193 支え


 正午を過ぎ、太陽はじりじりと西の山に近づいていっている。


「嬢ちゃん、ちょっと頼まれてくれねえか」


 自分も湯上がりでほこほこと湯気を立てているゾルカンに呼ばれた。


 案内人たちに食事を配ってくれとのこと。


の許可がいるのはわかってるが、見当たらねえからな。うちの連中、嬢ちゃんが配ってくれた方が機嫌良くなってくれて助かるんだわ」


「本当に、どこで座りこんでいるのでしょう、うちのご主人さまは……」


 断る理由はなく、ゴーチェを引き連れ、串に刺した肉に穀物の粉を練ったものを巻きつけてからじっくり火で焙った串焼きの、出来上がっているものを、案内人たちに配って回った。


 誰も彼も、カルナリアが差し出すと照れたように、あるいは上機嫌に受け取る。


「嬢ちゃん、すげえ度胸だな!」

「ほんと、アリん時も、賭けん時も、すげえよお前」

「お前なら、俺たちの仲間になってもやっていけるぜ。下界にいられなくなったら来いよ」


「お、お気持ちだけ、ありがたく……」


「さっきの△○□にはしびれたぜ!」

「ありゃあ良かったな!」


「……言わないでください……」


 カルナリアが赤くなると、案内人たちは大笑いした。


「なあ、カルス…………お前の、ご主人様は……?」


 ダンが、期待に目を輝かせて言ってきた。


 こいつはフィンの素顔を見ている案内人である。

 そして今、フィンの入浴を期待している!


「近づかないでくださいませんか、汚らわしい」


 眉間にしわを寄せカルナリアはダンを下からねめつけた。






 焚き火のところから何往復かして、入浴を終えた案内人たちにさらに食事を配って回る。


「あいつらにも頼む」


 白魔木ワイタルの表皮が、大きな倒木に何枚も立てかけられていた。


 その陰に、数人、座りこんでいる。


 ゾルカンといた年配の案内人や、話したことのない者たち。

 全員の体や同じ空間に置かれている荷物から、カルナリアは魔力を感じた。

 魔法の素質を持った者たちや魔法具。

 隠れているのはそれが理由だろう。


「あ…………」


 飛礫つぶてが得意ということで白い石を渡された、あの時まで見覚えのなかった案内人がいた。


 体内に宿している魔力が最も強い。さすがにファラほどではないが、カルナリアにつけられていた専属魔導師にも匹敵する。

 これまで魔法を使うところは見ていないが、この隊に所属している魔導師なのかもしれない。


 トニアを思い出す。彼女も、こんな感じだった。

 もしかしたら彼女の兄だったりしないだろうか。


 トニアも、いるならこの中かと思ったが……。


 その人物に食事を差し出すと、無言で受け取った。


「…………」


 つい、見てしまう。


 会話しない案内人なのでこれまで機会はなかったが、声はどのようなものなのだろうか。


「!」


 突然、その案内人が鋭く横を向いた。


 何か起きたか。

 カルナリアは即座に外の様子をうかがう。


 危険な気配ではなかった。

 だが温泉に、みなの視線が向いていた。


 女性の声がした。

 声とわかるだけで内容はわからないが、エンフでもファラでもない、すなわちアリタ。


 悲鳴ではないが……。

 気になって、カルナリアは戻った。






 湯の中に、アリタが立っていた。


 衣服は身につけている。だが男物の、上着だけ。ふとももの半ばから下は丸出しだ。

 恐らく死者のもの。あちこち穴も開いていて、素肌がちらちら見えている。濡れても構わないものとして羽織っている様子。


 そして浴場の縁には、まだ入浴していない男たち――。


 モンリーク、アランバルリ、ライネリオの三人がいた。


 そろって消沈したままで、湯とアリタを見る目にもまったく活力はない。


 タランドン侯爵ジネールに裏切られた時の自分もあんな顔だったのだろうかと、カルナリアはふと思った。


「体を洗って、温まって、ごはんを食べましょう。嘆いたり落ちこんだりは、その後で。私も一緒に入りますから、さあ」


 案内人たちからの嘲りの視線をその細い体で防ぐように、アリタは両腕を大きく広げて、沈みこむ男たちを招いていた。


「ほらあんたら、さっさとすませな! この後移動なんだからね! 置いてくよ!」


 後ろからエンフが、一切遠慮することなく背中を平手でぶっ叩いていった。


「………………」


 それぞれ苦鳴を漏らした後、三人はようやくのろのろと動き出し、服を脱ぎはじめた。


 商人のライネリオはともかく、貴族である他の二人はもたつき、脱いだものをどうするのかもわからずまごまごする。

 横にいるはずの従者に渡そうとする手つきもする。

 カルナリアにもおぼえがある仕草で、胸が痛くなった。

 それを見て案内人たちが、声こそ浴びせないものの、馬鹿にしきってお互いでヒソヒソし、ニヤニヤする。


「はい、いらっしゃい。こっちですよ」


 優しくアリタが言って、まずライネリオの手を引いて湯に入らせた。

 そこは人妻、男性の裸体にそれほど抵抗はないようで、ライネリオを湯の中に座らせた次に、アランバルリ、モンリークと招き――。

 三人を湯に入れた後、自分は上がって、脱ぎ捨てられた衣服をたたみ、まとめ始めた。


「カルスさん、すみませんけれど、お水をいただけますか? みなさんの分を」

「はいっ」


 見つけられ、呼ばれ――アリタからすれば魔導師のファラ、戦闘担当のレンカには頼めないためだろう――カルナリアもうなずいた。



「カルちゃんがああいうことするのも、見慣れてきたっすねー」

「正体明かしたら、あいつら、どういう反応するのかな」



 体が温まってきた三人に、アリタがそれぞれ清水を手渡し、飲ませる。

 自分も三人の正面でお湯に身を沈めて、静かに水を口へ運んだ。

 そして、まるで美酒を口にしたように、唇をほころばせた。


「まだ、生きていますよ、私たちは」


「ああ……」


 夫を亡くした女に、妻と子を亡くした男が返事をした。


「帰りたい…………帰らねば…………」とバルカニア貴族がつぶやき。

「レイマール殿下……私だけでも……必ず……」とカラント貴族が唯一の希望を口にした。


「ええ、がんばりましょう」


 アリタは、温まった顔に汗の珠をしたたらせつつ、笑みを浮かべて男たちを見回した。






 ゾルカンのところに、犬獣人のバウワウが戻ってきて何やら報告した。


 彼ら偵察班は、ここでは入浴はしないようだ。

 山野にまぎれ続けるためだろう。


「よーし、そろそろ行くぞ! 準備始めろ!」


 どうやら、山賊たちの襲撃を防ぐにいい場所を見つけたらしい。


 戦闘担当者たちが散ってゆく。


 セルイたちには、特に指示は出されなかった。

 こちらをうかがっているだろう山賊たちに、彼らが重要な戦力にして切り札であると教えないためだろう。


 亜馬に荷物が積まれ始め、焚き火は消されてゆく。


 脱衣用の天幕も、湯の中の衝立ついたても、取り除かれた。


 点呼がなされ、客たちも装備を整え、白魔木ワイタルの表皮を身につけて。


 大きく傾いた西陽を浴びつつ、湯上がりのさっぱりした一行に、出発が指令される。


(ご主人さま…………最後まで、現れませんでしたね…………逃げやがりましたか……おのれ……)


 カルナリアは憎たらしく思いつつ歩き始めた。


 少し離れてから、再び訪れる機会は恐らくもうないだろう、気持ちよかった温泉を一度だけ振り向く。


「!!」


 


 浴場のへりに、あの長剣を置いて。


 カルナリアにしか判別できない円錐形のぼろ布が、乳白色の湯面の上へ移動。

 後に色々なものが残っている。


 そして、湯の上で、へこんだ。


 布の中で様々な持ち物を外し服を脱いで裸になってから、湯に身を沈めたことは間違いない。


「~~~~~!!」


 カルナリアは絶叫しかけて、あまりのことに声が出ず。


(ずるい、ずるい、ずるいずるいずるいずるいずるいずるいずるいずるい……!)


 その言葉だけで脳内が埋め尽くされた。


 見せてくれないのはもちろん。


 みながいなくなった後に、広々と使うのも。


 それまでずっと隠れていたのも。


(ずーーーるーーーいーーーでーーーすーーーーー!)


 どこかでじっとしていて、無人になったので動き出したのだろう。


 ひとりだけ、手足を存分に伸ばして、美しい肢体をゆるめきって、あの湯にたっぷり浸かっている。


 獣人たちはすでに散っているために、見つけられる心配もいらない。


「!!!!」


「ど、どうしました!?」


「……あ~~」


 激しく地団駄を踏むカルナリアに、ゴーチェが慌て、レンカやファラなど事情を理解した者たちが一様に苦笑いを浮かべた。






【後書き】

希望を失った人を引き上げるのも、やはり人。夫を失い絶望した妻は、同じように絶望した人たちを助けることで自分も救われている。一方でカルナリアの前にはこれまでと違う進路が開かれたような気が。いいのか亡国の王女。そしてじっと機会を待ち自分だけのんびり入浴する剣聖。ずるすぎる。今回はカルナリアの憤激も理不尽ではない。

次回、第194話「裏切り」。誰が、誰を裏切るのか。カルナリアとフィンの旅路が巨大な転換点を迎える。



【解説】

「カルナリアにつけられていた専属魔導師」

第2話参照。王女が乗っていると見せかけた馬車を守るために戦い続け、自分自身を炸裂させて命を終えた、すごい人です。カルナリアはもちろん、彼がそんな終わりを迎えたこと、そういう終わり方ができるような人物だったことは何一つ知りません。そばにいるのが当たり前の人、としか認識していませんでした。真価を知るのはカラントに戻りその時の生き残りから話を聞くことができた時でしょう。そんな時がいつ来るのか。

またカルナリアは、「王族の専属魔導師」というのがどれほどレベルの高いものなのかも、本当にはよくわかっていません。何しろこれまで接したのが、その魔導師、それ以上のギリア、天才のファラと、尋常ではない魔導師ばかりでしたから。タランドンでもう少し日を過ごして、生活に役立つ些細な魔法を使うしかできない「普通の」魔導師(大半がこのレベル)というものに接していたら認識も違ったことでしょう。


カルナリアが案内人たちに配った食事。

これまでが過酷だったために、食べられるというだけで充分で、「何の肉か」を気にすることを忘れています。

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