105 移動


※カルナリア視点に戻ります。





 袋に入れられたカルナリアは、運ばれ続けた。


 台車で運ばれた次は、複数の男たちの声がする中、持ち上げられ、ぐにょっとしたものの上に落とされ、上からさらにぐにょっとするものが乗せられてきて。


「出すぞー!」


 声に続いて、揺れ始めた。

 船の揺れだ。船に積みこまれていたのだ。立地的にきわめて順当。


 船で運ばれるのは二度目だが、最初の時の汚い簀巻すまきに比べると、服も持ち物も状況もすべて問題なく、これまでのことを思い返し別れを寂しく感じる余裕もたっぷりあった。


(あ……)


 少し揺られたところで、微細な魔力が体を通過していった。


 おぼえがある。『検索』だ。


 あの時のような強いものではなく、どこかで行われたものの余波をわずかに感じただけだが――。


 恐らく、あの屋敷が捜索されたのだろう。

 危ういところだった。

 あそこもまた、もう二度と戻れない場所となったことは間違いなく、さらに切なくなった。


 今の感じでは、『王のカランティス・ファーラ』が探知されることはないだろうが……。


(気づかれても、どうすることもできませんし)


 自分を運んでくれている者たちを信じるしかなかった。


 裏切られ捕らえられたとしても、その時はその時。

 色々あったせいか、そう考えられるようになっていた。


王のカランティス・ファーラ』を奪われてしまったとしても、その想像に恐怖することがほとんどなかった。

 ひどくまずいことではあるが、以前のような絶対的な恐れは感じない。どうにかして取り返そうと行動する自分が容易に想像できる。


(これは、進歩なのか、開き直りなのか、何でしょうね)


 自分の変化を自分で面白く思った。


 それからしばらく揺られ続けた。

 途中で何かに接触し、上に乗せられていたものが取り除かれ、新しいものが乗せられたりもした。


 船は、恐らくグリ川を遡上そじょうしているのだろう。


 グライル山脈から流れてくるグリ川は、『川』とも言われている。八本の細い川が、あるところで一気に合流し広い流れとなるからそう呼ばれる。


 合流点に兵站基地サーヴァがあり、そこから二日進んで、グライル山脈に唯一開く地峡の『風神の息吹ナオラルフューラ』、そこをふさぐ国境の巨大城塞グラルダンに到着する。


 以前にタランドン領を訪れた際に、そこまでは視察している。


 その先、バルカニアは完全に未知の土地。


(どうやって、国境を越えるのでしょう……)


 カルナリアでも思いつくのは、『流星』で一気に突破することだが――当然ながら、グラルダンには『流星』封じの防御魔法が入念にかけられている。

 一定以上の速度で飛来するものを止める、投擲とうてき封じの魔法だ。矢、石、動物の死体などが投げこまれるのを封じるためだが、もちろん『流星』を使う者も引っかかる。他の、筋力を高める魔法具などで飛びこんでも同じこと。

 また魔法具の作動を止めてしまう魔法も常時展開されているとのこと。止めるどころか、誤動作させ、破壊もしくは装着者にダメージを与えるものもあるという。


 それらの効用を、グラルダンの将はカルナリアたちに自慢していたものだ。


 もちろんほぼ同じものが、バルカニア側の城塞にも展開されている。


 通常の手段でも、行き交う商隊も貴族も、『検索』の魔法をはじめ入念な検査が行われ、怪しいものは人も物も即座に止めて、場合によってはその場で攻撃、焼却、処刑すら行われるという。


 また、グラルダンに詰めているのはタランドン領軍でも最精鋭。

 一切の油断は期待できない。

 その駐屯軍も、今は侯爵の命令で、『王のカランティス・ファーラ』を奪う側に回っているだろう。


 ではグラルダンを避けて…………といっても。


 グライル山脈を越える道というものは、ナオラルフューラ以外には存在していない。


 グライルは人の世界ではない。

 山が峻険しゅんけんだというだけではなく、棲息する野獣が危険すぎるのだ。


 歴史上何度も何度も、道を見つけよう、鉱山を見つけよう資源を探そう人を住まわせようという試みは行われ、時には万単位の兵士を動員する軍事作戦すら行われたが、すべて失敗に終わってきた。


 太古よりずっと、グライルは両国を隔てる壁として、人を阻み続けている。


 天竜グライル山脈。


 フィンは国境を越える手はずを整えさせていると言っていたが、どうするつもりなのか。


 いくら山暮らしにも山歩きにも慣れているあの怪人でも、グライルを越えられるとはさすがに思えないのだが……。


(ひゃ!?)


 衝撃を受けた。

 船が接岸したようだ。


「お、これか」

「印ついてる。この荷物だな。そっち持て」


 カルナリア入りの袋に手がかけられた。


 声を出さないように耐えた。


 持ち上げられ――中に人が入っていることはすぐわかるだろうから、この男たちはわかってて運んでいるのだろうが――割と乱暴に、硬い床かどこかの上に置かれた。


(あのひとに背負われて『流星』で崖を飛び上がった、あのときに比べればこの程度!)


 あれは本当に最悪だった。

 色々知って、自分でも『流星』を使ってみた後だと、あの行動のひどさがよくわかる。ちょっとだけ横へ行って「階段」を駆け上がればよかっただけなのに、それを面倒くさがって!


(でも……これから先、してくださることがあるのでしょうか……)


 フィンとまた会うために、カルナリアは自分で自分の口をふさぎ、突然の衝撃でも悲鳴をあげないようにひたすら耐えた。


 横に何かが置かれた後、ゴツッと音がして、何かがかぶせられたような――それから釘を打つ音がし始めた。


 どうやら木箱に入れられ、ふたをされたようだ。


 移動開始。揺れ方からすると今度は馬車だ。


 船と違って、揺れが細かい上に、突然の衝撃がかなり多い。

 新しい衣服とフードのありがたさをカルナリアは早速体感することになった。


(エリーが、ずっと荷台に横になっていて、つらそうでしたね……)


 それも思い出した。

 あの土地ももう遠い。


 いつか、帰国し、墓参に訪れることができるのだろうか。


(必ず、会いに行きますよ。エリー、レント)


 カルナリアは運ばれ続け――。




 いつの間にか眠っていたようだ。


「起きろ」


 袋の外から揺すられ、最も聞きたい声をかけられた。

 けだるげな、女性の声。


 この声がしているなら警戒の必要はない。すぐカルナリアは身を起こした。


「顔は隠しているな?」

「はい」

「じゃあ、立て。ゆっくりだ」


 言われた通りにすると、袋が取り除かれ――。


 目の前にぼろ布が立っていた。


 すぐにしがみついていった。

 受け止められた。背中に手を当てられた。


「大丈夫か」

「はいっ!」


 ぼろ布に頬ずりしてから、周囲を見回した。


 建物の中。石造り。板窓は閉じられている。小さな灯明ひとつきりで薄暗い。


 自分は木箱の中に立っていた。


「壁に手をついて、じっとしていろ。


 木箱から出て、言われた通りにした。

 フィンがその隣に来た。こちらも壁に向いている。


 背後で扉が開く音、複数の人が入ってきて、扉の閉じる音がして――もういいぞと言われ振り向くと、木箱も袋もなくなっていた。


 お互いの相手の顔を見ない、姿を見ない。

 そうすることで秘密を守るというやり方のようだ。


「ここでしばらく休憩する。それから、また移動だ」


「はい」


 室内には寝台も椅子もなく、体をほぐしてから、壁に背を預けて座りこんだ。


 もう日は暮れているようで、どこかから家畜のにおいがした。

 どうやらどこかの農場のようだ。


 牛か豚か羊か、カルナリアにはわからない声が頻繁に聞こえてくる。

 かなり規模の大きなところなのだろう。


 馬車が遠ざかる音。近づいてくる音もある。人の声もした。


「あの、これから、どうやってお隣の国へ行くんですか?」

「私も詳しいことは教えてもらっていない。よその者に知られてはならない方法なのだろう」

「そうですか……」


 必ず通らなければならないナオラルフューラ地峡、グラルダン城塞。

 そこには間違いなく、敵が待ち受けている。

 ガルディスが派遣し得る限り最強の敵が。


 レンカのようなガルディスの手の者。ギリアはいなくなったようだが、それに匹敵する手練れを、ガルディスは必ず送りこんでくる。『王のカランティス・ファーラ』を手に入れるまでそれは続く。カラント王国最強戦士ヴィルジール・サルトロンをはじめ、タランドン領の猛者もさたちも立ちふさがるだろう。


 戦いになったら、フィンに頼るしかないのだが。


王のカランティス・ファーラ』がにあり、これが狙われているということを知らないフィンは、そこまでの危うい状況だということを知らないはず……。


「怖い人たち、先回りしていないでしょうか」

「そこが問題なんだよなあ。運んでくれる者たちに、あの連中のことは伝えてあるから、対策も考えてくれているとは思うんだが……ナオラルフューラだったか、そこを通るしかないんだから、待ち構えているだろう。私でもそうする」

「戦いになるのでしょうか……」

「人間相手は、ほんと、めんどくさい」


 珍しくフィンが、ぼろ布の中で動いた。体のどこかをさすったようだとカルナリアは見た。

 まるで怪我をした場所をいたわったような。


 ……決闘、怪我、治療などの言葉が頭に浮かんだが、訊ねることは自重する。絶対に答えてもらえず、めんどくさいやつと思われるだけだから。


 でもそれに関連することなら……。


「そういえば、朝のあの時、ご主人さまが剣を振るったところ、初めて見ました。すごかったですね! 速すぎて、見えませんでした!」

「まあ、これでも、剣士として世を渡っているからなあ」


 山小屋でも聞いた、少しばかり自慢げな声音で返事してくれた。


「本当に剣士さまだったのですね」

「最初からそう言っていたはずだが」

「全然それらしいところを見せてくださらないからいけないのです。やっと、信じることができました」

「それはありがたい…………が、あまり期待するなよ。剣を使うということは、人を斬るということだからな」

「はい、その点は、期待しないようにしています」


 タランドン城で大活躍してくれたと思ったのに、全然そうじゃなかったと知らされた、あの時の落胆で耐性はついていた。

 動きの速さとはったりで切り抜けてるだけの師であろうとも、フィンはフィンだ。自分のご主人さまだ。


「ご主人さまが、人を殺すところなんて、見たくありません。見ないですむよう、風神さまにお祈りしておきます」

「………………


 頭を撫でられた。


「えへへ……」


「だが、この先で、そうしなければならない時が来るかもしれない。覚悟はしておいてくれ」


「…………はい」


 どこまで本気か、どれほどの実力か、まるでわからないが。

 自分にもその覚悟は必要だと、あらためて思い定めた。


 猫背の男は、殺さずにすませたが。

 場合によっては、今度こそ、レントの短剣を誰かに突き立てることになるかもしれない……。


「ほんと、めんどくさいよなあ。どうして放っておいてくれないのかなあ」


「……半分くらいは、ご主人さまにも責任があると思うのですが」


 膝の上に少女たちを乗せてにしたあの「別れの宴」を思い出し、目をじっとりさせてカルナリアは言った。


 カルナリアも、ここでフィンが自分を置いて逃げていったら、一生かけても追いかけて捕まえてやるだろう。


「だから顔を隠しているのに」


「だから追いかけられるのでは? タランドンではすごい人気者になられたことですし、いっそのこと堂々として、どこかの国の女王にでもなってしまうのはいかがですか? そうすればいくらでものんびりできますよ。引きこもって姿をほとんど見せない王さまとか、領主さまとか、お話は聞いたことありますし」


「お前は、ほんと、恐ろしいことを考えるなあ…………そうしたところで、何かにつけ近づいてきて、入りこんできて、関心を引こうとしてきて、頼み事をしてきて、利用しようとしてきて、問題解決を要求してきて、のんびりなどできないんだぞ」


「…………経験がおありなのですか?」


「ある所で、しばらく領主みたいな真似をする羽目になったことがあったが、そうなった。地元の者たちや近隣領主からの求愛や訪問が一日たりとも止まらず、邪魔なやつを斬ってくれという要望が絶えず寄せられ、私の名を言い立てて横暴な振る舞いをするやつもぞろぞろ出てきて――夜這いを五夜連続で撃退したところで、逃げ出した」


「すみませんでした……」


「他人の面倒を見るのは、お前ひとりぐらいで十分だよ」


 また、頭を撫でられた。

 カルナリアは自分から身を寄せていった。


「私も、早く、ご主人さまの面倒を見られるようになります」

「頼むぞ。期待しているからな」


 夕食は、荷物の中に弁当が用意してあり、ほとんど何をする必要もなかった。


 食べ終え、ひたすら待つ――のかと思ったが。


「落ちついたら、これを飲め」


 あの、蜜の出る筒が出てきた。


「今度は、何ですか?」


「眠気止めだ。夜の移動になるが、途中で寝てもらっては困る。さっきまで寝ていたにしても、万が一に備えて」


「わかりました」


 一晩中、また箱の中か袋の中か、とにかく眠りこんでつい動いたり寝言を言ったりしてはならない状態で運ばれるのだろう。


 納得して――甘味も期待して、カルナリアはとろりとした蜜を口に含んだ。


 相変わらずたまらなく美味しい。

 甘みの快楽に、ふた口めも吸いとった。


 飲みこんで、少しして。


「あ………………れ…………?」


 強烈な眠気に襲われた。


 吸いこまれるように意識が落ちた。










 目覚めると――山の中にいた。


 太陽が輝き、周囲は明るく、緑が鮮やか。

 草の上。


 首輪、あり。


「起きろ」


 目の前に、男がいた。


 いつぞやの、ひげを生やしたランダルのような、むさ苦しい男が、木の切り株に腰を下ろしていて、じろりとカルナリアをにらんだ。





【後書き】

船と馬車での移動が続く。『流星』で一気に飛び越えていなければ、こういう移動を延々と続けて、恐らくまだタランドン市にも入れていなかっただろう。そして図太くなったカルナリア……だったのだが、いきなりのひとりきり、目の前にむさい男。何者か。次回、第106話「野外訓練」。わずかに性的表現あり。

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