ex04 熱狂的ファン

※番外編です。この話だけに登場する人物視点。





 魔法の才能を持って生まれた。


 才能を見出され、いけると思って、修行に励んだ。


 だがこの国には、どうしようもない身分の違いというものがあった。

 平民の自分では、どれだけ優秀でも、どうにもならない壁があった。


 同じ修行を積み同じくらいの能力のはずなのに、貴族の家に生まれたか、それに縁のある者ばかりが取り立てられてゆく。どこでも真っ先に最初に訊ねられるのは「どこの家に属しているか」だ。


 その現状への憤懣ふんまんから、魔法ではなく、呪法に傾倒した。

 真っ当に扱われないのなら、真っ当ではないものになってやる、と。


 魔法と呪法は、原理としてはそう違うものではない。


 体内に宿した魔力を動かし、集めて放出し、外界に何らかの影響を及ぼす術法ということはまったく同じだ。


 その中で、「魔法」とは、おおむね効果が目に見えるもの、物理的な結果が出るもののことを言う。

 火を起こし、水を凍らせ、風を起こし、怪我を治す。

 風をぶつけたり、体を強くしたり、矢や刃の威力を強めるのもその範疇に入る。

 それらを防ぐのも、探知するのも、やはり魔法だ。


「呪法」はその逆で、効果が目に見えないものをそう呼ぶ。

 運命に手を加えて相手に悪影響を及ぼすもの。傷つけたり焼いたりといった外的な要因ではなく純粋に死だけをもたらすもの。体のはたらきを乱して病にするもの。精神操作も呪法として扱われる。

 一応は、相手に幸運をもたらしたり、病から遠ざけたりすることもできるのだが、どうやらこの世というものは生きているだけで途方もない幸運であり、どのような者でも病からは逃れられないという定めのせいか、そういう呪法はきわめて難しいものであり、使い手はほとんどおらず、したがって呪法とは悪いことをするものという印象が広まっている。


 しかも、行使するためには相手とつながっているものがある方がやりやすいということで、人に対して用いる時には人体の一部を求め、使うことが多いので、より白い目を向けられる。

 魔法だって、火の魔法を使うには燃えやすいものや発火物があった方がいいように、何かしらの媒体を使うことは同じなのだが、印象の影響というのはかなり大きい。


 しかし、真っ当ではないとされ、邪法とも呼ばれるそれを学んでみると、とても面白く、また自分のしょうに合っていることがわかった。


 だから、魔導師ではなく、呪法師と呼ばれるものになった。


 呪法師は、正当な魔導師たちからは忌み嫌われ、真っ当な仕官はもちろん、真っ当な働き口すら得られないのが常である。領によっては犯罪者扱いされるところもある。


 しかし問題はなかった。

 呪法を求める者は、いるところにはちゃんといたし、彼もまた「客の望み」をきちんとかなえることができたからである。


 それがいわゆる「よくないこと」であっても、自分の技を発揮し結果を出すことができるのなら構わなかった。

 自分によいことをする場を与えてくれない世の中が悪い。

 また依頼人にとってはよいことなのだからそれでいい。


 彼は、腕のいい呪法師として日陰の世界で活動を続け、ついには西方の大都市、タランドン市に自分の工房を構えるまでに成功した。


 タランドン市に腰を据えた彼は、呪法の研究に没頭した。

 呪法の行使そのものは、金を稼ぐ手段であり、目的ではない。彼の興味はどこまでも呪法の追究にあった。時折依頼を受けて呪法を使うのも、研究の結果を実地で確認するためにすぎなかった。


 そうしたある日、突然、『検索』を使われた。

 自分の工房、そろえた魔法素材や仕掛けた罠などを全て暴き出す、ある意味禁断の魔法だ。


「『検索』なんか使いやがった馬鹿はどこにいる!?」


 本気で激怒し、飛び出した。魔法を使う者なら誰でも怒り、報復する。無差別『検索』が禁断の魔法である理由はこれである。


 もとより『検索』を使われたら使った相手に呪いが飛ぶように防御してはあったのだが、相手はかなりの腕の魔導師のようで、効果が及んだ様子がない。

 ならば、使った本人を特定し、できれば髪なり何なりその体の一部を手に入れて、確実に呪法を及ぼし、無礼の報いを受けさせてやるべきだった。


 同じ目的で集まってきた同業者たちと情報交換し、市内に散り、あるいはそれぞれ魔法や呪法を使って相手を探しているうちに――。


「剣聖?」


 その名前が上がってきた。


『検索』を使った相手というわけではないが、その者たちと市内で戦ったらしい、凄腕の女剣士。


『死神の剣』という、文字通りの神の力を持つとてつもない秘宝を持っているのだという。


(…………見たい! 知りたい! 欲しい!)


 呪法師、いや研究者としての欲望が湧き起こった。


 とはいえ、広いタランドンの街で、知り合いでもない相手がそう簡単に見つかるわけもなく、情報屋に依頼をして結果を待ちつつ、自分の技の全てを使って相手を捕らえる準備に励んだ。


 翌日、情報屋が、『剣聖』はラーバイに入ったという話を伝えてきた。

 ラーバイ。歓楽街である。

 しかしそこは腕のいい魔導師たちにしっかり守られており、専属の呪法師もかかえていて、彼が入れば即座に気づかれてしまう。

 そこの連中が『剣聖』と手を組んだのか。

 持ち物を研究させてもらえるのか。

 嫉妬にのたうち回った。


 しかしその夜、ラーバイが炎上した。

 大火災であった。喧嘩から火事になり、燃え広がり、かなりの犠牲者が出たという。


『剣聖』を求めて注目していた彼は、火災が発生する前に、ラーバイに対して何らかの大規模な呪法が使われたことを察知していた。

 多くの「死」の気配もあった。火災によるものではない、喧嘩にしても異常に多い、まるで戦が起きたかのような、人の手による無数の死。呪法師たる彼にはわかる。


 何が起きたのか、小動物の視界を使ったり他人の記憶をのぞき見たりして確かめようとしたが、現場が大混乱かつ事情を知っている者がきわめて少なく、どうにもわからないまま時だけが過ぎる。


 そうしているうちに、城から布告が伝えられた。

 フィン・シャンドレンに出頭を命じる布告である。


 どういう理由かは語られていなかったが、そこは問題ではない。


『剣聖』が城に行くというのなら。

 彼は即座に、使用料を払って橋を渡り、グリ川北岸の貴族街へ入った。

 道をのぼり城に近いところの家に入りこむ。

 以前に「仕事」で関わり弱みを握った貴族の住宅で、城のバルコニーも広場も一望できる最高の立地である。


 様々な用意をしつつ待つうちに、橋が解放されたらしく、下町の民衆が大量に押し寄せてきた。


 その中に、同業者が何人もいた。

 自分と同じように、『死神の剣』やそれを持つ者に興味津々、あわよくば体の一部、本人を確保したいと狙っている。


 たちの悪いやつを見つけた時は、いい機会なので、彼の呪法で精神操作したこの家の使用人がそいつに近づいていって、後ろから刺し殺した。そうするべきだと思って自分の意志でやったことなので、衛兵はもちろん、当人が死と共に発動する復讐の呪法を発動させても彼には届かない。呪法の使い方に精通しているかどうかの差が如実にあらわれて、実に心地いいひとときとなった。





 布告にあった日暮れ時が近づき、バルコニーの上に設営が始められた。


 広場には大群衆が集まって、祭りのようになっている。


 貴族が登場し始めた。

 彼のいる場所からはその様子がよく見える。


 位階が低い者から順番に登場してくる貴族たちを見るのは、それぞれが身につけている魔法具やかけている魔法防御を確認できて、実に興味深いものであったが……。


(…………なんだ、あいつは!?)


 北の方の領主、タランドン侯爵と同格の三位貴族。

 その本人ではなく、後ろに続く随員の方に、妙なものを感じた。

 黄色い声を浴びまくっている美形騎士の隣にいる、貴族としては地味な服装、女性としては割と長身の、顔はベールで隠している、いい体をしている貴族令嬢。

 長めの――剣か、槍か、とにかく武器を携えている。女騎士だろうか。

 魔法具を持っている。あの場にいる者ならそれは当たり前のことだ。

 魔導師ではない。それもわかった。


 普通の者なら、主人を守る護衛騎士だろうと結論づけるだけの話。


 だが、呪法をきわめた彼だからこそ、わかった。


 あの女性――あれは……

 どう普通じゃないのかはこの距離ではわからない。

 だが違うということだけははっきりわかる。


 奴隷の少女が引き出される。

 その子もまた、何か引っかかった。これも距離があるのでよくわからないが、直接じっくり調べてみると、普通の子とは違うものが見つかりそう。魔導師の素質があるということか。それとも他に何か。


 少女を鞭打つ役目の者が出てきた。

 普通はいかつい男がやるものだが、やたらと肌を露出した、実に色っぽい、それこそラーバイで客を取っていそうな、南方の女だった。


 広場の観客たち、特に男が大喜びしているが。


 彼だけは肌にあわを立てた。


(魔導師! いや、呪法側のやつだ!)


 今まで見た中で最も強力な魔法使いだった。


 その妖艶な肢体の内に信じがたい量の魔力を宿し、それを組み上げた魔法をすでにいくつも展開させており、さらに全身の装身具はほとんどが魔法具、それも防御のためのもの。


 素肌はたっぷり出しているのに、その体はまるで城塞も同然だった。

 今、バルコニーの上にいる騎士や魔導師たち全員で攻撃しても通らないのではないか。

 少なくとも彼が相手をしろと言われても無理。自分が使えるどのような呪法をもってしても通用しない。


 なぜ、そんなやつが、鞭打ち役などを。


 あの奴隷少女に何かあるのか。

 それとも、今呼び出している剣聖に対処するためか。

 あれほどの防御をしなければならないとは――剣聖はひとりではなく、仲間、それも強力な魔導師が共についているのかもしれない。


 広場を注視し、気配を探った。


 現れた。

 認識阻害の魔法をかけた布にくるまった、背の高い姿。

 声は――よく通るが、甲高い。


(違うな。囮だ)


 布の中に魔法具を持っている気配はあったが、話に聞くほど強力なものではない。しかもひとつだけだ。それであのバルコニーに飛びこみ、あの呪法師の女に対抗できるとはとても思えない。


 実際、上の連中もすぐ見抜いたようで、女が鞭を再び構えた。


 そして、打った。


 少女の絶叫。

 かわいそうに、と思った。あの鞭は、音を派手に立てる見せかけのものではなく、本当に殺傷力のあるやつだ。あの悲鳴の濁り方からすると肺が片方潰れた。背骨は当てると即死してしまうのでわざと避けたのだろう。次は尻か。すぐには殺さないつもりだろうが、あの細さでは肉が受け止めるどころか骨盤そのものが粉砕されて死ぬだろう。

 死んだ体を手に入れられないか。先ほどの引っかかりを確かめてみたい。また年端もいかぬ女の子の肉体というだけでも色々と使い道が――。


 と、まだ最初の絶叫が続いている間にそういうことが頭をよぎったが。


 次の瞬間。


「フィン・シャンドレン、見参」

「来たか! 仲間の仇! 彼の仇!」


 女たちの声が、拡声魔法具で聞こえてきて。


 あの女が――あの、普通じゃない女が、それまでと違う所にいた。

 鞭を引き戻した女と奴隷少女の間に。

 一瞬で。

 元いた席からいつ移動したのかわからない。


 女は腰に手をやっていた。剣がそこにあった。まちがいなく剣だった。反りのある細身の長剣。抜き放つ構え。


「お、お、おおおおおっ!」


 彼は気がつけば叫んでいた。

 あれが剣聖、フィン・シャンドレン。

 顔を出している。長い黒髪。遠目にもすばらしく美しい女であることはわかった。

 だが彼にとって重要なのは外見ではない。


 あの剣だ。

 あれこそが。

『死神の剣』、ザグレス!


 感じる。

 魔力を付与した剣、程度のものではない。

 彼にはわかる。

 魔力とはまったく違う力が宿っている。

 濃厚に宿っている。

 そのふたつ名からすれば、神の力か。死神の。あらゆるものに死を与える。


 その力にふさわしい威力が発揮された。


 あれほどの魔力によるあれほどの多重防御が、一切役に立たず、あっさりと妖艶な女の腕と首が飛んだ。


「な…………!」


 総毛立つ、どころではない。

 心身すべてが凍りついた。


 通常の魔法攻撃とは違う何かが起きるだろう、とは思っていたものの。

 想像を超えていた。

 彼は武人ではない。剣聖がいつ斬ったのかはまったく見えなかった。しかし力は感じた。がほとばしった。鋭利なものが。魔力ではない何かが。

 それが自分に向けられたら、防ぐ方法はない。


 続いて、斬られた女の体が変貌した。

 妖気が渦巻く。

 おぞましいものが出現する。


になりやがった!)


 死者の怨念が具現化したもの。どれほど強い怨念を抱いていても、狙ってなれるものではない。他人をそうすることができるものでもない。そういうものであれば彼がとっくに作り出し、使役している。

 時折出現するというだけの、制御不能のもので――ひとたび出現すると、大変なことになる。


 この世のものではないため、この世のものと同じ対処をしてはならない。攻撃してはならない。魔法でも同じ。攻撃するという意志、すなわち敵意に死霊は反応する。敵意を向けることによりができ、それを経由して命を吸われる。


 盾で止めようとしたり、建物の中に閉じこもるのもダメだ。あれは物体をすり抜ける。直接触れられると一気に命を吸いとられる。


 対処法はただひとつ、逃げることだけである。


 本来この世に存在するものではないため、距離を取り、あれのエネルギー源である命を与えさえしなければ、徐々に弱り、消えてゆく。そこら中に死霊がうろついていないのはそのためである。

 逆に抵抗しようとし続けて、都市ひとつが丸ごと消滅し、強大化した死霊が半年以上存在し続けたという事例も過去にあった。


 貴族の護衛たちは、主をかばい盾を構え防御魔法を展開しつつ、じりじりと後退し始めた。正しい対応だ。


 死霊は、奴隷少女を助けようと背を向けている剣聖に迫った。


(どうする!?)


 剣聖は――振り向きざまに、下から剣を抜き放った。


 垂直に切り上げ……。


 死霊が、真っ二つになった。


 あっさりと。


 そのまま消えていった。


「おあああああああああああああ!」


 わけのわからない叫び声を彼は張り上げた。


死神の剣ザグレス』。

 今度こそ、その刃が、垂直に立てられたその全貌が、見えた。


 黒い。


 漆黒の、長い刃。


 金属の光沢はある。天高く掲げた剣先がきらりと光る。


 そこに力が宿っている。みなぎっている。

 魔力ではない、神の力。いかなるものにも死を与える力。ひとには抗する手段が存在しない、超越の力。


!)


 心身すべてが、あれが欲しいという、それだけになった。


 見物していた部屋を飛び出し駆け下りる。

 広場に飛びこむ。人を呪法でかきわけバルコニーへ突き進む。


 何としても、何としても、どんなことをしても、どんな手を使っても、どれほど危ういことになろうとも、この場の全員を殺してでも、あれを手に入れなければならない!


 ――『剣聖』が、奴隷少女を抱えて、広場に飛び降りてきた。


 捕獲する! つかまえる! あの剣だけでも!


 だがその前に。


「フィン・シャンドレン! 勝負だ!」


 巨体の騎士が立ちはだかった。


 でかぶつ、邪魔だと内心で怒鳴ったが、割って入ることはできなかった。

 騎士の武威はすさまじく、武芸の心得がなくとも全身が勝手に接近を拒んだ。下手な真似をすれば気取られ叩き潰される。

 その見事な鎧にも、あの女ほどではないが念入りに魔法防御が施されており、彼の呪法では有効な攻撃を繰り出すのは難しい。


 対峙する剣聖が、あの剣を抜いた。


(おおおおっ!)


 間近で見ると、さらにすばらしかった。


 美しい。

 形状が美しい。持ち手も美しい。姿勢も美しい。

 それら全てよりも、こめられている力が――未知の、神秘の、巨大な、異質な、鋭利な、絶対の力が、美しい!


 決闘が始まった。

 互いの剣を打ちつけ隙を狙い合うような戦いではなかった。

 剣聖の刃は絶対的で、騎士の巨剣は圧倒的で、どちらも一撃で相手を戦闘不能にすることができる同士の戦い。


 騎士が仕掛け、剣聖がかわし、騎士が追撃し、剣聖が飛び――そこに騎士が、重甲冑にもかかわらずいきなり蹴りを繰り出した。


 剣聖は吹っ飛ばされ、着地した。

 彼のすぐ目の前に。


 彼女はマントのたぐいは身につけていない。後ろ姿。見事な尻、腰、横から見える豊かな胸、流れる髪。麗しい肌、超絶の美貌。

 胸が弾んだ。人生で初めての高鳴り。本能のたかぶり。


 そして、『死神の剣ザグレス』。

 すぐそこにある。

 揺らめく力を肌で感じる。

 飛びつきたい。触れたい。さすりたい。いっそのことあれに貫かれて力を直接感じてみたい!


 騎士が煙玉を使った。まさかの搦手からめて

 剣聖は白いの向こうへ斬撃を放った。

 神力が、水平に振るった刃の延長上にはしり、その面上にある煙がずれた。そこに騎士がいれば切断されているだろう。


 煙の向こうから何かが飛んできた。

 剣聖は三つまで打ち落とした。だが四つ目は斜め上から降ってきて、肩に突き刺さった。回転していた刃にそこから背中にかけて大きく切り裂かれ、血があふれ出た。


(血!)


 その当人の体の一部があれば、呪法を及ぼすことができる。

 髪の毛や爪を使うのが一般的だが、それは手に入りやすいからであって、肉や血があればその方がより効果的。


 騎士が、巨体にもかかわらず煙の下を、地面を這うようにして飛びついてきた。

 剣聖は剣を振り下ろしたが、足首をつかまれており、騎士の腕を切断はしたが同時に骨を砕かれた。その音ははっきり聞こえた。


 巨体が片手で剣を突きこんでくる。剣聖は回転してかわすが、顔を削られる。また血が飛ぶ。

 その回転の勢いを利用して、倒れこみつつ騎士の体に刃を入れた。


 決着はついた。


 騎士は、最後の力で剣を振り下ろし、そのまま息絶えた。

 倒れることなく、立ったまま死んでいった。


 よかった、と思った。

 があのざまで剣聖の上に倒れこんだら、剣聖の血に余計な血が混ざってしまうではないか。


 剣聖が、寄ってきた男女に抱え起こされる。

 その背中から、こめかみから、額から、また新しい血が流れ落ちて地面にしたたる。

 それを彼は食い入るように見つめる。


 城から、甲高い叫び声と共に、魔法具を光らせた――子供が飛んできた。両手に三日月状の剣を手にしている。

 死に物狂いなのは彼でもわかった。でかぶつ騎士の子供だろうか。


 剣聖は、片膝を突いて、『死神の剣ザグレス』を一振りした。


 子供の前面で火花が散り、小さい体がバランスを失い、回転して剣聖の目の前に落ちた。


 その額に漆黒の刃が突きつけられた。

 手加減する余裕などないのだろう、凄絶な気配がはしる。


 次の瞬間、子供が真っ二つになるところを誰もが想像したが――。


 そうはならず、子供のフードだけが切断されて左右に分かれ、かなり整った顔立ちが明らかになり。

 その目がぐるりと回って白目だけになって、気絶した。

 びくびくと地べたで痙攣した。

 股間が大きく濡れていった。


「…………ふう」


 剣聖は息をつくと、『死神の剣ザグレス』を振ってから、鞘に収めた。

 そのまま地面について杖にした。


 しんと静まり返っていた周囲から、地鳴りのようなうめき声が湧き起こり、感動と賞賛の大歓声となる。


 しかし彼はそんなことはどうでもよかった。

 でかぶつもガキも邪魔だ、さっさとどけとしか思わない。


 剣聖を支える者たちが、明らかにただ者ではない目つきで周囲を警戒しつつ、剣聖を布で覆い隠し、どこかへ連れていった。


 彼は突進した。

 飛びついた。


 その場所へ。

 石畳の上へ。

 剣聖の血が垂れ落ちた所、まだ赤いしずくが残る石畳、そこの床石を、素手ではがし、ふところへ。自分の爪がはがれたが知ったことではない。その後から小さなスコップを持っていたことを思い出した。突き立て別な石をめくりあげて収集。でかぶつの血が飛び散っているからそれが混ざらないように。剣聖の血がどこにしたたりどこに散ったかは凝視していたから全てわかっている。


「何してんだお前!」


 衛兵に見とがめられたが、彼は最大威力で呪法を炸裂させ、あらゆる邪魔を排除した。


「うへ、へ、へ、へへっ、うひぃ!」


 歓喜しながら血の付いた石を漁り、さらに剣聖の後を追い、途中で血をぬぐった布が落ちているのを見つけた。絶頂した。




 ――どのようにして工房へ戻ってきたのかよくおぼえていない。


 手に入れたものを並べ、分類し、すぐ実験に取りかかる。


 人の血だけを取り出す魔法具を用いて剣聖の血液を分離。

 赤いものがしたたり落ちてくる。何滴も、何滴も。


(なんだ、この血は! この女は! 何なんだ!)


 血液だけでも次から次へと発見があって、研究者としての歓喜が脳髄を埋める。


 血液は、一滴だけでも呪いには十分だ。

 それがこれだけあれば、できることが無数にある。


 運命をねじ曲げ、彼女の方からここを訪問するように仕向けて、そのままあのきわめて美しい女体を好き放題にした上であの『死神の剣ザグレス』をたっぷり研究……。


 ……それはさすがに困難だ。誰でも夢想することなのでその呪法は研究され尽くしており、対抗策は呪法師の基礎教養レベルで広められている。特にこの手の呪いに狙われやすい女性向けに、対呪の魔法紋様を刺繍した下着が普通に売られているばかりか、それを使われた瞬間に光を放つ魔法具、使った相手の所へ飛んでゆく魔法具などの対抗法もいくらでも用意されている。相手が呪法の技能を持っていた場合、返されて、こちらが影響を受けることもあり得る。夢想にとどめておくのが利口というもの。


 だが、そこまで行かなくとも、彼女の居所を常に指し示す『糸つなぎ』の魔法具なら製作は容易だ。

 通常のものはすぐ発見されるが、血を用いる高度なものなら、腕のいい魔導師がじっくり調べないと見つけられない『糸』をつけることができる。

 剣聖の居場所がわかっているのなら、追跡して、隙をうかがい続ける。その上で『死神の剣ザグレス』を……。


 剣聖の血を用いて、複製を作ることも可能だ。

 まったく同じ女体を誕生させるというのはさすがに夢物語だが、土人形に血を混ぜこんだ魔導人形ならば、剣聖本人にしか使えないとされている魔法具に、これは剣聖だと誤認させることができる。

 つまり、まず間違いなく本人以外は持てないようにされているだろう『死神の剣ザグレス』を握り、盗むことができるのだ。


 持った者に剣聖の技や能力を与える魔法具も製造できる。血とは本人の一部、すなわち本人の存在そのものとつながっているので、その存在情報を引き出して付与する。剣聖を追うにあたって、彼が雇う護衛に持たせるととても役に立つだろう。


 他にも色々と思いつく。

 アイデアが、発想が、想像が、止まらない。


 彼は研究と開発を続ける。

 徹夜しただろうがよくわからない。どうでもいい。

 動き続け、回復薬を飲み、自分に呪法を重ねがけして体力と集中力を持続させ、様々なことを知り、様々なものを作り出す。何日でも続けられる。


「はっはあああああっ! うわはははははあああああああ!」


 彼は脳内ですでに『死神の剣ザグレス』を手にしていた。

 超絶の剣も、美しい持ち主も、彼のものになっていた。


 呪法師となってよかった。

 生まれてきてよかった。


「フィン・シャンドレン! お前のすべては、俺のものだ!」






「………………断る。めんどくさい」


 けだるげな声が突然聞こえてきた。






        ※






「……終わりましたか」


「ああ。まったく、こうなるから、強いやつと戦うのはいやなんだよなあ。無傷で倒せる相手じゃなかったとはいえ、血を流すとこういうやつらが寄ってくる。ここの守りも斬るのに手間取った。ほんとめんどくさい」

の始末はおまかせを。欲しいものがございましたら遠慮なくお持ちくださいませ」

「もういただいた。残っているものはお前たちの好きにしろ」

「この工房は、我々でも手が出せない所でしたので、助かりました。この場所もここにあるものも研究結果も、我々が勢力を取り戻すのに大いに役に立つでしょう。

 そもそもこの者は、広場での呪法の行使、衛兵や市民多数の殺傷、何人もの精神操作を行いましたので、いずれにせよ死刑でした。お気に病まれることは一切ありません」

「わかった」

「今後とも、私ども『うてな』は、あなた様に害なす者を取り除き続けることを誓います。…………あなた様に愛していただけるように」




       ※




『剣聖教団』。


 剣聖フィン・シャンドレンをあがめる者たちの組織。


 絶世の美形として名高い剣聖を、熱狂的に支持し愛好し崇拝する若者たちにより結成されたもの。


 また、奴隷の少女を、領主を向こうに回して助け出したということで、似たような境遇にある者たちが数多く守護神として信奉し、入会している。


 剣聖の情報の共有、様々な『剣聖ばなし』や絵姿の収集と編纂へんさん、布教と称する辻語りや出版活動などを熱心に行う。

 青少年にはよくある一過性の活動として、年長者たちからは微笑ましく扱われている。


 ……しかし、その裏では、剣聖の情報を操作し、実像とはかけ離れた容姿や性格を広めており。


 剣聖に仇なす者、仇をなしそうだと危惧された者を、ひそかに消していっているということは、ごくわずかな者だけが知る事実である。





【後書き】

カルナリアと離れている間、フィンがどういうことをやっていたのか、魔導師とはどういう連中かの一端でした。フィンの実力の一端も。……これでもまだ一端にすぎないというとんでもない存在。

偶然とはいえ大勢を魅了してしまったこともあって、『剣聖教団』なんてものもできてしまいました。さて「熱狂的ファン」とは誰のことか。なお教団のトップ、女教皇と呼ばれる人物はマルガという名前です。

これにてタランドン編は終了。第三章、グライル編のはじまりです。次回、第105話「移動」。

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