019 宝物庫



 山あいの村なので、太陽が姿を消すのは割と早い。


 カルナリアのいるこの川べりも、先ほどまではあった陽光がもう届かなくなっていて、周囲は薄暗くなり、空ばかりが白いという状態だった。


 しばらくはこの状態が続くが、暗くなり始めるとあっという間に闇に包まれる。


(夜が…………来る……!)


 時刻を認識すると、たっぷりほぐされたはずのカルナリアの体は、即座に氷像も同然になってしまった。


 立ち直ったといっても、まだ一日。

 昨日とほとんど同じような場所、同じ時刻。


 これからまた惨劇が始まるのではないかという恐怖が襲ってくる。


 ひとが死ぬ。

 殺される。

 血が。

 あのにおい。なくなってゆく体温。消える目の光。相手が、人から、重たい肉のかたまりになっていってしまう、あの感覚…………!


 ――だが、いま一緒にいる相手は、そういう心労、心痛、トラウマとはまったく無縁だった。


「荷物。中に運んで、自分の寝る場所を作れ」


 薬を塗る際に広げた絨毯じゅうたんをカルナリアに回収させて、自分は何も持たずにあの「小屋」の方へするすると移動して、そこでまた動かなくなった。


 やはりこれは魔導人形ではないのか。その疑問がふたたび湧く。


 やるべきことを与えられ、惨劇と全然関係ないことを考えたせいか、体は何とか動くようになった。


 カルナリアは言われた通り、「小屋」の、地べたに伸びる三角柱の片方の端、草を編んだが垂らされているだけの「入り口」から入りこもうとする。


「あ゛…………!?」


 とてつもない嫌悪感に襲われた。


 ここは、何がどうなっても、入ってはいけない場所。

 そういう感覚が強烈に湧き起こり、をめくろうとする体の動きを阻んだ。


 魔法だ、とすぐわかった。

 侵入防止の魔法――王宮でも、宝物庫をはじめ、立ち入りが許されない場所に張り巡らされていたもの。


 もう慣れて、驚きはほとんどなかった。


 思い返せば、好奇心のかたまりのような子供たちが、この小屋にはまったく入ろうとしなかったのは、これのせいだろう。

 ちょっかいをかけにくるランケンたちが、前の小屋は燃やしたというのに、この小屋には手を出した様子がないのも。


「うう…………あ、あの…………ここは…………はいって、いいのでしょうか…………」


 魔法については気づかないふりをして振り向いた。


「むう。やはりか。他人を入れることを想定してなかったからな。仕方ない」


 ぼろぼろの隙間から、何かが出てきた。


 向こうから渡しに来てくれるということはない、と学習ずみなので、カルナリアから近づいていって、先ほどの「釣り竿」と同じように受け取る。


 布きれ。

 ハンカチか。いや……。


「え…………」


 カルナリアは、激しく、とてつもなく、困惑した。


 それは、だった。

 逆三角形をした、布きれだった。


 今身につけているものを脱いで渡してきた、というようなものではない、体温も何も感じない、間違いなく予備のものではあったが。


 そんなものを渡された、ということ自体にカルナリアは激しく混乱した。


 そしてまた、かなり良い布地のそれにも魔力を感じた。

 微細な――恐らく魔力を付与した糸を縫いこんである。そういう衣服は王宮でいつも身につけていた。いやつい先日、今のこの古着に着替えさせられる前の肌着もそういうものだった……が!


 下着として考えるとお尻にあたる部分に、魔法の効果を高める紋様が刺繍ししゅうされているようだ。


「それをつけていないと入れない。が……無理があるな。よし、


「………………?」


 素で言ってしまった。

 奴隷にあるまじき顔をしてしまった。


 確かに、それを下着と認めるなら――今のカルナリアよりもはるかに充実したプロポーションの女性用のもので、身につけたところでだが。


 だからといって、かぶれとは。


「これをかぶった姿の者が立ち働くところを見たいのですか」

「両手が空くと思ったんだが」

「肌につけている必要があるなら、これでいいでしょう」


 カルナリアは布きれを、襟元えりもとを開いて中に押しこみ素肌に触れさせた。


 胸のところに――谷間ができる年齢ではない――魔力の流れを感じた。


 ぼろぼろの返事を待たずに、再び「小屋」へ。


 ――何も感じず、入り口のをめくることができた。


 フン、と鼻息を鳴らした。




「小屋」は――丸木を二本組んだものを前後に置き、間に一本の長い丸木を渡して、そこに茎の太い草の束をたくさん立てかけて屋根にした、三角柱を横倒しにしたような形状だ。


 中は当然ながら、狭い。

 小柄なカルナリアがぎりぎり首をすくめて入れるぐらいの高さしかない。長身のでは横になるか座っているかしかできないだろう。


 だが。


「………………!?」


 驚きの声をあげるのを、何とかこらえた。


 床一面に、厚手の布――絨毯じゅうたんが敷かれていた。起伏はない。地面のでこぼこは綺麗に削られているようだ。

 入り口近くには横たわるための空間があった。布を巻いた丸木が枕だろう。毛布、いや寝袋らしい割と大きな寝具が丸められている。

 入ってすぐ横になれるように、あるいはすぐ外に飛び出せるように、寝床を入り口付近にしているようだ。


 その向こうに、色々なものがあった。

 食料の入ったカゴが上から吊されている。細長い木のテーブル。木の食器、コップ、水壺。衣服らしき畳まれ重ねられた布。短剣や、ロープや、いくつかの小物などが整然と置かれている。


 外から見ると良く言って野趣やしゅあふれる、言葉を選ばずに言えば屋根があるだけ野宿よりはましという程度の「すみか」だったが。

 意外に、暮らしやすそうな空間が形作られていた。


 明らかに「ひと」が寝起きしている場所であり、ぼろぼろが人形などではないことが証明された。


 しかし――カルナリアが仰天したのは、そんなことにではなかった。


(なっ、なにっ、これっ…………!)


 この三角柱の内部の、至るところから、魔力を感じる!


 認識阻害のぼろ布、発熱サイコロ、麻痺させる道具、魔法薬、侵入妨害の

 ここまででも魔法具の連続で、もう驚くことはないと思っていたのに。


 天井というかはりというか、頭上の、横にわたされた丸木に、小さな金属片のようなものが貼りつけられている。

 魔力のこもったそれが、カルナリアが入ってきた途端に、淡い光を放ち始めた。照明の魔法具だ。


 床に置かれた小さな黒い円筒は、風の魔力を放っており――この内の空気を動かし、清め、不快な臭いを消していた。


 魔力を感じる小箱がある。

 魔力に満ちた短剣がある。

 魔力を帯びた袋がある。

 魔力あるものを収めている袋がある。


 見るからに高価なもの、豪華なもの、きらびやかなものはない。

 普通の人間がお宝だと目の色を変えるようなものはない。

 見た目だけは、ランダルの家にあっても違和感のない程度の、素朴な小物だ。


 しかしその数、その質、その魔力の強さ……!


……!)


 そう思ってしまうほどに、信じがたいものだらけだった。


 何者なのか。

 こんなものを無数に所持しているあのぼろぼろは、何なのか。

 魔導師なのか。

 剣士という話だったが、魔法も使えるのか。


 あのぼろぼろは、首輪の中の『王のカランティス・ファーラ』を、感知することができるのだろうか。


「…………」


 いや、詮索は後。

 危惧きぐしたところで、今の自分にはどうすることもできないのだから、気に病むだけ無駄だ。

 前に、エリーレアにそう言った。今は自分に言い聞かせる。


 ここで夜を過ごすしかないのだから、その支度を。

 自分は奴隷なのだから、それらしく。


 一度外に出る。

 ぼろぼろはやはり、先ほどとまったく変わらない位置にいる。


「あの、中のもの、うごかしても、いいですか?」

「ああ」

「さわってはいけないもの、ありますか?」

「危ないものは身につけているから問題ない。お前が持っていたら死ぬようなものはあるが」


 冗談――を、このぼろぼろが言うとはとても思えない。


「…………こわいです」

「触るだけなら何も起きない。急げ」


 空の色が失われつつあった。


 このねぐらの主が言うのならいいのだろう。カルナリアはランダルたちが置いていってくれた荷物の中から、まず厚手のマントを運びこみ、おっかなびっくりいくつかの魔法具を手にして、移動させて、主の寝床の横に、自分用の寝床をしつらえた。レントがやっていたことの真似で、それらしくできたとは思う。


 他の荷物も運びこんだ。

 カルナリア、いやルナ用の着替えに、食材、食器、生活用品。

 ランダルの心遣いを感じる。


 財布があった。ずしりと重たい。

 金貨や宝石が入っていた。

 見覚えがあった。エリーレアのもの。


 薬代を入れておくとランダルはささやいた。恐らくそれを兼ねて、返してくれたのだ。

 カルナリアはそれをかき抱いて、哀悼あいとうにふけった。


「……料理の経験は?」


 気がつくとぼろぼろがねぐらの中にいた。

 汚い声を漏らしてしまう。心臓に悪い。


 しゃがんでいるのだろう、円錐えんすいの頂点は天井ぎりぎりのところにある。


「いっ、いえっ、私はっ、服とかでっ! お料理はっ、まだっ!」


 急いで言った。

 ランダルにたやすく見抜かれたことで反省し、山を登りながらレントと考え直した設定だ。


 レント夫婦に買われる前は、いい貴族の家で、そこの令嬢と共に教育を受けていた。ダンスや音楽などを先に学んで手本を見せ、令嬢が失敗した時は自分が罰を受ける立場。実際にそういう役割の幼い奴隷を使っている貴族家を、エリーレアが知っていた。

 空いた時間には、衣服を整えたり部屋の掃除をやらされていた。だから炊事洗濯などはほとんど経験がない。


 立ち居振る舞いがきちんとしていることも、これからはその設定で誤魔化せるはずだった。


「じゃあ、まず、鍋に水を入れて、で、沸かせ」


 疑ったのか信じたのか、一切わからない、なにひとつ変わらないけだるげな声音のまま、ぼろ布の隙間から、細長い革の容器が差し出されてきた。

 相変わらず、何かを出してくる時に手指が一切見えない。


 強い魔力を感じる。

 容器の中には、あのサイコロが――加熱の魔法具が六個と、魔力を伝達する金属の串が同じく六本、整然と納められていた。そのために作られた専用ケースだ。


「三つでいいだろう。つないで、その石の上に置いて、湯を沸かして、食材を入れて、最後に味をつける」


 こわごわ触れたサイコロは、弾力があって、指に力を入れた時のたわみ具合は実に気持ちのいいものだった。

 人間の魔力を吸う、ということはないらしく、指でつまみ持っても熱くはならない。


(三つ、つなげ、ということは……)


 不安だったが、とりあえず金属串をサイコロに刺した。

 弾力はあるが案外柔らかく、カルナリアの力でも楽に刺すことができた。

 穴が開いても元に戻るのか、風呂を沸かした時に突き刺した痕跡はどのサイコロにも見当たらない。


 串の反対側に別なサイコロを刺す。


 三つめのサイコロと、串を二本。

 正三角形にして、地べたに置いてある白い石板の上に設置した。


 たちまち、魔力が動き始める。

「お風呂」の時は周囲の魔力を金属串が吸っていたが、こうしてつなぐと、サイコロからサイコロへ魔力が流れ、三角形を循環して、魔力が増幅されてゆくのがわかった。


 みるみる真っ赤になった。

 恐らくもう素手では触れられないだろう。


「これでいいですか」

「ああ。止める時は棒を指でつまめばいい」


 人間からは魔力を吸わないので、流れが止められて、発熱も止まるということか。便利すぎる。


 屋内を見回して、三角形の上に、かたわらに置いてある小さな取っ手つきの四角い金属鍋を置いた。弾力あるサイコロが受け止め、座りは良かった。


 壺から水を注ぎ入れる。

 こぼさないようにするのはひどく神経を使った。

 王宮での食事の際に、なみなみとスープを入れた容器を静かに運んできて一滴もこぼさず配膳してみせる給仕たちが、いかに研鑽けんさんを積みいかに優れた技量を身につけていたのか、カルナリアは今まさに身をもって理解した。


「切ってあるな。ではそれから入れろ」


 ランダルの気配りだろう、あらかじめ細かく切ってくれている野菜を、言われた順番で鍋に入れる。最初は黒ずんだキノコ、それから白い根菜こんさい。鮮やかな色のもの。細長いもの。


 これは、料理というものだ。

 自分の手で食事を作るというのは生まれて初めての経験で、こんな状況なのにけっこうワクワクする。


「煮えるまで待ち、煮えてから、肉、すぐ火の通る野菜の順番で入れていって、最後に味をつける――


 そこまで指示するだけで一切動かなかったぼろぼろが、突然、移動した。


 何の予兆もなかったので、カルナリアは気づくのが遅れた。


「声を出すな。外に出るな」


 それまでと何も変わらない声音で言うと、消えた。

 するりと外に出ていったのだ。


「え……」


 残されたカルナリアは困惑する。


 どうしたのだろう。

 何かを取りに行ったのか、水を汲みにでも出たのか。


「オオオオオオオオォォォォォォォォォン!」


 ――いきなり、長く、鋭い、獣の吠え声がした。


 すぐ近くから。


 本能的に全身が硬直する。

 甲高く危険な響き。


 ランダルが角狼ツノオオカミに襲われたと言っていたことを思い出した。

 昨夜の、闇の中にうごめくものへの恐怖もよみがえった。

 レントの短剣をまさぐり、握る。


「うわあああっ!」


 男の声がした。


「やべえ! やべえって、逃げよう!」

「い、いねえよ、この辺にゃ出ねえはずだ!」


 あのランケンの声が聞こえた。


 理解した。あいつらが、ここを襲おうと夕闇にまぎれて忍びよってきていたのだ。

 それでぼろぼろが外に出て――追い返す時には獣の声真似をするとランダルは言っていた――で、威嚇した。


 ガウッ、グワッと、激しい獣声がした。

 事情を理解していて屋内にいるカルナリアすら、一瞬、この頼りないくさきの屋根をやぶって獣が襲いかかってくるのではないかと身をこわばらせるほどの声量と勢い。


「わあああああっ!」

「やべえ! だめだ!」

「ま、待て、こら、お前ら、待てえええっ!」


 騒ぐ声、動き回る気配――それらが、遠ざかっていった。


 静まり返った中に、沸いてきた鍋の、いう音だけが響いた。





【後書き】

謎ばかりの居住空間で、謎だらけの怪人の前で、生まれて初めての料理に挑んだ王女。さてお味はいかに。次回、第20話「鍋と涙」。

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