は何も指示など口にしておりませんが」


 確かにガザードは、「命令」は下していない。

 金貨の時は、わずかな仕草やうなずきで、部下たちに許可を与えただけ。

 フィンを襲わせた時も、「いい女だ」と言っただけだ。


 ガザードは自分の背後を目で示した。


 そこには、金貨争奪に加わらなかった山賊がふたりいる。


「この山に巣くっていた者どものうち、まともな注意力と判断力と自制心を持ち、この先陛下のお役に立てるのは、このふたりのみであります。それ以外はすべて、あの通り我欲が最優先の、配下にするとむしろ害となるだけのクズであります。悲しいことに、彼らは自らそのことを証明してしまいました。

 それなりに交誼こうぎを重ねた者どもゆえに、まことに残念ではありますが、そもそもが下界で重罪を犯し、罰せられることを嫌がってこの地に逃げこんできた、卑劣にして救いようのない役立たずどもゆえ、陛下や姫殿下がお気になさる価値はございません。

 これは陛下の覇業にとって必要なこと、果断にして的確な処置にございます」


 つい先ほどまで自分をお頭と認め従っていた子分たちの虐殺について、ガザードはそのように声を張った。


 そこに悔しさも悲しさもなく、そして自分を偽っている気配もまた一切感じられなかった。


 本気だった。

 本音だった。

 このガザードという人物は、心から――つまりは、山賊として活動している間、ずっと、目で部下たちを見て、このように切り捨てる算段をつけていたのだ…………!


「どっ……どうして…………そんな……!」


 どういう精神をしていれば、そんなことができるのか。

「悪い色」にしてもこれは際立っている、ひどすぎる!

 カルナリアは心底戦慄した。


「うむ。そなたの忠義、まことに嬉しく思うぞ。

 褒美として、我が娘をそなたに妻合めあわせる。夫婦となり、このグライルに生きる者たちをまとめ、カラントと共にあることができるようにせよ」


「ははっ! ありがたき仰せ、陛下の御代みよに風神の祝福あれ!」


「え…………」


 ガザードは深々と礼をしたが、トニアは目を見開いた。

 つい先ほど親子の名乗りをあげたばかりだ。事前の打診などあろうはずもない。


「な……いえ…………私は…………カラントへ……母が……最期に……遺言……願い…………ずっと!」


 唇を震わせ、感情をあらわにする。

 きれぎれだが、事情は推測できた。


「それはわかっている。だが今は許せる情勢ではない。全ては反乱を平らげカラントが落ちついてからの話だ。それまでにグライルをまとめるのがお前の役目だ、我が娘アルトニア」


「そういうことだ、トニア。これからよろしくな」


 ガザードが、部下だった者たちの死体を背にして、ニヤニヤと好色な笑みを浮かべた。


「元『風』同士、仲良くやれるぜ、俺たちは」


「…………!?」


 レンカがいきなり声を上げた。

 それにグレンが答える。


「あのガザードは、かつては我々と同じ『風』の一員だった。それも『数つき』だ。『3』番」


「じーさんの……前!?」


「あの者は、任務中にいくつもの罪を犯し、発覚し討手を出されたが返り討ちにし、かつての私を含めた当時の『数つき』たちが直々に処分に出向いたのだが、それをも逃れてグライルに消えた、すさまじい腕利きだ。生き延びて山賊の頭目になっていたのもむしろ当然。さすがは元『3』だけのことはある」


「へへへ、俺だけじゃねえ、こいつもそうなんだよなあ」


 ガザードはトニアの腰を抱こうとして、逃げられた。

 肩をすくめると、仰天しているレンカに言ってくる。


「王子様に夜のことを色々教える役目の年増としま女官が、産んじゃいけない子を産んだ。まあよくあることさ。ガキができないようにする準備をわざとやらないでおいて、あわよくば王族の母に、ってね。

 でも許されるわけがない。俺たちが殺しの風を吹かせに出向く。

 かなり頑張って、四年、逃げ回ってたけど、追いつめられて、命を落とした。

 殺したのは実はこの俺なんだけどな。ああトニア、怒るなよ。任務だぜ。お前だって任務で何人も殺してるだろ」


「…………!」


「で、ガキも殺すことにはなってたんだが、ひらめいてな。王族の血を引くなら、何かに使えるんじゃないかって、俺たちの仲間にしたわけよ」


「それで、か…………同じしたの……技も同じ……!」


 レンカがうなる。


 ようやくカルナリアにも理解できた。

 レンカがそうであるような、ガルディス配下の、特別な者たち……『風』というのはその組織の名前なのだろう。


 ガザードも、トニアも、その一員。


 だからこそ、迅速なグライル越えを計画するにあたって、案内人とも、案内人と激しく敵対しているガザードとも連絡を取り、準備させることができたのだ。


 先ほど、トニアがレイマールに名乗った時の、ガザードの意味ありげな笑みの意味はそういうことだった。

 トニアの母親関連の事情を知り尽くし、その身を直接害した者だからこその笑いだったのだ。


「その後どうなったかは知らなかったんだが――びっくりしたぜえ、荷物運んでた連中襲ってみたら、あのガキがいい女に育ってそこにいたんだからなあ。こっちの仲間をあっという間に二人殺してよ、でもその技に見覚えがあってな、久しぶりに俺らの合図思い出して、やってみたら、ちゃんと反応しやがってよ」


 ニヤッとしてトニアを見やる。


「グライルを探るために送りこまれていたんだな。驚くくらい深く、案内人あいつらに食いこんでやがった。

 まあそうだろうなあ、男をとりこにする手口、徹底的に教えこまれてるんだからな。

 何も知らないここの連中なんかガキも同然だろ。ほとんどのやつと寝て、夢中にさせて、言いなりにして。今まで何人の△○□くわえこんだ?」


」とレイマール。


 カルナリアの脳裡にも、あの湖畔の村での、衝撃の光景がよみがえってしまった。

 裸の男たちの中で、肌をたっぷりさらして――粘つくような笑みをたたえていた姿……。


「今っ、言うことじゃっ、ないっ……!」


 トニアが声を荒げた。

 そんな声音は初めて聞く。


 だがもう遅く、レイマールの視線は冷ややかなものになっていた。


 汚らわしいものを見る目つき。


 トニアは殺意をこめてガザードを見た。


 奸智かんちの笑みで返された。


 すべてわかって――意図的にやっていることだった。


 ガザードは、場もわきまえず低劣なことを口にしたわけではなく。

 カラント出身で、新王の隠し子、母ももちろんカラント貴族であるトニアが、故郷へ戻ってしまう道を潰すために、このタイミングで暴露したのだろう。


 もう、レイマールがな娘をまともに貴族社会に紹介することはあり得ない……!


「おーい、ゾルカン」


 そしてガザードは、絶対に相容あいいれないと先ほど宣言した宿敵に、親しげに声をかけた。


「な……なんだ……」


 必要なら人を殺すことも、仲間にとどめを刺すこともためらわず、恐るべき魔獣に襲われてもひるまず最善手を探し続けることのできる胆力を持った案内人の頭目は――。

 容赦ない殺戮を目の当たりにして血の気をなくし、今にも膝から崩れ落ちそうになっている。


 ゾルカンだけでない、ドランもエンフも、トニア派の者たちも、案内人たちはみな氷の像と化していた。


 彼らが極力流すことを避けてきた血を、一切遠慮なくぶちまける殺し方をする兵士たちの蛮行を前にして、完全に顔色を失い、固まっているのだった。


「ゾルカンよぉ、お前も、トニアにはたっぷり楽しませてもらったんだろ。だから色々怪しかったけど見逃してやってた。俺はどんなに頼んでもさせてもらえなかったのになあ。ずるいよなあ。

 でもこれからは夫婦になる、つまりお前さんとも穴兄弟ってやつになるんだ、仲良くしようぜ!」


「なっ……!」


「ゾルカンよ」


 レイマールが、下劣な者を見下す冷たい気配のまま言った。


「お前が、我が意には従えぬと言った理由である者どもは、この通り、いなくなった。

 ならば新たなグライルの民となることはできよう。今後はガザードと関わることなく、我が妹カルナリアおよびアルトニアのために存分に働くように」


「な………………いや……………………!」


 絞り出すようにゾルカンは言った。


「言ってることは、わかる、わかるが、これは、こんなのは! あんたの部下、あんたのために働く連中だったんじゃないのか!?」


「強大な敵が待ち受けている今、新たなカラント王国には、役に立たぬ者をかかえている余裕はない」


 レイマールは、お前たちはどうだ、役に立つのかと問いかける、冷ややかな目を向けた。

 額の『王のカランティス・ファーラ』も、容赦ない太陽のぎらつきを浴びせかける。


「………………」


 無数の死体を生み出して一切気にすることのない、自分たちより下の者に対する良心や慈愛というものを持たないその視線に耐えかねるように、ゾルカンはうなだれ、他の者たちも目に見えて抵抗する気力を失った。


 レイマールがこの地の支配者となった瞬間だった。


「では、ガザード、アルトニア。今後はお前たち二人がグライルの長となり、この地の民たちを統べるように。アルトニアはこれよりグライル領領主、女侯爵である。その配偶者たるガザード、これまでのお前の罪は、我が名をもって、全て許す」


「ははっ!」


 ガザードだけが、満面の笑みでうやうやしく礼をした。

 仲間を切り捨てて、自分にとって最良の結果を手に入れた、晴れ晴れとした顔だった。





「……さて、リア。聞きたいことはあるのかな?」


 トニアには一切目を向けようとせず、レイマールは温かな笑みを顔に貼りつけ直して、こちらを見てきた。




【後書き】


色々なことが明らかになった。山賊たちを殺した理由。ガザードやトニアの正体。レイマールが彼らをどうするつもりだったか。この踏破とうは行を奇貨として、グライル全体をカラントの領のひとつに。王の庶子が領主であるなら何一つ問題はない…………と。

しかし、受け入れられない者がここにいる。

次回、第225話「カルナリアの戦い」。




【解説】

ゴーチェ生存。正直、ここでカルナリアをかばって死ぬ展開も頭にはあったのですが、書いていると死なない方向へ展開が動きました。自分の場合、絶対にこうなると決まっているキャラ以外にはよくそういうことが起こります。もちろんシーロのようにその逆も。

カルナリアも、ここで本当に人を刺す、殺意をもって武器を振るい「初体験」をするという展開も頭にはあったのですが、ここまでの物語と彼女のキャラが、その展開には行かせてくれませんでした。


ガザードや「風」関連の話は長くなるので近況ノートにて。

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