008 追放


「ここから先は、うちの村まで、もう寄る村はない」


 長めの休息の後、移動を再開する。


 ランダルの態度はそれまでと何も変わらなかった。


 ひげがなくなり、口調はあの粗野なものではなくなっていたが、周囲の者たちも同じように、山賊の子分ではなく温厚な農民の雰囲気になっていた。全員がそれなりに演技のできる者なのだろう。


「……わたし、、奴隷らしくないのですか?」


 相変わらずランダルの前に横座りのカルナリアが訊ねた。

 気になって仕方がないらしい。


 馬のかたわらを早足で追随ついずいするレントは、好きな者にはたまらないだろう舌っ足らずな発音での麗しい声が、他の者に聞こえないかひやひやする。


「まず、姿勢ですな。しっかりしすぎています。教育を受けていないあなたぐらいの子供は、もっとだらしなく落ちつきがないのが普通です」


 ランダルは、抑えた声量で答えてくれた。

 近くにいるレントでも半分ほどしか聞き取れない。


「それから、動き方。あの宿屋で、私に近づいてきた時の足取りだけでも、優雅すぎて、本当の奴隷ではないとすぐわかりました。私は若い頃、領主様に従って王都にあがったことがございます。王宮にて貴婦人の方々を幾人も拝見した、その美しい身ごなしを久しぶりに思い出しました」


「…………」


「手が、美しすぎます。年若いこともあり荒れていないと誤魔化すことはできましょうが、少なくとも盗みをはたらきされるような境遇の者が、それほどに美しい手をしていることは考えにくいものです」


「うぐぐ…………ほ、他にも……まだ?」


「目の動き、視線の向きが、最もわかりやすいものでした。あなた方がそうです。奴隷とは常にあるじを気にするものです。主の機嫌次第で鞭打たれたり殴られたりするのですから。ですがあなたは主人をほとんど見ておらず、主人夫婦があなたを見て、あなたの動作ひとつひとつを気にかけていた。奴隷ではありえません。

 レントは、最初貴族かどうかわからなかったほど上手く振る舞う方で、ここまで見てきただけでも、あの若さで驚くほどに頭が回り肝もわっている傑物ですが、そういう方が偽装を忘れてしまうほどに忠誠を捧げる高貴なお方だと、あの宿での一連の振る舞いを見て、すぐに察することができました」


「…………うう…………くやしいです…………」


「装い始めてから、ほんの数日でありましょう。それなのに今の振る舞いができているだけでも信じがたいことです。奴隷に身のほどを教えこむ、容赦ない拷問が加えられたわけでもないというのに」


「……拷問ごうもん、ですか?」


「声。高貴さが出ていますよ」


「…………」


「貴族だったのに奴隷に落ちて、振る舞い方を変えられず居丈高なままの者が時々おりましてね。そういう者は、何日もかけて、やめてくださいと哀願するまで痛めつけ、いつくばっておねだりしない限り水も食べ物も与えないようにするなど、ありとあらゆる手段で尊厳を奪い、精神をたたき壊し、主人に従順な奴隷となるようしつけ直すのです」


「ひぃっ……!」


「ご安心を、うちの奴隷にはそんな真似はしておりませんし、あなたのご主人様も、そんな手段を使わずとも言うことをきかせる方法をいくつもご存じのはずです」


「わっ、わたくしをっ、怖がらせて楽しんでいますか!?」


、と言うのは貴族女性だけです」


「ううう……」


「ははははは」


 レントにはよく聞き取れないが、とりあえず、楽しそうな気配は伝わってきた。


 ランダルにまかせておけば心配いらない、という王女の見立ては、案外当たっているのかもしれない。


 レントもついそう思ってしまい――油断した。


 山なみがいよいよ間近に迫ってきて、壁のようになり。

 太陽は西に傾いて、じきに山の陰に隠れてしまいそうな頃合いとなって。


「……?」


 細長い岩に、太い木の根が幾重にも巻きついて、まるで大蛇が獲物に絡みついているように見えるものが、山肌から少し離れたところにそびえ立っている。


岩、と呼んでいます。これを越えたら、役所の管轄かんかつとしてはローツ村ということになります」


 道沿いにそれを迂回してすぐに――。


「あれがうちの村だ」


 周囲を山に囲まれたの土地に、村があった。


 三方が山だが、開けているのが南側なので、日照は割と確保できている様子。


 家々はふもとに密集しているが、斜面の上の方にも点々と家が存在していて、穏やかな風景を形作っていた。


「いいところだな」


「今日は荷物が少ないから早くついた。ま、持っていった野菜はただ同然で軍隊に奪われて、塩とか油とか、その辺をちょっと買えただけだからな――で」


 レントは油断していた。


 ランダルは信頼していい人物だ、彼の村に着けばひとまずは安心して休むことができる――そんな風に思ってしまっていた。


 だから、突然ランダルが馬を止めた時も、警戒することなくそのまま数歩足を進めてしまった。



 ぞっとする声でランダルが言った。

 自分が下馬して、ルナを乱暴に降ろして。


 いきなり、平手打ちした。

 二発、三発。手を往復させてさらに何度も少女の頬を張る。


「ふざけんな!」


 雷鳴のような怒声を上げて、乱暴に、小柄な体を路傍ろぼうに突き飛ばした。


「なっ!」


 反射的にルナを守る位置に体を入れて――。


 レントの腹を、ランダルの蹴りが直撃した。


「ぐえっ!」


「おい、その女も降ろせ! 放り出せ! こいつら、クソだ! 関わって損した!」


「なっ、何をっ……なんで……」


「うるせえ!」


 レントは胸ぐらをつかまれ、拳を叩きこまれた。


 顔をあげたルナの、その顔にランダルの靴裏がめりこみ、押すようにして、その体を草の上に数回転がした。


「きゃああああああ!」

「黙らせろ!」


 悲鳴をあげたエリーレアを、馬用の鞭を振り上げ、肩や腕をひっぱたくと、他の二人と同じ方へ突き飛ばし、よろめいて踏みとどまったその尻を容赦なく蹴飛ばす。


 ひとかたまりになってうずくまるしかできなくなった三人を、ランダルは冷ややかに見下ろした。


「おい、こいつらの荷物、捨てろ! きたねえドブネズミどもだ! ネズミは! 二度と来んな! 捨てたらさっさと行くぞ、関わりたくもねえ!」


 罵声ばせいに続いて、レントの背負い袋、ルナに持たせていた小さな袋、そしてよくわからない大きなものが投げつけられてきた。

 それらがのしかかって、うめき声をあげつつレントは潰れる。


「こいつらのことは忘れろ! 言うやついたら、ただじゃすまさん! 胸くそ悪い、いいか、! 思い出すのもムカつくからな!」


 周囲に怒鳴り散らすと、ランダルはさっさと馬にまたがり、走らせはじめて。


 馬車と奴隷たちが、大慌てで後を追っていった。


「………………」


 その遠ざかる音を耳にしつつ、レントはしばらくの間、痛みで動くことができなかった。


 すすり泣きを耳にして、何とか自分を取り戻し、身を起こす。


「だ……大丈夫……れすか……」


 口の中が切れたらしく、声が不明瞭になる。


「い…………いたい…………いだいぃぃ……」


 エリーレアが、打たれた腕を押さえ、うずくまって泣いていた。


「えぅ……あぅ……あ……」


 カルナリアは、顔面を両手でおおってうめいていた。

 なだめながら手を離させると、激しく平手打ちされた頬が、左右とも真っ赤になって、目の周りの腫れと合わせて、ひどい面相になっていた。


「なんで…………なんれぇ……」


 カルナリアは年齢相応の反応を示してしゃくり上げる。

 ランダルに気を許していたので、ショックなのだろう。


(これは……!?)


 レントは気づいた。


 と同じだ。


 自分は、カルナリアの外見を変えるために殴った。


 ランダルも、供の者たちに自分たちを庇護ひごしたと思わせないために、こうしたのではないか。


 自分のやり方を真似する、と言っていたではないか。


 村に戻ったあと、供たちの口からを途中で拾って別れさせたと広めさせないために。

 本気の怒り、本気の殴打で、説得力を持たせ、納得させて、口をつぐませた。


 自分たちが捕まってランダルに助けてもらったと白状したとしても、怪しいと思って途中でぶん殴って追い払いましたが何か? と言い逃れる道も残る。


 村と、自分たちとを、両方守るためにこうしたのではないか。


 急いで周囲を見回した。


 道から外れると、草むらしかない。


 しかし――這いつくばる状態だから、わかった。


 草の中に、人が何度か踏んで通ったあとがある。

 その踏み分け跡は、この先へ――山の中へ続いている。


 ランダルは罵倒に交えて何と言っていたか。


 ネズミは山でくたばれ。二度と来るな。


(ここが、タランドンへ通じる、だ……!)


 光がした心地と共に、レントは立ち上がり、投げつけられた荷物を確認した。


 元の自分たちの荷物は、丸ごとそのまま。

 中の金も、貴重品も、食料も、何もかも。


 そして後から投げつけられたもの。


 大きい包み。

 ほどくと――山歩きや野営に重宝する、厚手のマントだった。

 二枚重なっている。

 恐らく、あの荷かつぎ奴隷たちのもの。


 それに包まれて、さらにいくばくかの食料と。

 板きれが一枚入っていた。


 文字が書いてあった。


「川沿いに登れ。

 途中、野宿にいい川原がある。

 火は使うな。遠くから見える。

 難所を越えた先の峠に猟師の仮小屋がある。

 幸運を祈る。

 カラント王国に栄光あれ」


 そして最後に一言。


「無理だったら戻ってこい。


「……くくっ…………!」


 あの村で用意したのだろうそれに、レントは涙ぐんだ。


「……いたいのですか?」


 カルナリアが、自分も泣いていたのに、レントの涙に気がついたのか、健気に言ってきてくれた。


「いえ…………人は、嬉しいときにも、涙が出るのです……」


「いたいのに?」


「はい。嬉しい痛みです」


 後に残さないよう、板きれを粉々に砕きながら、レントは笑い泣きした。


「わからないわ…………いたいの、こわい……」


「これは、怖がらなくていい痛みなのです。そういうものもあるのですよ。ほら、エリーレア様も、起きて下さい。歩けますよね。足は狙わないでくれたはずです」


「ううう……」


 確かに三人とも脚にはダメージを与えられておらず、痛みにうめきつつも、歩くことはできた。


 レントは新しい荷物をかかえつつ、村のある方角に深々と礼をした。


 ――そして、注意して見ないとわからない踏み分け道に入りこみ、登り始めてすぐに。


 馬蹄の響きが、後方から聞こえてきた。


 姿は木立にさえぎられて見えないが、音からすると複数の馬。


 街の方から駆けてきて、レントたちの背後を通り過ぎ、村の方へ向かっていった。


 いやな予感がした。




【後書き】

道は示された。優れた人物の、可能な限りの好意。だが後から誰が追ってきたのか。人の善意は、悪意によって簡単に踏みにじられる。

次回、第9話「欲望の化身」。

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