078 剣聖と人喰い


※前話に引き続きリンテ視点です。





(こいつは、とんでもないことになった……死人が出るぞ、それも《どっさり》……!)


 リンテはいつになく早足で人ごみを縫っていった。


 日頃から使っている、目と勘がいい少年とその仲間を呼び出し、ルナという奴隷の少女を探させる。

 場所は騒ぎが落ちて橋が落ちた場所の近く。


 どこかの家にかくまわれているかもしれないし、誰かにさらわれたかもしれない。

 住人たちが騎士や役人には教えないことも、同じくこの街で生きている彼らになら教えてくれるのはよくあること。


 その手配をしてから、リンテは自分の家へ急いだ。


 リンテは雑貨屋を営んでいる。

 もう引退し息子夫婦にまかせ、時々は店先に立って常連と世間話をしたり、あるいは広場でぶらぶらしている……が。


 実際は、息子の妻および店の従業員は、この地の組『うてな』の一員で。

 店の奥には、外を歩くことのできない立場の者をかくまうための部屋が用意されていたりもする。

 外からはまったく見えない逃げ道もある。


 リンテは急ぎ足で店に戻り、緊急事態を示す言葉を息子たちに言うと、奥から秘密の抜け道に入り、水路に出て、舟を走らせた。


 川を下ってきた船に無数の小舟が群がる、水上市場とでも言うべきところにまぎれこみ、ある一艘に接舷、乗り移る。


「『三番目』です。『ひとつ星』に、急ぎ、お会いしたく」


 このタランドンの街の、情報屋の元締めに自ら報告に出向いた。

 自分自身で伝えるのでなければ危うすぎた。


「フィン・シャンドレン……『剣聖』だと……が、この街に入っているというのか……」


 元締めも、話を聞いてうなった。


 カラント王国よりも東の国々で活動しているという話だけは伝わってきている、恐るべき剣士のふたつ名である。


 女とも言われているが、名前の響きでは判別できない。

 噂に聞く通りならば、話半分としても、とてつもない凶悪な存在だ。

 対価を求めずに人を斬る。

 どんな相手でも、何人でも斬る。

 立ちはだかる者を容赦なく斬る。


 対価を求めないゆえに『剣聖』と賞賛されているが、裏を返せば、人を斬れるのなら報酬を求めずに実行する、心から殺人が大好きな者ということだ。


 あちこちの国で憎まれ、手配され、賞金をかけられ――手配書はこのタランドンの裏の世界にも回ってきている。


 そんな者がこの街に来たのならば、ただでさえ東の戦乱で不安が広がっているところに、どれほどの騒ぎが起きるかわかったものではない。

 タランドンあっての自分たちである。

 この街がめちゃくちゃになっては、情報も何もあったものではないのだ。


「奴隷を連れているなどとは聞いたことがないが、この国で買ったのかもしれん。いずれにせよ、わしらだけで対処できるものではないな。上に伝える。お前のところには応援を送る。探しているというその奴隷を、あらゆる手を使って見つけ出し、相手から話を聞かねばならぬ」


「はい」




 雑貨屋に戻ったリンテは、留守にしていた間の進展を聞いた。


 もう結果が出ていた。


 家と家の隙間に勝手に住みついている、スリや盗みで食いつなぐガキどもが、現場の近くにいて。

 そいつらが、をくるんだ細長いものをふねに乗せて、急いでいでいったという目撃証言を、少年たちが手に入れていた。


 そのすぐ近くで『流星』が飛び交い戦闘が起き死人も出たということもあって、騎士や衛兵たちはそっちばかり気にしており、その舟の話はまだ知られていないという。


 そして、気になる話も追加されていた。


 その舟が行っただろう水路を、明らかにこの辺りの者ではない、親子連れらしい二人組が追っていったという。

 親の方はだったと。


(猫背……あの七人の中にいたな)


 リンテは頭の中に街の水路図を描き、関係者とそれぞれの動きを想像した。


(十歳ちょっとの奴隷の女の子。ガキどもがさらって、せずに、すぐに運んでいったとなると――高く売れそうな見た目だからで……売り先は)


 答えはすぐに出た。


 歓楽街、ラーバイ。


 リンテの縄張りではないが、そこに行きたがる旅人は多く、いい店の情報はいくつも持っている。

 そしてそこは、『うてな』の本拠地だ。


 表向きは、三つの大店おおだなおよび系列店が競い合い、それぞれの代表たちの合議により運営されている場所だが。

 実際は、すべてを忍び組『うてな』が仕切っている。

うてな』の女忍びは大抵、そこで素質を見出され育成された者だ。


 リンテはすぐに人を元締めの所へやり、ラーバイに新しく「入荷」された中に目的の人物がいる可能性が高い、ということを伝えさせた。


 返答は――元締め、『ひとつ星』本人がやってきた。


「わしが直々に出向くべきであろう」


 見た目は、リンテの父親と言っても通じそうな、これも平凡な顔をした白髪の老人である。


「ちょうど、昼めし時だ。その相手と共に食おうではないか」


 この老人は「人喰い」のふたつ名でも知られていた。


 共に食事をすると、なぜか相手が心を開き、味方になったり貴重な情報をもたらしたりしてくれるようになるのだ。そこからつけられた。


 リンテも、まだ少年と言ってもいい頃にこの人物に食事に誘われ、当時は若気の至りで何とかしてこいつの縄張りを自分のものにしてやると思っていたのが、食事を終えた頃には、この人についていけばやっていけそうだと思うようになっていたものだ。


 そして、その思いは今に到るまで裏切られたことはない。


 情報屋の元締め、『ひとつ星』のロルホ――知る人ぞ知る、このタランドンの街の重要人物である。


 二人は連れ立って広場へ向かった。


 周囲には『うてな』の者が警護についているはずだ。


 リンテは幾人か、それらしい相手を見つけた。

 もちろん見つけたと悟らせるような真似はしない。自分の目を確認するだけだ。


 正午少し過ぎの広場は、先ほどよりも倍以上の人でごった返していた。


 東の戦乱による人と物資の大規模な移動が起きているため、荷運びの仕事はいくらでもあり、それに従事する者たちが腹を満たそうと、食事を提供する店に殺到している。


 街の側もそれに応じて、飲食店が全力を出しているのはもちろん、屋台も無数に出現して、到る所で簡易かまどからの炊煙を上げ、腹を刺激する匂いを振りまいていた。


 午前中にリンテがいた屋台および置かれている卓と椅子も、ほとんど埋まっている。


 だが、老人とリンテが行くと、ある卓についていた客が、食べ終えて立ち上がり、空いた。


(偶然ではないな)


 リンテはそう見る。立った二人は、この辺りでは見ない顔であり、動きに一般人ではない滑らかさがあった。恐らく『うてな』の者。


「さて……」


 老人が穏やかな表情のまま、あちこちに出ている屋台の何を食べるか考えるように、首を巡らせた。


 それと共に――リンテだからこそわかる、広場のあちこちで、急に動いた者が何人もいた。


「護衛を、すべて下がらせた。今のままでは、相手が出て来ないどころか、斬り殺されかねないからな」


 何一つ変わらない表情のまま、とんでもないことを言う。


「何人、護衛についていたのですか?」


「五十人」


 さらりと、情報屋の元締めたる老人は言った。


 その人数に驚いたのはもちろん、その人数が斬り殺される可能性を想定していることにさらに驚いた。


「……『剣聖』というのは、に……?」


「噂だけでも、そのくらいのことはやりかねない相手よ。『剣聖』を知っているというだけの相手かもしれぬが、いずれにせよ、わしらは情報屋、力ではなく、誠意と、持ってきた情報で勝負するべきであろうよ」


 穏やかな老人と中年男の昼下がり、という姿勢と表情をどこまでも崩さないまま、恐ろしい会話が交わされた。


「それで、お前は、何を食う?」


「そうですなあ、俺はとりあえず……」


 今の話でまったく食欲はなくなったが、それでも笑みをたたえて言うことはできる。


 何一つ異常に気づいていない、いつもリンテの用事をこなしてくれる子供が、駄賃目当てに近くに来ている。

 その子たちに、あれとあれを買ってきてくれと命じて小銭を渡し、体の力を抜いて、どこまでものんびり過ごしている風に装う。


「……何か、わかったか」


 先に聞いたのと同じ、けだるげな、低い、女性の声がした。

 すぐ背後から。


「……ああ、色々と」


 すさまじい驚愕を一切顔には出さず、何とか平穏を装い返事をした。


「隣は、俺の上役、この街の情報屋の元締めだ」


「ロルホという。よろしくな。ぼろぼろさん、でいいのかな」


 老人はリンテと同じく一切背後を振り向かず、目すら動かすことなく、穏やかに言った。


 名乗った。

 そうするべきだと判断した、ということだ。


「元締めが出てきて、名乗るということは、こちらの情報を高く買ってくれるつもりになったということでいいか」


「わしが元締めと、信じたのかね」


「あなたの指図で、護衛らしい者が大勢動いたからな」


「やはり気づいたか。……ぼろぼろさん、


 いきなり老人は核心に踏みこんだ。


「フィン・シャンドレン」


 相手も、それ以上のものを返してきた。


「有名な『剣聖』本人かね」


「自分でそう名乗ったことは一度もない。いつの間にかそう呼ばれている。正直、迷惑している」


「そうかい。しかし、そうなると、本人だという証拠がどこにもないなあ」


「人を斬ってみせなければ信じてもらえない、というのなら、そう言った当人を斬るか、めんどくさいから去るかのどちらかにしているのだが」


「斬られるのはいやだし、去られるのも困るなあ」


 リンテは会話を耳に入れつつ、総毛立ち続けている。


 背後の相手の気分を損ねたならば、次の瞬間、本当に自分と老人はまとめて斬られるのかもしれない。


 殺気のたぐいは一切感じないし、声以外そこに誰かがいるという気配すらしないのに、自分たちの死だけはほとんど決まったことのように感じられて、そのことが不思議で、恐ろしい。


「ともあれ、こちらから差し出すものはふたつ。ひとつは、ご要望の、奴隷の女の子の行方。これは大体つかめた。もうひとつは、いい頃合いなので、こちらのおごりでの、昼めしだ」


「……いただこう」


 その返事は、自分たちの死が遠ざかったことと、情報交換および交渉が可能になったことのあらわれで、リンテは心からほっとした。


 子供が、屋台から買ってきたものを届けてくれる。


 の、タランドンの定番、包み焼きだ。


「こいつは、生地は東の麦、具は北方の海の魚、味つけは西つまりここのショウ、香辛料は南のもの。四方の物産が集まるこの街だからこそ、庶民でも食えるものでな。特に香辛料が格別なのよ。うまいぞ」


 湯気と共に、刺激的な――南方の香辛料の香りが濃厚に漂う。


 ナイフも必要なく、大きな木の葉に包まれたそれに、そのままかぶりつくものだが。


「よかったら、共に席についてくれないかね」


 老人はどこまでも穏やかに言い。


「……これでいいか」


 あの円錐形のぼろ布が、気がつけば、自分と老人との、同じ卓についていた。


 座ってはおらず、立ったままだが、卓についたことは事実。


 悲鳴をあげずにすんだのは、先に経験していたからこそにすぎない。


 それにしても、こんな至近距離に来たのに、まったく気づくことができなかったというのは……


「認識阻害の魔法がかかった布か。不思議なことに、今日はそれを身につけた者がこの辺りに何人もうろついているという。関係あるということでいいのかな」


「それは、食事の後にしよう」


 フィンと名乗った怪人物は言い――布を動かして、前に置かれた料理を取ると、合わせ目の内側へ吸いこんだ。

 手はまったく見えなかった。


 円錐形がわずかに揺れる。恐らく咀嚼そしゃくしているのだろう。


 老人は自分もかぶりつき、心から美味そうに眉を垂れ下げる。

 そこに一切の嘘はない。この人物は本当に食べることが大好きなのだ。

 そしてそこに引きこまれる。


「うむ、うまい!」


「……確かに」


 布の中から、ほんのわずかに感情を宿した声がした。


「好き嫌いはあるかね」


「何でも食える」


 すると、川で採れる貝をよく蒸したものや、肉や野菜を豪快に串に刺してあぶったものといった、が次々と運ばれてきた。

 飲み物も、さすがに酒ではないが、柑橘類の香りが素晴らしい、泡立つ飲料が卓に並ぶ。


 不思議なことに、自分の縄張りで何もかも知っているはずなのに、自分が頼むよりも美味いものがそろう。

 買わせる子供を間にはさんでいるのに、並んで順番が来た時に丁度良く焼き上がり、あるいは熱すぎるものが持ってくる間にほどよく冷めていて、とにかく自分の前に並ぶ時は最も美味いようになっている。

 一種の異能だった。


 その異能が、怪人にからみつく。


「すべて、こちらのおごりだ。あんたの情報にはそれだけの価値がある。遠慮なく食ってくれ。欲しいものがあるなら言ってくれ」


「ありがたくいただく。


 それは、フィンの方からの情報提供。

 探している奴隷に対してそういう感覚で接しているということの披露ひろうだ。


「その子なら――


 老人が自分の名を呼んで、話すよう促す。これも誠意のあらわれだ。


「あの場所の近くをねぐらにしていた悪ガキどもが、巻きにしたものをラーバイへ持ちこんだそうだ。ラーバイとはこの街の歓楽街。そこに売るということは、女の子だろう」


「ふむ。なるほど。売られたとしても、元は私のものなのだから、返してもらえるのだろうな」


「それは、法に照らせば、そうなる。だが店の側からすれば、ガキどもから買った分の金を払えと要求してくるだろう。それは店からすれば正当なこと。しかもどうせ、何倍も吹っかけてくるだろう。可愛い子なら手放すまいとする。あんたがこの国の貴族ならともかく、そうではないのなら、どうするかだが――」


「……それについては、このリンテもまだ知らないことだが」


 ロルホは、自分自身がやってきた理由でもある、最新にして極秘情報を披露した。


「ラーバイに探りを入れてみたところ、三つある大店おおだなのひとつ、『人魚楼』に先ほど、奴隷にしてはやたらと気品のある子が売られてきたという話だ。右の半面に火傷の後がある以外は貴族の令嬢と言われても通用しそうだという、十歳前後の子」


「間違いないな。、ルナだ」


「そして、その子を追ってきたらしい、妙な――あんたのそれと同じようなマントをまとった連中が、うろついているらしい。さらった子供たちは、ラーバイの外に出たところでそいつらに捕まり、全員殺されたそうだ。死体が運河で見つかった。その子を売ったのだろう金貨を持ったままだった」


 リンテも驚いた。

 殺しはもちろん、金貨を放っておいたというところに、尋常ならざる連中であることを感じる。やはり『うてな』の同類。


「あんたをラーバイへ案内し、その店と交渉する手助けをすること自体はできる。だがその連中が何者なのか、背後に誰がいるのか、それを知らないままでは、うかつに動くわけにいかない。我々はただの情報屋で、殺しをやるわけではないし、戦えるわけでもない。この街で暮らしている以上、ラーバイと関係が悪くなるのも困る。いい解決法を探るためにも、まずは何が起きたのかを教えてほしい」


「…………」


 フィンは、すぐには返事せず、屋台めしを色々と布の中に吸いこんで、串だけを外に出してくる妙な食事を続けた。


「……ルナを探してもらうための対価として、こちらが提示したことだ、教えよう……」


 間を絶妙に外してくるのは、老人のペースに巻きこまれないためなのか、元々のものなのか、人の相手には慣れているリンテでもよくわからない。


 しかしすぐ、それどころではなくなった。


「な…………!」


 情報屋の元締めすらも絶句する、衝撃的な話が次から次へと語られた。


「剣聖」フィン・シャンドレンが『流星』を所有している、ということですら大したことと思えなくなる重大事。


『流星』を持っている連中が七人も、フィンを追ってきた。

 そいつらは、ドルー城に突入し中で大暴れしたあと、ひとりも欠けることなく、さらに追ってきた。

 そのうちの一人を殴り倒して『流星』を手に入れたが、予備の『流星』を持っていたようで、そいつも含めた七人全員で追いかけてきた。

 この広場に着地し市街地にまぎれこもうとしたが、途中で追いつかれ、戦闘し、切り札を使って何とか撃退した。橋はそれで落ちた。そいつらはまだこの街にひそんでいる。

 猫背の男は最初、反乱軍の兵士と共にフィンのいた村にやってきた。つまり間違いなく反乱軍側にくみしている者たち。


(とんでもないことになってきた!)


 リンテの知る東方情勢や『流星』の知識と合わせると――飛んできたあの七人は、ガルディス王太子の手の者。

 つまり、『風』の可能性がきわめて高い。


うてな』はこのタランドン領のみの忍び組だが、『風』はカラント王国全体の忍び組織だ。

 現王を討った新王ガルディスについたのか。

 あるいは『風』自体がそれ以前からガルディスの手足となっていたのか。


 とにかく、そいつらが――恐らく最精鋭が、このタランドン市にやってきた。

 血なまぐさい、殺し合いの気配が一気にリンテの脳内に満ちた。


「ドルー城は、フィン・シャンドレン――つまりあんたがめちゃくちゃにしたという話が、つい先ほど、ここのお城から伝わってきたのだが」


 老人がまた、リンテの知らないことを告げてきた。


「自分たちがやったことを、私になすりつけて、私の賞金額を上げようとしているだけだ」


「その証拠は」


「城から幾筋も煙が上がっていた。ふねで逃げるこちらを射てきた凄腕もいた。私が暴れたのなら、火などつけない。私は弓矢を持っていない。ドルー城を調べてもらえればわかるはずだ。また、やつらは舟で逃げる私たちを追って、犬を使い、船着き場で衛兵を殺してもいる。こちらは目撃者が沢山いるはずだ」


「わかった。上に伝えよう……しかし」


 ロルホ老人は、一気に老衰が来たかのように、額の汗をぬぐい、背中を力なく丸めた。


「何ということだ……状況によっては、ここも、戦場になりかねん……」


「同情はする。しかし私たちは、めんどくさい戦に巻きこまれたくないからこちらへ逃げてきただけだ。文句は、無茶苦茶をやりながらしつこく追いかけてくるに言ってくれ」


「機会があればそうさせてもらおう。

 貴重な、貴重な情報に感謝する。

 ……この情報の価値は、奴隷の子の捜索程度で見合うものではないな。ラーバイへ入り店と交渉する際に、無償で返してもらえるように口添えをしよう」


「ありがたい」


「しかし、今すぐというわけにはいかん。そこは我慢してもらいたい。

 今聞いた話の通りなら、ラーバイの近くには、あんたを狙うやつらがうろつき、見張っていることになる。

 街なかで戦いになり、普通に暮らしているこのあたりの者が巻きこまれ犠牲になるのは避けたい。

 そいつらに見つからずにラーバイに入り、店と交渉できるよう段取りを組むので、一日待ってもらえないか。ルナという子も、器量よしなら、店の方もひどいことはするまい。むしろ大事にするだろう」


「ふむ。その方が楽だし、確実だな。わかった」


「宿も紹介できるが、いかがかね。安全はわしら情報屋の誇りにかけて保証する」


「気持ちには感謝を。しかし不要だ。準備ができたらまたここで。食事は美味かった。気に入った」


「それはよかった。次はまた別なものを食おうぞ。タランドンのめしは、まだまだこんなものではないからな」


「私より、ルナに食べさせてやってくれ」


「大事にしておるのだな」


「妙な事情で所有することになった子だが、色々面白く、。だが弱すぎて、すぐ死んでしまいそうで、目が離せない」


「なるほどな。ラーバイの者に、たっぷり食わせるように助言しておこう」


「では、明日」


 そう告げた次の瞬間には、たけ高い円錐形が、消え失せていた。


 いや、少し後ろへ下がっただけだろう。


 しかしリンテのまばたきの瞬間に移動されたせいで、認識阻害の効力が発揮され、視界の中にまだいるはずなのに、わからなくなり――ひとたびわからないと思ってしまうと、もう見つけることができなくなった。情報屋たる自分が。


「……来てよかったわい」


 老人が、やはり背中を丸めたまま言った。


「直接会っておらねば、流浪の剣士とあなどって、最悪の結果になっていたやもしれぬ」


「それほど……なのですか。俺にはどうにも……」


「わしにもよくわかっておらぬよ。

 だが、わからぬということが、それ自体でもう答えだ。

 あれは、得体が知れぬ。底が見えぬ。

 つまりは、わしら程度でどうにかできると浅はかに考え、己のために利用しようなどと思ってはならない相手だ。そのことさえわきまえておれば、いずれ去っていってくれる」


「………………」


 まるで天災ではないかと思った。


「ひとつだけわかったのは、ということだな。美味いめしをおごっていなければ、直接ラーバイへ乗りこんでいたやもしれぬ。

 …………大勢、死人が出たことだろう」


 剣聖と人喰いの勝負は、引き分けということのようだった。


「それに――お前もわかっているだろう、賞金首だとしても、他国の者を、今の情勢で、賞金稼ぎではなく王太子配下の者たちが、多数の殺しをやりつつ、『流星』まで使って追ってくるというのは、どうにもおかしい。まだ他に何かがあるぞ」


 ――そこから、老人は『うてな』や城とやりとりするために拠点へ戻り。


 リンテは、広場や『戦闘現場』近辺の情報収集に忙殺された。


 浮浪少年たちの遺体の検分にも駆り出され、役人に色々聞かれ、大事なことは一切伝えないように気をつけて――。


 その間ずっと、あの「剣聖」がどこかから見ているかもしれない、すぐ側にいるかもしれないという重圧感をずっとおぼえ続けて。


 日が落ちて、手足に鉛を詰めこまれたような疲労と共に、何とか家に戻り、寝台に横たわった。


「ホォォォォォォォォォォォォォ!」


 甲高い、奇怪な、獣の吠え声のような音が響いて、飛び起きた。


 夜でも活動している者たちが、街の各所で動揺している気配が伝わってきた。


「ホォォォォォォォォォォォォォ!」


 また聞こえた。


 リンテは、そろそろ徹夜がきつくなってきた体に鞭を入れ、灯りを持って夜の街中に出ていき、情報収集に駆け回った。


 山の奥に棲む、きわめて危険な猿の吠え声だという情報を得て、さらにあちこち駆け回ることになった。


 実際には、何も起きずにすんだが……。


(なんという一日だ!)


 嘆きながら、夜もきわめて更けた頃に、ようやく休むことができた。





 ――彼は翌日、身をもって知ることになる。



 この日、この夜は、に比べると、ずっとずっと、平穏だったのだと。





【後書き】

初めて、フィンの心情が明かされた。救出を待つカルナリアにさしのべられる手。しかし一方で迫る手も。次回、第79話「襲撃計画」。



※解説

情報屋たちのあだ名「ひとつ星」「三番目」には、意味はまったくありません。情報屋組織を探ろうとした者を混乱させるために適当につけているあだ名です。「三番目のリンテ」の直接の上役は「第六位」だったりします。

(プロット段階ではその第六位はフィンたちが泊まる宿屋の主として登場する予定だったのですが、展開が変わって登場はカットされました)


同じくもうひとつ、忍び組織「うてな」は、自分たちタランドン領はカラント王国の重要な土台であるという自負からつけた名前です。

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