130 モテモテ
「ファラ」
話が一段落ついたと見たか、フィンが言ってきた。
「疲れているところを悪いが、ゾルカンたちが気にしている。流れた血でまずいものが寄ってきていないかどうか、確認してほしいと」
「あ~~~、ここは岩の上だからいいけど、土にも流れたもんね…………わかった、行ってくる」
ファラは重たげに立ち上がり――護衛の役目と、今の話の後でカルナリアと一緒にいるのがいやなのだろう、レンカが続いた。
その後ろ姿を見送りつつ、カルナリアはフィンに訊ねる。
「あの……ゾルカンさん、ものすごく怒ってるんじゃ……レンカさんは、おとがめは……」
「ない」
意外な返答が来た。
「案内人たちにとっては、客同士の利害関係やいさかいは本当にどうでもよく、モンリークたちとレンカで話がつくのなら、どういう結果になろうとそれでいいようだ。今ああしてファラが働かされているのが、おとがめと言えば言える程度だ。
彼らが気にするのは、移動の邪魔をしないかどうか、血が流れるかどうかだけだ」
「それ、何度も言われていますけど、血を流すとどうまずいのですか?」
「私も、話だけだが――まず、ここの生き物は、魔力に寄ってくる」
「はい」
「人の血には、魔法を使えるかどうかとは関係なく、かなりの魔力があるようだ。それも魔獣の血とも違う、独特な何かがあるらしい。そのため、人の血に引かれるものがかなり多い」
「そういう虫や鳥もいると言っていましたね」
「大きいやつならむしろ楽で、厄介なのは、小さい虫だそうだ。
土の中にいて、血をかぎつけると一気に出てきて群がってくる、
「ひいっ!」
「ここは岩の上なので、それが出ることはなく、だからこそ治すことも許された。土の上だったら、レンカが刺した時点で、他の者は全員逃げて、関係者を置き去りにしていたそうだ。血をたどって追いかけてきて、眠っているところに群がってくることもあるそうだから」
「…………」
「飛ぶものもいる。血に寄ってくる
「雨のせいで、ゴーチェさんが足をくじいて、そこからモンリーク様が刺されることになって、だけど雨のせいで治療ができた……何がいいのか、悪いのか、わかりませんね…………あら、前にも、雨の中で、そんな話をしませんでしたか?」
「したなあ」
河べりで、二人きりの、狭い天幕の中で。
フィンは、先ほどまでファラが座っていたところに腰を下ろした。
カルナリアはそのぼろ布に寄りかかった。
「あの時から、ずいぶん遠くへ来ましたね……」
「ああ、そうだな。お前も、ずいぶん変わった」
「がんばりました」
体重をさらにかけ、内側にある肩だろうところに頭を乗せた。
「もっと先へ行くのですよね? どこまで行くのですか?」
「行けるところまで。風まかせと言うのか、この国では」
「ご主人さまの生まれた国へも、行ってみたいです」
「めんどくさいから当分はごめんだ」
「当分、ですか。うふふ」
ファラが思いつかなかった、王女という身分も立場も捨てるという行為。その結果の、フィンとの旅。この首輪の中身を兄に渡した後は、ただのルナとなって、どこまでも一緒に、旅を続ける。
カルナリアは目を閉じ、これから赴くバルカニア、あるいはフィンと共に巡る様々な国のことを思い描いた。
心身の疲れが癒えて、暖かなものだけになってくる。
「寝ていいぞ」
「いえ、もう少し、このままで……」
――だが、癒しの時間は続かなかった。
ざわ、ざわ。
不穏な雰囲気が広がってきた。
客たちが、殴り合い寸前の剣幕でにらみ合っている。
「どうしたのでしょう?」
「ファラ目当てだな」
フィンは聞き取ったようだ。
「あ、さっき、狙われると言っていました……」
「あれだけのことをやれる魔導師だ。雇いたい、専属にしたいと思う者は多いだろう。今の情勢で、大金を払ってでもバルカニアへ戻りたいという者たちだ、素性は隠しているが、それぞれ貴族だったり、大商人だったりするのだろうから、ファラを雇うことも十分にできる」
伸び上がって見てみれば、案内人たちがガードしているファラはもちろん、その仲間であるセルイにもバルカニア人たちが群がっている。
アピールするために、次から次へと名乗りをあげ、身分を口にし、中にはカルナリアでも聞いたことのある大店の関係者もいた。そこからの輸入品が二姉ルペルカのお気に入りだったような。
「月100出す!」「うちは120!」など、勝手に
「めんどくさいことになってるな。この分だと、雨があがっても、出発するまで時間が――む」
フィンが、まずいことの起きたらしいうなりを発した。
カルナリアもすぐ体に力を入れる。
客たちが、かなりの数、こちらを向いた。
「あいつら……巻きこんだな」
フィンの声音に怒りがにじんだ。
恐らくセルイだろう、あの人たちもすごいですよとか何とか、バルカニア人たちの目をこちらに向けさせて、自分たちの負担を軽減し、かつ嫌がらせも仕掛けてきたというところか。
「どうします?」
「隠れるしかないだろう」
フィンはすぐにふわっと動いて、どこにいるかわからなくなった。
心地良い時間が中断されたことを忌々しく思いつつ、カルナリアもフードを深くかぶって岩陰に身をひそめた。
自分のマントにも認識阻害効果があるとはいえ、すでに見られており、エンフでも止められない数のバルカニア人たちが近づいてきているため、そこにとどまることはせず、かがんで移動した。
客たちが近づかないだろう所は――獣人たちが番をしている、亜馬の近く。
ギャオルが威嚇の声をあげた。
フィンも同じことを考え、先に接近したようだ。
においでわかったか、犬獣人二人も反応する。こちらはむしろ丁重に振る舞ってくれたが。
「シャーーー! フーッ、フーッ!」
ギャオルが毛を逆立てうなり続けるので、ここはだめだと判断した。
では――客に話しかけない案内人たちの側。
だがそちらへ移動する前に、怪我人たち――モンリークと、ゴーチェが寝かされているところがあった。
従者たちが荷物で壁を作っている。
その中にファラがいた。
「怪我人のそばで騒がないでねー。うるさい人は、この先、怪我しても治してあげないよー」
その口実でバルカニア人たちを追い払い、ひと息ついていた。
レンカが、怖い顔で壁の外にいる。
モンリークには近づきたくないし、従者たちも近づいてほしくないだろうから、その位置なのだろう。これもうるさい連中を追い払う役に立っている。
「……お。カルちゃん。おいで」
ファラには認識阻害は通じない。
手招きされた。
怪我人の様子が気になったのも事実なので、恐らくは安全だろう壁の中に入った。
フィンは――どこにいるのかわからない。
「どうぞ」
アルバンといったか、従者がすぐ腰を下ろす布を敷いてくれた。
オラースというもう一人と共に、深々と礼をされる。
「ゴーチェに続き、
「いえ……治したのは、ファラ様ですから……」
「お礼は素直に受けとくもんだよー」
ファラはニヤニヤしていた。
カルナリアの正体を知っているので、この従者たちやモンリークが本当のことを知ったらどういう反応をするか想像して楽しんでいるのだろう。
彼らは、今の時点でも、奴隷の女の子に対してできるだけのことはしてくれるだろうが。
相手が本物の王女だとわかったら。
即座に鞍替えして、モンリークに堂々と刃向かうようになるのでは、と。
王女が命令すれば、前の主を処分することだってやるだろう。
いや、ここまでモンリークがやってきたことを思えば、不敬なる下級貴族を自発的に処分して王族への忠義を示すかも……。
そのメガネ顔の中では、無数の愉快な妄想が渦巻いているに違いない。
「でもまー、予想通りっつーか、予想以上のことになったねえ。モテモテだよ。魔法の腕だけじゃなくおっぱい狙いもぞろぞろと。鼻息荒いおっさんに囲まれるのは、さすがのファラちゃんも厳しいですなあ」
「申し訳ありません……」
この事態はカルナリアが招いたことなのだから、即座に詫びを入れた。
「でもおかげで、色々、面白くはなったよ。せっかく身元隠してたのに、自分からぼろぼろ漏らしてくるんだからねえ。見て、鬼上司のあの楽しそうな顔」
バルカニア人たちとやりとりする優男は、輝くような精気を発散していた。
ガルディスの側近にして参謀、バルカニアとの外交も担当するだろうセルイにとっては、どのような者がカラントにいて、バルカニアへ戻ってゆくのかが判明するのは実にありがたいことだろう。
ここで彼らとつながりを作るのは、今後どこかで役立つかもしれない――ガルディスにとって。
苦い気持ちをおぼえつつ、カルナリアは怪我人のゴーチェに向いた。
「お加減はいかがですか」
「少しましになってきた」
痛めた足首は、木の枝をあてがいしっかり固定され、痛々しいものは見えないようになっていた。
かすかに漂うのは、フィンが渡した薬のにおいだろう。
「君のご主人様にも、重ね重ね、礼を言う」
「はい、伝えておきます」
「……戻った際には、屋敷へ招いて、きちんと謝礼を渡したいのだが……君たちは、カラントへ戻るわけではないのだろう?」
アルバンが言ってきた。
他の二人と違い彼は、最下級とはいえ貴族だ。
恐らくはモンリークの筆頭従者であり、そういうことを決める権限も持っているのだろう。
「はい、戦から逃れたいとご主人さまが望まれたので、カラントを離れることに」
そこでカルナリアはかねてからの疑問を思い出した。
(そういえば、この人たちは……なぜバルカニアへ?)
「カラントの貴族さまが、どうしてバルカニアへ行かれるのですか? 大望とか栄誉とかおっしゃっていましたけど」
ファラが、カルナリアの疑問をほとんどそのまま言ってくれた。
主を治してくれた魔導師、巨乳の美女。口調は丁寧なものにして、甘い声。同じカラント人。タランドン領の者は反乱軍の脅威をよく知らない。ファラの主であろうセルイは容姿と振る舞いから見て間違いなく貴族。
色々な要素から、従者たちの口はすぐに開いた。
「レイマール殿下のもとへ駆けつけようとしておられるのです」
カルナリアはぎょっとした。顔には出さなかったはずだが。
「第二王子殿下、ですか? バルカニアにいらっしゃる?」
「はい。反乱が起きてグラルダンが閉ざされ、帰国なさることができないでいる殿下のもとへ、いちはやく駆けつけることで、殿下が新たな国王陛下となられたあかつきには、おぼえもめでたくなるだろうと」
「……モンリーク様は、レイマール殿下とご面識が?」
「いえ、ございません」
「タランドン侯爵閣下はご存知のことですか?」
「いえ……存じ上げておられません」
「モンリーク様には、レイマール様のお役に立てる特別な技能や、動かせる兵力がおありなのですか?」
アルバンの眉が悲しげにひそめられた。
他の二人も重たい顔をした。
「モンリーク様はタランドン家の傍流の三男で、城主ではなく、城主である兄上さまの補佐をなされているお方です」
「では――独断で、身ひとつでグライルを越えて、とにかくレイマール殿下のもとへ駆けつけようと?」
「はい。申し上げることはできませんが、あるところからグライルを越える者たちがいるという話を聞きつけ、ここが勝負どころだと、全財産をはたいて支度して飛び出した次第……我々もお止めしたのですが……先祖代々タランドン家に仕える身ゆえ、力及ばず……」
「…………ぐふっ…………ゆ、勇気、すばらしい、行動力、ですね…………そこまでしてくれた方を、レイマール様は、決して
ファラは必死で表情を保ち、言葉をつむいだ。
爆笑をこらえている。
カルナリアもあきれかえった。
フィンのようにめんどくさい戦乱を避けたいわけでもなく、自分のようにレイマールに届けるものがあるわけでもなく、亡命でもなく、助力でもなく、連絡ですらなく、情報もまったく持たず、ただただ真っ先に駆けつけるというそのためだけに、主筋である本家のタランドン侯爵に伝えることもせずに、グライル越えに身を投じた。
彼の中では、それは忠義の表明であり、栄達につながる行動であり、歴史に名を残すことができる英雄的行為なのだろう。
モンリークがそう思っていること自体は誰にも否定できない……………………が!
「失礼します。雨の様子と、周囲の守りを確認してきます」
ファラが立ち上がり、場を離れた。
肩が震えていた。
大笑いするためなのは間違いないだろう。
カルナリアも、沈痛なアルバンたちと同じ場所に居続けるのはどうしたものかと考えた。
「む……」
気絶していたモンリークがうめいた。
目覚めるのかもしれない。
「失礼します」
すぐ立ち上がり、離れた。
その方がいいと、アルバンたちもみな目で言った。
カルナリアが離れると、レンカもついてきた。
岩屋根の端近く、すぐそこには雨水が幕のように降り注いでいるというところで、ファラがうずくまっていた。
顔に強く布を押し当てて。
雨音にまぎれさせながら。
「ぶほっ! ぶひっ! ぶへへっ! ぶおほほほ!」
何度も、何度も、猛烈に笑っていた。
転げ回りたいのをどうにかこらえて、ひたすら背中を大きく揺らしていた。
「…………想像以上の馬鹿だった」
耳に入れていたらしいレンカもうんざり顔で言った。
「斬らなくてよかった。本当に剣が
「言わないであげてください。あの人にとっては、出世できる唯一の道に見えているのでしょうから……」
カルナリアのその言葉と真面目な口調がツボに入ったか、ファラがまたぐひぐひうめいて体を揺らした。
「だ、だめ、おなか、いたい、死ぬ、いき、できない……わらい死ぬ……!」
確かに、祖国の危機、命も危ういレイマールからすれば、真っ先に駆けつけてくれた者には大いに感謝するだろう。
だがその者が、祖国の情勢もろくに知らず――タランドン本城で起きた大騒ぎもあの様子ではほとんど知っていない――タランドン侯爵からの言伝や手紙を持ってくるわけでもなく、侯爵とのつながりすらろくになく、本人に大した技能もなく、従者三人以外には戦力も連れずにやってきたのでは……。
彼らを前にしたレイマールの、引きつった笑みがカルナリアにも想像できてしまった。
そして――その、当事者が。
「なんと! なんということだ!」
目覚めていた。
【後書き】
ついに判明したモンリークの目的。古今東西、危地に陥った主君の元にいち早く駆けつけた者が賞賛され重用された事例は確かに色々ある。その点、行動力はすごい、行動力だけは。その人物が目覚めてしまって、さて何をやらかすか。次回、第131話「危険人物」。
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