033 峠越え


 陽光が届いていないので、金属のきらめきは見えない。

 だが豆粒のようにうごめく数多くの人間が、それぞれ防具や剣を持ち、様々な道具も持ちこんで、「階段」を登ろうとしているのははっきりわかる。


「夜をてっして登ってきたようだな。思っていたよりずっと執念深いし、能力もある連中のようだ。賞金がそれだけ高いのか。まったく、めんどくさい」


 相変わらずフィンは、自分が追われていると勘違いしていた。


「戻るぞ。すぐに出ないと、追いつかれる」


 崖縁がけふちから後ずさって、カルナリアは身を起こした。


 フィンに続いて小屋へ急ぐ。


「あの飛ぶ道具は、使えないのですか?」


「昨日、魔力を使い切った。自然に充填じゅうてんはされるがここでは時間がかかる。今日は、使えるとしてもほんのわずかだ」


「そうなのですね……」


「それに、下りでは危険だ。地形がわかっているならまだしも、初めてのところでは――そもそもお前の体がたん。崖から飛び出してしまったら、私は無事に着地できても、お前はつぶれて死ぬぞ」


「ひぃぃ……!」


 小屋に戻って、発熱サイコロを回収し、荷物を背負いフードをかぶる。

 朝食は、歩きながら食べることになった。


 外に出た。

 フィンが小屋に向かって礼をする。

 カルナリアもならって、頭を下げた。


 王女が寝泊まりするなど本来あり得ない掘っ立て小屋だが、カルナリアにとって素晴らしい休息場所だった。顔も名前も知らないが、作ってくれた猟師たちに心から感謝した。


「こういう静かなところで、ずっとのんびりしていたかったんだけどなあ」


 心底つらそうにフィンが言った。

 間違いなく本音だろう。


「人は食べなければ死んでしまいます。ご主人さまはともかく、私は死にます、間違いなく」


「私だって死ぬぞ」


「本当ですか?」


「私を何だと思っているんだ」


「何なのでしょう。教えていただけませんか?」


「フィン・シャンドレンという名で、女で、剣士なんだが」


「それはもう存じあげております。それ以外の、たとえばお顔とか、お姿とか」


「昨日言っただろう――ふむ、そういえば」


 突然フィンが、カルナリアの両頬をはさんだ。


「ひぇっ!?」


 麗しい手で頬をむにむに、なでなでされる。

 カルナリアの鼓動が急激に高まる。


「この可愛い顔。人里に出る前に、しないとな」


「!」


 一気に身がこわばる。


 また、をやられる……!


(だ、大丈夫、痛いのには慣れる、怖いのにも慣れる、繰り返せば、慣れるのだから……!)


「あっ、あんまりっ、痛くしないでいただけると、助かるのですけど……!」


「ああ、薬がないのだから、傷つけるようなことはしない。逆に、きれいにしておいた方がいい時もあり得るからな」


 カルナリアは心底ほっとした。


「……さて、あれが見つかるといいんだが。今頃ならあるはず……なかった場合は……あれとあれでどうにか……」


 フィンはカルナリアの頬をつまんで指先でこね回しながら何やらつぶやき続けた。


「あ、あにょっ、もう……いかないろ……」


「そうだな。行くか」


 残念そうに手が離れ、ぼろ布の中に消えていった。


 カルナリアは息をつき胸を押さえる。

 顔が熱くなる。


 もてあそばれたのは頬だけだが、あの指を唇にあてがわれたら、つい吸いこみ、しゃぶってしまったかもしれなかった。


 そういえば昨夜、抱擁されながら眠りに落ちる際……曖昧あいまいとしているが、口の中にを入れて吸ったような記憶がかすかにある。

 柔らかく、気持ちよく、とても安らぐものだったような。


(まさか…………!?)


 を、自分はしてしまったのかもしれなかった。


 もしやっていた場合、フィンはどういう目で自分を見るか。

 そういうことをする相手を、どう扱うか。


 この後、王女だという正体を明かした時も、敬意を示してくれるのだろうか。


(だっ、だめですっ、これ以上、この方に、甘えるのは……もう、だめ、おしまいにしますっ!)


 カルナリアは自分に強く宣言すると、一度目を離したせいで認識できなくなったぼろぼろの姿を探し、小走りに後を追った。


 ――小屋は頂上にあったわけではなく、山を越えるにはもう少し登る必要があった。


 崖を巻いて横に進むと、登れるようになっているところがあり、そこを行く。


 朝食の、いくつかの具材をはさんだパンを、歩きながら食べるという生まれて初めての経験をしつつ、ゆるやかな斜面を登り続けると、ほどなくして、行く手がそらだけになった。


 峠だ。


 そこを越えればタランドン領。


(…………)


 カルナリアはその寸前で、後にしてきた地を振り返った。


(レント。あなたに導かれてここを越えたかった)


(エリー。あなたに手を引かれて、一緒に越えたかった)


(ランダル。あなたに心からの感謝を。あなたのことも忘れません。レントとエリーの眠る地をこれからも守ってください)


(騎士ガイアス。マリエ。みんな。お父様、お母様、ランバロ兄様。カルナリアは行きます。もっと先へ、西へ、必ずレイマール兄様に『王のカランティス・ファーラ』を届けます)


 深い感慨と共に、カルナリアは峠を越えた。


「…………わああ…………!」


 こちらもまた、雄大な景色が広がっていた。


 広がり下ってゆく山肌、その向こうにはなだらかにうねる平原があり、畑や森がモザイク状に延々と広がっている。はるかな視界の中に街や村らしきものもいくつか見える。


 タランドン領の豊かさを示すような光景の中を、きらきらと糸のように輝いて伸びているのは恐らくエラルモ河だろう。東から西へ流れ、途中で向きを変えて北へ向かって海へ注ぐ大河。

 その曲がるところにこの領の中心都市であるタランドンの街があり、タランドン侯爵ジネールがいる。王宮で何度も会ったことがあり、向こうもカルナリアのことはよくおぼえているだろう。


 彼に会えるかどうかで、自分の目的が果たせるかどうかが決まる。


(会えたら……)


 自分がタランドン侯のもとに身を寄せたら。

 フィンとの旅も、関係も、終わりなのだろうか。


 いや、終わるのが本来なら正しい。

 流浪の剣士と、王女。住む世界も目的も何もかも違う。


 ここまでよくぞ王女を守ってくれたとタランドン侯がねぎらい、大儀たいぎでありましたと着飾った自分がだんの上から告げて、侍従が礼金をフィンに渡して、それでおしまい……。


(それは…………そうなるしかないのだけれど……!)


 カルナリアは納得できない感情を抱えて、下りに変化した山道を踏みしめた。


「雪解け水か、嵐か……前に来たときと少し変わっているな」


 カルナリアの思いになどまったく気がつく様子もなく、ぼろぼろは登りと同じようにスイスイと下ってゆく。


「ま、待ってください!」


「こちら側は私も道については自信がない。足場を確かめる必要もある。危ない場所があったら伝えるから、お前は焦らず、無理をせず、転ばないよう、ゆっくり来い」


 納得するしかない理由で置いていかれて、やむなくカルナリアは自分のペースでひたすら降りるしかなかった。


 道は、大体わかる。草や岩などが少ない、細い線のようなものが山肌をくねって下へ続いている。


 レントやエリーレアから、山道の歩き方を教わったのを思い出し、できるだけ膝に負担をかけないように、腕をぶらぶらさせ重みが分散するようにしつつ、石と土だらけの道を踏んでゆく。


 陽がかげった。下ったので、山の稜線が光をさえぎったのだ。


 陽あたりが良くないせいか、木や草はあまり生えておらず、生えていても細い。


 おかげで割と歩きやすくはあるが、上からもたやすく見えてしまい、追っ手が峠を越えたらすぐ発見されてしまうのは間違いなかった。


 眼下に見える森の中へ早くまぎれこまなければ。

 フィンがいないと、どんどん不安になってくる。

 この瞬間にも追っ手が背後に現れ、野太い声で、いたぞ逃がすな追えと殺到してくるのではないか。


 その時、フィンは自分を守ってくれるだろうか。


 確かに剣を持っていた、身ごなしはすごい、魔法具も色々ある、危険なものは身につけていると言っていたから何か奥の手もあるだろう……だが戦うところはここまで一度も見ていない。


 本当は獣の鳴き真似を得意とする軽業かるわざ師か何かで、剣士と嘘をついて貴族の持っていた魔法具を奪い取り、それで追われて逃げているのではないか。

 つまり詐欺師。

 はったりだけの奇術師。


 その可能性も否定できないのが恐ろしかった。


(あのひとの「色」さえ見えていれば、こんな心配をしなくていいのに……!)


 どのような色合いでもいい、悪い色でさえなければ。

 いや悪い色だったらだったで、逃げればいいだけのこと。

 わからない、というのが困る。


(でも、わたくし以外の人は、いつも、こういう気持ちなのですよね……「色」が見えているのはわたくしだけなのですから)


 見えないのによく他人を信じて色々なことをまかせられるものだ、とも思ってしまう。

 だから失敗したり裏切られたりするのだろう。父王が長男に討たれてしまったように。

 しかし自分も、悪い色が見えていたのに結局は何もできず……。


(ああ、もう、いやなことばっかり考えてしまうわ! これというのもあのひとがわたくしを置いていくから!)


 不条理な怒りをおぼえつつカルナリアは山を下り続けた。


「ふぅ、ふぅ、ふぅ……」


 登りとは違う疲れがじわじわと溜まってきた。


 太陽はまだ大して高くなってもいないのに、膝やふとももに力が入らなくなってくる。


 フィンに運んでもらっていなかったら、一日中登り続けたの体をあの山小屋で横たえたのちに、さらにこの下り道だったのだ。


 甘やかさなくても大丈夫だとレントには言ったが、本当の体力は、自分にはついていなかったということなのだろう。


 自分の至らなさ、足りなさがつらい。

 ひとりでは何もできない。

 助けてもらうばかりで、自分には誰も助けられない。


 そういう自分が、ひとりきり。

 前にも後ろにも誰もいないまま、本当にただひとりで、山の中にいる……。


「…………っ!」


 泣きたくなったところに、魔力を感じ取った。


 何かがいる。

 目には見えない。

 つまり。


 ぼろぼろが、少し下のところに立っていた。


「……!」


 カルナリアは駆けだした。

 そうする以外のことが頭から消えた。


「ああそうか、私がのだったな。向こう同様、こちら側もここが難所で、降りられないことはないがかなりめんどくさ――あっ!」


 フィンしか見えなくなって、斜面を駆け下って、飛びつこうとしたその一歩手前で。


 膝が抜けた。


 ガクッと、体が変な方へ傾いた。

 斜め前方へ転がって、一瞬空が見えて、もう一回転して、何かが崩れる音がして、浮遊感が……。


「きゃあああああああっ!?」


 絶壁ではないが、かなりの急斜面だった。


 なめらかではあるが、到るところに割れ目のはしる、もろい岩の斜面。


 そこを、転がり落ちてゆく。


「ぐえっ!」


 背中から落ちた――幸い、荷物が体を守ってくれた。


 はずんで、また落ちた。


(これ、まずい!)


 カルナリアは王宮で、護身術を教わっている。

 身を守ること、護衛の者に守られる時の心得が主だが――転がされた時、倒された時、投げ出された時などの、受け身の練習は重点的にやらされた。

 居館が襲撃され窓から逃げ出さなければならない時、騎士がかばうためにぶつかってきた時、馬上から落とされた時、走る馬車から飛び降りなければならない時など、様々な状況を想定して、何度も何度も地面の上を転がった。聞かされる状況も大まじめに実演してみせる騎士たちも面白く、カルナリアは自分も熱心にそして楽しく訓練を積んだものだった。


 それがこんなところで生きて、カルナリアは反射的に全身を丸めた。

 手足を広げることは絶対にせず、頭も前に傾ける。

 かぶっていたフードも助けになってくれる。


(接地面積を小さくする、丸くなる、丸く、丸く……!)


 頭の中をそれだけにして、致命的な怪我を負わずにどうにか転がり続ける。


 かなりの高速になっていたが、最後に斜面が湾曲している部分で大きく飛んで――柔らかいものの上に落下した。


「ぴゃっ!」


 受け止められた。


 枯れ草の束のような色合いのものが、自分の体の下にあった。


「はぁっ、はぁっ、はぁっ……!」


 心臓が、今になってから猛烈に打ち始め、汗も激しく噴き出してくる。


「あっ、ありがとうっ、ございますっ……!」


 フィンが、あの『流星』を使って先に駆け下りて、受け止めてくれたのだと思った。


 それが、動いた。


 ブフゥ、と太い音がした。


「…………え?」


 濃厚な獣臭がした。

 自分の体を受け止めたのは、ぼろ布ではなく、毛皮と肉。


 カルナリアは振り落とされる。


 巨体がそこにあった。


 獣の目がカルナリアをとらえ、不機嫌そのもののうなり声を漏らす口の中に牙が見えた。


 …………バール


 本物だった。





【後書き】

幸運にも、難所を一気に下りられた。しかしそこで遭遇したのは本物の獣。次回、第34話「野獣」。ついにご主人さまが剣を抜く・・・か?

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