128 道の先にあるもの
岩屋根の下のやや奥に、平らな岩が長く伸びて、ちょうど長椅子のようになっているところがある。
そこに厚手の布を引いて、楽に座れるようにしてあった。
横になることもできる。
ファラとカルナリアはそこで休むことを許された。
ゾルカンはじめ、案内人たちの目には賛嘆の色しかない。
あのような大怪我を治してしまえる魔導師がいれば、これから先の旅でどれだけ安心できるか。
「お前も、よくやってくれた。礼だ」
フィンが言い、ファラへ何かを放った。
小さな瓶が、宙をふわっと飛んで、豊かすぎる胸元にすっぽりはまった。
「……なんすか?」
「魔力の、回復薬だ。私には必要ないが、色々もらったものの中に入っていたからな」
「ありがたく、もらっておくっす……」
ふたを開け、中のにおいをかいで確かめてから、一滴だけ指に垂らして舐め、効力を確認してから瓶そのものを口へ持っていく。
メガネの変態が、疲れているせいか、寝起きの悩ましい美女に近い顔立ちになっており、唇が動き喉が動くところにカルナリアは引きこまれた。
「お前も――飲めるか?」
一度思いきり胃の中身をぶちまけ、今もまだ血の気が引いたままのカルナリアに、フィンは暖かな飲み物をくれた。
わずかに魔力を感じた。
恐らくあの魔法具で作り出した蜜が入れられているのだろう。
「いただきます……」
口にすると、熱と甘みが全身に広がっていった。
まさに、生き返る感覚。
自分がこれほどに消耗していたのだということも自覚した。
「これも――口をあけろ」
言われて、無心にそうすると、何かを入れられた。
弾力。だが噛むと、ぷちっと簡単に切れて、口内に甘い味が広がった。
蜜とは違う種類の甘み。半熟卵や
「お前にもやろう」
ぼんやり手を出したファラにも、渡された。
「ひゃあああっ!?」
乳白色の、楕円体のものが、もぞりと動いた。
芋虫だった。
「虫は無理っすーー!」
「ちゃんと洗ってあるのだが。滅多に見つからない珍味だ。
「無理っすーーーー!」
「あなたにも、食べられないものがあったのですね……」
カルナリアも驚き、それなりに引いたが、先に美味だと知ったので、絶対に無理なものではなくなっていた。
もっとも、口に入れてもらったから噛んで飲みこめたが、先に見ていたらダメだっただろう。今は食欲自体はまったくなく、特に肉はしばらく食べられそうにない。モツなど想像しただけで
「雨がやむまでは動かないはずだから、横になっていろ」
言い置くと、フィンが離れていこうとした。
自分はまだ疲れきっていて、何より敵側の人物であるファラと一緒なのに。
他の者たちがちらちら様子をうかがっているから、ここでは何もされないと判断してのことか。
「どちらへ?」
「あの子供を、叱ってくる」
「あ~~~、レンカちゃん、捕まえたら連れてきてくださいっす~~~こっちも色々言いたいことあるっすから~~~」
ファラが上半身を後ろへ倒し、ひらひらと手を振った。
――本当にフィンがいなくなってしまい、カルナリアはこわごわとファラを見る。
「心配しなくていいよ。今はさすがに、何かする気力、ない」
「そう言っておいて、こちらの胸を延々といじってきたひとがどこかにいたようですが」
「あれは楽しかったねー」
「あなただけが」
「ほんとぅ~~? ちょっと感じちゃったりしてなかった~? くひひ」
どう答えても食いつかれそうなので無視して、話を変える。
「でも、本当に、お見事でした。すばらしい魔法と、腕前でした」
「ありがと。
でも、お城とかお屋敷とかの、回復薬の用意あって安全な場所でなら、体中に治癒魔法ぶちこみ続けて、切ったりしないで治せてたんだけどね」
「…………え」
嘔吐し、あんな気分になり、消耗し尽くしたのに。
その気になれば、血を見ずに治せたというのか。
「ここじゃ無理。というか空っぽになったらヤバすぎ。獣や虫も危ないし、それ以上に人間が」
「……人が?」
「客ならまだいいよ。怖いのは案内人たち。シーロとアリタだっけ、あの夫婦みたいに私と
「ゾルカンさんが!?」
「信じすぎちゃだめ。人は、自分の、自分たちの利益のために、いくらでも裏切るし、ひどいこともするし、後先考えずバカもする。そういうやつは思ってるよりずっと沢山いるんだよ」
「…………はい」
カルナリアはうなずいた。
『悪い色』をこれまで沢山見てきたが、それを持っていない者でも自分の利益のために悪いことをするという実例も色々見てきた。
「なんで、空っぽになるわけにはいかなかった。それで少しずつ、いわば節約しながら治していったわけ。実際あれが一番早い治し方でもあったし。
でもまあ、最後に焼いた時、痛みを止めなかったのは、ムカつく貴族のおっさんへの仕返しなんだけどねー」
くけけ、とメガネ美女は美貌が台無しの笑い声をあげた。
「カルちゃんにはきついことやらせたねえ。カラント史上唯一のことを、私たちはやったと思う」
「そうですね……すごい経験でした」
王女を助手にして人の腹を切り開いて治療した治癒術師。人の腹に手をつっこんで生の内臓をつまんだ王女。どちらも、カラント王国史をすべて
「正直いって、カルちゃん途中で気絶すると思ってたよ。根性あるね」
「危なかったですけど――その……今まで、ひどいものを、何度も見てきたので……」
「そうなの?」
「体を槍で貫かれたり。顔を石で潰されたり。目の前で首が飛んだことも――やったのは
「あ~~、聞いてる聞いてる。せっかく追いついたのに見逃しちゃったって、ものすごく悔しがってた。その後も、あとほんのちょっとのところで逃げられ続けて、めちゃくちゃ腹立ったって。自分を抑えるのが常識の人たちなのに、殺気隠せないくらい怒ってた」
追いかけてきたあの者たちから、妙な怒りを感じたのはそれだったのかと、今になって判明した。
「ま、それなら、血や怪我にもある程度は慣れてるか。というか、カルちゃんの立場でそれってとんでもないけどねえ。
じゃあ、やる方も経験した? それともまだ、処女?」
「!」
両脚をビタッと閉じて怒鳴った。
「当たり前ですっ! なんですかいきなり!」
「うん、予想通りの反応ありがとう! それに
「たっぷりでしょう普通は!」
「うけけけ。
ま、冗談はともかく…………やる方ってのはさ――殺す方ってこと。切ったり、刺したり、えぐったり。人を刺す、切る、殺す」
「…………そのように言うのですね」
「言うんだよ。やる前と、やった後で、色々変わるってとこもそっくりだからね。やって一人前ってね」
「まだ、一度も。やりたくもありません」
それについて、隠したり、見栄を張る必要は感じない。
「ふうん。運が良かったか、ご主人様が代わりにやってくれてたか、かな?」
「代わりになど……むしろ、殺したいなら自分でやれと、突き放されましたよ」
「へえ、そんなことあったの? あ、ディルゲ君のあれかあ。あれは怒ってたねえ。キモい気配をさらにキモくして」
「ディルゲ?」
「すごい猫背の。犬みたいな。においくんくんして追いかけるのが得意な」
「!」
あの猫背の男か。
自分が脱がせ、初めて見てしまった相手。
初めて自分の手で流血させた相手。
首にひとまわり、切れ目を入れてやったあの時の感触は、今もよく思い出せる。
……思い出すと、先ほどモンリークの腹に切れ目を入れた時のこともよみがえってしまって、喉がいやな音を立ててしまったが。
「首輪をくれてやる。お前たちなど所詮は奴隷と同じということだ。そう馬鹿にされたって、もうブッコロシ気分全開で、見てる分には面白かった。可愛いのにえげつないことやるねえカルちゃんって」
「いえ、あれは……そうですか、激怒したのですね……」
「ありゃ、違う? どういうつもりだったの?」
「貴族を倒したいと立ち上がったのに、自分に奴隷の線を刻まれて怒るようなら、自分もまた奴隷を見下している、貴族と大差ない心の持ち主だということ……ただ貴族を引きずり下ろしたいだけなのか、それとも本当に貴族も平民も奴隷もない世の中を目指しているのかどうか……自覚させたかったのです。
本当に理想を追っているのなら、薬もあるしあなたのような人もいるのですし、すぐ治してしまって、下らない真似をする私を軽蔑するだけですませたはずです」
「そりゃあ……………………ガチで性格悪いわ、あんた」
ファラの顔から笑みが消えた。
「普通は、自分たちを追ってきて、捕まえようと、いやそれ以上のことをしようとしてたやつを逆に捕まえたら、すぐに殺すもんだよ。なのに殺さなかったってことは、何らかの意図を伝えようとしてるって考えるのが当たり前だよ。実際ディルゲ君たち、すごく考えてたよ。
それがそんな、子供っぽい、自分勝手な理屈を押しつけただけだったなんて――その期待通りにしないからって見下すなんて、まさに貴族的な、子供の、底の浅い考えだね。ディルゲ君もそれ聞いたら風に乗った
ぐっ、とカルナリアはうめいた。
「そこまで言われるほどのことですか!?」
「そうだよ。はぁ、ほんと、みんな、風に乗れないよこれじゃ……」
ファラは深々とため息をついた。
露骨な愚弄だった。
「王様の『色』と同じだよ。赤く輝いたから武の才能あり、それなら世界を征服できる、なんて簡単なものじゃない。
昔、赤文王ってのがいたでしょ。『装着の儀』で真っ赤に輝かせて最強の武の才能を示したもんだから、まわりの国がみんな警戒して、そのせいで治世の間にまともな戦が一度も起きなくて、それで赤なのに文王。
それを、赤く光らせたんだから世界中の国を征服できるはずだ、征服できなかったから本当の赤じゃないって言ってるのと同じ」
「………………」
「言ってること自体は、理屈としては正しい。でも理屈通りにはいかないのが人ってもの。そこがわかってないのがお子様。
理屈通りにしなきゃ間違いだってんなら、カルちゃんは命をかけて反乱軍に、つまり私たちに立ち向かわなきゃならないでしょ。なんでそうしてないの?」
「それは……!」
「力がない。他にやることがある。だからやらない、かな? ふうん。ご立派。
自分が本物だっていうのなら、命をかけて立ち向かうはずです。さっきの言い方だとそうなるよ? 本当に国を背負っている立場だという自覚があるのなら、すごい人を動かせるんですから、命令でもお願いでも何でもやって、王様に逆らった悪い人たちの首をはねさせるはずです。そうですか、そうしなかったのですね……」
「う……!」
「……ガルディス様も、鬼上司も、私たちはみんな理想の国を夢見て、理想をつかもうとしてる。
でも、人ってのがみな理想通りに振る舞えるわけじゃないってのもわかってる。
私だって、貴族も平民もない世の中を目指してはいても、やっぱりすごい貴族を見ると尊敬するし、平民仲間でもバカがいれば見下す。襲われたら許さず殺す。
そういうもん。理想を押しつけて一気に変えようなんてのはだめ。それは必ずひどい歪みを生むよ」
「あなた方がそれを言いますか!?」
反乱を起こした相手に気色ばんで言ったが、さらに鼻で笑われた。
「ガルディス様が、立ち上がるまでに、どれだけ我慢して、苦労してこられたのか、本当にわかってる?
カルちゃんが産まれるよりずっと前、今のカルちゃんぐらいの歳からもうこの国の乱れを何とかしようと、色々考えて、行動して、何とか穏やかに国を変えていこうとなされ続けてたお方だよ?
あんた程度の世間知らず、たった十日やそこらの苦労だけで自分は悲惨を知り尽くしたみたいに舞い上がってるお姫さまの、こうすれば悲劇をなくせるのではなんていうクッソ浅い意見なんてね、全部とっくに考えて、やってみてるの。二十年以上かけてね。二年じゃない、二十年。私だってまだ十九だからそれ以上。その重み、わかる? それでも何も変わらないどころか、もっと悪くなっていったから、もうこれしかないってことで、立ち上がったんだよ。甘く見ないでもらいたいね」
「………………」
しょせんは十二歳の少女にすぎないカルナリアには、返す言葉が一切なかった。
「……それでも、お父様を殺したこと、関係ない人たちを沢山殺したことは、許すことはできません」
「そりゃそうだ。私だって父さん殺したあのクソ野郎は絶対に許さない。だからカルちゃんのその気持ちは認める。
でも、じゃあどうするの? 王宮に攻めこんだ兵士を全部しばり首にでもする? 何千人、何万人も、殺す?
殺すのは簡単だよー、救うのはあんなに手間かかるけど、殺すのは一瞬でできるよー」
「それは…………そんなことは望みません。させません」
「でも、許せないんでしょ?」
「許せないということと、殺すということは、違います!」
「そのとおり」
ファラは皮肉全開の笑みを浮かべ寝転んだまま腕を上げて、わざとらしい賞賛のポーズをとった。
「そのお言葉をぜひ、許せないからって殺そうとしてくるあのモンちゃんや、カラント中の貴族どもに言ってやってくださいませ。カルちゃんの言葉なら受け入れてくれるんじゃないかな、おじいちゃんみたいに」
「…………!」
タランドン侯爵ジネールが自分を見捨てた場に同席していたファラに言われると、カルナリアは今度こそ完全に言葉に窮した。
「うけけ。迷ってる迷ってる。お子様が焦って考えたところで、現実的じゃない、過激でおバカな結論が出るだけなんだけどねえ」
「くっ……!」
完勝を確信したか、ファラの目から意地悪いものだけは消えた。
「…………まあ、疲れきってる時にする話じゃないね。
こっちも余裕なくして、つい本気で言っちゃった。ごめんね」
その言い分にもまた、
いつか真っ当に言い返してやる。絶対に。
「とりあえず、お子様に言えるのは――せいぜい悩みなさいな、ってことぐらいかな。それはどんな身分でも関係ない、子供の仕事、子供の義務だよ。
でもまあ、カルちゃんが悩んだところで、何ができるでもなし……行く末はどっかの貴族か外国の誰かと政略結婚、それ以外にないんだから、そこだけは同情してあげてもいいかな」
「………………」
(いえ…………)
それ以外にない?
違う。
それ以外の道を、今の自分は、見つけている。
「他の道もある、と言ったらどうします?」
「へ?」
以前のカルナリアには一切思いつかなかった、別な道。
王女ではない、ただの奴隷の女の子が、ご主人さまと一緒に、どこまでも遠くへ――『
その道が見えるようになったのは、ある意味、ファラのおかげでもある。
こんな駄目な王女はいなくていいと、カルナリアの存在意義を徹底的に否定し、自分は王女ではなく奴隷なのだということを受け入れさせた、あの処置を受けたことで見つけることのできた道なのだから。
「ちょっと待って。なにそれ。あんたが、他の道って……」
ぎょっとして、顔だけではなく、体全体でカルナリアに向いてきた。
「教える義理はありません。けれども、わたくしには、あなたの言う道とは違うものが見えています。多分、あなたが思いもよらないような道が」
意趣返しもこめて、ニヤッとして言ってやった。
「ほほう? そういう態度、する?」
メガネの下の瞳がぎらついて、ごろりと、巨乳を揺らしながら体の向きを変え、近づいてきた。
「そんな生意気なこと言い出す子には、もう一回、何もかも気持ちよく白状しちゃうあれをやってあげるべきかな?」
危機感をおぼえてカルナリアは逃げようとした――が、判断と行動はこの場合には遅すぎた。
「うひひひ……」
下劣な笑い声と共に、脚をつかまれ、のしかかられる。
重みと共にやわらかいものが押しつけられた。
しがみつき、這い上がってくる。
ものすごいものがカルナリアから見える。深すぎる谷間。たわむふくらみ。それが自分のふとももを包みこんでいる光景に異様な胸の高鳴りをおぼえてしまい、抗わなければならないのについつい力が抜けて、それをいいことに相手の手が体が胸がさらに這い上がってきて……。
「……自分で自分を、どこまで治せる?」
低い声。
いつもの、けだるげなものではない。
ファラの動きがぴたりと止まった。
剣ではなく、カルナリアがモンリークの腹から引き抜いたあの細長い刃物が、ファラの首の後ろに突きつけられていた。
それを握る、ぼろぼろから突き出した麗しい手。
冷え冷えと伝わってくる殺気。
「ど、どうも、剣聖さま、ご機嫌よろしゅう……美しい、我が姫君……よっ、世界最高の美女!」
「離れて、起きろ」
ファラはすばらしい速度で身を起こすと、背筋を伸ばして座った。
カルナリアも、乱れた衣服を整えつつ、ファラから離れて起き上がる。
女同士がからんでいたせいか、こちらをうかがっている男たちが大勢。
距離は空いているので会話は聞こえなかっただろうが、かなり危ういことを言い合っていたと反省もした。
そして、自分たちの前に立つぼろ布の、その後ろから…………レンカが出てきた。
【後書き】
さすがに年上、カルナリアを完全論破……かと思いきや、まさかカルナリアが王女の地位を捨てることを考えるようになっているとは思いもよらなかった。次回、第129話「お叱りと提案」。
【解説】
カルナリアが犬こと『6』にやったことは、第62話、63話参照。
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