146 治療と避難
※前話と同じく、残酷な表現あり。
「ファラ!」
すばらしく通る声がはしった。
カルナリアが聞き違えるはずはない。
フィンの、ご主人さまの声!
広間に集った人々を一声で黙らせ聞き入らせ従わせることのできる、力と美しさに満ちた響き。
あのひとは、こんな声も出せるのか……!
「逃がせ! 来い!」
極限まで言葉を削った指示。
だが相手もそれだけで理解し、動き出した。
まず、村を守っていた水の壁が崩れて、そちらへ転がりこんだ者たちが、さらに奥、湖水の上の、水上住居へ逃げこみ始めた。
そう、まだ終わったわけではない――石人の大群は少しも歩みを止めずに接近中なのだ。
続いて、赤い光がカルナリアの方へ飛んできた。
ぼろぼろの姿は、認識阻害は関係なく、最初から目に見えていた。
なぜなら――布越しに、血のしたたるものを持っていたから。
切断された、人の腕!
「レンカ。すまない。よくやった」
カルナリアではなく、先にレンカに言った。
それからカルナリアに向く。貢献ぶりからして当然の順序。
「無事か。よかった」
「はい…………っ!?」
そこで気づく。
この距離なのに、あの怖さを感じない!
もっとも、血のしたたる人の腕というものは恐ろしすぎるが。
男性の腕だ。
恐らく、空中で落ちていった、ゴーチェの。
「持ってくれ」
「ひぃぃっ!?」
反射的に差し出した手に、ごろりと腕を乗せられて、カルナリアはさらに恐怖した。
両手でかかえたそれはずっしり重い。切断面が見えないのはせめてもの救いだが、垂れ落ち続ける赤いものが本能的にどうしようもなく恐ろしい。
しかし取り落とすなどということはせずにしっかりと。
フィンに渡されたものであり、何の罪もないゴーチェのものなのだ。
「話は後だ。山へ」
フィンの腕が出てきて、左右に力強くカルナリアとレンカをかかえた。
ここでもやはり、フィン本人に対しては、あの恐怖をおぼえることはなかった。
赤い光が輝いて、元来た方へ高速で走り出す。
黒い盛り上がりがその先にあり――息を飲んだが。
先ほどレンカが蹴ったのと同じように、黒い粒々は、フィンの疾走につれて左右へ吹っ飛び、そのまま落ちるだけだった。
止まった。
黒いもので埋め尽くされていたが、間違いなく、先ほどまで自分たちがいた円形の水たまり。
その証拠に、黒いものの中に、人体がふたつある。
ゴーチェと、モンリーク。
モンリークは頭部を血まみれにし、また大きく腫れ上がらせて。
ゴーチェは片腕を失い失神し。
どちらも黒い粒にほとんど埋もれていた――が。
まだ生きていた。
食われていなかった。
自分たちの到着とほぼ同時に、村からも、新しい緑の光が飛んできた。
ファラだ。
彼女も『流星』を装着している。
遠くが見える魔法か道具かである程度はわかっていたのだろう、片腕のないレンカおよび地面の負傷者たちを見ても、事情を聞くことはしてこない。
「傷口を。それからレンカの治療」
フィンがゴーチェの腕と体をそれぞれ示し、止血するよう命令。
ファラはすぐ魔法を使って切断面を凍らせた。
その間にフィンは、黒い粒々に埋もれていたレンカの腕を見つけ、拾い上げて、これもファラに押しつけた。
それから、立ちすくむばかりのカルナリアに、小さな包みを渡してきた。
「血止めだ。頬に塗れ。それからあいつに塗ってやれ」
モンリークが示される。
自分にできることを与えられ、うなずいて取りかかった。
引っかかれてできた自分の頬の熱い部分に、ぬるりとしたものを塗りつける。
それから――少し怖かったが、黒い粒をマントの裾で払って、どれも一切動かないことを確認し、手で直接払い落とした。
どうしていきなり死に絶えたのかは、今考えることではない。
打撲で猛烈にふくらんできているモンリークの頭部、まだ乾いていない赤いものが流れ出ているところに、自分の水筒の水をぶっかけてから、薬を塗りつけ始めた。
その間にも、他の二人に治療が施されている。
「すごいことやったね、レンカちゃん!」
「痛みを消すあれ、使ったんだけど、きつかった……」
「えらい、えらい。本当にえらい!」
肩口の切断面に、腕をくっつけて、そこにファラが杖経由で治癒の魔法を注ぎこむ。かなり強く、一気に治している。
一方でフィンも。
横たわるゴーチェの体の上に本人の腕を置いてから、かがみこんで直接手で触れた。
魔力をカルナリアは感じた。
何らかの魔法具を使った。
「それは何すか?」
魔導師ではないフィンから魔力を感じたことで、ファラが訊ねてきた。
「
「おおおっ! あの伝説の!」
麻痺の指輪だ。
カルナリアはその効力を実によく知っている。
だが、今ゴーチェを麻痺させるのは――痛みにもがくのを止めて運びやすくするためだろうか?
「今、お前に連続で腕をつなげさせる余裕はない。固まらせて、運ぶ」
「ああ、そういうこと……本当に、できるんすね……」
「?」
「カルちゃん、あれはね、相手を動けなくする、つまり彫刻にしてしまうからそう呼ばれてるんだけど――」
レンカを治療しつつ教えてくれた。
「力を最大にするとね、何もかも完全に固まるの。時間も」
「時間……?」
「最大威力のあれを使われた相手は、息も、心臓も、頭の中も――血も、全部止まって……どれだけ経っても、死なない、腐らない、傷もひどくならない……ずっと、止められた状態のままになるの。腕も、まだ生きてるから、まとめてね」
「な…………!?」
最初の時、あの山の上、岩風呂の直後に使われ、窒息死寸前に追いこまれたあれは――その話だと、フィンが出力をしぼって、つまりは魔力をケチったせいではないか!
「永遠にではなく、指輪の魔力が続く限りで、また私がある程度以上離れてしまうと効果がなくなるのだがな。腐りやすい肉や果物を持ち歩く時に便利だ」
「……伝説の魔法具を、食品保存に使うって、大きく間違ってると思うっす」
とりあえずの治療は終わったようで、レンカの腕は元に戻って、おそるおそる動かし、指先まで動くことを確認した。
ただかなりの血を失ったから、その顔色は蒼白なままだ。
地響きが強くなってきた。
迫る石人の壁がすぐそこに見えてきている。
「レンカちゃんは私が運ぶよ。カルちゃんはレンカちゃんの『流星』使って、どっちか、運んで」
「お前が助けようとした相手だ、お前が連れていってやれ」
フィンはカルナリアにゴーチェを示すと、モンリークの体をひっくり返し、腰に腕を回して持ち上げた。またわずかな魔力を感じる。前にちらりと言っていた、力を強くする道具というものを使っているのだろう。
カルナリアはレンカの『流星』を渡され、装着し、ゴーチェに手をかけた――が、成人男性の麻痺した体の下に入ることがなかなかできなかった。
「無茶をした罰だ。急げよ」
フィンもファラも助けてくれず、さっさと足首を光らせて山へ行ってしまった。
「はひぃぃぃぃぃ……!」
石人の壁が迫り来る。
揺れ動く無数の「あたま」――様々な岩石が揺れ動きながら近づいてくる!
「ぐぎぎぎぎ…………」
すさまじい地響きの中、カルナリアは死に物狂いでゴーチェを何とか背中に乗せ、その体を斜めにして、ゴーチェのかかとをずりずり擦りながら、『流星』の力で一歩、一歩と移動していった。
(他の人たち……)
その中で、周囲に目を向けた。
強い振動により人体から黒い粒々が転げ落ち、草原のあちらこちらに無残な姿が現れるようになってきていた。
もしかしたら、まだ生きている者がいるかもしれない……。
だがもう、助ける方法はない。
カルナリアには、引きずっているひとりを助けるのが限界だった。
(申し訳ありませんっ!)
涙がにじんだ。
涙ぐみながら地響きの迫る中を必死に進み続けていると。
モンリークを安全な場所に置いたらしいフィンが、赤い光を輝かせてこっちに戻ってきてくれて。
「罰はここまでだ。よくやった」
ゴーチェもろとも、一気に移動させてくれた。
斜面を駆け上がり、モンリークの隣にゴーチェを横たえてから……。
「危ないところだったな」
ぼろ布に包みこまれた。
つまり、抱擁された。
やはりここでも、ひとかけらの恐怖も感じない。
あの危険なものは、完全に消え失せている。
麗しい手が、両方とも出てきて、頬を撫でてから、しっかりと抱えこんでくれた。
カルナリアも久方ぶりの感覚に全力でよりかかる。
「山の中から、見守ってはいたのだが――まずいことになって、お前が山に逃げこんだから安心していたのに、飛び出したので、焦ったぞ。急いで駆け下りたんだが……ぎりぎりだった」
「申し訳ありません……」
「レンカには後で感謝しろ。あんな無茶をしてまでお前を」
「はい。本当に、もうしわけ、ありません……!」
「だが…………がんばったな。お前も、助けようとした者たちも、生き残れてよかった」
背中をぽんぽんと叩かれ優しく言われた途端に、涙腺と感情が決壊して、カルナリアはぼろ布にしがみついて号泣した。
【後書き】
何が起きたのか、詳しいことはまだわからない。それでもとにかく、手の届く限りの者を助けることはできた。だがまだ終わったわけではない。黒い波すらも踏みつぶす脅威が迫る。次回、第147話「死滅と再生」。
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