002 捨て身


 どんよりした曇り空。


 朝もや漂う森の中。


 木々の間に伸びる道を、馬車を中心にした一団が、逃げていた。

 馬車と、美々しい甲冑を身につけた騎士たち。


 騎馬の集団が、それを追っていた。

 逃げる側よりも圧倒的に数が多い。装備は地味だが使いこまれている。全体がひとつの生き物のように統制が取れた、一目で精鋭とわかる部隊が、ひたひたと距離を詰めてきていた。


 馬車集団が逃げる先に、無数のきらめきが現れた。

 歩兵、いや防具すら身につけていない者も混じった、民兵の集団。

 その手に持つ槍の穂先、つがえた矢尻の、殺意のこもった反射光。


 行く手はふさがれた。

 後ろの騎馬隊が疾駆し始めた。

 集団が、獲物に襲いかかる大蛇となる。


 逃げる側は、行く手をふさぐ穂先をそろえた長槍の列に、必死の形相で突撃していった。


 騎士たちが槍に串刺しにされる――寸前で、槍列に衝撃波が叩きつけられた。凝縮された空気のかたまり。槍が四方へ飛び散り人間も幾人か吹っ飛んだ。


「魔導師がいるぞ!」


 警告の声が上がったがもう遅い。

 乱れた隊列に騎士たちが突入する。


 歩兵は文字通りに蹴散らされる。馬蹄にかけられ横殴りの槍に跳ね飛ばされる。そこを馬車が駆け抜ける。ふたりほどひき殺された。


「止めろ! 止めろ!」


 歩兵の指揮官が叫ぶがどうしようもない。

 パラパラと弓矢が射かけられる。槍も投げつけられる。しかし威力がない。甲冑に阻まれる。馬車の車体に突き立ったがそれだけだ。


 ――だが。


「どけぇぇぇぇ!」


 怒号と共に、大蛇が追いすがってきた。


「……後はまかせたぞ! さらばだ!」


 騎士がふたり、馬首をかえして道の中央に立ちふさがった。


 大蛇がそれを飲みこんだ――が、大柄な騎士の肉体および甲冑と、選び抜かれた見事な軍馬は、生きている間も、命が尽きた後も、路上に横たわる障害物となって大蛇の速度を低下させた。


 それを乗り越え、再び速度を上げる大蛇。

 しかしまた騎士が立ちふさがった。


「さあ、ここを通りたければ我らを倒してゆけ! だが平民ごときにやられる我らではないぞ! その汚らしい身を、貴族の手にかけてもらえることに感謝――」


 言葉は途中で途切れ、騎士は馬ごと吹っ飛んだ。

 歩兵の隊列を粉砕したものと同じ衝撃波が叩きつけられたのだった。


「平民には魔法を使えぬと思ったか!? その傲慢ごうまんさが許せず我らは立ったのだ! 貴族だろうが何だろうが殺せば死ぬ! 我らと何の違いもない!」


 魔法を放った大蛇の指揮官は、抜き身の剣を振り上げて叫んだ。

 背後に続くものたちが野太い歓声を放った。


「しかし――貴族が我ら平民相手に身を捨てるということは、あれには間違いなく貴族以上の存在、王族が乗っているな! 何としても捕らえよ!」


 大蛇は抵抗を排して追撃を続けた。


 やがて――魔法の応酬、弓矢の応酬の果てに、かなりの数が倒されたもののまだ十分な人数を残している大蛇が馬車を飲みこんだ。


 御者が射られ馬が刺され、動けなくなった馬車を背に、騎士たちは絶望的な戦いに身を投じた。


「おのれぇぇ! いやしき平民どもが! 我ら貴族に! 王族の方々に! 手をかけるなど! 許されるものか!」


「世が変わる時が来たのだ! 理解できぬのならそのまま死ね! 我ら平民の希望の星、ガルディス新王陛下万歳!」


「父王殺しの反逆者ガルディスに永遠の呪いあれ!」


 刃がきらめく。金属に金属が激突し火花が散り鋭音が鳴る。


 個々の戦闘力は騎士の方が上だ。しかし数が違う。

 奮戦する騎士たちが、ひとり、またひとりと倒されてゆく。


 ほどなくして、ほとんどの騎士がたおれるか、傷つき動けなくなった。

 まだ戦っているのは、戦鎚を振り回す偉丈夫と、馬車の屋根の上で伏せて矢をよけながら魔法を放つ魔導師のふたりだけとなる。


「もはや逃げ場はない! 勝ち目もない! 無様に血を流すばかりが貴族の取り柄か! 降服せよ!」


 指揮官が近づいてきて勧告した。

 勇敢に戦う者への敬意から、ではなかった。

 自分たち平民に、これまで自分たちを虫けらのように扱っていた最高位の貴族たちがひざまずく。その光景を期待してのものだった。

 周囲の騎馬兵たちの顔は一様にニヤついていた。


「これまでか……」


 多くの敵をほふっていた偉丈夫が、ついに観念したように口にすると、その手に握る血みどろの戦鎚を下ろした。


 肩を落とし、敵に背を向け、馬車の扉を開くとその脇にひざまずく。


「これまでにございます。どうか、お覚悟を」


 開いた扉から、側仕えの女性に手を取られつつ、華奢な少女が姿を見せた。


 このカラント王国の現王を象徴する、麗しい夕陽、鮮やかなだいだい色の衣装。

 王族しか着用を許されない色合いに、平民たちからどよめきが湧き起こった。


 しかし、下民どもにそのかんばせを見せてたまるものかと、少女は頭冠からベールを垂らしていた。


「王女殿下。力の限りを尽くしましたが、及びませんでした。この失態は、わが命をもって」


 周囲の凄惨な光景――地面を染める血しぶき、そこら中に転がる体の一部、そして死体。

 濃厚な血臭の中、少女はおびえたのか、立ちすくんだきり、血に濡れた地面に足を降ろそうとしない。


「どうか、貴族の誇りを平民どもにお示しください。この者たちを指揮する、あの者の前へ」


 騎士に言われて、少女はようやく地面に足を降ろした。

 ベールの下から小さなうめき声がした。


 誇りと言われたからか、小さな体でせいいっぱい胸を張り、ベールごしにだが敵の指揮官を見据えて歩を運ぶ。


 ――と。



 騎士が小さく言った。


 ひざまずいた姿勢から、腰の剣を抜き。

 後ろから切りつけた。


 少女の首が飛んだ。


!」


 騎士は叫び、先ほど手放した戦鎚を拾い上げ、その膨大な筋肉をふくれ上がらせて――地面に転がった少女の首を、叩き潰した。


 さらに次の瞬間、首だったものと、潰した騎士と、首がなくなりとねじれて倒れた少女の体と――それらがまとめて、燃えあがった。


 屋根の上の魔導師のしわざだった。


「しまった! 止めろ!」


 指揮官が叫んだが間に合わない。


 魔導師は、体内の魔力を暴走させ、炸裂した。

 炎が馬車全体を包みこみ、まだ生きている引き馬も馬車の中に残る者もすべてを焼き尽くし、四方八方に飛び散った。


 呆然となった指揮官に、火のかたまりが突っこんできた。

 火だるまになった騎士だった。


「騎士ガイアス・フォウサル・ドゥ・ミルグラース、任務を達成せり!」


 喉が焼けた、かすれた声で叫び、指揮官を馬上から引きずり落としてその首をへし折り、ひとかたまりになって燃え尽きていった。


「……頼むぞ、レントよ……」


 その最期の言葉は、誰にも聞かれることはなかった。



        ※



「おのれおのれおのれ! 貴族め! 鬼どもめ!

 これでは王女かどうかまったくわからん!

 も、まだどこかにあるのか、壊れてしまったのか、判断できん!

 隊長が無事ならの魔力を探っていただけたのに! 女のひとりも生き残っていれば聞き出せたのに! 全部ぶっ壊しやがった! このクソ騎士が! クソが! クソクソクソ! 死神ザグルのケツの穴以下のクズ野郎!」


「どうしますか、副官!?」


「どうもこうもない! 伝令を出して、魔導師を派遣してもらうよう要請するよりないだろう!

 その方が到着するまでこの場には雑兵どもを絶対に近づけるな! こいつらの持ってた金貨や宝石程度ならくれてやってかまわん!

 我々は、到着待ちの間、ここにあるすべての貴族どもの装備をはぎ、服を脱がせ、持っていないか、飲みこんでいないか、徹底的に、腹をいて確認する! 男も女も関係なく、だ! 額につける薄い板一枚、どこにでも隠せるのだからな!

 あの馬車の残骸も、灰以外はすべて細切こまぎれにして探せ!

 それから、数班を派遣して、ここまでの道筋の途中で分かれて逃げた馬車や馬の足跡がないかを探らせろ! 雨が降るかもしれん、急げ!

 周辺の村にも人をやり、貴族の馬車や、それらしい者を見なかったかどうか聞いて回れ! 金は惜しむな! 同じ平民相手だが仕方ない、必要ならば荒っぽいことも許可する!


 いいか、を見つけ出すまで我々は、帰還はおろか、この場を離れることも許されない! 何日かかろうとも、だ!

 ガルディス陛下の大志、陛下の命運、我らの悲願、平民の躍進は、あれを見つけ出せるかどうかにかかっているのだ!」


「は、はいっ!」




【後書き】

騎士たちは義務を万全に果たした。追跡者たちも成すべきことを成し遂げた。どちらも死力を尽くし、無数のしかばねを積み上げた。

その死地から逃れた者たちは。

次回、第3話「王女の奴隷落ち」。暴力描写あり。

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