171 勢力図

「…………止まれ」


 レンカが警告する。


 三人はぴたりと止まった。

 今までだったらありえないこと。


 ゴーチェも、作業を放り出してものすごい勢いで駆け戻ってきてカルナリアの前に身を入れた。


 危険な雰囲気になるが――。


「そちらの、殿に、お礼を申し上げに来た」


 ミラモンテスが地に膝をつき、深々と頭を下げた。


 違う国の者とはいえ、貴族が、奴隷に。


「我らの命を救っていただいたこと、まことに、感謝いたす!」


「ありがとうございました!」

 と従者も熱く言う。


 ミラモンテスは、殴られてひどい有様になっているカルナリアの姿に見入り、涙をにじませた。


「我らのために、それほどになるまで、体を張り、尽くしていただいたこと、ただただ、感謝の一言しかない! またそなたの申した真の貴族の誇りというもの、この胸に深く染みた! この恩に報いるためにも、これから我らは、ひたすら脚を動かし荷を運び、まわりの者たちのためにこの身を使い、祖国へ生きて戻り、それにより真の貴族たることを証明すると誓う!」


 カルナリアは胸に熱いものをおぼえて、こちらも涙ぐみそうになった。

 こういう貴族も、いてくれたのだ。


「…………どうか、がんばってください。お国にはあなたたちを待っている人がいるのでしょう。その人たちのために、生き延びて、再びお会いしてください。それが私にとって一番嬉しいことです」


「はっ!」


 三人は今一度頭を下げてから、すぐ後ずさり、それ以上余計なことをせずに離れていった。


 ゴーチェが深々と安堵の息をついた。

 レンカはつまらなさそうにチッと舌打ちした。





 さらにそのあと、ニヤニヤしながら案内人たちが群がってきた。


「いやー、ちっこいの、お前やるなあ」

「お頭にぶん殴られて、よくそのくらいですんでるよ」

「すげえ、いい根性だ!」

「俺、明日に賭けてんだ」

「俺は三日後」

「いつも通りの、クソみてえな移動だと思ってたら、すんげえ面白くなった。ありがとよ!」


「は、はい…………」


 どうやら、自分勝手だとゾルカンに怒られた賭けは、案内人たちにとっては極上の娯楽となったようだった。


 他人の命を守ろうとして身を張ったということで、「カルス」の評価もきわめて高いものになっていた。


 誰もがきわめて有能なライズ班、その中でただひとりお荷物に見えていた「ちっこいの」であるカルスがこれほどの勇気を示したことで、ライズ班全体が今まで以上に案内人たちの好意を勝ち得て、囲まれ、大いに賞賛され盛り上げられた。





「…………ふん! あんな歳のうちから男に媚び売って、育ちが知れるね!」

「奴隷のくせに、偉そうに。忌々しいやつらだ」

 パストラや、モンリークたちなど、そこに加われない者たちが寄り集まって、暗い目を向けていた……。





 また、別な思惑を持つ者も出てくる。


「ゴーチェ。お前のご主人様のあの子、やっぱりただ者じゃないよな。ゾルカン相手に堂々と言いたいことを言うあの勇気、あの場であんな賭けを提案する知恵、流れるような言葉づかい……女の子なのにあんな顔にされてまで他人を助けようとする強い意志。貴族のミラモンテス様に頭を下げられたってのに、驚くどころかあんな風に堂々と対応する今の態度……。

 元の顔だって、みんな見とれてたし……。

 カラントの貴族様なのはもう絶対に間違いないとして、その上でさらに、相当に高貴なお方なんじゃないか?」


「ああ。間違いない。ただ者じゃないとは思ってたけど、うちの――どころじゃないご身分のお方じゃないのかって。そのご主人様というフィン様も、とんでもない方で――あれは実は護衛じゃないかって……あんな人がつくような……いや、それ以上は俺が詮索しちゃいけないな。ここまでだ」


「わかった。……で、アランバルリ様から、ご主人が薬師であるというあの子から、怪我に効く薬をもらってくるか、ファラ様に治していただけるよう口添えしていただくよう、言われてるんだが……やっていただけると思うか?」


「自分たちを助けるためにあのような痛ましい状態になられているカルス様の優しさにつけこみ、さらに薬をいただいたり、働いてもらおうとするってわけだな? それがどんだけみっともないことか、もし本当のご身分がすごいものだったらどうなるか、わかってるな?」


「それはわかってる、よくわかってる……でも、鼻か頬か、骨やったみたいで、腫れはひどいし、熱も出てきて……どうにかしないと……あの方の怪我がひどくなって動けなくなると、俺も一緒に死ぬしかなくなるんだよ。何とか、頼めないか」


「うちの元主人と、ミラモンテス様は、首に縄巻かれてるけどよ、あんたのご主人はまだやられてないから、本当にはわかってないだろ。お願いした結果、あのが、お前のご主人様殺しに行くかもしれないが、その覚悟はあるんだな?」


「……あるじから離れたお前だから、正直に言う。ここだけにしといてくれ。

 はっきり言って、

 連れが死んじまって、これからは俺ひとりだけであの方の世話をしなけりゃならん。かなりきつい。その上、傷ついたのを治せず、動けなくなったあるじを見捨てて俺だけが帰国したなんてことになったら、死罪だ…………が。

 グライルでの事故、あるいはカラント人にやられたとみんなが証言してくれる状況だったら……ことで、主の最後を伝えた俺はむしろ礼金もらって自由の身になれるんだ」


「そりゃあ…………なるほどな。わかった。お互い、下っ端はつらいな。話すだけは話してみる」





「……話になんないね」


 ゴーチェの話に、カルナリアでもレンカでもなく、エンフが真っ先に言った。


 案内人たちの雰囲気も、一様に冷ややかなものに変わった。


「客の面倒を見るのはあたしらの仕事のうちだ。だからあたしらの使う傷薬なら分けてやる。だがこの子なら優しくしてくれるだろうって、本人が頭下げにくるでもなくおねだりしてくるなんざ、どこまで恥知らずなんだいバルカニアの連中は!」


「ま、そうだな」


 ゴーチェはしれっといい、アランバルリの従者も小さくなった。

 ただそれほど顔色を失ってはいない。想定内なのだ。


「でも……」


 カルナリアが何か言いかけると、エンフも、レンカも、ほとんど全員が、お前は黙ってろという目を向けてきた。


「あんたは何もしないでいい。あたしがぶん殴ったんだ、一応は詫びもかねて、薬だけは塗ってやるよ。文句言ったら、夕飯後の余興だ、どちらかが動けなくなるまでの拳闘試合を開催するってことで」


 案内人たちが野蛮に盛り上がる――そこへ。


「あの…………よろしいですか」


 か細い声が流れて、アリタが、静かに入ってきた。

 全員がぎょっとするほど、気配がなかった。


「その方の……手当てと……お世話を、させていただきたいのですが…………」


「いや、アリタ、あんたにひどいこと言ったやつだよ? あんたは何もしなくていいんだよ」


「いえ……させてください………………何か、することが欲しいんです……自分に、できることがあれば…………傷の手当てなら、神殿で、いくらか心得もありますし…………じっとしているより、その方が…………気がまぎれて……」


「………………」


 誰もが押し黙り、アリタはこれも静かに従者をうながして、アランバルリのところへ向かっていった。


「人は、色々だねえ」

 ファラがしみじみと言った。


「ちぇっ、あんなやつより、こいつの面倒見てやれっての」


 吐き捨てたレンカに、カルナリアは笑みを浮かべた。


「ありがとうございます」

「うるせえよ」

「でも……すみません、お気持ちだけで十分です」

「?」


「今夜は、この子の面倒は、私が見るからな」


 ふわりと、ぼろ布が出現していた。


「ね?」


 なぜかカルナリアには、フィンがここで来てくれることがわかっていたのだった。


「いじめてないっすよーーー!」


 ファラがほとんど四つん這いで逃げていった。




【後書き】

礼を言い、心を入れ替えることのできる貴族もいた。カルナリアの心は大きく救われた。しかしそれと共に正体も徐々に露呈していっている。はたして均衡が崩れるのはいつか。

だが、全てを台無しにしてしまうぼろぼろ出現。これまで何をしていたのか。次回、第172話「もみほぐし」。タイトルでネタバレ。性的表現あり。



※この回で100万文字到達です。読み続けてくださいましてありがとうございます。

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