175 別行動


「おお、聖女ファラ様」

「死者すらよみがえらせるとは」

「まさに女神」


 ……そういうことになっていた。


 人の腹を割いた上で治し、血吸チスイアリの海を消し去り、恐ろしい魔獣を次々と撃ち落とし、今度はとうとうくびり殺された者たちをよみがえらせた、奇跡を起こした、と。


 遺体にかがみこんだカルナリアのことなど誰も気にしない。


 最高の魔法使いが死体の側にいて、死者がよみがえったのだから、ファラのおかげなのは間違いないのだ。


「ただ、ただ、あなた様に、感謝いたします……!」


 ライネリオがファラの前にひざまずき、その手を取って、涙を流していた。


 パストラとカルリトは、殺されかけた衝撃が強すぎたのか、あのあと倒れてしまったため、とりあえず自分だけで感謝を伝えに来たのである。


 巨乳美女を見上げるその瞳には、感動を超えた、崇拝の色が濃厚に宿っていた。

 握るその手もまったく離してくれそうになかった。


「いや、あれは、私じゃなくて――」


「ファラ様は本当にすばらしいお方です」


 カルナリアは先に言って、さっさとファラから離れた。


「あーずるい!」


 声が追いかけてくるが、知ったことではない。


 ゴーチェがもらってきた朝食のパンとスープを受け取り、フィンのところへ。


「ん…………」


 眠っていたのだろうフィンに声をかけると、ぼろ布の中に吸いこまれて、食べ始めた気配があった。


 カルナリアも食事にする。もう口内の痛みはほとんどなかった。


 まだ朝食前だったことに、今更ながらに気づいてため息をつく。

 朝だけでこうも事件が続くとは、今日は今日で、この後どれほどのことが起きるのだろう。


「今日こそは、もうこれ以上なにごともなく、みんな無事にすめばいいのですけど」

「カルス様、そのようなことを言うと、大抵は逆になります。おやめください」

「…………はい」


 かなり真面目にゴーチェに言われて、カルナリアはさらに肩を落とした。





 食べ終えたところで、フィンが声をかけてきた。


「……。大事な話がある」


「はっ!?」


「え、えっ!?」


 自分ではなくゴーチェにということでカルナリアは動揺した。


「今日、この後しばらく、私は、この子を見ていられなくなる。その間、全力で守れ」


「は、はいっ!」


「どういうことですか!?」


「あの花について、採り方や薬の作り方について、ゾルカンたちに教えなければならん。道具なら渡さないですませられるが、この地に生えているもののことだ、逃がしてくれるわけがない。めんどくさいが、仕方ない」


「………………」


 確かに、ファラの反応を見ても、欲しがるものがいくらでもいるし、使いどころも無限にある薬だ。案内人たち自身の今後のためにも、絶対に確保したがるだろう。


「咲いている場所にたどり着くまでが少々めんどくさい。私だけならともかく、歩いて行くのには手間がかかる。どうしてもそれなりの時間がかかる。その間、確実にこの子を見ていられなくなってしまう」


「……」


 カルナリアはうなだれた。

 そうなる原因は、自分なのだ。

 自分が、あの親子を助けたいと願ったから。

 願わなければ、何事もなくフィンはこっそり貴重なものを手に入れ、これから先のどこかでそれを使って自分かカルナリアの傷を治せただろうに。


 しかしフィンは、そのことでカルナリアを責めるような言葉はひとつも発しなかった。

 これからめんどくさいことをさせられるというのに、その恨み言も。

 それも心苦しく感じる。


(いつになれば、このひとに迷惑をかけずにすむようになるのでしょう……)


 悔しさが胸に満ちた。


「さすがに、ここまで来て、この子をさらうような真似をするやつは出ないだろうが――」


 セルイたちのことだろう。


「他の者たちが、何をしてくるかわからん。突然何かが襲ってくることも、いくらでもある。私が戻るまで、守れ」


「はいっ!」


「これを渡しておく」


 何かが出てきた。

 カルナリアがつまみ、引き出す。


 陶器のような硬い、長さも太さも人の指程度の、筒だ。

 中には何も入っていないようで、軽い。

 前にフィンの荷物の中にあった魔法具だ。使い道は教えてもらっていないが……。


「ふたつでひと組になっており、片方を割ると、同時にもう片方も割れるという、それだけのものだが――もうひとつは私が持っている。自分ではどうにもならないことが起きたら、それを割れ。私は全てを放りだして助けに向かう」


「は、はいっ!」


 そういうものを渡してくるということは、本当に、離れるのだ。


 今までは姿が見えなくても近くにいる、見てくれているということを信じていられたが、このあとは完全にいなくなる。


 心細さ、悔しさに、寂しさも重なって、カルナリアは歯噛みした。


「こら」


 手が出てきて、頬にあてがわれた。


「そういう顔をするな。せっかく腫れが引いてきたのに、またふくらんでいるぞ」


「は…………はい…………」


 なで、なでと顔面をまさぐられて、泣きそうになってしまった。


 手は引っこんでいったが――きわめて麗しいそれを初めてまともに見たゴーチェが、うっとりした目つきになっていた。


 カルナリアはむっとして、その視線をさえぎる位置に体を入れた。






「よーし、集まれー!」


 ゾルカンの声が飛び、客たちは集合した。


 わかってはいたが、さらに人数が減っていることが誰の目にも明らかで、重苦しい雰囲気になってしまう。

 殺されかけたばかりで生気が戻っていない母子や、これも処刑されかけたミラモンテス、従者をひとり失い顔面がまだ紫色のアランバルリ、夫を亡くしたアリタ……みなそれぞれひどく消耗しており、ほとんど支障がないのはライズ班つまり自分たちぐらいのものである。

 色々あり気持ちは重たいが、自分の体調自体はフィンの「ほぐし」のおかげでとても良くなっている。それもいささか申し訳なく思った。


「今日は、昨日みてえなやばいところはねえ! この先、少し登って、下りになって、また登る、それだけだ! 休憩は昼前に一回、昼、午後に一回! 水場は昼の休み場所だ!」


 今までに比べると安全、安泰な旅路になりそうだ――と思いはしたが。

 それでも何が起きるかわからないのがこのグライル。

 そのことはもう、誰の胸にも刻みこまれていた。


「今日の、話しかける案内人は、こう、親指を立てる!」


 それも教えこまれたし、客はみな真剣に見入る。


「合い言葉は――どこをやられた、と訊ねる。訊ねられたら、漏らした、と答えろ。本当に怪我した場合でも、まず漏らしたと言ってからやられた場所を言え」


 数人、顔を歪めたが……逆らう者、文句をつける者はもはやまったく出ることなく、それを強く頭に入れた。





 その一方で。


「うううう! うーー! うがーーー!」


 豹獣人ギャオルが、悶えていた。


 彼と、他三人の案内人が、フィンと共にいる。

 到達が困難な場所へ案内する、そのためにはきわめて敏捷な彼が適任ということでの人選だろうが――。


「おっ、おかしらのっ、めいれいっ、だからっ……!」


 全身の毛を逆立てて、円錐のぼろ布から極力距離を取ろうとしつつ、先に野営地を出ていった。


 あれでは、フィンが戻ってきた時に気づけない。

 カルナリアはそのことを残念に思い、さらに心細く感じた。





 フィンおよびその「青い花採集隊」のことには一切触れずに、ゾルカンは「朝礼」を終えた。


 その後、昨日レンカから聞かされた通りに、客たちは三つの班に分けられたが……。


「ファラ様! どうか、お慈悲を!」


 ライネリオがすがりついてきた。


 パストラとカルリトが、案内人が恐ろしく、この場所もグライルももういやだと泣くばかりで、動いてくれそうにないのだという。


 ファラの魔法で元気を出させるか何かしてほしいと言ってきた。


「ん~、基本的には、ゾルカンさんの許可をもらわなきゃ、そういうことやっちゃいけないんだよね。きりがなくなって、本当に何かあった時に困るから。わかるよね?」


「そこを、どうにか! お代ならば、今は持ち合わせを失ってしまいましたが、バルカニアへ戻ったあかつきに、必ず!」


「うるさいと、また、められるよ?」


 ライネリオはたじろぎ、顔色を失ったが、それでも引き下がらず、ファラの足元に身を投げ出し聖女様どうかどうかと繰り返し続けた。

 その目には狂気の光すら宿り始めていた。




「…………私のあれに、乗せてあげてください」


 カルナリアは言った。


「今日はそんなに険しいところはないというなら、私の怪我はもう大丈夫ですから、歩きます。女の人と子供なら、大丈夫ですよね。歩けないお二人を、私が許可して、乗せるということにします」


「カルス様」


 自分がそれで救われたゴーチェが、複雑な顔をしてとがめてくる。

 レンカも、またかとあきれた顔をする。


「おお! 感謝する! ではすぐに!」


 しかしライネリオは即座に反応し、亜馬隊のところへ行って案内人と話しこちらを指さすと、カルナリアのために用意された亜馬を自分の妻子のために確保してしまった。


「早いですね。あれが、商人というものですか」


「カルス様、お優しいのは美点ではありますが、そうも他人のために尽くしてばかりでは……」


「いいんです」


 同じ顔をしているレンカやファラにも目を向けてから、カルナリアは言った。


「昨日の経験でよくわかりました。気を失っていた間はともかく、そうでないなら――あれにまたがっている方が、危険です」


「それは……確かに……」


「あの坂の途中で、物陰から飛びついてくる獣に襲われかけました。あんなのが木陰から襲ってくるなら、またがっていては、いざという時、しゃがんで隠れられません。バールの時もそうでした。ですから、これは慈悲とか甘いとかいうことではなく、自分の身を守るためだと考えてもらえませんか?」


「………………わかりました」


「狙われるなら、ちょこまか逃げ回るやつよりも、ゆっくりとしか動けない方だもんね。なかなか図太くなってきたねえカルちゃんも」


「ご主人さまに感謝です。お薬と、揉んでいただいたおかげで、元気に歩けるようになったのですから」


 遠くにいるアランバルリを見やった。

 昨日よりはましになっているが、散々殴られた顔面は、まだひどい状態のままだ。


 自分も、フィンの持ち物としてしてもらっていなければ、ああいう顔のままだったのだ。レントに偽装させられた状態が何日も続いていたように。


「まあこっちも、またがられていたら、反対側から襲われた時に対応が遅れる。歩いてくれる方がありがたいのは事実だ」


 レンカも認めてくれた。


「よろしくお願いしますね」


「言われたから守ってやってるだけだ。勘違いすんなよ」


「はい。レンカこそお気をつけて」


「うるせえ」





【後書き】

久しぶりの、平穏な朝。しかし保護者が離れてしまう。前の時はまだ遠くから見てくれていたが、それもない。今日はどのような一日になるのか。次回、第176話「霧」。グライルの中央へ踏みこみ、いよいよが現れる。

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